工業都市 (3)
半精霊でなく、精霊がこちら側に。驚いたなどというものではない。しかもひとの形だ。ヴァルツら王でさえ疲れるとこぼすほどなのに、どうして。
イーラはにやにや笑うばかりだし、ゼロは静観を決め込んだようだし、ディーはひっそりと口を噤んでいる。おそらく最初から半精霊などではなく高位の精霊だと察して、黙っていたのだ。
「ええと、何でまた……人の姿で」
「ミルが……オレの姫様のことだけど、ともかくめちゃくちゃ可愛くて最高に美少女
なんだ。それで、悪い虫がつかないように炎の王がオレを寄越したってわけ。虫除けとか虫退治のためにね。まあ、オレがどうこうしなくても、たいがいはダグラスが追っ払うんだけどね。あ、ダグは鉱の半精霊」
はあ。曖昧に頷くことしかできない。半精霊であることを気にせず、あちこちから男性が寄ってくるとなると、それはまた大変な話だ。社会とどんなふうに関わってゆくか、初歩の初歩で悩んでいるシャイネとは住む世界が違う。
「も、最強に可愛いからさ、ミルは」
見たらびっくりするぜ、と朗らかな調子に、ゼロが好奇心を抑えきれないといったふうに首を傾げた。黒い眼が下心にぎらぎら光って、見ていられない。
「そんなにか」
「うん、ダグと並ぶと美男美女って感じ。ただね、炎の王の過保護っぷりも相当だから。何人虫を叩いたことか……」
「叩く、って」
さらりとした答えに、シャイネとゼロは顔を見合わせた。
炎の王が娘を愛するあまりに遣わした精霊が、悪い虫をどう退治するのか。決して穏便な手段ではないだろう。無邪気に笑う赤毛の少年は強大な力を備えていると改めて思い知らされた気分だった。幼い外見はあてにならない。
「過激だね」
「もちろん。炎だからね」
あっけらかんと答えるイーラは悪びれない。眩しい笑顔に背筋が冷える。
人を人とも思わぬかれは女神教の姿勢とは正反対なのに、喉の奥の不快感は同じだった。言葉を尽くしてもわかりあえまい、という諦念までそっくりだ。
「その、ダグってのは親御さんのお眼鏡にかなったってことか?」
最高に美少女で最強に可愛い半精霊、とやらにわかりやすい興味を示しているゼロの呑気さが羨ましい。答えるイーラも、シャイネの困惑など気にしていないようだ。
「かなってないんだけどさあ、ダグも頑固だから。炎と鉱の全面対決だよ。つっても、こっちで暮らすなら王たちは最終的には手出しできないからね。それにほら、オレたちって半精霊に甘いからさ」
「そうなの?」
「精霊は半精霊が大好きなもんだよ」
一回り小さなかれの手が、嬉しくてたまらないといったふうに手の甲を撫でさする。
視線を感じて振り返ると、ゼロが不機嫌そうに唇を結んでいた。なぜ睨まれなければならないのだ。腹立たしいので、とりあえず睨み返しておく。
「ダグはダグでさ、ミルは俺が守るーとかって張りきって、周り威嚇してさ。猛獣だよ猛獣」
背後からの無言の圧を感じて、自らが守護する半精霊がいかに見目麗しく愛らしいか熱弁をふるうイーラを止めた。
「ええと、あの、精霊封じの武具を鍛えてる半精霊っていうのが、その……」
「あー違う違う、それは鉱の方。マックスとダグの兄弟。オレの姫様はお手伝い程度だね。なに、依頼に来たの? なら早く言ってよ、紹介するからさ。こっち!」
元気よく駆け出すイーラの後を追う。ちらりとゼロの様子を盗み見ると、よくやったと言わんばかりに頷かれた。
どうしていつもこんなに偉そうなんだろう。
案内されたのは職人たちの工房が軒を連ねる一角で、飾り気のない四角い建物に扉と広い窓をつけただけの簡素な店舗だった。鎚とやっとこを組み合わせた鍛冶の看板が掲げられている。周りに比べて特別大きくも立派でもなく、ここが半精霊たちの店だと知らなければ見過ごしてしまうだろう。奥が工房だよ、とイーラが言い添える。
