余話 朝起きたら落ち武者でした。
皆さんは、顔を洗おうと鏡を見たら、自分が落ち武者になっていた経験はおありでしょうか。
ウチ、平野千花のある冬の日は、そんなロクでもない幕開けから始まったのでした。
*
『悪いことは言わん。早めに鏡を見て来ることを勧めるが』
部屋の隅に立てかけた妖刀“
鏡を見てみると、初めは「あー、また幽霊が邪魔してるんか」と軽く流した。
けれど、右手を挙げ左手を挙げ、しゃがんで立って、それだけのアクションを経てウチはようやく悟った。
鏡に映った、薄汚れた武者鎧の男。
土気色の肌をしたくたびれたハゲオヤジが、どうもウチの姿らしいことに。
叫び声は「ぴぎゃあ」とも「ふぎゃあ」ともつかない、とても女子とは思えない奇声だったと、後に母は語ります。
*
……え、ええっと……。
一通り叫び終わってみると、一周回って冷静になったので、とりあえず現状を確認しようと気を取り直す。
とりあえず手を振ってみるとウチが動かした通りに、鏡の中の落ち武者も動く。
けれど、ほっぺたをつねってみるとこれは一転して、鏡の中のこわばった頬とは思えないほどぷにぷに。おなじみのウチのほっぺたの感触。
身体を触ってみても、鏡で見た光景とははっきりと違う。鎧はすり抜けて、手は昨夜に着て寝たふわふわパジャマを触るし、禿げた頭に手を当てれば、ちゃんと愛するウチのゆるいくせっ毛の感触がある。
これはどうも見てくれが変わっただけで、ウチの身体はちゃんとそのままらしい。その結論に達し少し安心したところで、
「ちーかー? 何よ朝っぱらから変な声出しうわぁ誰あんた!?」
様子を見に来たらしい母にいきなりファイティングポーズを向けられました。
「お母さん、ウチ! 千花やから! 落ち武者ちゃうし!」
「落ち武者のコスプレが千花の声出して何が目的……ん? 千花あんた、また何かヘンなのに憑かれたん?」
ウチは子どものころから霊感が強く、そのせいでいろんな霊障に引っかかってきたので、母も慣れたもの。
さすがに見た目が丸ごと落ち武者になったのは初めてやったけれど、幸いにもすぐ理解してもらえたらしい。
この体質は母方の遺伝(?)らしく、母もそこそこ見える方なのでこういう時に理解が早くてありがたい限り……いや、まわりまわってこの人の血のせいかと思うとちょっと複雑。
「多分、またなんか拾うたんと思うの……」
「あんた。最近そういうの無くなった思うてたら妖しげな刀もらってくるわバイトで怪我して入院するわ、ちょっと運勢悪いんとちゃうか」
「そんな気は……。なー、今日学校休んで御祓い行ってもいい?」
「しゃーないなあ。そんなナリで学校行ったら霊感ある子がまとめて泡吹いて倒れるわ。学校には電話しといたるから早よ所長さんとこ行ってき」
「ごめんなー。帰りにケーキ買ってくるし」
「太るからほどほどのやつなー」
とりあえず母との取引は成功。休みをもぎ取ったウチは、早速着替えて出かけるべく自室に戻った。
*
「ちゅーわけやから所長んとこ行くよ。揚羽」
部屋に戻り、ウチは部屋の中で漂っている霊体の少女――妖刀揚羽の思霊に声をかける。是非は言わさず、これから担いでいくぞという宣言。
一応はバイト代としてもらった子である以上、義理と――あとは、護身に多少役に立つかとの期待も込め、バイト先へ行くときはいつも連れて歩くようにしている。
『まったく。その見た目でぬしの声がすると気味が悪いの』
「うっさいわ。……あ、そうや。揚羽、これ祓える?」
ふと、ウチは揚羽がこの霊を食ったり吸収したりできないかと思いついた。
自称『伝説の一つも残っていないしがない妖刀』らしい揚羽。けれど、退魔用に使えるようにと所長から『鬼切』の仮の二つ名を得ている。
もしかしたら、と期待したのやけども、
『ぬしが溶き卵から雛を作れるのなら一考するが』
「無理なら無理って素直に言いや……」
『たわけ。無理ではない。不可能に近いというだけでな』
「それ同じやん」
『由里奈ならば造作もなかろう。じゃがそこまで魂と接合してしまうと、わっちでは食おうにも切り分けが――』
