工業都市 (4)

「ク・メルドルは滅びたって聞いたけど、ゼロは無事だったのね? いったい何があったのか、ここまではほとんど聞こえてこないのよ。あたしたちが世の中のことに疎いってこともあるんだけど」


 赤い眼がきらきらと輝いているのから目を逸らし、ゼロは曖昧に頷いた。訊かないでくれと言外に匂わせているのに気づいたか、炎の少女はそのまま口をつぐむ。


「下手を打って折ってしまって、修理を頼みたいんだ。長くかかっても構わない」


 それは、とダグラスが言いかけたところで、奥の扉が開いて大柄な男が入ってきた。途端にディーが身を乗り出して大声をあげる。


『マックス! オレだよ、ディーだよ、久しぶり、オレのこと覚えてる?』


 元気な犬が尻尾をちぎれんばかりに振っているかのようで、刺突剣を剣帯から外して鞘ごとマックスに手渡した。ミルが手早くシャイネとゼロを紹介する。


「わざわざカヴェから来てくれたのよ」

「へぇ、『背骨』を越えて?」


 マックスは紫の眼を瞬いた。ダグラスとはあまり似ておらず、ずいぶん年が離れている。ミルの父といっても通用するのではなかろうか。ディーがマックスを知っていると言うのだから、少なくとも二十年前には工房にいたのだろう。とすれば四十を過ぎていてもおかしくはない。スイレンやレイノルドと同年代か。

 マックスは刺突剣の鞘を撫でた。


「覚えてるよ。俺が召んだんだからな。一番若くて駆け出しの俺にやらせてくれるって、スイレンが言ったから。じゃあ、君は子どもさん?」

「そうです。家を出るときに父に譲ってもらいました」


 駆け回る犬猫の様相のディーはしばらくマックスに預けておくことにして、椅子に戻った。ダグラスが兄にゼロの言葉を繰り返し、ミルは刺突剣の鞘をつついている。イーラは我関せずといったふうに茶を啜っていた。

 他に従業員の姿はない。世界中に名を轟かせる鍛冶屋なのだから、さぞ大きな工房なのだと思っていたが、そうではないようだ。一年半先まで予約がいっぱいなのだったら、ゼロとは別行動をとるほかない。


「ゼロはク・メルドルの騎士なのか」

「……そうだ、と思う」


 多くの半精霊に囲まれて、普段ならば大喜びしているところなのに、彼の頬は青白く強張ったままだ。マックスの問いかけに、思う、と付け加えたことに誠意を感じた。そんなに頑張らなくていいのにと、痛みを覚える。

 半精霊たちも言葉の含みに気づいたらしい。我関せずを貫いているイーラを除いた三人は目配せを交わし、代表してミルがあのぅ、と様子を窺うように小首を傾げた。


「ねえ、ゼロ、話せることだけで構わないから、事情を教えて? あたしはこの剣の製作には関わっていないけど、マックスもダグもそりゃあ苦労して仕上げたものなのよ。だから、突然何もかもがなくなりました、滅びましたって言われても納得できないし、今になってこの剣だけが戻ってきて……。他にも生き延びた人はいるの? 剣は無事なの?」


 ゼロは視線を卓に落として、いや、首を振る。


「わからない。……いや、おれの他にも少なくとも一人は生き残りだろうって奴がいるから、探せばもっといるかもしれない」


 覚えていない、という一言をかたくなに拒む気持ちは何となく想像がついた。弱みをひた隠し、嘘をつかないぎりぎりの線を歩む、それはシャイネにも十分に思い当たることだ。

 大怪我をしたけれども森の王に助けられ、生き延びた。昔のことは何も覚えていない。何もかもを打ち明けて、温情に縋ることができればどれほど楽か。たとえそう勧めてもゼロは断固拒否するだろう。シャイネとて同じだ。

 あるいはそうして厚意に甘えることができていたら、シャイネも早々と男装を解いていたかもしれない。半精霊を特別に思ってくれる人と旅をしたかもしれない。

 数え切れない「もしも」を積み上げた先に、きっとゼロはいない。それだけは確かだった。これまで吟味して、あるいは俎上に乗せることすらせずに捨ててきた仮定の未来を思うだけで、気が遠くなった。

