輝ける日々 (4)

「まあまあ兄ちゃん、そう緊張するなって。久々の再会なんだろ? ああ見えてナナさんも距離を測りかねてるのさ。一発ぶつかりゃ、たちまち解決ってわけ」


 キースは軽薄に手を振ってみせた。小柄な彼はシャイネより目の高さが低い。けれども弓を引く手は大きく、フェニクスを思い出した。

 フェニクスは細身で背が高く、強く縒った組み紐を思わせる体つきだった。寡黙だがシャイネが困っているときには必ず側で見守り、時には手を貸してくれるよき先輩で、今でも頼もしく思える。ひょろりとしていかにも身軽そうなキースとは見かけも雰囲気も異なるが、周囲に気を配り続ける細やかさと観察眼は似通っていた。

 ナルナティアの得物は湾曲した幅広の剣で、馬上戦闘にも用いられる持ち重りのするものである。力を込めずとも重量で指の一本や二本は落とせるだろう代物で、シャイネからしてみれば競り合いたくない相手だ。剣を振り回せる膂力、体力ともに、刺突剣とは相性が悪い。

 連なって向かったのは傭兵組合の裏手の空き地で、めいめいが剣を振ったり試合形式の輪ができていたり、青服たちの訓練場を思わせた。

 抜き身の剣を手にしたゼロとナルナティアが向かい合い、傭兵たちは体よく審判を押しつけられたシャイネの後ろで観戦している。お手並み拝見、といったところか。

 藍色の剣身がのどかな午後の陽射しに照った。珍しい色に、傭兵たちが感嘆の声をあげる。エニィはゼロが剣を抜いたことが嬉しいらしく、はしゃいでいた。


『浮き足だってんなあ。まあ、ばれたばっかだし、しょうがねーか』


 ディーはエニィの挙動に辛い点をつけている。きっとかれ自身も、こちらに召ばれたばかりの頃は浮ついていたに違いないのに。

 ゼロはエニィを体の正面に構えた。小回りが利いて速度のある一閃を放つ右腕と、体重を乗せた大振りを放つ左腕。しゃんと伸びた背と、きりりと引き締まる肩や腕を見るのがシャイネは好きだった。

 一方のナルナティアは曲刀をぶら下げた右半身を引いて立つ。どちらも油断のない鋭い面差しだった。

 腕を差し伸べると、ふたりの呼吸がいちだんと遅く深くなるのがわかった。


「では、始め!」


 宣言と同時に飛び退く。シャイネの腕を貫かんばかりに、ナルナティアが鋭く突き込んだ。速い。

 刺突剣が突くことに特化された剣であるように、曲刀は斬ることに特化されている。実戦ではなく手合わせだからこその、意表を突いた初撃だった。

 ゼロはと見れば、右足を引いて突きを避け、無造作に剣を横薙ぎにした。こちらも攻撃目的ではない、いわば今から出ますよという挨拶だ。危なげなく躱したナルナティアの懐にするりと入り、目にも止まらぬ速度でたて続けに長剣を振るった。エニィの軌跡が青く残って見えるほどで、連撃は容赦なく女傭兵の首を、腹を、胸を狙った。


「すげ、速ぇな」

「うむ」


 キースの呟きに老兵ベアとラファールが頷く。ふたりが落ち着いているのはナルナティアがすべての斬撃に対応できているからだろう。

 のけぞり、剣も下げたままで圧倒的に不利な体勢だったが、手合わせを申し出た彼女が簡単に勝利を譲るはずがなかった。振り上げた剣が噛み合い、火花を散らす。腰を落としたナルナティアがゼロの軸足を蹴りつけ、その隙に姿勢を戻した。

 時に躱し、時に受ける。なぎ払い、斬りつけ、牽制で剣を突き出しては、左右に、上下に、自在に鋼のきらめきがはしる。

 軽やかな体は風にたなびく布のよう、絶えず動く腕、地を踏みしめては蹴り上げる脚の動きさえ優雅だ。

 鋭い剣戟は見ていて美しく、ため息を誘う。周囲の傭兵たちの中にも、興味深げにこちらを見る者、雑談をやめて勝負を見守る者が現れた。

 外側にいれば、それぞれの動きに無駄がないことがよくわかる。手合わせであることを差し引いても、ふたりの力量は相当なものだ。見物の傭兵が増えていることが、何よりの証拠だろう。

 時に型破りの動きを見せる柔軟なナルナティアと、冷静にそれを捌くゼロ、両者が優れた使い手であるからこその力の拮抗。誰もが呼吸を忘れて、勝負の行く末を見守った。

 僕には届かない。遠い憧れと、いつかきっとと願う気持ちを握りしめて、シャイネは胸の奥がつんと痛むのに気づかないふりをした。

 あの美しい舞に、どのくらいついてゆくことができるだろう。あの鋭さに、まばゆさに、どのくらい近づけるだろう。

 実力はほぼ同じ。ほんの少しのきっかけで、一気に勝負が決まる。その瞬間を思い、握った拳に力を込めた。

 ゼロとナルナティアの集中は途切れる気配を見せない。互いに浅い傷をいくつか作りながらも、決め手となる一撃を与えられないでいた。このまま長引くようであれば、持久力で勝るだろうゼロが有利だ。