期待はしていなかったので、言い訳を聞き流しながらウチは自分の着替えにかかる。まずは手の感覚を頼りにパジャマの上着に手をかけてみる。
ボタンを外して脱ぐと、パサリ、と音。見れば、床にはちゃんと脱いだ上着がそのまま足元に落ちていた。
もちろん、落ち武者の鎧がそれに合わせて脱げたということはなく、腕を見てみれば変わらず籠手を着けたまま。
……なんかこれ3Dモデルん中に入ってるみたい。
その後、私服を手に取って身に着けていけば、同じく落ち武者の姿に吸い込まれるように見えなくなっていく。
不安になって愛用のスマホで自撮りしてみれば、ちゃんと私服の自分が映ったのでそこは一安心。
動画でくるんと回った姿も撮影し、変な所がないかといつもの倍以上の時間をかけて念入りに確認し、やっとこウチは家を出た。
背にはもちろん、竹刀袋に詰め込んだ妖刀“揚羽”を担いで。
*
所長の携帯は案の定留守電だったので要件を吹き込んでおき、ついでにメールも送っておいた。
すぐに捨てれるからと、所長の携帯はこの時代でまさかのプリペイドガラケーなのでメッセージアプリでの連絡も取れない。電話が繋がらなければだいたい即アウト。
ウチらはひとまずダメもとで事務所へ向かった。
千本今出川のバス停で降り、今出川通りから少し北に入った雑居ビル。その三階の事務所に来てみれば、
『留守のようじゃの?』
「やっぱりかー……」
合鍵で事務所に入ってみれば、やはり留守。
ごちゃごちゃと霊関係の書類やら呪いの道具やら儀式用の何かまでごちゃまぜで積み上がった中に、部屋の主の姿はない。
そもそもウチが日々のバイトとして期待されている役割が「お留守番」という点から考えても、まあ予想しえた結果。
所長は仕事か私用かとにかく居ないことが多いのだ。
けど、
「追跡用の式神は今日も置いてくれてはるから、これで辿って行ってみよ」
所長は外出する際、極秘のお仕事などではない時はこうして和紙でできた人型の式神を置いていってくれる。
この式神は、霊力をちびちび注ぎながらついていくと、所長のところまで連れて行ってくれるというシロモノ。
本体を所長が持っており、ペアとなるこの式神が起動させると本体に引かれるように動作するよう設定されているという仕組みだ。
問題は、所長に会えるまでは式神にひたすらついていかねばならない点で、
「今日は市内で済むかな……――
一抹の不安とともに、念じながら手につまんだまま式神さんを起動。
霊力を得て式神さんはぴこん、と元気に起き上がる。それから磁石のように所長のいる方角へまっすぐ向く。
霊力を注ぎ込んだだけ磁石のように引っ張られていくので、勝手に飛んでいかないよう慎重にちびちびと足しながら、まずはスマホのマップを立ち上げて、所長のいるであろう方位と場所の推理にかかる。
「この向きは……」
京都で方角を見るのは簡単。大通りはほとんど東西南北を指してくれるので、この近所であれば、千本通りが南北、今出川通りが東西の目安となる。
「だいたい北北東――ほとんど北ぐらいか」
マップをスクロールして見ていけば、貴船神社や鞍馬寺の方。もしかしたら、馴染みの古道具屋さんの方に行っているのかも。
『多少気配は離れておるように感じるが……鉄の籠の類であれば今日中には捕まえられよう』
「てつのかご……って、ああバスとか電車のことな」
揚羽の距離感も多少は当てになる。おそらくは、市内程度の距離で間違いないはず。
下手すると市外とか、あるいは滋賀とか大阪に出張(あるいはお買いもの)とか普通にあるので、まずは幸運というところか。
式神の挙動は乗り物での移動を勘案してくれないので、遠方の場合はどの辺で特急か新快速を捕まえるかが判断の難しい所やけれども、今回は何とかなりそう。
「とりあえず、行けるとこまで行ってみよ」
*
式神さんの言うとおり、とりあえず市バスで四条河原町まで出てみることに。
もしかして見えている人なのか、市バスの運転手さんに怪訝な目を向けられつつ、バスを降りたらすぐ祇園の方へ歩いて行く。
