第8話 救済編⑧

 午後の授業が終わり、私はいつも通りまっすぐ帰路につくことにした。

 この日も、もしかしたら美少女が門扉に立っているかもしれないと思った。が、それらしい人影はなかった。

 家に着くと、私は

「ただいま」

 と、挨拶あいさつをした。

 キッチンから、「おかえりなさい」と母の声が聞こえる。

 私は玄関からリビングを通り、そのまま二階に上がった。自室で制服を脱ぐと、中学の時のジャージに着替える。

 着替えが終わった時のことだった。私のかばんの中から、スマートフォンの着信音がした。私は素早く鞄を手元に引き寄せると、中からスマートフォンを取り出した。通知されている番号は美少女のものだ。

 私は通話ボタンを押した。

「もしもし」

「もしもし、私だけど。今、時間はいいかしら?」

 私は自室の壁掛け時計に目もくれず、答える。

「大丈夫です。時間はたっぷりあります」

「そう、なら良かったんだけど。実はね、あなたに大切なことを伝えたいの」

「大切なこと?」

「そう。これはお父様の命に繋がることなの。だから、しっかりとよく聞いてね」

「わかりました」

「あなた、学校ではどんな生活をしてるの?」

 私は普段の高校生活を想像した。

「普通だと思います。授業は真面目に出てますし、いじめられたことはないですし、友達も何人かいます」

「そうなの。恵まれてるのね」

「でも、あなたが現れて、父の病気がわかってからは、違った学校生活になってしまいましたけどね」

 私は皮肉を込めたつもりだった。が、美少女は意にしないという口調である。

「単刀直入に言うわ。あなたに明日、とても幸せなことが起こる」

 私は間髪入れずに口を挟む。

「父の病気が治るんですか?」

「いいえ、違うわ。これは、あなたのお父様の病気が良くなるための通過儀礼なの。一種の儀式と言っていいかもしれないわね」

「儀式ですか?」

「そう。これからいくつかの儀式があなたを待ってる。それを通過すると、あなたの願い、お父様の病気が治る見込みがあるの」

「儀式ってどんな儀式ですか?」

「はっきり言うわね。あなた、明日、告白される」

 私は五秒間、黙った。相手の言っている意味が即座にみ込めなかったからだ。

「父の病気の告白ですか?」

「いいえ、違う。ある男性からあなたは告白をされる。『好きです』ってね」

 私は鼻で笑った。

「そんなことあるわけないじゃないですか。あなたも私を見たでしょ? 私は太っちょで髪はチリチリ。おまけに顔も悪いときてる。自分が不細工であるということは、ちゃんと自覚してるつもりです」

「それでも、あなたは告白されるの。それも最高の男子にね」

 美少女は断固たる調子で言った。それから、淡々と次の言葉を口にした。

「でも、あなたはそれを断らなくてはいけないの。理由は私にもわからない。でも、あなたが男子からの告白を断らなければ、お父様の病気は治らない」

「もし、私が告白を受け入れたらどうなるんですか?」

「たぶん、お父様は三ヶ月の命で終わる。でも、あなたが告白を断れば、第一段階の試練はおしまいになる」

「第一段階?」

 私は美少女の言葉を繰り返した。私は心の中でつぶやいた。

(第一段階ということは、まだまだ、お父さんを救うための儀式とやらがあるっていうこと?)

 美少女が私の疑問に答える。

「そう、第一段階。これから、あなたにはいくつかの儀式が訪れる。それを全てクリアーすれば、晴れてお父様の病気が良くなるの」

「どうして、それがわかるんですか?」

「私もそうだったから。実は、その時、私はすごく好きな人がいたの」

 美少女は何故かここで言葉を切った。まるで、言ってはいけない言葉を理性で打ち消すかのような、微妙な間があった。

「でも、私はある人を救うために好きな人からの告白を断らなければいけなかったの。それは私にとってとてもつらいことだったの。あなたは好きな人はいる?」

 私は考えた。

(好きな人はいない。というか、男子に対して好きとかあこがれの感情を持ってはいけない気がする。私はブスだ。こんなブスに好きな人ができても、悲しい結末があるだけだ)

 そう思っていた。

 私は素直に言った。

「好きな人はいません」

「なら、それはあなたにとって少しは幸運なことかもね。少なくとも、自分の好きな人から告白されるわけじゃないんだから。私は自分が好きな人だったから、とても辛い思いをしたの」

 と、ここで美少女が言葉をあわててさえぎった。

「いけない。余計なことをしゃべっちゃったわね。あまり、私の言葉は受け入れないで。もしかしたら、私が話したことで、あなたの気持ちが揺らいだり、そもそも、私の言葉自体でお父様が治らないかもしれないから」

 私は図書室で調べた決定論のことを思い出した。

「ラプラスの悪魔って知ってます?」

「……何の悪魔って言ったの?」

 美少女はその言葉を全く知らないというふうだった。

 私は一応、言い直した。

「ラプラスです。ラプラスの悪魔」

「ラプラス……。聞いたこともない言葉ね。何かの暗号?」

 美少女は本当にラプラスの悪魔を知らない様子だった。

(ということは美少女が言っていた順番の話とは関係ないのか?)