どこの店舗にも、軒や戸口には取扱品を図案で示した看板が掲げられていた。行き交う人々は平服か旅装ばかりで、工房の職人よりも市民や旅人の方がずっと多いようだった。通りは手狭だが、ごみごみした印象はない。
世界中でものづくりの技術が最も進んでいるのは間違いなくこの街だろう、材料さえ揃えば作れないものはない、とイーラが薄い胸を張る。さも自分の手柄であるかのように言うのがおかしかった。
ディーは身を潜めて様子を窺っていたが、もう我慢できないとばかりに飛び跳ねて興奮を見せている。
『オレのこと、覚えてるかな』
「懐かしい?」
『そりゃあ、もちろん』
「じゃあご挨拶しようね。ディーを召んでくれてありがとうって」
辺りは夕暮れの色、眼が光っているだろうに道行く人々がこちらを見て驚いた様子はなく、イーラも平然としている。工房街では精霊の存在に慣れている者が多いのだろうか。さっきの薬草店とは反応がまったく違った。同じ街で、そう遠く離れているわけでもないのに、変わったところだなあと思う。
「ちょっとここで待ってて」
と断って、イーラが一人で店舗に入っていった。
精霊たちが楽しげに行き交う中、工房街は夜が間近なのにも関わらず、まだまだ活気がある。所在ないシャイネとゼロはしばし、人の流れを眺めて過ごした。
隣は石工、細い路地を挟んだ向かいには金物屋と竹細工品店であることを示す看板が掲げられている。さらにその隣は革製品を扱う店らしい。
「色々あるんだねえ」
「この密集具合じゃ、火事が出たらひとたまりもないぞ。運河から汲むにしても、火が広まる方が早いんじゃないか。海風もあるし。いくら石造りだからって、どうなんだろ」
「それはほら、イーラがいるから」
ああ、とゼロが息をついた。
「そうだった。炎の半精霊もずっとここにいるのか? 鍛冶なんだったら火は欠かせないだろうけど」
「さあ。訊いてみたらいいんじゃない」
何気なく隣を見上げると、思いのほか興味深げな視線とぶつかった。光る眼を見るのは初めてではないのに、どうして毎度、宝物を見つけた少年みたく顔を輝かせているのか。
「ということは、半精霊を暗い室内に集めたら眼がたくさん光るのか。それはいいな……すごくいいな……」
「それ、初対面の半精霊には言わない方がいいよ。なんて言うのかな、そう、猟奇的だもの」
「え、そうか……? 猟奇的っていうのは、その眼が綺麗だからくり抜いて飾っておきたいとか、舐めてみたいとかそういう部類の」
「くんくんしたりとかね」
「それ、いつまで引きずるんだよ。してねえって」
どうだか。呟くと同時に扉が開いて、イーラが顔を出した。輝く眼はさながら闇夜の焚き火、確かにきれいだと思う。集めたいとはちっとも思わないけれども。
「お待たせ。もうすぐみんな揃うから、入って待ってて」
『マックスは? いる?』
刺突剣の囁き声にイーラの視線が落ちた。
「まだ工房を片づけてるよ。……なるほど、マックスが召んだ子かぁ」
納得したふうに頷いたのを見るに、精霊に対しては威圧的でなさそうだが、ディーは身を固くしたままだ。
店内は想像していたよりもずいぶん殺風景だった。飾り棚に並ぶ剣の鍔や柄の細工見本、堂々たるたたずまいの全身鎧は旅暮らしの者向けに武具を商っていると雄弁だが、陳列は単調かつ無愛想で、およそ商売っけがない。
戸口に近い壁には剣と槍、長柄斧が申し訳程度に飾られている。どれも精霊封じの業物なのは明らかで、刃物そのものの切れ味や耐久性が優れているだろうだけでなく、柄や鞘を含めた全体の造形や装飾が細やかで目を引いた。美術品として鑑賞に堪える優美さと、実用の美を突き詰めた形状は鳥肌を誘うに十分だが、なにぶん数が少ないので迫力に欠ける。
店の内装や展示に凝らずともやっていけるのは腕が良い証拠だが、お節介を承知で、これで良いのかと心配になる。
