第7話 救済編⑦

 敦が家を出てしばらくした後、私も登校することにした。身体が重く、靴をくのも億劫おっくうだった。

 私はささやくように言う。

「いってきます」

 私はよろめくように玄関から出て行った。

 その日の授業も全く耳に入らなかった。考えることは父と美少女と交わした夢物語のような奇跡の話だ。

 いくつかの授業で私は教師に指をさされた。が、私は淡々と、

「わかりません」

 と言うだけであった。

さらに教師が別の質問をしても私は再び、「わかりません」と答えるだけであった。

 教師はため息をついて、「もういい」と私を席に座らせた。

 昼食は友達と一緒に食べた。が、私は話の中に全く入らず、言葉通り、ただ同じテーブルで一緒にご飯を口に入れているだけであった。

 私は食事を終えると、席を立った。

「どこへ行くの」

「え? どこだろう?」

「どこだろうって、どっか行くから立ったんでしょ?」

「えーと、そうだ。図書室だ。図書室へ行く」

「あんた、本なんか読んだっけ?」

「さあ?」

 私は友達の質問を受け流すと、弁当箱を片付けた。弁当箱をかばんにしまう。

 それから、私は本当に図書室へ足を向けた。この高校に入学して図書室に入るのは二、三回目くらいだろう。それだけ、私は本を読まない人間であった。

 私は図書室のカウンター越しへと視線を向けた。カウンターの向こうはガラスで仕切られており、中の人間が見えるようになっていた。

(そうだ)

 私はあることを思いついた。

 カウンターの向こうの部屋では司書の先生がコンビニのおにぎりを頬張ほおばっていた。やや頭髪の薄くなった男性の司書の先生がガラスを通して私を見る。すると、司書の先生は椅子から立ち上がり、おにぎりから手を離した。

 司書の先生がカウンターに立つ。

「何だい? 本を借りたいのかな?」

「いえ、借りたいわけじゃないんですが、ある種類の本を探してまして」

「と言うと?」

「はっきりとは言えないんですが、占いとか未来の予想とか予知夢とかのたぐいの本ってありますか?」

「占いねぇ。占いの本はここにはないね。あるとしたら、コンビニの雑誌コーナーかな?」

「じゃあ、未来のことがわかってしまうことが書かれた本とかってあります?」

「それはミステリー? あるいはSFのジャンルになるのかな?」

「いえ、そういうものじゃないんです。未来のことが見えたり、わかったりする人のことが書かれた本があったらな、と思いまして」

「わかった。一応、それらしい本が置いてあるかもしれない場所に案内するよ」

「ありがとうございます」

 司書の先生がカウンターから出てくる。そのまま、図書室の中を迷いもなく進んで行く。

 私はあわてて、司書の先生について行った。

「ここらへんかな」

 司書の先生が足を止める。

 そこにはなぜか物理の本が置かれていた。

「僕はそこのカウンターの中にいるから、自由にごらんなさい」

 司書の先生は私を置いて、カウンターの中へ戻って行った。後ろから見ると、髪の毛がかなり抜けていることがわかる。

「ありがとうございます」

 私は一応、礼を言うと、本棚に向き合った。物理関係の書籍が圧倒的に多い。別に、私は物理の勉強をしたいのではないのだが。

 私は本のタイトルをざっと見渡した。

〈量子力学論〉〈中学生から始める物理学〉〈ズバッとわかる相対性理論〉などなど。

(駄目だ。どれも、未来に関するものごとが書かれた本なんてないや)

 私が諦めたときだった。ある文字列が私の目に飛び込んだ。

〈決定論の本-あなたは自由ですか?-〉

 私はこの本のタイトルの「決定論」という三文字にひかれた。

(決定論? これって未来のことが決定してるか、してないかってことか?)

 私は本を手にした。

 パラパラとページをめくる。が、私には何が書かれているのか、さっぱりわからなかった。内容が物理というよりも哲学的な印象を受ける。

(これも駄目か。そもそも、私に物理の本なんてわかるはずがないんだ)

 私が本をたたんだ時だった。背後から声をかけられた。

「未来を予測するのに、決定論を選ぶとはなかなかいいセンスをしてるね」

 振り返ると頭髪の薄い司書の先生が立っていた。

 私はため息をついた。

「私には理解不能な本です。こんなの難しすぎます」

 司書の先生は私から本を取り上げた。

「決定論は古い物理になるかもしれないけど、未来を知りたいという気持ちがあるならば、多少は役に立つかもしれないね」

 そう言うと、本のページをパラパラとめくった。

「あった。ここの項目だね」

 司書の先生が私に本を突き出す。

 ページの先頭に「ラプラスの悪魔」とある。

 私は首をかしげた。

「物理の世界にもお化けがいるんですか?」

 司書の先生は笑った。

「まさか。もののたとえだよ。このページを読んでみるといい。もしかしたら、君の悩みが少しは解消されるかもしれない」

 司書の先生はそう言うと、立ち去ってしまった。答えは教えてくれない。自分で調べろ、という意味があるのだろう。

 私は本を手にすると、机に向かった。図書室を訪れている生徒は私だけである。

 静かな空間で司書の先生が開いた箇所かしょを私は懸命に読んだ。文字を一句一句拾って、頭に詰め込んでいく。

(難しい)

 しかし、ほんの少しは理解できた。

 もしも、私の見方が間違っていないのならば、「ラプラスの悪魔」とは未来予想のことである。

 この世界すべての原子の位置と動きをあらかじめ知ることができるならば、次に起こる事象も予測できる、ということだ。

 この世界に不確定なものはなく、ドミノ倒しのように一つの事象が次の事象へ、そして、その事象がさらに次の事象へ進んでいくということが予測できるということらしい。さらに読み進めると、それは原子の世界だけでなく、この世のありとあらゆる事象にも関連するらしいとのことが記されていた。

 その時、私は美少女が言っていた言葉を思い出した。

『もしかして、手順を間違えると全部が駄目になってしまうかもしれない』

 美少女は私が話す順番をとても気にしていた。そのため、私が父のことを話すのに非常にナイーブになっていた。

 話す順番、つまり一つの事象が次の事象へと繋がっていくことが大切であると美少女はわかっていたのだろうか?

(彼女が言う父を助ける方法は、ある手順通りにしないといけないのだろうか?)

 私は本を閉じた。そろそろ、次の授業が始まるころである。

 私は本を元の位置に戻すと、教室に戻ることにした。

 カウンターに座る司書の先生が、

「また来てね」

 と微笑ほほえんだ。

 午後からの授業も私の耳に入らなかった。一応、黒板に書かれた文字をノートに書き写すのだが、内容はさっぱり入ってこない。

 授業と授業の合間に私が仲良くしている友達が私の席にやって来た。心配そうな顔をしている。

「ねぇ、どこか身体の調子が悪いの?」

 私は精いっぱいの笑顔で答えた。

「どこも悪くないよ。ただ、ちょっとアレがきてて……」

 私はそう言って言葉をにごした。友達は「なるほど」という顔をした。

「そうだったんだ。お昼も一人で図書室に行っちゃうし、心配してたんだ。でも、アレなら仕方ないよね。そういう気分にもなるよね」

「ごめんね」

 勿論もちろん、私が口にしたことは嘘だ。生理などきていない。ただ、いつも仲良くしてくれる友達を心配させたくなかった。

 肥満していて、不細工な私にとって、声をかけてくれる友達は貴重である。私の体型と容姿ならばいじめの対象になっても仕方ないが、幸運なことに私をいじめる人は一人もいなかった。

(友達は大事にしたい)

 私はそう思っていた。

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