第14話 救済編⑭

 私は制服からいつものジャージに着替えた。

 着替えている最中、私は机の上のスマートフォンが気になって仕方なかった。美少女が電話やメールをしてくれるのではないかと期待したのだ。

 要は、なぐさめて欲しかったのだ。

つらかったね」

「大変だったね」

「いじめる人間が悪いよね」

 そんな言葉を掛けてもらいたかったのかもしれない。

 机上の鳴らないスマートフォンをジャージのズボンのポケットに突っ込むと、私は階下に降りた。

 どうやら、もうご飯の支度ができたようだ。

 私は食卓の自分の席に腰を落とした。

「いただきます」

 今日の夕食は親子丼だった。丼鉢の底に白米をよそい、その上に卵でとじた鶏肉が盛られている。さらに、その上には青いネギが乗っている。

 私はかき込むように親子丼を食べた。つい先程、菓子パンとジュースを飲んだにも関わらず、私の胃は食物を求めていた。

 母が私の対面に座った。母は父やあつし、どちらか最後に帰ってきた家族と食事をする。主に、父が一番最後に帰ってくるのだが、ときおり、敦が野球の練習で泥だけになって、一番最後に帰宅することもあった。

 丼を持って白米を口に入れる私を、母は少し不安そうな顔で見た。

「シャーペンの芯、買えた?」

 一瞬、私はのどを詰まらせた。口の中で咀嚼そしゃくしていたものを、無理やり食道へ流し込む。

「買えたよ。最近は何でも百円で買えるから便利だよね」

「あんた、何か不安なことない?」

「不安なこと? それはお父さんが――」

 母が私の言葉を切る。

「そうじゃなくて。あんた自身が何かしら学校で困ってるんじゃないの?」

 私はこの時ほど、母親という生き物の「かん」が恐ろしいものであると感じたことはなかった。

 私は本当を半分、嘘を半分、言うことにした。

「お父さんがガンだとわかった時は相当ショックだった。今でも、お父さんのことが心配でたまらない。本当のことを言うと、お父さんには最新の治療を受けて欲しいと思ってる。でも、お父さんの命はお父さんのものだから、最終的にはお父さんが決めるものだと思う」私は一旦、一息ついた。「でもね、私は学校へ楽しく通ってるよ。いつも通りね。少ないかもしれないけど、友達もいるし、クラスの中でもそれなりにやってるつもりだよ。ときどき、サボりたくなることはあるけどね」

 最後の言葉が嘘だった。

 確かに、つい先日まで私は何の問題もなく学校へ行けた。しかし、今日、この日から全てが変わってしまったのだ。私はいじめの対象になり、苦痛を味わった。しかも、かなり悪質な部類に入る。

 先程、菓子パンとジュースを飲んだにも関わらず、私は次々と丼の中身を頬張ほおばった。昼食を抜いたのだから仕方ないと言えば仕方がないが、自分の食い意地の張りように、少々嫌気が差した。

 私は親子丼をむさぼりながら母の顔を垣間見た。

 母は私の様子をうかがっているようにも見えたし、全く見当違いの所を見ているようにも思えた。

 親子丼を食べ終えると、私は風呂に入った。父や敦と鉢合わせにならないように、なるべく急いで入浴をすました。

 風呂から上がると下着だけを変えて、私は再びジャージにそでを通した。

 ジャージのポケットからスマートフォンを取り出す。着信やメールはなしだ。

 私はスマートフォンをジャージのポケットに突っ込むと、二階へと上がった。自分の部屋に入る。

 ベッドの上に座る。

(今日、あったことを話したほうがいいのかな? それとも、話さないほうがいいのかな?)

