第13話、次代のテイスト

「 じゃ、やっぱり再婚するんだ 」

 受付横の談話室。

 里美は、淑恵に言った。

「 うん・・・ ちょっと悩んだけどね。 この子にも、父親は必要だと思ってさ・・・ 」

 ベンチに腰掛けた淑恵。 その横で、両足をプラプラさせながらベンチに座り、買ってもらったジュースを、ご機嫌そうに飲んでいる明日香。 淑恵は、明日香の頭を撫でつつ、そう答えた。

 小声で尋ねる、里美。

「 ・・・明日香ちゃん・・・ なつきそう? 」

 淑恵は、笑いながら答えた。

「 全ぇ~ん然、大丈夫。 この子、あたしに似て、誰とでも喋るから。 ヘンな人に、付いて行かないか、心配だわ 」

 淑恵の言葉を聞き、明日香が、淑恵に尋ねた。

「 ヘンなヒトって、誰? 隣のオジイさん? 」

「 こら! そんなコト、言わないの。 オジイさんは、ちょっとボケちゃってるだけよ? 」

「 ボケって、ナニ? 」

「 ・・う~ん・・ 歳をとって・・ 頭の回転が、ゆっくりになっちゃってるってゆ~か・・・ 」

「 頭って、クルクル回るの? 明日香、ヨコにしか向かないよ? 」

「 じゃなくてね・・ あ~ん、何て言ったらイイの? ・・もうイイから、それ飲んでなさい 」

「 は~い♪ 」

 明日香と淑恵の会話を聞いていて、プッと吹き出した里美。

「 大変ね、淑恵 」

「 毎日、コレよぉ~? 今日は、ダンナが面倒見てるハズだったんだけど・・・ 免許の、書き換えに行ってるの。 誕生日、明日だったのよ~ 慌てて、代休を取ってさ~、もったいない取り方、しちゃってるわ~ 」

 忙しそうだが、幸せそうだ。

 これで良いのだろう・・・

 淑恵が、里美に尋ねた。

「 カティ・サーク、行くの? 」

「 うん。 直帰の届け、してあるから 」

「 あたし、今日は、午後も担当の会員さん来るし・・ 行けないなぁ~ 保科さんに、宜しくね 」

「 うん、またね 」

 淑恵は大丈夫だ。 無邪気な明日香もいる事だし・・ 持ち前の明るさで、新しい生活をスタートさせて行くに違いない。

 里美は、淑恵の新生活の幸せを祈りつつ、カティ・サークへと向かった。



 梅雨とは言え、夕立のような大粒の雨が降っている。

 フロントガラスを叩く雨粒は、夏の到来を予感させているようだ。 雨音で、カーラジオの音も聞き取り難い。 道の所々、車の轍の跡に細長く溜まった雨水が、走る車のタイヤに弾かれ、放水のようにガードレールを超えて、海へと落ちて行く。

( この雨じゃ・・ 今日は、あのテラスで、くつろげないわね・・・ )

 やがて、滝のようにフロントガラスに流れる雨水を通し、カティ・サークの灯りが見えて来た。

 シケの航海を続けて来て、やっと見つけた港の明かり・・・

 里美に、そんな経験は勿論ないが、そんな感じであろうか。 ポツリ、ポツリと映る室内の灯りは、そんな雰囲気を、かもし出していた。

 岬に一番近い、奥の駐車場に車を停めると、真正面に海が見える。

 ・・・鉛色の海と、暗いグレーの空・・・ 境目の見えない水平線・・・

 里美の心に、隼人の姿が浮かぶ・・・

( どこからが、未来で・・・ どこからが、今なのかしら・・・ )

 水平線を見て、ふと、そんな事を思った里美。 顔を、ぶるぶるっ、と横に振り、エンジンを止める。 ドアを開け、土砂降りの車外へ勢い良く、飛び出した。


「 こんにちは、吉村さん。 よく振りますね 」

 保科は、店内から、里美の車を確認していたのであろうか。 入り口を開け、里美を迎え入れながら言った。

「 こんにちは、保科さん。 ・・ひゃ~、あっという間に、濡れちゃった。 コレ、もう梅雨じゃないですよね? 」

 濡れた肩や、腕を払いながら答える里美。

 保科は、用意していたらしいタオルを、里美に渡しながら答えた。

「 予報では、午後からは、晴れて来ると言っていましたが・・・ どうですかね? 雲は、途切れて来ているみたいですよ 」

「 あ、すみません・・・ そうですか。 あたし・・ いつになったら、ここからの夕陽、見れるのかなぁ 」

 受け取ったタオルで肩を拭きながら、里美は言った。

「 ははは。 そのうち、いつでも見れるようになりますよ 」

 微笑みながら答える、保科。

 里美は、いつもの奥のテーブルに座った。

「 ブルーマウンテンを・・・ 」

 おしぼりと、水の入ったグラスを置く保科に、里美は言った。

「 かしこまりました 」

 にっこり笑って、保科は、カウンターの中へと入って行った。

 大きなガラス窓から、不安そうな灰色の海と、空が見える・・・

 ウッドデッキのテラスも、さすがに今日は、雨が振り込んでいるようだ。 五線譜に音符を書き込んでいた隼人の姿が、現在のテラスの風景に、シンクロする・・・

( 隼人・・・ )

 里美は、心の中で呟いた。

 呼び捨てにしたのは、心の中でも初めてだ。 ・・・何だか、気恥ずかしい。 だが、呼び捨てにした方が、彼にはしっくり来る。

( 自分としては、『 さん 』付けが似合う恋愛をしてみたかったのよね・・・ )