 だから、ゼロとここまで歩いてきたことは、それなりに大したことなのだ、きっと。ことさらに大事ぶるつもりもないが、縁を大切に思うことくらいはしてもいい。


「僕からもお願いします。その……半精霊どうしだからとかじゃなくて、剣に宿ってた風には良くしてもらったから。あの子はもう戻らないだろうけど、こんなになったのを見るのは僕もつらい」


 下げた頭のてっぺんを、マックスの声が撫でる。


「あんたは知ってるのか、ク・メルドルやこの剣の事情」

「知りません。そんな仲じゃないし」

「えっ」


 素っ頓狂な声をあげたのはミルだ。口を押さえて、けれどなぜ知らないのだ、訊かないのだ、と視線で責められる。


「えー……だって、たぶん重いし。僕、そこまでゼロの人生背負いたくないし。責任だって取りたくないし」


 ダグラスがそっぽを向いた。肩が震えていることからして、笑っているらしい。イーラもマックスも口元をむずむずさせていた。おかしなことを言っただろうかと不安になるが、同意を求めて見遣ったゼロは最高に情けない顔をしていて、何も言えなくなった。


「急ぐのなら、何とかならないでもない」


 実は、と前置きをしてマックスが卓に身を乗り出す。


「ク・メルドルの剣を鍛えたとき、俺はもう自分の名前で仕事を受けてたんだけど、先代のオルジェウさん……まあ、半精霊なんだけど、その人に比べればまだまだ全然でさ、依頼の内容からして半端なものじゃいけないからって、オルジェウさんを中心に進めてくことになってた。で、助手として動いてた俺に、先代が一振りだけ試しに作ってみろって言ってくれたんだ」


 試験みたいなものだったんだろう、言い添えて唇を湿す。


「ク・メルドルの騎士っていやあ、そこそこ知られてる。精霊や半精霊にも理解があるって話だし、しかも褒美として下されるってことは、そこいらの狩人や傭兵とは段違いの人が使うんだろう。俺の剣を、だぞ。俺はめちゃくちゃ張り切って、一振りの剣を鍛えた。オルジェウさんもいい出来だって褒めてくれたやつなんだけど、結局手元に残った」

「どうしてですか」

「剣を下賜されるはずだった騎士が亡くなったんだそうだ。剣の長さや重さは使い手によって変えるから、別の人間が使うわけにもいかないし。その剣が合えば、売っても構わない。シャイネが精霊を召ぶなら、その分もまけておく。精霊を封じるだけなら大した作業じゃないから、予約をすっ飛ばしてもいい。そこはまあ、半精霊どうしってことでさ。わざわざ『背骨』を越えて来てくれたんだし、俺だって他の半精霊と会えて嬉しいから」


 願ってもない話だった。


「僕、召ぶよ!」


 ゼロは幾分か赤みを取り戻した頬をほんの少し緩めて頷いた。


「それで、いくらになる」


 にやりとイーラの唇が吊り上がった。ミルとダグラスは微妙に視線を逸らして、シャイネは首を傾げた。





「金貨十枚かー」


 湯気をあげる皿を恨めしげに睨み、ゼロがこぼした。

 マックスが提示した金額は、剣そのものの代金と精霊を封じる手数料のみだそうだが、それにしてもなかなかの金額だ。

 宿泊の料金、食事の料金、洗濯場と風呂の利用料。そんなことを考えているに違いない。この皿を頼まずにもう少し安い肉野菜炒めにしておけば、とか、食事を抜けば、とか。

 シャイネとゼロは、ぜひ夕食を一緒にというミルの誘いを丁重に断り、宿に戻っていた。


「それも仕方ないよな、あれだけの剣だったんだから。しばらく根詰めて働くか……」


 実際に手にした剣はゼロが持つには少し長く、しかし彼はしばらく右手の握りを解こうとはしなかった。

 ちょっと動いてみる? と気を利かせたミルが中庭に案内してくれた時には、外はすっかり夜の色に覆われていた。か弱い灯りを浴びてゼロは剣を振るい、持ち上げ、横薙ぎにし、返して切り上げる。軽い足運びは舞踏と呼ぶに相応しく、ぶれない体幹が四方に鋭い銀の軌跡を生み出した。