奥手に目をやると、宿城の食堂で見るような大きな卓が鎮座しており、揃いの椅子が周りに散らばっていた。
奥の扉を背に、まさに炎のごとき赤毛と眼を爛々と輝かせた美少女が腰掛けていた。隣には褐色の髪に輝く紫の眼の青年が寄り添っている。
何だか間を逃してしまった、と苦く思っていると、赤毛の少女がぱっと立ちあがってシャイネの手を取った。
「初めまして、あたし、ミルっていいます。会えて嬉しいわ。あちらは鉱のダグラス。工房を仕切ってるマックスはまだ奥にいるけど、すぐ来ると思う」
「シャイネ・ミラーといいます。僕も会えて嬉しい。こっちはゼロ」
つないだままの手を胸元でひしと握りしめ、ミルはこちらを見上げる。情熱的な視線だった。頭のてっぺんから爪先まで視線を二往復させ、花ほころぶ笑みを浮かべる。
「あたし、他の半精霊に会うの、初めてなの。すごい、きれい! かわいい! すき! さあこっちに来て座って、遠慮しないでね。あたしたち今から夕食なんだけど、一緒にどう? はるばる来てくれたんだもの、ぜひ旅の話を聞かせて」
早口でまくしたてる少女に誘われるまま隣に座ると、険しい表情のダグラスと目が合った。ゼロよりは若く見えるが、シャイネよりはずっと年長だろう。初対面の挨拶にしては険のある目元はきりりと涼やかで、整った顔立ちはいかにも女性受けしそうだった。西方の、よく見知った形のシャツの袖を肘までめくり上げて、露わになった腕には細かな火傷の跡がたくさんある。ディーがうずうずしているのに彼も気づいたか、威嚇の姿勢を少しだけ和らげた。
一方のミルは色味の異なる生成り色の薄物をさらりと纏い、髪と眼の色を引き立てる涼しげな紺色の帯を巻いていた。裾から伸びる素足につっかけた簡素なサンダルも、彼女の美貌を損なうものではない。
そのミルはシャイネの手を撫でさすってにこにこ笑っている。とびきり魅力的な笑顔に、自分の手が珍しい花かお菓子になった気がした。再びダグラスの眦がつり上がり、猛獣とはこれかと納得がいった。勘違いだよと言うべきか迷った隙に、傍らの少女がうっとりと呟く。
「おんなのこだ」
淡い桃色の唇が紡ぐ「おんなのこ」の音に目眩がした。うっかり頬ずりしたくなる愛らしさと揺らめく炎の眼、イーラが必要なわけだ。一言で言えば、持って帰りたいと思ってしまったのだった。
「そうだよ」
「そりゃあ苦労もあるわよねえ。どこから来たの? カヴェ? ってことは、『背骨』越えも大変だったんじゃない?」
眉が下がって労る表情のミルの肩越しに、ダグラスが安堵の息をつくのがわかった。悪いひとではないのだろう。
「あっ、待って、あたしったらお茶も出さずに……ごめんね、いま用意するから」
ダグラスが無言で席を立って奥の扉に姿を消したかと思うと、鍋に水を汲んで戻ってきた。イーラが戸棚から人数分の湯飲みを揃えている間に、鍋を前にしたミルがぱんと両手を打ち合わせた。
炎たちが一斉にざわめいたかと思うと、鍋から白い湯気がもうもうと上がり、大きな泡が沸いた。
「えっ」
すごい、と素直に感嘆がこぼれた。ゼロも驚いているのが背中越しに伝わってくる。
茶葉が十分に開いて、それぞれの湯飲みに茶が注がれるまで、シャイネは口を開けてミルを見つめていた。お目付役と恋人はそれぞれ自慢げに小鼻を膨らませていて、彼らがこの少女をどう思っているのかがはっきり伝わってくる。
「あんただってできるだろ」
初めてゼロが言葉を発した。まるでシャイネを持ち上げるかのような口ぶりだったので、意外に思いつつも首を振る。
「そりゃあ僕だって炎を召ぶけど、こんなすぐにお湯を沸かすのは無理だよ。たぶん……」
「ミルは炎だからね」
イーラの平然とした言葉には理解がこもっていた。同時に、シャイネでは無理だと諭す響きも。
