余話 年末にはカニパをしよう

「なぁちーちゃん、りーちゃん。蟹食べへん?」

「「え、カニ?」」

 友人の那波ななみから誘われたとき、千花ちか莉乃りのともども目が点になった。

 聞けば、那波の舞鶴の実家から舞鶴松葉ガニが一杯ごろっと届いたのだという。「お友達と食べやー」となんとも軽いノリで。

 そんなわけで、タダで食べられるなら、と千花、莉乃の二人ともはすぐに「食べる」と即答。

 こうして期末試験も終わった土曜日の夜。京都市花園にある那波のアパートにて、仲良し三人組でカニパが開かれる運びとなった。



「さあさあご両人。ここに奉りますは、舞鶴が港より水揚げされた松葉蟹のお鍋にござりまする」

「ははぁ、けっこうなお点前で」

「いや莉乃それお茶やないんやら」

 那波と莉乃の茶番はともかくとして、那波がカセットコンロの上に置いたその鍋はさすがの迫力だった。

 蟹。まごう事なき、舞鶴漁港で水揚げされた松葉ガニことズワイガニである。

 カセットコンロの上、ぐつぐつと煮える鍋の中に、白菜やしめじ、豆腐と一緒にぎっしり詰め込まれた、蟹。

 いざこうして実物を目の前にしてみると、なるほど千花もテンションが上がってくる。

「おお、蟹!」

「蟹わーい!!」

「蟹ィイエー!!!!」

 後半ちょっとおかしいテンションで一通り盛り上がると、

「台所の方でじっくり煮とるから、カセットコンロは保温の中火……ちょい弱めで。アレも出したし取り皿も出した……」

 ちゃっちゃと準備をすすめる那波。

 というか、一人暮らしなのに“名前は知らんけど蟹の身をほじる例のアレ”もバッチリ三人分出てきて準備よすぎやろそれ。

「えらい手際いいなぁ那波」

 千花が感心していると、那波はドヤ顔で返す。

「ふふん。あたしはちーちゃい頃から蟹ようけ食べとったからな」

「それでよう飽きひんな……?」

「美味しいもんはなんべん食べても美味しいやろ! むしろ蟹食べへんとか冬ちゃうし」

 京都人、というか関西人ならなんとなく納得してしまう冬イコール蟹理論に千花も思わず納得してしまう。

 莉乃も「しやなぁ……」って頷いとるし。

「よっしゃ。準備できたし、カニパいくで!」

「「おー!」」

 そうして、家主の宣言によりカニパは始まった。



 グツグツと茹る鍋を前に、三人の中でひとりだけメガネっ子の千花は重大な問題に直面していた。

「前見えへん……」

「ちーちゃんめっちゃメガネ曇っとるやん!」

「くも……くも……ひひひ」

 莉乃は爆笑しとるし。この子はたまにツボがわからん。

「やっぱウチ、コンタクトにした方が――」

「いーや、ちーちゃんは断然メガネやね!」

 那波にむっちゃ断言された。

「そこまで言うことかな……」

 千花もメガネには千花なりのこだわりはあるけれど(というかまだコンタクトが怖い)こういう時に不便さは感じてしまうのでなんともかんとも。

「よし。ちーちゃんのメガネを守るためにあたしが剥いて食べさせてしんぜよう。はい、あーん」

 いやそこまでは、と千花は一瞬だけ思った。けど一瞬だった。

 目の前に突き出された美味しそうなぷりぷりの蟹の身を前に、遠慮と羞恥心など、あっというまに吹き飛んだ。

「あーん。んぐ……」

 さすがベテラン那波は剥くのが上手いのか、大きな塊が一度に千花の口の中に放り込まれた。舌の上でお出汁の味と蟹の身が素朴にして最高のハーモニーを奏でる。

「はあ……美味し……」

「ナナミンナナミン。私も。あーん」

「りーちゃんはホンマに甘えんぼさんやなー。……ほれ殻ごといこか」

「はぐ……ってホンマに殻ごと突っ込んできおったし! 鬼か!」

「あたしはちぃの可愛いメガネを守るために汗水垂らして剥いとんねん。非メガネっ娘は伊達メガネをつけてから出直してくれるか」

「ナナミンお代官様、なにとぞ……なにとぞご慈悲を……」

 などと、騒いでいたのは序盤のみ。

 三人とも、だんだんと口数が少なくなっていき、やがて静寂が訪れる。

 黙々。黙々。

 ただ蟹と向き合う時間が続く。それはまるで課外授業で体験したお寺の座禅のよう。

 足を引き抜き、殻を割り、ピックで身を削る。

 食べる。美味しい。削る。食べる。美味しい。削る――。

 蟹の魔力に取り憑かれた千花たちは、まもなく冷静な判断力を失った。

 ただ蟹を前にして、殻の中に残った肉片との対話を続ける。

 三人の少女は手先で問う。どうすれば、口の中に入ってきてくれるのか、と。

 彼はただ黙してその場に残ることで答える。その手で掴み取ってみせろと。

「…………」

「ん…………んー……」

「あっ…………あー」

 その静寂は、しかし言葉なき対話だった。

 死してなお人間に挑む――人間に問いかける、蟹という生き物の、最期の挑戦――。

 と益体も無い事を千花が延々考える程度には、静かな時間がたっぷり三時間以上過ぎていった。



「りぃちぃ、帰りのバスあんのー?」

 お鍋を洗う千花たちの後ろで、カセットコンロを片付けながら那波が雑な感じで二人まとめて呼ぶ。

 莉乃が先に振り向きながら、

「まだギリあるけど、きょうはナナミンとこ泊まるってゆーたあるから」

「ちーちゃんはどないする? 帰る?」

「んーどないしよ……」

 千花はここまで遅くなるとは思っていなかったので、連絡はしていなかった。

 莉乃より家は近くなので、バスがなくなっても歩いて帰ることもできなくはないが、

「あした日曜やし、泊まっていきーよ」

「じゃあ、親に電話してみる」

「あ、しやったらあたし出たろか? 『お宅のお子さんな、ちと預からせてもろうとるんですわ。返して欲しかったら、三百万、用意してくれはるか』って」

「何それめっちゃ似てるー!」

 莉乃がげらげら爆笑しはじめたが何に似てるのか千花にはさっぱりだった。喉のどこから出たのかとツッコみたいレベルのかすれたダミ声やったけど。あと三百万て。なにその微妙な金額。

「あ、おか――親?」

 友だちの前でお母さんというのが恥ずかしくなって、なんか変な呼びかけになった。莉乃はまたツボってゲラゲラ笑いはじめるし。酔っ払いか。

『はい。あんたの親やけど。なんやえらい遅なって。いまどこなん』

 那波ちゃんとこ泊まる、といえばええよ、の一言で解決。話のわかる親で助かった。

「じゃあ何する? トランプ? 人生ゲーム? それともお・ふ・と・ん?」

「那波んは用意ええなホンマ。……ってかなんで布団が人数分あんのん」

「弓道部女子会メンバーのたまり場になっとるから、おもてなし準備はばっちりやし。ホテルグランドナナミンをなめたらあきまへんよ?」

「うーわー那波の金持ちー」

「女帝ナナミン……格差社会を感じるわ……」

「あたしは別に床で寝てもろてもかまへんけど?」

「「すんませんでした」」

 そんないつものテンションのまま。蟹の香りが残る部屋で、三人は眠気に負けるまでおバカな話と暇つぶしで盛り上がったのでした。

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バイト代が妖刀(現物支給)でした!? 夕凪 @yu_nag

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