 私は五分間悩んだ後、美少女に電話をすることにした。もしも、私が電話をかける行為が順番と違っているならば美少女のほうから警告をしてくれるはずだ。

 私はベッドの上に腰掛けたまま、美少女に電話をした。五コール目で相手が電話に出た。

 美少女のあわてた声が聞こえる。

「ごめん、ちょっと待って。今、食事中なの。ご飯を食べ終えたらこっちからかけ直すから」

 それで通話が切れてしまった。

 私は部屋の壁掛け時計に目を視線を上げた。ちょうど夕飯の時刻であるのは確かだ。

 私は父と敦と顔を会せたくなかったので、普通の家庭よりも早めに夕食をったのだ。

 三分後。

 携帯電話が鳴った。相手は勿論もちろん、美少女である。

「もしもし」

 私の声のトーンは高かった。それほど、美少女と会話ができることが嬉しかったのだ。

「ごめんなさい。ちょうど夕飯を食べてる頃だったの。待たせたわね」

「いいえ。ご飯を食べるのをいそがせて、すみません」

「いいのよ。私が望んでやってることだから。それより、何? 何か今日、特別なことがあったの?」

 私は一呼吸置いた。自分がいじめにっていることを告白するのは勇気がいることだった。

 私はスマートフォンを握りしめると、思い切って切り出した。

「実はいじめに遭ってるんです。それも、相当 たちの悪いいじめです」

 美少女は驚きの声を上げた。

「もう? 確かに私はあなたに『こくなことが起こる』と言った。でも、それが次の日に起こるとは予想もしてなかった」

「『酷なこと』っていじめのことだったんですか? あなたもいじめに遭ったんですか?」

「遭ったわ。あなたと同じように、私の前任者から、ひどいことが起きると警告された。けど、私の場合は前任者からそのことを伝えられてから一週間後のことだった。まさか、こんなにも早く、あなたがいじめに遭うとは思ってもみなかった」

「どんないじめに遭ったんですか?」

 スマートフォンの向こうからため息が聞こえた。

「まずは机と椅子ね。私が教室に入ると、私の机と椅子が教室のすみの方に押しやられてたの。私は一人で机と椅子を元の場所に戻した。それから、教科書とかをビリビリにかれたわね。どのタイミングなのかはわからないけど、ある日、教科書がカッターナイフか何かで切り刻まれていたの。次の日、本屋さんで新しい教科書を買った記憶があるわね。それにしても、本当に私の警告した次の日からいじめが始まるなんて驚きだわ」

「私もびっくりしてます。まさか、たった一日でいじめが発生するとは思ってもみませんでした」

 美少女が声のトーンを少し落とした。

「いじめられてる原因はわかってるの?」

「はい、わかってます。私、昨日、告白されたって言いましたよね?」

「例の校内一の美男子?」

「そうです。どうも、それを見ていた一年生がネットの掲示板に書き込みをしたらしいんです。そこから、一夜で私が告白を断ったことがサイトを見てる人に伝わって、今日からいじめが始まったようなんです。それから、掲示板を読んだ人がメールでいろんな人に拡散したみたいなんです」

「ちょっとよくわからないんだけど、学校のサイトに掲示板とかがあるの?」

 私は司書の先生の言葉を思い出しながら、説明を始めた。

「そのサイトは掲示板形式で学校の公式サイトではないんです。誰かが勝手にサイトを立ち上げて、そこの掲示板で先生の情報や身近に起こったことなどを書いてるみたいなんです」

 美少女がボソリと言う。

「裏掲示板か」

「何ですって?」

「学校が公式で開設してないネットの掲示場を裏掲示板って言うんだよ。私もネットに詳しいほうじゃないから深くはわからないけど、そういうサイトは色んな学校にあるらしいよ」

 そう言えば、図書室の司書の先生に見せてもらったサイト名にも、「裏」という文字が載っていた。

「ネットの力はすごいです。たった一日、いや、たった一夜で私はいじめられっ子になってしまいました」

 私は苦笑いをしながらスマートフォンに向かって話すことしかできなかった。

 美少女が真剣な声で言う。

「これからさらにつらいいじめに遭うかもしれないけど、耐えるのよ。耐えて学校へ行くの。そうしないと、お父様の病気の回復はできないかもしれない」

 私の決意は少々揺らいでいた。

「わかりました。でも、いじめがこんなにも酷いものだということを改めて知りました」

「いじめはね、いじめてる方は遊び半分なのよ。でも、いじめられてるほうは、たまったもんじゃない。私も辛くて、毎朝、学校を休もうかと何度も思った」

「でも、しっかりと学校へ行って、大切な人を救うことができたんですよね」

「何とかね。担任の教師がいい人でね。私がいじめられてることに気が付いてくれたの。休みの時間とか教員室で私の話をきいてくれたりしたわね」

 私は図書室の司書の先生を思い出した。司書の先生も私がいじめられてることを知って、力になってくれている。

(どんな過酷ないじめに遭っても、助けてくれる人がいるんだ。ありがたい)

 私は心底そう思った。

 美少女はさとすように言う。

「とにかく、学校は休まないこと。どんないじめがあっても学校へいくこと。それがお父様を救う唯一の方法なのだから。わかった?」

 私は曖昧あいまいにうなずくことしかできなかった。

「一応、心にとどめておきます。もしかしたら、途中で挫折するかもしれません。たった一日でこんなにも心がいたんだんですから」

「それでも頑張るのよ。お父様を救いたいんでしょ?」

「はい、父は大切な人です。父を救いたいです」

「だったら来週もしっかりと学校へ行くこと」

「わかりました」

 私の言葉はどんどん小さくなっていっていた。

「じゃあ、今夜はこのあたりで切るからね。不安なことがあったら電話を頂戴ちょうだい。メールでもいいわ」

(不安なことだらけなんだけど)

 最後の言葉を私は声に出さなかった。いや、出せなかった。

「じゃあ、おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 それで通話は切れてしまった。

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