 私はスマートフォンを少しだけ強く握りしめた。

「前に『順番が大事』と言ってましたよね? 私、そのことに関して少しだけ調べてみたんです。そしたら、あなたが言っていた、物事の順番とよく似た理論が物理、というか私には哲学の話に近いように思えたんですが、出てきたんです」

 美少女が私の言葉を打ち消すように大きな声を出した。

「そのことに関してあまり調べないで! もしかしたら、あなたが調べることによって、全てが台無しになってしまうかもしれないの。いい? 前も言ったけど、確かに順番は大事よ。でも、あまり深く首を突っ込みすぎると、助かる人も助けることができなくなってしまうかもしれないの」

「なぜ、そう言い切れるんですか?」

 美少女は吐息をした。

「実は、私も大切な人を救うためだと思って、いろいろ調べようとしたの。けど、私の前任者が私が調べものをすることを強く反対したの。結局、私はどういうカラクリで大切な人を救ったのかはわからなかった。けど、前任者の言うことは、しっかりと聞いて、実行した。その結果、大切な人の命を救うことができたの。いい? 無駄なことはしないで。本当に、お父様を助けたかったら、私の言ったことをしっかりと守って」

 私は、ただ、

「はい」

 と返事をすることしかできなかった。

「じゃあ、また今度、電話をかけるから。くれぐれも男子生徒の告白は受け入れないように。わかった?」

「はい」

 これもまた、私は二音で言葉を返した。

 通話を切ると、私はジャージのズボンのポケットにスマートフォンを突っ込んだ。自室を出る。一階に降り、夕食をることにする。

 食卓にはすでに夕飯のおかずが並んでいた。ないのはご飯と味噌汁くらいだ。

 父もあつしもまだ帰宅してないようだった。

(お父さんは仕事の引継ぎをするって言ってたな。それで、忙しいのかな? あっくんは部活だな)

 私は一人、食卓についた。

 母がご飯と味噌汁を私の前に置いてくれた。

 私は半ばかき込むようにして、夕飯を口に放り込んでいった。ほとんどまず、飲み込むように、ご飯やおかずを口に突っ込む。

 キッチンから母が見かねて、

「もっとゆっくり食べなさい」

 と注意した。

 しかし、私ははしを動かすペースを変えなかった。

(お父さんと一緒にご飯を食べたくない)

 なぜそう思うのか、自分でもわからなかった。もしかしたら、夕食の席で父の空元気を目の当たりにするのが嫌だったのかもしれない。

 私は夕食を終えると、食器をシンクに置いた。そのままの足取りでリビングを通り、二階へと向かう。自室に入ると扉を閉めた。

 部屋に入った私は珍しく、机に向かった。明日の宿題をませようと思ったのだ。明日は英語の授業がある。指名されたときにうまく和訳できるように準備しなくてはならない。

 しかし、私は自身の行動を自嘲じちょうしていた。

(何が宿題だ。こんなことよりも、お父さんの病気のほうが大事だ。私は逃げてるだけだ。お父さんの病気から。そして、美少女が教えてくれた男子生徒の告白から。私の行動はただの逃避だ)

 それから、私は英語の和訳を進めていった。わからない単語は英和辞典でじっくりと調べた。いつものおざなりな訳と違い、時間をかけて、綺麗な日本語になるように心がける。

(これも逃避だな)

 私は自分自身に毒づいた。

 一時間ほどかけて宿題を終わらせると、私は下着を持って、部屋を出た。風呂に入るためだ。

 相変わらず、一階には母しかいない。母はリビングでテレビを観ている。

 私は風呂場に向かった。

「お風呂入ってくる」

「いってらっしゃい」

 母の言葉を背に風呂場に入る。

 この日は私が一番風呂である。私はかけ湯をすると、ゆっくりと湯船に身体をひたした。

「ふぅ~」

 と思わず、ため息が出る。

 風呂は日常の緊張とプレッシャーを取り除いてくれる。湯船に入っていると、先ほどまでの私の考えがどんどんプラス思考へ変化していった。

(彼女は自分の大切な人を救うことができたんだ。ならば、私にできないはずがない。確かに、私は彼女と違い、ブスだ。けど、彼女の言うことを信じ、自分ができることをやれば、お父さんは助かるかもしれない。いや、助かるんだ)

 私は湯船から上がると、ボディーソープで身体を洗った。身体を洗い終え、泡を落とすと、再び湯船に入る。

 私は目を閉じ、ゆっくりと温かいお湯の感触を確かめるように楽しんだ。

 風呂から上がると、ちょうど玄関から、

「ただいま」

 と、声がした。父である。

 私は急いでジャージに着替えた。リビングを早足で通り、父と鉢合はちあわせにならないようにする。

 結局、私は父と顔を合わせることなく、自室に戻った。

部屋に入ると何もすることがなくなった。私の部屋にテレビはない。時間を潰すものが見当たらないので、小学生のときに読んでいた少女漫画を本棚から引っ張り出して読み出した。

 しかし、昔の私と違い、高校生になった私にとって小学生向けの少女漫画はあまり面白いものではなかった。なんとか時間をかけて読み込んでいった。

 私は少女漫画を本棚に戻すと、ベッドにもぐり込んだ。いつもより、一時間も早い就寝だったが、ほかにすることがないので、私は眠りにつくことにした。

 その夜も夢を見ることはなかった。

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