第11話 救済編⑪

 翌朝。

 私は普段通りに起きた。父もあつしもすでに家を出ている。

 私はいつも通り、母が作った朝食を胃袋に収めた。

 そして、いつも通り、学校へ向かった。

 些細な異変に気がついたのは、学校の門扉であった。私が門扉を通過しようとすると、男女の視線がいっせいにこちらに向いた気がした。特に、一年生が私を見ている気がする。

(気のせいかな?)

 私は心の中でひとりごちた。

 それから、校舎へと私は足を進めた。階段を登り、二年生専用の玄関へと入る。

 私が自分のロッカーを開け、上履うわばきと靴をき替えようとした時だった。違和感を覚えた。

「ねちゃ」

 擬音化すればそんな音になるだろうか。

上履きの中で気持ちの悪い物を踏んだ感触がした。私は上履きからそっと足を抜いた。靴下の裏を見る。

 そこにはチューインガムがくっついていた。しかも、んだ後のチューインガムで、上履きの中敷き、四分の一ほどをおおっている。

(なんだこれ? 私、ガムなんて噛んだか? そんな記憶はない)

 自分が噛んだチューインガムではない。となると、誰か別の人間が噛んだ後のチューインガムを私の上履きに入れたことになる。

(まさか。私が無意識のうちにチューインガムを上履きに入れるわけがない。きっと何かの間違いなんだ)

 しかし、噛んだ後のチューインガムが偶然に私の上履きの中に入ることなどあり得るだろうか。

 私は首を左右に振って、自分に言い聞かせた。

(偶然、偶然。たまたまよ、たまたま)

 私は玄関で上履きの中敷きにくっついたガムを懸命にがした。が、なかなかうまく取れてくれない。チューインガムの粘着力が強いのだ。

 結局、何とか上履きのチューインガムを取るのに十五分ほど掛かってしまった。

 私は靴をロッカーにしまうと、教室に入った。

 私は朝の挨拶あいさつをした。

「おはよう」

 しかし、誰も私の挨拶に応じてくれない。それどころか、私から視線をそらしたり、うつむいたりする生徒や、私の存在に気が付かないとでも言うように談笑を続ける女子生徒もいる。

 私は声をだいにしてもう一度言った。

「おはよう!」

 またしても、同じ光景。

 昨日までは、私が教室に入ると、皆が笑顔で挨拶をしてくれた。男女問わずだ。

 しかし、今、私は完全にクラスの皆から無視をされている。

 私は自分の席についた。瞬間、私は言葉を失った。私の机がナイフか何かで切り刻まれていたのだ。

「な、何よ、これ」

 そんな言葉しか出ない。

 机をよく見ると、切り刻まれた箇所は無秩序ではなく、文字になっていることがわかった。

〈バカ〉

〈死ね〉

〈卑怯者〉

〈いい子っぷり〉

〈カッコつけ〉

〈相手のことも考えろ〉

 などなど。

 机の罵詈ばり雑言ぞうごんは私を打ちのめした。一体、なぜ私がこんな仕打ちを受けなければならないのか。

 ふと、私は美少女の言葉を思い出した。

『もっとつらい現実があなたを待ってるの』

 美少女が口にしたのはこのことだったのだ。

 私は合点した。つまり、次の儀式はいじめに耐え抜くことだ。美少女も「こく」と言っていた。

 そもそも、いじめにわなかったことのほうが奇跡に近い。だからと言って、いじめに耐え抜く自信があるわけではないが。

 誹謗ひぼうが書かれた机の上にかばんを置くと、私は椅子に腰掛けた。

いたっ!」

 私は小声を出した。お尻の肉に針を刺すような感覚が走ったのだ。

 私は立ち上がると、恐る恐る椅子に目を落とした。椅子の上には画鋲がびょうが針の部分を上にして置かれていた。その数は二十個ほど。

(なんて古典的なんだろう)