 しかし、誰もが思い描いた予想を裏切って、ナルナティアが力強く踏み込み、裂帛の声とともに曲刀を大きく振るった。わずかの逡巡ののち跳び退って逃れたゼロの左手から、ぱっと血が散る。

 そう、このとき確かに彼の動きが鈍った。躊躇とともに緊張が緩んで、傷を負ったのだ。ゼロ、と呼ぼうとした声をどうにか飲み込む。何を迷うことがあったのだろう。踏み込みに乗じて攻撃する絶好の機会だったのに。

 隙を見逃すナルナティアではない。右腕がしなる。まるで、この時のために体力を温存していたかのような、今までとは比べ物にならない速さと鋭さを備えた一閃だった。

 ゼロも素早く立ち直った。黎明の輝きがナルナティアに迫るが、わずかに足りない。

 そこまで、と声を上げようとしたまさにその時、エニィが動いた。剣に封じられた精霊が、ひとりでに動いたのだ。

 影を引かれ、ナルナティアがつんのめった。驚愕の表情が胸に刺さる。その喉元に、ゼロが長剣を突きつけた。


「あ、そ、そこまでっ!」


 シャイネが制止の声をあげるのと、ナルナティアが悔しげに舌打ちするのと、ゼロが無表情で剣を引くのが同時だった。

 勝負を見物していた傭兵たちが唸りながら散ってゆき、一瞬の驚異はすでに過去のものとなっていた。慌てて周囲を見回すが、精霊の気配はエニィとディーの他になく、自分以外に半精霊らしき者の姿も見えない。

 誰がやったのと問いかけても、答えはない。


「ああ、もうっ!」


 悔しさを隠そうともせず、ナルナティアが地面を蹴った。姿勢を崩したのは、石に躓いたか、砂に足を取られたせいだと思っているのだろう。そうではないと知っているのはシャイネだけだ。


「運も実力のうち、か」


 ゼロの声にも不審が色濃い。実力で、技量で、勝利したかったのだろう。こちらを見た黒い眼に訝しげな光が浮かんでいるのを見て、殴られたような気がした。

 彼も不自然だと感じているのだ。勝利できたのは幸運のせいなどではなく、何か別のもの――精霊の、シャイネのせいなのだと、勝負に挑む本能と直感で察したのだ。

 二人だけの勝負に手出ししたと思われるなんて屈辱以外の何でもない。確かにシャイネならば、精霊を使って勝負に干渉できる。けれども、審判として中立であるべき者が、負けを目前にしていた友人を私情で救う、それは最もしてはならないことのひとつだ。

 勝負を汚すことを、ひいてはゼロを貶めることをしたと、ほんのわずかにでも彼は思ったのだ。それが何よりもこたえたが、違うのだと喉までこみあげた叫びは声にならないまま、鈍く重く沈んでいった。

 無造作に伸びてきた左手に身体が強張ったが、まだ血の止まらない傷口を前に逃げ出すことはできなかった。


「血止めしてくれ」

「あ、うん……」


 手巾ハンカチで傷を押さえ、固定する。傷は大きいが、深くはない。鋭い刃物で切ったきれいな傷だから、すぐに良くなるだろう。宿に戻れば消毒してきちんと手当てをすることができるが、今はこれで我慢してもらうしかなかった。

 ゼロはずっと無言だった。だから、余計な言葉がこぼれぬよう歯を食いしばって、黙々と手を動かす。そもそも何を言えばいいのだ。どうしたって言い訳にしか聞こえないだろうし、そう思われるのも、こうして卑屈になるのも、うんざりだった。

 違う、僕じゃない。訴えて認められるなら、わかってもらえるなら、信じてもらえるなら、どれだけ楽だろう。

 シャイネにはゼロを勝たせるという動機があり、エニィを使う能力も機会もあった。あんたではないなら誰がやったのだと問われて、返す答えがない。僕じゃないと繰り返す言葉のどこに、説得力があるだろうか。

 誰がエニィを使ったのか、答えは見つからない。いつ問い詰められるのだろうと考えるだけで気が遠のく。手が震えないようにするだけで精一杯だった。


「なんで坊やが青くなってんの? 大丈夫?」


 ナルナティアの声にからかう響きはない。そんなにひどい顔をしているのだろうかと不安になるが、ゼロは目を合わせてくれなかった。

 僕じゃない。

 なんて薄っぺらい一言だろうか。本当のことなのに、口に出して言ってしまえばたちまち重みが失われてしまいそうで、どうしても言えなかった。

 言葉にできない想いが胸に詰まり、焦げつく。やがて口を開いたのはナルナティアだった。


「本当に変わらないね。昔からあんたは勝っても負けても無口になる」

「昔のおれは、普段はお喋りだったってことか」

「ほどほどにね」


 饒舌なゼロなど想像できない。そういえば、色街ではどうしているのだろう。道中のあれこれを壮大な武勇伝に仕立て上げているとか、些細なできごとを大仰に誇張して語っているとか。似合わないなあ、と思う。


「坊やはどうしてそんなに険しい顔をしてるんだい」

「え、あー、まあ、ちょっと」


 首を傾げたナルナティアがふと口を噤み、一歩下がってシャイネをまじまじと見つめた。


「……もしかして、女の子、だったりする?」

「えっ、レイノルドさんは何も?」


 ナルナティアは腕を開いて肩をすくめた。面白くなってきたねえ、とキースがこぼす。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る