第9話 救済編⑨

 朝。

 ジャージから制服に着替えて、一階に降りると、母の姿しかなかった。あつしは朝練に行ったようだ。

 私は前の日と違い、普段通りに朝食を食べると、登校した。

 学校への道すがら、私の頭は美少女の言葉で埋め尽くされていた。

私が誰かに告白されると言う。

 当然のことながら、私は誰かに告白をされたことなどない。一体、どこの男子が好き好んで、太っちょで不細工なこの私を好きになるだろうか。あり得ない。

(でも、彼女が言っていたことは今まで当たってる。お父さんが病気になったことも、夢に出てきたことも)

 私は学校の門扉をくぐるまで、美少女の言葉を反芻はんすうし、誰に告白されるのか考えていた。一方で、そんなことはありっこないと、思いながらも。

 その日の授業もほぼ普段通りだった。違うのは、英語の授業で教師に指名されたことだった。

 私は事前に学習するページを丁寧に和訳してきていた。私は教師に指定された箇所を立ち上がって訳した。すると、珍しいことに教師がめた。

「ちゃんと予習をしてきたんですね。偉いですね」

 私は恥ずかしくなった。

 前もって英語の予習をしたのは勉学にはげむためではない。ただ、美少女の言葉から逃げたいばかりに、机に向かっただけだ。教師に褒められるためではない。

 私は、うつむいて、「はい」と答えると、そのまま席についた。

 昼。

 私はいつものメンバーで昼食をった。今日は図書室へ行かない。友達と当たりさわりのない会話をしながら、母の作ってくれたお弁当を口にしていく。

 この時点で私は美少女の言ったことに疑問を持ち始めていた。

(告白なんてないんじゃないのか? 彼女が言ったことが全て本当になるとは限らないのかもしれない)

 そう考えると、身体が少し楽になった。

 午後からの授業も普段通りだった。

 放課後。

 結局、私の前に男子生徒は現れなかった。私に告白をするマニアなどこの学校に存在しないのだ。

 学校の門扉を通ろうとしたときだった。三人の一年生の女子生徒が道路でコソコソと話をしていた。彼女たちは誰かを見ている。

 私は一年生を無視して下校しようとした。が、そこへ一人の人物が通せんぼをした。同学年の桐生きりゅう君という男子生徒である。

 桐生君は背が高い。目算だが一八〇センチはあるだろう。私は顔を上げて桐生君を見つめた。

 桐生君は顔を真っ赤にして、私の前に立っていた。

(一年の女子が騒いでたのはこのためか)

 桐生君は校内で有名だった。美系だからである。

 桐生君はサッカー部でキャプテンを務めていた。おまけに身長が高く、顔立ちが整っている。肌のキメは細かく、くっきりとした美し目を持っている。

 サッカーの技量もさることながら、桐生君は同学年の男子生徒、女子生徒からも好かれていた。性格が良いのだ。当然、一年生からもしたわれていた。

 さらに、桐生君は謙虚けんきょさも持ち合わせていた。女子にモテるにも関わらず、彼はそれを自慢したりすることは決してしなかった。それに、彼の性格はほがららかで、教師からも好感を持って接せられていた。

 ある意味で、私と真逆な性格と言ってもいいかもしれない。

(桐生君が私に何の用だ?)

 桐生君は相変わらず、耳たぶまで真っ赤にして私の前に立っていた。

「そ、その、俺、言いにくいんだけど、君が好きなんだ。もし、今、彼氏がいなかったりしたら俺と付き合ってくれないか?」

 私はその場で硬直した。何と返事をして良いのかわからなかったからだ。

 次の瞬間、美少女の言葉が頭の中で反響した。

『あなた、明日、告白される』

 美少女が言っていたのはこのことか、と胸中で合点した。しかし、本当に男子生徒から告白されるとは驚くばかりである。

 生まれて初めて異性から告白された嬉しさと、それを断らなくてはならない無念さが心を埋め尽くした。それも、校内一の美男子の告白をるのだ。

 私は率直に聞くことにした。

「どうして私なの? 可愛い子はいっぱいいるじゃない。桐生君なら選びたい放題なんじゃない?」

 私の言葉には少々棘とげがあった。付き合うことのない男子生徒である桐生君に意地悪な質問をしたくなってしまったのだ。それは、私にせられた儀式とやらへの反抗でもあった。

 桐生君は頭の後ろをいた。照れが最高潮に達しているという雰囲気だ。

「去年の十月二十一日」

「え?」

 彼が月日を唐突に口にしたのが理解ができなかった。十月二十一日とはまた結構、前の日付だ。

「十月二十一日に何かあったっけ?」

「何も。体育祭とか何か特別な行事があった日じゃない。その日は普通の日だった」

「ちょっと言ってる意味がわからないよ」

「ごめん、最初から話すよ」

 桐生君は一息ついた。

「去年の十月二十一日、俺、部活の前にちょっと用事があって、教室に残ってたんだ。放課後だったから、他にも生徒がいて、ちょっと混雑してた。その時だったんだ。一人の生徒が廊下のゴミ箱にくしゃくしゃに丸めた紙をほかったんだ。紙はゴミ箱から外れて、床に落ちた。でも、その生徒は廊下を引き返してゴミ箱にゴミを入れることはなかった」

 私は桐生君の言わんとするところが、ますますわからなくなっていった。

(ゴミと私とどういう関係があるんだ?)