では、と疑問が兆す。闇をいちばん巧く扱えるのは、この自分なのではないか。魔物に対して直接的な攻撃手段となる炎や氷、風や鉱にばかり頼りがちだが、目くらましや影を縛る以外にも、もっともっと使いようがあるのではないか。
それよりも、こうして日常生活において精霊を便利に使うという発想がシャイネにはなかった。湯を沸かすにも調理するにも、余程のことがない限りは自分で火を熾していたから、ミルがあっさりと炎を召んだことは膝が砕けるほどの衝撃だった。
精霊たちはいつも傍にいたのに、召べばすぐに応えてくれたのに、目を逸らしていたのはシャイネだ。それを環境のせいだと言うことは簡単だけれど。
たとえば水に命じれば雨具はいらないし、森に命じれば薪や食用の茸、木の実、果実が容易に手に入るだろう。光を召べば灯りも不要だ。
精霊の力を使えば旅路の困難がぐんと軽減することは間違いない。ゼロとふたりで旅を続けるならば、半精霊であることも眼が光ることも気にしなくてもいい。むしろ彼は喜ぶかもしれない。
――ゼロとふたりで旅を続けるならば。
何の疑問もなくそう仮定したことに、我がことながら驚いた。
ゼロは剣を
ゼロの過去に中途半端に首を突っ込んでしまったままなのは後味が悪いが、だからといって興味本位で同行し、彼の人生に責任を負えるほど軽率ではないし覚悟もない。ハリスの消息を追うことを優先したい。
となれば、ここで別れるのが妥当な気がした。深入りするのは互いのためにならない。
シャイネは自分のことで手一杯だし、ハリスを追う理由や、彼を探し当てた後どうするかを知られたくはない。言葉にもできない、腹の中で黒々と燻るだけの醜さを打ち明けられるほど心を許したわけではないし、失望されたくもなかった。
「精霊封じのこと、訊いてもいい?」
だから言葉はすんなりと出た。ミルがぱっと顔を輝かせてもちろん、と頷く。
「今って、予約はどのくらい待つの」
「お店のこと? 一年半くらいかな。近々、予約を受けるのをやめようかって話してるの。うちは有名になったけど、だからって規模を拡大できないから注文を捌ききれないし、予約待ちの間に音信不通になったり、最悪亡くなったなんて聞こえてきたりして、いいことばかりじゃないんだよね。ダグもマックスも働きづめだし」
そう、と相槌を打ったつもりが、思いのほかがっかりした声音になって驚いた。ゼロが折れた剣を卓の上に置く。
「この剣について教えてほしいんだ。ク・メルドルの騎士のもので間違いないんだよな?」
ダグラスは一瞥して頷いて、しかし鞘に収められた刃が破損していることに気づいたのだろう、剣呑に目を細めた。
「よく覚えてる。俺がちゃんと一人前だって認められたばかりの頃だから……六年前か。話そのものはもう少し前にもらってたはずだ。ク・メルドルの王様が即位するからって、近衛騎士の中から十二人に剣を下賜されるって話だった。見せてもらっても?」
「もちろん」
剣を手に取ったダグラスは工具を鍔と柄の隙間に差し込み、ふっと息を吹きかけるようにして鉱に囁き、あっという間に分解してしまった。目印でも刻んであったのか、小さく頷く。
「十番目か……風だったっけ」
「そうだ。すごく世話になったし、何度も助けられた」
だろう、とダグラスは何でもないことのように頷いているが、シャイネは驚いてゼロを見上げた。剣を見つめる彼のおもてに感情はない。
彼が剣に宿る精霊を、道具ではない存在として語ったのは初めてだった。半精霊や精霊が集まっているから気を遣ったのか、凪いだ表情からは何も掴めないが、きっと違う。剣は、宿っていた風は、彼にとって単なるものではなくなったのだ。
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