 そう・・ 保科のような雰囲気を持った男性と・・・

 だが最近、里美には、隼人と過ごす時間が、とても有意義に感じるものになって来ていた。 ある程度、自分の心の中では、決定した方向性が確立されているような気がする。 あとは、気構えだ。 今日も、保科に会うのが目的ではなく、このカティ・サークで、ゆったりした時間を過ごすのが目的であった。 ・・・勿論、保科に会うのも、楽しみである事に違いは無いが・・・


 あのマイセンと共に、保科が、里美のテーブルにやって来た。

「 お待たせ致しました 」

 香り高い、褐色のコーヒーを注ぐ、保科。

 立ち上る湯気・・・

「 いい香り・・・! この香りを楽しむ為に、ここまで来たと言っても、過言じゃないです・・・ 」

 保科は、にっこりと微笑み、言った。

「 ごゆっくり、どうぞ・・・ 」

 カウンターへ戻る、保科の背中。

 哀愁を漂わす、男の背中とは・・ 保科のような背中を、指すのかもしれない。 誠実さと、深い愛情を秘め、人を包み込むような魅力と優しさが伝わって来る・・・

 里美は、そんな雰囲気に惹かれたのだろう。

 カップに視線を落とし、細く、真っ直ぐに立ち上る湯気を眺めながら、里美は呟いた。

「 ・・・隼人・・・ 」

 彼にも、優しさはある。

 保科を、尊敬もしているのだ。 同じニオイ・雰囲気を感じる。

( 若さ・・ かな・・・? カレからは、背中じゃなくて・・ 真正面からの魅力を感じるわ・・・ )

 カップを持ち、コーヒーを飲む里美。

 今日のコーヒーは、苦味が少なく思えた・・・


 時として、恋愛は、カタチを変える。

 自分では、理想の相手像・シチュエーション・未来・・・

 色々と想像し、ビジョンを構想する。

 だが、全く違う相手に恋をし、想像すらしなかった現実を歩み始める

 事も、往々にあるのだ。

 自分の考えていた未来、恋人、恋愛生活・・・

 言葉を悪くすれば、妄想に近い理想を想い描いていたとしても、

 自分の中で受け入れられるキャパがあれば、全く想像と違う現実でも、

 歩んで行ける。

 それを、自らの変化と見るか、自身の成長と見るかで、後の生活にも

 差は出よう。

 どちらの受け取り方が良いのかの結論は、『 時 』が下すのだ。

 『 とりあえず 』や、『 まあ、いいか 』など、妥協してはいけない。

 恋愛は、自身に『 納得 』して受け入れないと、後々、後悔する事になる・・・


「 カップを、お下げします 」

 聞き慣れない声。

 当然、保科の声を予想していた里美は、顔を上げた。

 保科と同じような格好・背丈ではあるが、若い男性だ。 アルバイトでも、雇ったのだろうか。 面影・声質は、保科に似ているような気がする。

「 ・・あ・・ はい。 有難う・・・ 」

 保科が、彼の傍らに立っている。

「 保科さん・・・ 」

 里美の戸惑いを感じたのか、微笑みながら、保科は言った。

「 私の息子です 」

 ・・・息子・・・!

 道理で、面影があるはずである。

 保科のような、ヒゲこそ無いが・・・ 優しそうな目元などは、そっくりだ。 身長も、高い保科よりも、まだ少し高い。

 彼は、里美に挨拶した。

「 洋志と申します 」

「 ひろし・・ さん・・・ 」

 保科を、そのまま、若くしたような顔つきである。

 里美の胸が、トクン、と鳴った。

 保科が言った。

「 東京の大学に行っておりまして・・・ 卒業して、そのまま、あちらに就職しましてね。 5年ほど、商社に勤めておりましたが、先月、退職して戻って参りました。 店を継ぐと言っておりますが、どこまで本気なのか・・・ 」

 苦笑いしつつも、嬉しそうな保科。

 洋志は、里美に尋ねた。

「 お味の方は、いかがでした? 」

「 え? 」

 保科が言う。

「 ・・先ほどのコーヒーは、息子が炒れたものです。 お試しするような事をして、申し訳ありません。 お客様に、いつもと変わらぬお味を、お出ししたいと思いまして・・・ 」

 苦味の変化は、炒れた者が違っていたからであろう。

 だが、今日の味は、満足だった。

 里美は答えた。

「 あ・・ 美味しかったですよ? ちょっと、苦味がマイルドだったけど、私は好きです 」

 ホッとしたような表情の、洋志。

 カップを大切そうにトレイに乗せると、言った。

「 このカップを、お使い頂く吉村様は・・ 特別な、お客様です。 わざわざ、こんな天気の日に、ご来店頂きましたし・・・ 良かった・・・! 心地良い苦味だけは、中々、出すのが難しいのです。 精進しますので、宜しくお願い致します 」

 キチンと一礼する、洋志。

「 ・・あ、こちらこそ・・! 」

 イスから、少し腰を浮かせ、慌てて挨拶を返す里美。

 保科が追伸した。

「 今日の御代は、頂きません。 息子の味を、評価して頂いたお礼です 」

「 え・・ でも・・・ 」

 戸惑う里美に、ウインクしながら、保科は言った。

「 この次からは、息子の炒れたものにも、お金を払ってやって下さい 」

「 それは・・ 勿論ですけど・・・ 」


 いつしか、外の雨は、やんでいた。

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