 しかし、昔ながらのいじめの効果は、私の心をえぐるのに充分な効果があった。

 教室のすみのほうで、女子生徒たちがクスクス笑っている。彼女たちが仕掛けたのだろう。

 私は椅子の上の画鋲を慎重に取り除いた。救いだったのがお尻の部分に突き刺さった画鋲がすぐに取れたことだ。太っているのが幸いだったのかもしれない。

 私は画鋲を教卓まで運んだ。教卓の小さな箱に画鋲を入れる。

 画鋲を戻すと、私は改めて自分の椅子に座った。鞄の中から教科書類を取り出し、机の中に入れようとする。が、ここでもまた異変が起こった。

 机の中に入れようとした教科書が中までうまく入らないのだ。しかも、何かに引っかかるような感触ではなく、柔らかい物質が教科書類が中に入るのをこばんんでいるようだ。

 私は教科書類を左右の手で持つと、机の中をのぞき込んだ。

「ヒッ!」

 思わず、引きつった声が出る。

 机の中にあってはならないものが存在した。いや、「いた」と表現したほうが明確かもしれない。

 私が目にしたのははと死骸しがいだった。息絶えた鳩のむくろが私の机に入っていたのだ。

(いくらなんでも、これはやりすぎでしょう)

 教室の隅では先程の女子生徒たちがまたしても、私を見て笑っている。

 私は鳩をどう処分するか考えた。素手ではとても触れそうにない。

 仕方なく、私は掃除道具入れの入っているロッカーに向かった。ロッカーの中からほうきとちりとりを取り出した。これらで、机の中から鳩の死体を取り出そうと考えたのだ。

 私は再び自分の席に戻ると、箒を机の中に突っ込んだ。かき出すように鳩を机から引きずり出す。そして、息をしていない鳩をちりとりに載せた。

 教室中の視線が私に向かっていた。私は恥ずかしくてたまらず、顔を真っ赤にさせていた。

 ちりとりの上に鳩の死体を載せ、私は教室を後にした。小動物の死骸をゴミ箱に捨てるわけにはいかない。

 私は教室から玄関へ向かうと、靴を履き、校舎の裏庭に立った。鳩の死体を土に埋めようという考えだ。

 手近にスコップなどがなかったため、私は素手で穴を掘った。深さは二十センチほどだ。

 気味が悪いが私は鳩を素手でつかんだ。鳩の死体を掘った穴にそっと置く。

 鳩をよく見ると、羽根の部分が異様な角度に曲がっていた。人間が殺したのだろうか? わざわざ私をいじめるために?

 いくら、いじめをしようと考えても鳩などの小さな動物まで使うだろうか?

 私は様々なことを考えながら鳩の墓を作った。冬なので、そなえる花などない。

 私は黙って鳩の墓に手を合わせた。

 それから、私は校庭にある手洗い場で手を洗った。石鹸せっけんをつけて、皮膚がけずれるのではないかと思うほど、力強く両手をこすった。冬なのでとても手が冷たかった。

 教室に戻り、箒とちりとりをロッカーに戻すと、私は自分の席についた。机の中から鳩の死体の異臭がすることはなかった。

 私は鞄の中の教科書類を机に入れようとした。が、また手が止まった。

(ついさっきまで、鳩の死体が入っていたんだ。どんな病気を持ってるかわからない)

 私は教科書類を机の上に置くと、今度はバケツと雑巾を掃除用具入れのロッカーから出した。

 廊下にある手洗い場でバケツに水を注ぐと、雑巾を水にひたした。雑巾をきつくしぼる。

 私は雑巾を持って、自分の机に戻った。机の中を雑巾で拭いていく。雑菌を一〇〇パーセント取れるはずはないが、気休め程度になるだろうと思った。

 机の中を拭き終えると、再び、廊下へ足を向けた。手洗い場にあるバケツで雑巾をゴシゴシと洗う。が、途中で作業を止めた。

(この雑巾は鳩の死体のバイキンがつているかもしれないんだ。捨てよう)

