第5話 救済編⑤

 夕食。

 本当に久しぶりに一家、そろっての夕飯であった。が、そこには異質な雰囲気が漂っていた。

 母もあつしも私も黙々とはしを動かした。唯一、父だけが笑いながらビールを飲んでいる。

「あっくん、最近の打撃は調子がいいか?」

 敦は手にした茶碗に視線を落としたまま答える。

「うん。まぁまぁかな」

「そうか、それはいいな。打撃も大事だが、守備も大事だぞ。守備練習もちゃんとやってるか?」

「うん」

 敦は先ほどと同じ調子で答えた。

「ならいいな」

 父は私にも話題を振った。

「お前ももう高二になったんだな。来年は受験か。早い子はもう受験勉強を始めてるだろう? いや、でもお前が望むなら就職をしたっていいんだぞ。お父さんはお前の意思を大切にしたい。けど、進学するにしろ、就職をするにしろ早めに決めたことに越したことはないぞ。特に、就職を選ぶなら今のうちに準備をしとかなきゃな」

「うん」

 私は敦とまったく同じような調子でうなずくだけだった。

(この空気、耐えられない)

 私はせっせと箸を動かしてご飯を口に放り込んだ。おかずもよくまず、飲み込むようにのどに通す。

「ごちそうさま」

 私は自分の食器を持つと、シンクに置いた。そのまま、リビングを抜けて二階へと上がる。食卓にいる家族には何も声をかけなかった。

 自室に入ると、私は倒れこむようにベッドに寝転んだ。

(お父さんがガン? しかも、あと三ヶ月の命だって?)

 まだ、信じることができずにいた。あまりにも突然の告知に私は心の整理をすることができないでいた。

 死。

 この世から消え去ること。

 永遠の別れ。

(お父さんはもうすぐいなくなるんだ)

 私はうつ伏せの状態から仰向けになって天井を見つめた。何かを忘れているような気がした。

(何だ? お父さんに関して何かあるのか)

 次の瞬間だった。

「あ!」

 私は叫んだ。

(あの美少女の言ったことだ)

 私は即座にベッドから起き上がった。大慌おおあわてでベッドから降りるとゴミ箱に近付いた。

(まだあるはずだ)

 私はゴミ箱をあさった。付箋ふせんやティッシュ、消しゴムのカスにまじってそれはあった。

「良かった。まだあった」

 それは美少女からもらったメモ用紙だった。くしゃくしゃに丸めてある。

『もうそろそろ、あなたの近しい人、親族か友人、知人の命が危なくなる。その時、あなたはその人を守りたいと思う?』

 美少女はそう言っていた。彼女の言っていたことは本当のことだったのだ。

 私はメモ用紙を手にすると、机に向かった。椅子に座る。

 私は机の上でメモ用紙のしわを丁寧に伸ばした。破れないように慎重に作業を行う。

 メモ用紙には携帯電話の番号とメールアドレスが書かれていた。あの時は立ったまま書いたので、文字がやや乱雑だが、読めないことはない。

 私はためらった。

(いきなり電話をするのも変かな?)

 しかし、自分に言い聞かせるように首を横に振った。

(いいや、もし彼女の言ってることが本当だとすると、お父さんの命が助かるかもしれないんだ。ここは思い切って電話を掛けよう)

 私はかばんの中からスマートフォンを取り出した。メモ用紙に書かれている番号をプッシュする。

 私のスマートフォンから通知音がする。スマートフォンを握る右手がかすかに震えている。

「はい、もしもし」

 相手が電話に出た。

「あ、あの、昨日、学校の前で会った者ですが――」

 それ以上、何と言って良いかわからなかった。話の切り出し方がわからない。

「あなたね。大丈夫。言いたいことはわかってる。あなたの近しい人に危険が迫ってるんでしょ?」

 美少女は全てを知っているかのようだった。

 私はスマートフォンに向かってうなずいた。

「うん、危ない人がいるの。私の家族なの。お父さ――」美少女の声が私の話をさえぎる。

「待って、最後まで言わないで。私も前任者になるのは初めてなの。だから、何が正しくて、何が間違っているかわからない。もしかして、手順を間違えると全部が駄目になってしまうかもしれない。だから、慎重に話をして」

「わかりました」

 私は素直にうなずいた。

「あなたの大切な人が危険な目にってるのよね?」

「そうです」

「その人はあなたの家族? それとも、友達や知人?」

「家族です」

「わかった。あなたの家族の一人が危ないのね」

「そうです」

「ここから大切な質問をするから慎重に答えてね」

 私はスマートフォンを強く握りしめた。

「はい」

「その人が出てくる夢は見た?」

 私は考えた。見た。ガンの告知があった前日、真っ白な世界で父が出てくる夢を見た。

「見ました」

「その時、その人は何かを言っていた?」

 私は再びを置いた。夢で見た父の姿を思い起こす。

(夢の中でお父さんは必死に何かを言おうとしていた。けど、何を言っているのか、まるで聞き取れなかった)