 桐生君が話を続ける。

「その時だったんだ。床に落ちたゴミを一人の女子生徒がゴミ箱に入れたんだ。それが君なんだ。それから俺は君から目を離せなくなった。もちろん、クラスは違うから、いつも毎日というわけではないんだけど」

 私は目を見開いた。

(ゴミを捨てただけで、人を好きになることなんてあるのか? しかも、相手はこの私だぞ。ブスで太ってる。こんな私を誰かが好きになるはずがない)

 私は念押しのために、一八〇センチの長身の桐生君を見上げた。

「罰ゲームか何か? ゲームをして、負けた人が私に告白するっていうゲーム」

 桐生君は眉間にしわを寄せた。

「違う! 俺は本気なんだ。本気で、君が好きなんだ。好きになってしまったんだ」

 私は美少女の言葉を思い出した。

『あなたが男子からの告白を断らなければ、お父様の病気は治らない』

 私は美少女の言葉をどこまで信じて良いか判断しかねた。さらに、校内一の美男子に告白されたことで私は有頂天うちょうてんになっていた。

(桐生君と付き合えたらどんなにラッキーだろう)

 私の脳内で桐生君との交際が映像化される。

 一緒に登下校すること。

 近所のコンビニでイートインすること。

 アトラクションがたくさんある遊園地へ行くこと。

 そして……。

 私は唇をみしめた。

(駄目だ。いくら、お父さんを守るためとは言え、桐生君からの誘いをなかなか断れない。ここで、はっきりと断ったほうが二人のためになるのに)

 私が断る決意を固めようとすると、桐生君は言葉で私の心を揺れ動かした。

「俺じゃ駄目か? 俺の何が駄目なんだ? 顔か? 性格か? それとも他に好きな人がいるとかか?」

 桐生君の矢継ぎ早の言葉に私は閉口した。何も言えない。

 五秒間待って、私は頭の中で文章をどんどん形作っていく。

「別に桐生君が嫌いなわけじゃないの。桐生君は格好がいいし、性格もいい。それから、私は好きな男子はいない」

 桐生君の顔が明るくなる。

「じゃあ、俺と付き合ってくれるのか?」

 私は首を左右に振った。

「ごめんなさい。私、桐生君と付き合うことはできないの」

 桐生君の顔が真っ青になった。貧血を起こしたかと思うほど青白い。

「どうして何だよ。理由だけでも教えてくれないか? 俺が駄目なのはわかった。けど、理由がわからず仕舞じまいのままだと、心の底から納得できない」

 私はまたしても考え込んだ。今度は桐生君を説得するために、何かしらの嘘を付かなければならない。

(実は許嫁いいなづけがいるの)

 却下。

 高校生で許嫁がいるのは漫画の世界だけだ。

(実は、私、男性恐怖症なの)

 却下。

 私はクラスの男子ともそれなりにうまくやっている。私の頭を見て、「チリチリのタワシ頭」とからかわれたりする。私が本気で怒ると、男子生徒は、「ごめん、ごめん」と笑いながら素直に謝る。そんな場面を桐生君が見ている可能性は大いにある。

(実は、私、レズビアンなの。だから男の人に興味がないの)

 却下。

 私はある男性アイドルグループの熱烈なファンだった。中学の二年生ごろからのファンで、今もその男性アイドルグループのコンサートを観に行ったりする。

 私の熱いファンの心は学年に知れ渡っている。恐らく、桐生君も知っていることだろう。男性アイドルグループが好きにも関わらず、レズビアンというのは話が通らない。

 私は一瞬、本当のことを言おうかと迷った。が、すぐにその迷いは消えた。他人に父のことを話すことは、美少女が話した順番と違うかもしれないからだ。しかし、思考はまた一回転する。

(ここは正直に『付き合えません』と言おう。それがベストだ)

 私は桐生君の顔を再び、見つめた。

「やっぱり、私は桐生君と付き合えないや。理由はうまく言えないけど、とにかく付き合えないの」

 桐生君は瞳に涙をかすかにとどめていた。

「俺じゃ駄目なのかな? どこを直したら付き合ってもらえる? 俺、直せるなら性格とか直すよ。なんか不満があるなら言ってくれよ」

「とにかく、駄目なの。私は桐生君と付き合えない。でも、桐生君の性格が悪かったり、外見が悪いから付き合えないってわけじゃないからね。むしろ、私のほうがデブでブスだし」

 私が自嘲じちょう気味に笑うと、桐生君は大声を出した。

「そんなことない! 確かに、君は少しだけ太ってるかもしれないけど、全然、ブスじゃない。あの日以来、俺は君の全部が好きになったんだ」

 私は心の中でうなだれた。

(桐生君の告白を断るのはこくだ。なんで、こんな儀式をしなくちゃいけないんだ。これで、お父さんの病気がなかったら、とっても幸せな学校生活が送れたのに)

 桐生君は幅広い肩を落とした。

「わかった。今回は諦める。もっと自分をみがいて、いつか好きになってもらえるようにする。もしも気が変わって、俺のことを少しでも好きになってくれたら、教えてくれ。俺はずっと待ってるから」

『ずっと待ってる』

 私は桐生君に申し訳ないことをした、と思った。桐生君はこん不細工の女子を好きになり、告白してくれたのだ。にも関わらず、結果は振られた。きっと、桐生君は屈辱くつじょくを感じているだろう。

「じゃあ、俺、部活があるから」

 そういうと、桐生君は門扉から校庭へと走っていた。校庭へ向かう桐生君の後ろ姿は一八〇センチにも関わらず小さく見えた。

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