平日昼間でもこの界隈は観光客などそこそこいらっしゃるので、揚羽は満足そうに生気のつまみ食いをはじめていた。
……この子はまた……。
ウチは呆れながら見ないふりをして、鴨川を横目に四条大橋を渡り切る。
出町柳へ向かうため、地下にある祇園四条駅への階段を降りようとしたところで、
『のう、ぬしよ』
不意に揚羽が声をかけてきた。
『わっちも食事に忙しくうっかりしておったのだが……』
「……? うっかりって――」
ここまでで何かうっかりするようなことがあったやろか。揚羽の言葉に思い巡らせていると、言いにくそうに彼女は呟いた。
『どうも先程、すれ違ったようでな?』
「えっ…………ええ!?」
何と、とは聞くまでもない。所長のことだろう。
揚羽の言葉に慌てて手元の式神さんを見れば、しんなりとしおれていた。
……し、式神さん!?
すっかり電車に乗るつもりでいたので気が抜けて霊力を注ぎ忘れていたらしい。
あわてて式神を再起動すると、確かに全くの真逆を指して立ち上がった。
「どこ……!?」
所長の姿を探して、式神の指す先を見る。
けれど見える範囲にはいない。人混みに隠れたか、もう橋を渡り切ってしまったのかもしれない。
ウチがあわてて人を避けながら走り出した、その瞬間だった。
「あ……れ……?」
四条大橋の上で、世界の色が消え、音という音が消え去った。
車も人もひっきりなしに通っていたはずのその場所が、一瞬で無人となっていた。
まるで舞台が転じたように、色あせたモノクロの静寂に切り替わる現象。
明らかに異常な、けれどもウチには覚えのある景色。
「まさかこれは……」
ウチがたどり着いた正解をつぶやく前に、回答は飛んできた。
「捕らえたぞ物の怪よ! 我が結界の中で、調伏されるがいい!」
橋の向こうから、男性の声。妙に偉そうに車道のド真ん中を歩いてくる影。
よく見れば、時代錯誤の狩衣姿。歳は大学生くらいの人やろか。
しっかし着物のおねーさんや浴衣のおにーさんならまだしも、そこまで真面目に時代考証頑張った姿で歩いてたら「今日はお祭りちゃいますけどどないしはったん」と素でツッコミたくなる。
いや、京都的には「えらい、いい服着てはりますなぁ」とかでしょうか。
「もう逃さんぞ。貴様はこの私――
堂々と名乗るのは陰陽師大家の土御門の名。
……なんやけど、覚えのない名前にウチは思わず首をかしげてしまう。
「ヒカゲ……って、そんな人おったっけ」
土御門の名字を冠する人のお名前と顔は、バイトの関係もありウチは一応全部覚えさせられている。けれど、ヒカゲなどという名にはまったく覚えがなかった。
理由の一つは、所長のコネで土御門宗家の方がバイト先に来られることもあり、やたらエライ人なので失礼がないように。
もう一つは、偽物が叩く端から沸いて出てくるので騙されんように。
「土御門さん。念のため聞きますけど両親と兄弟のお名前は?」
「へっ!? ……父は……
まさか聞かれるとは想像もしていなかったのだろうか。上ずった声で明らかに今考えたっぽい名前がつっかえつっかえ出てきた。
弟とかそれ自分の名前ひっくり返しただけですやん。
「……ちなみに土御門宗家の現当主のお名前は?」
「それは……って、そもそもなぜ物の怪の問いに答えねばならぬ!? 偉大なる土御門家の人間に非礼千万な!」
いや非礼千万なのはどう見てもパチもんのあんたさんのほうでは。
ちなみに土御門宗家の今のトップはお上品で底の知れない
「……偽物を騙るんやったら、せめて本物のことちょっと勉強しはったら?」
「なっなっ貴様、物の怪のくせに土御門の何を知っていると……!?」
「それは、ある程度は……ってさっきから気になってたけど誰が物の怪や!?」
「貴様に決まっておろう! 禍々しき付喪神を背負った怨霊め! どういう経緯で受肉したかは知れんが、今ここでヒカゲ様が打ち倒してくれる……!」
「ちょっ、待って! 落ち武者なのはガワだけで中にヒト入ってますねんって! キグルミキグルミ! 霊的VFX的なあれで――」
「ずいぶん口が達者な怨霊だが私は騙されんぞ! この錫杖“
……あーもうこれあかんやつや!?