 鍛えられた鋼鉄の輝きにうなじが冷え、もしもこの剣が精霊を宿したらさぞかし美しいひかりを放つだろう、それを僕が召ぶ――その光景を思い描くだけで鳥肌がたった。

 型をなぞるためのものだろう、無駄の切り詰められた一連の動作を終えたゼロはようやく剣をマックスに返した。名残惜しそうに、未練たらたらといった様子で。

 おれが買う、だから誰にも売らないでくれと珍しく必死さを見せ、手付金として金貨二枚を支払ったゼロは、戻ってくるなり気が抜けてしまってふにゃふにゃのままだ。


「冷めるよ」


 シャイネは皿を押しやった。半分はきちんと確保済みだ。

 カヴェと同じく港を有し、漁業が盛んなマジェスタットだが、魚よりも貝類や海藻、海老や蟹料理が多かった。

 聞けば、大工場が並ぶあたりは排水のために漁には向かないが、北の漁港の沖では二つの海流がぶつかり、なだらかな岩場もあって良い漁場なのだと給仕の少年は答えた。父が漁船に乗ってるんだ、とくしゃりと笑んで。

 海老は、小さいものはかりっと揚げて塩を振っただけでいくらでも食べられそうだったし、軽い発泡酒が進む。殻を剥いて衣揚げにした大ぶりの身には野菜入りの甘辛い餡がかかって、大盛りのご飯が欲しくなった。すり身の汁物もいい出汁が出ている。蟹は豪快に半割りにして身を取り出し、香草などを混ぜ合わせて殻に戻してからチーズをかけて焼いてあった。二枚貝の酒蒸しは器を抱きかかえたいほどの旨みで、「背骨」越えに費やした野宿の日々の苦労、ずっしりと蓄積した疲労が洗い流されてゆくようだ。

 発泡酒の次に頼んだ地酒は口当たりのさっぱりした、やや辛口のもので、揚げ物や香辛料、香味野菜の多い食事によく合った。果実酒や蜂蜜酒の飲みやすい甘みも、故郷の味である乳酒の酸味や雑味も好きだが、やはり地方の料理には地方の酒だと思う。

 品書きはほとんどが火を使う品か、あるいは漬物などで、生野菜は少なかった。野菜といえば料理の餡に使われているか、合わせ酢で和えられているか、蒸し物に敷かれているかで、少々物足りない。

 生ものは管理が大変だから、飲食店ではあまり好まれないことは知っているが、マジェスタットではどこもこんな具合なのだろうか。余所からの旅行者が求めることもあるだろうに。

 よく冷えた酒をちびちびと舐めながらの結論は、湿度のせいではないか、ということだった。季節のせいかもしれないが、カヴェよりも蒸す気がする。生ものは危険だろう。あたった、などと騒ぎになれば、お詫びだけでは済むまい。

 野菜の歯ごたえとは似つかないが、湯がいて冷水で締めた海藻が他所の地域の生野菜に相当するらしい。酢の物や漬物にするための瓜類はあるようだったが、屋台でもあるまいし、単独では売り物にならない。

 シャイネが食事を終える頃になっても、ゼロの食は進まぬままで、味の濃い餡に浸って縮こまった海老やぐったりした野菜、すっかり乾いてしまったチーズの表面を見ていると、こちらまで気が滅入りそうだった。


「しっかりしなよ、別に断られたわけじゃないんだしさ、むしろ目標ができて良かったんじゃないの。何だかんだ言って半精霊の誼でうまいこと運んだんだから、僕にお酒の一杯でも奢ってしかるべきだと思うんだけど」


 嫌味をぶつけると、渋々といった様子を隠しもせずに少年を呼びつけて同じものを注文し、そういえば、とゼロはようやく顔を上げた。


「あんたはいいのか」

「何が」

「いや、おれの剣に……まだおれのじゃないけど、精霊を召んでくれるっていうの。いつまでかかるかわかんないってのに、よく待ってくれる気になったなあと思ってさ。あんたも用事があってここに来たんだろ、それはいいのか」