 私は夢の中で体験したことをありのままに報告した。

「夢の中で私は真っ白な空間にいました」

「そこで危ない目に遭ってる人と出会ったのね?」

「はい」

「何かおしゃべりはした? 相手が何かを訴えたりとか」

「いえ、何も言いませんでした。というより、聞こえなかったと言ったほうが正確かもしれません。何かを言おうと口を開いてるんですが、何も聞こえなかったんです」

 美少女の吐息がスマートフォンから聞こえた。

「はぁ。間違いない。あなたはその夢に出てきた人を救える可能性がある。しかも、かなり高い確率で。もう、その人が誰なのか言ってもいいよ」

 私は一呼吸した。

「父です。私の父がガンになりました」

「ガンか……。余命とかわかる?」

「三か月だそうです。ちなみに、ガンは膵臓すいぞうにあるそうです」

「実は、私が助けた人も夢の中に現れたの。これは私の前任者も同じ体験をしてるの。たぶん、この手順で間違いないと思う」

「あなたは誰を救ったんですか?」

「それは言えない。言ってもいいのかもしれないけど、今は言わないほうがいい気がするの。私の前任者もすぐには誰を救ったか教えてくれなかったし。恐らく、私は彼女と同じ行動を取らなくてはならないと思うの」

 ここで、「彼女」という言葉が現れた。美少女の前任者も女性であったことがわかる。

 私は父がガンとどう向き合うのかも話すことにした。少しでも美少女に情報を提供したほうが良いと判断したからだ。

「父はガンを受け入れてます。今は医療が発達してガンに効く薬がたくさんあるそうなんですが、父は普通の生活を送るために、あえて先進医療などは受けないそうです」

「どういうこと?」

「父は自分が死ぬまで、普通に生きたいと言っていました。普通に会社へ行って、普通に仕事をして、普通に帰宅して、普通に寝る。いつもの繰り返しを送りたいんだそうです。だから、会社を辞めたり、私たち家族にも特別なことはして欲しくないんだそうです」

「立派なお父様ね」

 私はそれが「立派」かどうか、判断しかねた。父は死ぬ。それも私たち家族を残して。

(家族のことを考えたら、残された時間を有効に使うべきじゃないのか? お父さんが普通の生活を送りたいというのも、私たち家族のことを考えてないエゴかもしれない)

 美少女が話を続ける。

「さて、問題はここからね。あなたはラッキーなことにお父様を助けることができる可能性を手に入れた。これは本当にまれなことなの。私も自分の大切な人を救うことができて心から感謝してる。だから、あなたにも大切なお父様を救う手助けをしたいの」

「具体的には何をすればいいんですか?」

「それはまだ言えない。今日はお父様が危ないとわかっただけで充分よ。ただ、前も言ったようにお父様を救うには、あなたの心と身体が傷付く恐れがある。それを承知の上で、私の話を受けるのよ」

 私は力強く返事をした。

「はい、もちろん」

「じゃあ、明日、また電話をして頂戴ちょうだい。時間は夜の八時くらいがいいかしら」

「わかりました」

「じゃあ、おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 通話が切れた。スピーカーからは「ツーツーツー」という音だけが聞こえる。

 美少女との通話を終えて、私は中学生の頃のジャージに着替えると、ベッドに潜り込んだ。入浴するためには一階に降りなくてはならない。しかし、一階には父がいる。父と顔を合わせるのが気まずかった。そこで、今日の風呂はなしにした。

 私はベッドの上で天井を見た。

(本当にあの人を信じていいんだろうか?)

 電話越しに聞こえる美少女の声が頭の中で響く。

(もしかしたら、すべて偶然じゃないのか? 父のガンの話は本当だとして、美少女の話は偶然に偶然が重なったものじゃないのか?)

 確率的にはゼロではない。が、近しい人の危機、夢の話などを総合すると、偶然の産物とは思えなかった。

(いったい、これから私は何をすればいいんだ?)

 目を閉じた。そのまま、父と美少女の顔を交互に思い出す。

(私はお父さんを助けたい。決めた。私は美少女の話を信じることにしよう)

 決断すると、急激な眠気が私を襲った。色々と考えすぎて頭が破裂しそうだった。

 私は静かに、そして深い眠りに没入していった。

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