観念してウチは背負っていた竹刀袋を降ろして口を解く。柄を握り、
「……揚羽。いまあんたを抜いてウチ大丈夫やと思う?」
『負担はかかるが、やむをえまい。ただ、わっちからひとこと言わせてもらえば』
「言わせてもらえば?」
『あの男は至極美味そうに感じるの』
そんなことだろうと思ったわ。
「あーはいはい。じゃあ抜くで!?」
『ぬしの随意に』
答えを聞かぬ間に、ウチは詠唱を始める。所長が揚羽のために編んだ術言を。
「
彼女を、呪いの刀ではなく、魔を断つ刀と再び定義する言霊を。
「命じて
言い切り、勢いよく白刃を鞘から抜き放った。
右手で振り、左手も柄尻を握ってニセモノ土御門へ切っ先を向ける。
重みはすでに感じない。揚羽の呪力が全身の力を底上げしてくれている。
のだが。
……う……気持ち悪……。
『ぬしに憑いた落ち武者が抵抗しよる。さっさと片さんとわっちの呪いと食い合ってぬしの霊脈がズタズタになるぞ』
……ああもうこんな時まで余計なことしよって……!
「おのれ刀とは物騒な! だがこの――」
向こうの口上は長そうなので、ウチは待たずに無言で踏み込んだ。
*
「ノウマクサンマンダ……うおぁ!? さっ、最後まで言わせ――」
「言わせたら痛いやろが! あんたこそさっさと往生しいや!?」
踏み込んでからの渾身の横薙ぎ(みね側)は見事に避けられた。
相手も何らかの力を使っているのだろう。常人ではありえない速度でバックステップをかけるが、ウチも食らいついていく。
……離されたら終わりや!
相手は梵字ベースの
とはいえ霊力はほどほどに強く、下手に最後まで詠唱させれば力技でダメージを食らってしまう。
揚羽の呪力は怨念が基礎にあるし、それをベースに身体強化をかけているウチもまた同類。
さらに今は落ち武者の怨霊に絡まれてもいるので仏教系の成仏アタックは効果四倍の特効ともいえる状態。
なので、
『倒される前に、先に殴るしかあるまいて』
「わかってるって……うっ――りゃあ!」
「どわぁ!? 貴様物の怪のくせに! 殴るとはどういう了見だ!? 正々堂々呪ってこいよ!」
「呪っても効いてへんから殴っとるんやろうが……!」
しかし、こちらも決定打に欠いている状態。
……やっぱり霊能力者相手やと防御が固い……!
揚羽が男子限定生気吸収系の能力持ちに対し、呪術防御は術者の基礎スキルなのでだいたいの霊能力者に対して相性が悪い。
妖刀揚羽そのものも、鬼やら妖怪やら雷やらを斬ったなどという立派な御由緒はあらへんのでビームとか撃たれへんし。
つまり『物理で殴る』しか選択肢がないわけで。
……斬ったらあかんしなー……。
相手がいくら変な人とは言え、みね打ちを心がけているが、これがまた難しい。
刃を向けないように振り回すと、どうしても反りで重心が不安定になる。不意打ちとかならまだしも、追いかけっこの中で振るとなると……!