 よくはない。よくはないが、正直なところゼロの悲壮さがいたたまれず、何も考えていなかったというのが正しい。いくら剣の腕に優れ、薬草師としても有能だとしても、一人で金貨十枚を稼ぐのは簡単なことではないはずだ。

 慣れぬ剣で、高額報酬の約束された魔物狩りに挑むのも不安だろう。薬草を摘み集めるとしても、街の外には魔物が出る。手持ちの資金を切り崩すといっても、それで生活が立ちゆかなくなっては本末転倒だから、一から貯めるに等しい状況なのではなかろうか。そこまで想像の翼を羽ばたかせておいて、安易に精霊を召ぶよと言ってしまったのはシャイネの落ち度だが、それくらいは力を貸してもいいとも思う。ここまで旅路を共にしてきた情が、個人的な事情を圧倒したのだった。

 ハリス探しは、決して急いでいるわけではない。急ぐならリンドで働いたりせず、父との約束をも反古にして情報収集に明け暮れていただろう。

 ここへの道すがらにも、天雷のレンやハリス一行についての情報を集めたが、手応えは薄かった。カヴェが鳥型の魔物の襲撃を受けたことは覚えている者もいたが、当然ながら、誰もその理由は知らなかった。


「よくはないけど……すぐ用事が終わるかどうかわからないからさ。ゼロだって、何年もかけるつもりじゃないんでしょ。だったら、別にいいよ。薬草摘みに行くのだって、近くなんだったら一緒に行ってもいいし」


 運ばれてきたお代わりの酒をきゅっきゅと流し込みながらではあるが、親切のつもりで申し出たのに、ゼロは何とも複雑な顔をした。もしかしてこれ、僕は哀れまれてるのか。なんでだ。


「あんたって、交渉下手くそだな。そんなに自分からほいほい差し出すもんじゃない」

「ゼロだからだよ」


 からかうつもりでそう返すと、覇気のない唇がぴたりと閉ざされた。


「……酔ってるのか」

「さっきからちょっとひどくない? ゼロがしょんぼりしすぎてるのが悪いと思うんだけど。とびきりの子を召ぶからさ、頑張ってお金貯めなよ」


 とびきりの子、なんて言い回しはどうかと自分でも思うが、ゼロは薄く笑みを浮かべ、それから箸を置いて頭を下げた。


「ありがとう。よろしく頼む」

「えっ、そんな畏まらないでよ、精霊を召ぶのなんて大したことじゃないし、薬草の知識がついたら今後の役にも立つし、ゼロが魔物に負けて逃げ帰ってくるところなんて見たくないし。だって、僕ら……」


 だって、僕ら。

 ――いったい何だというのだろう、シャイネとゼロとは。仲間か。確かにそうなのだが、言い切ってしまうのもどこか物足りないし、かといって彼をどうしたいとか、どうなりたいとかいう気持ちもない。


「……これまでも助け合ってきたじゃないか」


 ゼロを助けることはシャイネの旅を楽にしたし、逆も同じだ。差し出した分、受け取る。この間柄に名前をつけずとも十分心安く、居心地が良かった。

 ゼロが剣を手に入れて、それから別々の道を歩むのだとしても、またどこかで会えたらいいなと思う。この気持ちはどうすれば、彼に伝わるのだろう。


「そうだな」


 ゼロは頷いて、冷めきった料理を片づけた。

「もう少し飲むか」

「……うん」


 新しい酒が運ばれてきてからは、他愛ない話に花を咲かせた。「背骨」越えのひどさやマジェスタットの賑わい、工房街の独特のたたずまい。毎日行動を共にしていても話すことは尽きない。煎った小魚と海藻に酢醤油を回しかけたものを肴に、どんどん干した。

 満席だった食堂に空席が半分ほどできてから、会計を済ませて席を立つ。ふたりしてよろめいて、げらげら笑いながら支え合って階段を上り、じゃあ明日、といつも通りに別れた。

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