第1話 救済編①

 高校二年生の冬。月曜日のことである。

 徒歩での下校途中、校門を出てすぐのことだった。

 ふいに背後から声をかけられた。

「ちょっと」

 その声掛けが私に対してのものであるということを理解するのに、三秒ほどの時間を要した。

「はい? なんですか?」

 振り返ると一人の少女が立っている。私と違う他校の制服を着ていた。

(誰だ?)

 制服は異なるが、学年は私と変わらないように見えた。が、彼女は私とまるで違う容姿だった。

 髪はセミロングでつややか。整った眉に長い睫毛まつげが印象的な目。鼻は筋が通っており、唇はあつぼったい。

 一方の私は彼女とはまるで正反対の容姿をしていた。

 耳のあたりで切りそろえたちぢれ毛。眉は普通の女の子と変わらないが、両の眼は吊り上がり小さかった。鼻は団子を潰したようだし、唇はへの字に曲がっていた。

 決定的に彼女と違う点は体全体の印象だった。

 彼女が長身でスラリと伸びた容姿を持つのに対して、私は肥満していた。

 私の最大のコンプレックスは太っていることだった。

 脂肪で肥大した肉体を持つ私にとって、健康的でスリムな体格を身にまとう女性は嫉妬しっとの対象だった。

 ねたみを持ちながら、私は彼女の瞳をのぞき込んだ。

 彼女は私の視線に対して笑顔も怒りも現さなかった。無表情というわけではないが、何を考えているのかわからないような形相だった。

 彼女は唐突に話を始めた。

「誰かを守りたいと思わない?」

 私は口をつぐんだ。

(何を言ってるんだ、この人は?)

 私の心中のつぶやきを知ってか知らでか、彼女は言葉を続けた。

「もうそろそろ、あなたの近しい人、親族か友人、知人の命が危なくなる。その時、あなたはその人を守りたいと思う?」

 意味不明な質問であったが、私は正直に答えることにした。この訳のわからない状況から逃げたい、という感情も手伝ったかもしれない。

「もちろん、守りたいです。その前に、あなたは誰なんですか?」

 彼女は耳元にかかった髪をかき分けた。

「あなたの先人、とでも言えばいいのかな? とにかく、あなたのような人を探してたくすのが私の最後の、いえ、正確には始まりの仕事なの」

(この人、頭をどうかしちゃったんじゃないの?)

 私は彼女に向き合ったまま、足を一歩後退させた。

 彼女は私の動作を意にかいさなかった。

「近い将来、あなたにとって大切な人の命が危なくなる。それを防ぐ方法を私は知っている。どう? 私の意志を継いでみない?」

 春にはまだ早い季節だった。こういうおかしな人が現れるのは気温が上がる春であると相場は決まっている。

「あなたの言っている意味が全然わかりません。新手のいじめですか?」

「いじめ? いじめだったらもっと簡単なやり方があるでしょう。私は親切であなたに声をかけたの。あなたの心を助けるために話をしているの」

 私はこの美少女の戯言ざれごとに付き合うことにした。

「わかりました。私にどんな災難が起こるか教えてください」

「あなたの災難じゃない。あなたの身の回りで起こる災難よ」

「どっちでも同じですよ」

 目の前で瞳を大きく輝かせる美少女を見て、私はひとつの危惧きぐを抱いた。

「宗教ならお断りですよ」

 美少女がこれ以上ない、というほどの笑みを浮かべた。

「確かに、宗教と言ったら宗教かもしれない。けど別にあなたが今、信じている神様を捨てたりしなくてもいいの。もちろん、無神論者でも構わない。ただ、あなたに守りたいという人が出てきたら多少の肉体的、精神的な拘束がちょっぴり発生するかもね」

 私は口を閉ざした。目の前の美少女が言うことの意味が分かりかねたし、あまりにも突然の声掛けにどう対処していいのかわからないでいた。

 私の反応を見て、美少女が肩をすくめた。

「今、ここで決めろ、というほうが無理なのかもね。私もそうだったもんね。わかった。こうしましょう。私の携帯電話の番号を教えるから三日以内に返事を頂戴ちょうだい。それでどう?」

「はあ」

 私が気のない返事をすると、美少女がかばんの中からメモ帳とペンを取り出した。メモ帳に書き込みをすると、破いて私に差し出した。

 私は不器用な手付きで彼女から裂かれたメモ用紙を受け取った。

「それが私の携帯の番号とメルアド。三日以内に返事がなかったら、この話はなかったことにする」美少女がメモ帳とペンを鞄にしまう。「これだけは覚えておいて。私の意志を継いで決して損はない。私も私の前任者から話を聞いたとき、信じられなかった。でも、前任者のおかげで私は大切な人を助けることができた。詳しい話は罰則があるから言えないけど、私のあとを継いで後悔することはないと思う」

 私は手渡されたメモ帳の紙片を見下ろした。立ったまま書いたので、文字がやや乱れている。

「それじゃあ、いい返事を待ってる」

 美少女がきびすを返す。セミロングの髪がふわりと宙になびいた。

 いつも使う通学路で私はメモ帳の切れ端を持って呆然ぼうぜんと立ち尽くした。

(いったい全体、何だったんだ?)

 私はメモ帳の切れ端をスカートのポケットに突っ込んだ。

それから私は謎の美少女に声をかけられた理由を想像しながら帰路についた。

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