「な――うわっ」
だがそのとき、相手が狩衣の裾を踏んづけてすっ転んだ。
これ幸いとウチは一気に踏み込み、脳天に刀を打ち込んでやろうと振り下ろし、
「これで……!」
「ひいいい!?」
ニセ土御門はすんでのところで起き上がり、振り下ろした逆向きの刀身を錫杖で受けた。ちょうど力が拮抗し、みねと錫杖がせり合う。
術を詠唱されたら思い切り足を踏んだろうかなどと考えていると、
「くそっ……貴様何が目的だ……!?」
まさかの対話希望のようなのでウチも乗ることにした。
「目下のとこあんたぶちのめして落ち武者を引っぺがすのが目的ですけど……!?」
ややこしい話を一文にまとめようと思ったらなんだかようわからんようになった。
「意味の分からぬ戯言を! だいたい貴様落ち武者のくせに可愛い声しやがって! 中に美少女が入っているとでも言う気か!?」
「美少女かどうか知らんけどウチは普通に女子ですけど何か!?」
それを聞いて相手の表情にやや動揺が走ったようだったが、すぐに「くそっ」と吐き捨てる。
「落ち着け……これは幻覚、いや幻聴だ……モテない俺の心の隙を物の怪に突かれているだけに過ぎん……冷静になれ、自分が信じたものだけを信じろ……!」
……あー……。
憐れむような微妙な目を向けつつ、どうにかこの膠着状態を打開できないかとウチは揚羽に問うてみる。
「揚羽。この距離でも吸われへんの?」
『思ったより抵抗が固い。やはり直に一撃入れて侵食させねば』
侵食ってなんかウチら悪もんみたいやね。
『とりあえず、いま触れておる錫杖だけでも潰しておくか』
「できんのそんなこと」
『人間の応用じゃ。触れた場所からその“生命”を吸い取ると……』
言っている間に、両者の力がかかっていた一点から錫杖がボキリとへし折れた。
「あ……っ!?」
「ひゃ……っ!?」
ウチも折れるタイミングを読み損ない、勢い余ってニセ土御門に向かってそのまま押し倒すようにすっ転んだ。
「あいたた……」
幸い、刀の刃はとっさに寝かせたのでウチに大きな切り傷はない。向こうは知らん。
どっこいせ、と起き上がってみれば半泣きで折れた錫杖を見つめるエセ土御門。
ややあってウチを睨んで、
「これ高かったんだぞ……!」
「知るかあほー!?」
気持ちはわかるがそれどころやないからマジで。
というか、マウントを取れたこれは千載一遇のチャンスでは……!?
「そ、そや! お命頂戴……!」
「なっ、しま……っ」
改めて揚羽を構え直す。そのままひと思いに――あれ、この態勢やとちょっと殴りにくいんやけど刺したらええんやろうか。
『よいぞ。そのままざっくり行ってしまうといい』
若干テンパっていたウチは、揚羽の言葉によっしゃ行ったれの精神で突き下ろそうとして――刀が何かに止められたように、動かなくなった。
というか、
「助手ちゃん。こんなとこでなに弱い者いじめしてんの」
ぴた、っと所長の細い指が、揚羽の刃をつまんで止めていた。
*
「所長……!?」
『おお、由梨奈。探しておったぞ』
追いかけていたはずの人が眼の前にいる状況に、ウチはちょっと状況が理解できずに呆然としてしまう。
どうしよう、何を話そうとしていたんだっけ、とぐるぐる混乱して、同時に安心感とともに脱力。
そこを見抜かれたのか、
「助太刀感謝する……!」
ニセ土御門はその隙を逃さず立ち上がり、ウチに折れた錫杖(上半分)を向けて、
「こらアンタも大人しくしてなさいな」
所長は即座に、目にも留まらぬ足払い。
「ぶっ!?」
立ち上がってすぐ痛打を食らったニセ土御門は、バランスを崩して派手に顔から路面に突っ込んだ。
「うわ痛そー……」
「まあ、なんとなくわかったような気はするけど、ちゃんと説明してくれる?」