 私は雑巾を洗うのを中止して、バケツの水を手洗い場に流した。

 雑巾は教室に入る時にゴミ箱に捨てた。バケツをロッカーへ戻す。

 一通り作業が終わると、私は改めて教科書類を机の中に入れた。いくつもの作業が重なり、もう疲労していた。でき得ることなら家に帰りたかった。

 しかし、美少女は言った。

 何があっても学校へ行け、と。

 授業中。

 私に変化は特になかった。教室の生徒も普段通りだった。皆、黒板に書かれた文字を必死にノートやルーズリーフに書き記していく。

 問題は授業と授業の合間の休憩時間だった。

 一限目と二限目の十分間のことだ。

 私はいつも仲良くしている友達の席に寄った。その子は毎日明るい笑顔を浮かべるとても雰囲気の良い友達だった。

 四人の友達が談笑している輪に私は入ろうとした。

「ねぇ、昨日のあの番組観た?」

 私は思い切って声を掛けた。が、彼女たちからの返事はない。まるで、そこに私が存在しないかのようにおしゃべりをしている。

「え~、でもあんたなんて、体重が五十キロオーバーしてないからいいじゃん。私、体重が五十キロ以上あるよ」

「それは私が小さいからだよ。あんたは身長があるからそれくらいで当然だよ。むしろ、せ気味だと思うよ」

「私は背が小さいし、胸も小さいし、女子の魅力がゼロだよ」

「気を落とすな。胸が小さい女子が好きな男子なんていっぱいいるよ。ちょっと、ロリコン気質があって、逆にウケるんじゃない?」

 私は会話に加わろうとした。

「私なんて、体重が――」

 一番、愛想あいその良い女子生徒が立ち上がった。

「ほら、私のほうが背が低い。その身長で体重が五十キロ未満なのは贅沢ぜいたくだよ」

 私は彼女たちの会話から完全に除外されていた。私はここに存在しないと同じなのだ。

(これがいじめというやつか。想像以上にキツイ)

 次の授業を告げるチャイムが鳴った。

 私は顔を俯けて自分の机に戻った。

 次の授業の合間、私は一人で過ごした。椅子に座り、机にしている。目は開けたままである。はたから見れば眠っているように見えるだろう。だが、私はしっかりと覚醒していた。

 その次の授業の合間も同じことをした。

 そして、その次の授業の合間、私はトイレにこもった。尿意があったのは確かだが、教室にいたくない、という気持ちのほうが強かった。そのため、用を足しても私は授業が始まるギリギリの時間までトイレの個室に入ったままだった。

 昼食。

 私はどうしようか迷った。いつも仲良くしている子たちのところに行くか、一人で食べるか。

 私はいつものメンバーに視線を送った。が、彼女たちは私のことなど意にせず、机を寄せてお弁当を食べ始めた。

 私は諦めて一人でお弁当を食べることにした。

 私は鞄から弁当箱を取り出した。その時、ちょっとした違和感を覚えた。が、その違和感が何なのか鮮明にはわからなかった。

 私は弁当箱を包む布巾ふきんほどいた。弁当箱を開ける。

「うっ」

 私はうめいた。

 弁当箱の中が白い粒状のもので満たされている。

「何だこれ!」

 私は思わず叫んだ。

 私が声を上げると、教室のどこからか、

「クスクス」

 と、笑い声が上がった。

 私は弁当箱を見た。白いものはグラウンドの砂だった。白米やおかずにまんべんなく砂はかけられていた。

(一体、誰がこんなことをしたんだ? そもそも、いつこんなことをされたんだ?)

「あ」

 私は単音を発した。

 私は授業と授業の合間に机の上に突っ伏して、眠った振りをしていた。が、一度、トイレに籠もっていた時間がある。その時間帯にやられたのだろう。

 弁当箱を取り出した時の違和感が何だったのかも今は理解できた。弁当箱を包む布巾の縛り方が母のものと若干じゃっかん違っていたのだ。

(こんなお弁当、食べれないよ)

 私は肩を落とした。

 すると、スカートの上に水滴が落ちた。一瞬、何のしずくかわからなかった。が、それが涙だとわかると、私の気分は最悪に落ち込んだ。

(これがいじめなのか。まだ、今日は半日しかってない。なのに、こんなにも精神的なダメージを受けてる。こんなのを耐えるなんて私には無理だ)

 私は弁当箱を手にすると席から立ち上がった。弁当箱を片手にトイレに向かう。

 母には申し訳ないが、弁当箱の中身をトイレに捨てることにする。

 私は和式のトイレにお弁当の中身をぶちまけた。和式のトイレに砂にまみれたご飯粒やウィンナー、卵焼きなどが乗っている光景が異常に思えた。いや、現に異常な状態なのだ。

 私はトイレのレバーを押した。流水と共に母が作ってくれた弁当が流されていく。

 私は涙をぬぐってトイレを後にした。

 教室に戻ると、私は空になった弁当箱を鞄に戻した。この後の時間をどう過ごすか、私は考えた。

今更いまさら、グループに入って会話に入れてもらえるとは考えられない。そうだ。昨日のように図書室へ行こう。あそこで時間を潰そう)

 私は決めると、図書室へ足を延ばした。

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