若干呆れ顔の所長は「とりあえず正座で」と付け加えた。
*
「……なるほどね」
ふたり揃って本当に正座させられて説明させられました。なんたる屈辱。
「まあ、だいたいこっちのアホが悪いのもわかったけど、揚羽に乗せられてザックリ行っちゃうのは流石にお姉さん良くないと思うわ」
「ごめんなさい……」
「よしよし。謝れる子はいい子いい子。――で、こっちはこっちでよりもよって土御門を騙ったって?」
「騙っているのではありません。遠く途切れたはずの本家の血脈が今、私の身体で花開きその才能が――へぶっ」
寝言が終わらぬ間に、所長は何かの御札をニセ土御門のおでこに叩きつけた。
「そこまで行くとちょっとあたしも擁護できんな。悪いけどそれ貼ったまましばらくそこで転がってて」
「―――――! ――――!?」
おでこに貼られたはずなのに、なぜか声が出せないようでのた打ち回るニセモノ。
金縛りにあったように手足は固まったまま不気味にウネウネしていたが、やがて観念したようでおとなしくなった。
「コレはとりあえず置いといて……。乙女のピンチを迎えた助手ちゃんにプレゼントがあってね」
「プレゼント……ですか?」
「そ。揚羽をあげてから、また助手ちゃんの身体が霊を惹きつけやすくなってるみたいだからね。揚羽は大人しくしてても侵食系だから」
『無礼なことを。生きるために糧を得るのは霊体も肉体も同じことじゃろうて』
「こういうやつだから。私が助手ちゃんにかけてあげた加護とかが結構食われちゃったみたいなのよ」
「ああ、だから……」
食欲系妖刀なのは初めて会ったときからウチもよく理解している。
けれどまさかそんなとこまで食われていたとは。
「それで最近、妙に霊がよく見えたり、寝てる間にこんな変なのに取り憑かれたりしたのんや……」
「そこで、昨日から蔵馬のおっちゃんの手を借りてね。こいつにちょっと強めの加護をつけてたのよ」
はい、と差し出されたのは深い青色の小箱。開けてみれば、
「揚羽には害を及ぼさないけど、霊を退けるアクセよ。揚羽を連れて歩くときは身に着けといて」
「これ、この前見てて、いいなって言うとったのん……」
所長といっしょにお出かけした時に、冗談半分でねだったネックレスだった。
もちろんその時は買ってもらえなかったのやけど、
「ま、ちょっとしたプレゼントを兼ねてね。今はお金あるし、加護が切れちゃったのはわたしの計算ミスもあるし、バイト代のおまけってことで」
そう言いながらウィンクする所長は、最高に格好良くって。
ちょっと、目尻に浮かぶものがあっても仕方ないのです。
「しょちょお……」
「おー、よしよし。その怨霊も帰ったらばっちり祓ったげるからねー」
言われて思い出したけどウチはまだ落ち武者やった。
ちょっとまた別の意味で泣きそう。
「あの、俺は……」
いつの間に喋れるようになったのか、おでこに御札を貼り付けたまま横たわるニセモノがポツリと水を差してきた。せっかくいい雰囲気やったのに。
けど、所長は何食わぬ顔で、
「あ、もうちょっとそこで寝てて。多分、もうすぐ土御門の法務から刺客が来るし」
「し、刺客!?」
サラリと言い放った物騒な言葉に答えるように、背後で何かが破裂した音がした。
それは古式ゆかしい“ドロン”と言い表すのが最も近い音で。
振り向けば、白煙の中から一人の男性らしき人影が現れていた。
作業着に、篭手とヘルメットと覆面をつけた、どう見ても怪しいお兄さん。
その彼が、ウチらの方に歩み寄るとヘルメットを取って深々とお辞儀をした。
「どうも。総合警備ニンジャポリス(株)です」
「えっ」
理解を超えた自己紹介に一瞬ウチの思考が停止する。
「土御門家法務事務所さんからの依頼で伺ったんですが――」
「あ、どうもお世話になります加茂野特殊興信所です。賊はそこに転がってる奴で」
所長はぴかぴかの営業スマイルで自分が転がしたニセ土御門を指差す。
「ご協力ありがとうございます。では、賊はこちらで引き取りますので」
「ええ、よろしく」
ニンジャポリスさんはもう一度軽く会釈をすると、ヘルメットを被り直す。
ニセ土御門に歩み寄ると、腰の作業ポーチからするりとロープを取り出した。
「えっ、あのっ、ちょっ」
怯えるニセモノを前に、ニンジャポリスさんは笑顔のまま。
梵字や漢字が印刷された特別製っぽいそのロープで、ニセ土御門をぐるぐる巻きにしていく。
「いや、だから、俺っ、ちょっと出来心というか――」
「はいはい言い訳は事務所で聞くから。ちょっと一緒に来てもらえるかな」
穏やかでありながらまったく反論を許さない口調で、ニンジャポリスさんの鮮やかな手はまったく止まらない。素早くロープを巻き終えてきっちり固定すると、こちらに一礼し、
「それでは、お騒がせいたしました。失礼致します」
ドロン。
と、再びの破裂音とともに、煙に紛れて二人の姿は消えてしまいました。
「今のって……」
「忍術ね」
「詠唱も術式もなしで……」
「忍術だから」
「空間転移とかそういう――」
「忍術だもの」
「……さいですか」
そういうものらしい。
それはそれとして、
「ニセモノの彼は、あれでよかったんでしょうか。ちょっと気分で名乗っちゃっただけかも……」
最後の、ちょっと素に戻って怯えた様子を見ると、ちょっとだけかわいそうになったのだけれど。
「大人の世界はシビアなのよ。商標とか信用とか」
「……覚えておきます」
どこか遠い目をする所長にうちはなにも言えず。
世知辛い風と共に、ウチと所長は結界の外、現実の四条大橋の上へと戻った。
そこで、揚羽がポツリと一言。
『抜かった。あのマントラ男子、食いそびれたわ』
「あんた、とことんブレへんな……」
*
翌朝。
鏡を見てみれば、そこにはもう不気味な姿はなくなっていた。
寝癖だらけで跳ねた頭だけど、お気に入りのパジャマを着た、間違いなくウチの姿。
愛用のメガネを掛けて、そこになんとなく、昨日貰ったネックレスを持ってきてつけてみたり。
「えへへ……」
没収されたら一大事なので学校には着けては行けないけれど、しばらくは朝の鏡の前が少しだけ楽しくなりそう。
もちろん本当の楽しみは、今週末のお出かけなんやけど。
「なに着ていこっかな……」
自分の持っている服からあれこれ考えるのは悩ましいけど楽しい。
ネックレスを付けた姿を見ながら角度を変えてちょこちょこ動いていると、
「ちーかー、朝ごはんできたから早く顔洗って――」
後ろからお母さんの声。健康そうな声で飛んでくるいつもの言葉。
その主が、鏡に写り――
「えっ……」
不気味なまでに長い、真っ黒な髪の毛の塊。
顔を覆うように垂れたそれらの隙間から見えるのは、血の気の引いた青白い肌。
隙間から光る眼は、黒目のない細い白目。
服は左前の死に装束。
恐る恐る、振り向けば。
そこには、包丁を持った怨霊が――
「ぴぎゃああああああ!?」
「ほわあああああああ!?」
もちろん母でした。
似たような怨霊に憑かれてしまったらしく、もちろんウチは大慌てて所長を呼び出しました。
幸いこの日の所長はちゃんと電話に出てくれて、すぐに家まで来てくれて、すぱっと手際よく母に憑いた怨霊を祓ってくれました。
なお、後日きっちり正規料金を請求されたことも、合わせて記しておきます。
余話 終
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