第12話、娘
また、雨が降って来た。
気象台の予報では、梅雨明けは、来週頃らしい。
「 納品が、濡れちゃうなあ・・・ ビニールを掛けておいて、良かったわ 」
鉛色の空の下、里美は、渡瀬の経営するスポーツジムの真新しいパンフレットを積み、海辺の国道を、車で走っていた。
フロントガラスのワイパーを作動させ、タバコをくわえる、里美。
・・・あの日以来、隼人には会っていない。
告白された日の夜、『 ごめんね 』というメールが、隼人から届いていた。
( 謝るのは、あたしの方よ・・・ 隼人クンは、悪くない )
シガーライターを押しながら、里美は、そう思った。
実際、『 私の方こそ、ごめん。 嬉しかったよ 』と、返信をした、里美。 しかし、それ以来、隼人からのメールは届いていない・・・
カツン、と上がったシガーライターを抜き、タバコに火を付ける。
ライターを戻し、窓を少し開けながら、里美は呟いた。
「 恋って・・・ 突然、始まるのよね・・・ 」
現実派の里美にしては、どことなくロマンチックな言葉である。
( 保科さんに、相談してみようかな・・・ )
しかし、保科は、隼人とも顔馴染だ。 少々、マズイかもしれない。
( 相談するなら、ある程度、あたしが答えを出してからよね・・・ 保科さんだって、困ってしまうわ・・・ )
タバコの煙を出しながら、自答する里美。
どんよりとした、彼方の水平線・・・ 雲に切れ目は無く、鉛色の濃淡も無い。 いつまでも降り続くように思える雨。 どこまでも暗い海原・・・
その雰囲気は重く、暗く、里美の心に貼り付くようである。
自分の心を表現したような空の下・・・ 里美は、渡瀬のスポーツジムへと車を走らせた。
「 あ、こんにちは。 雨の中、ご苦労様です 」
受け付け係の三田が、カウンターから声を掛けた。
「 お世話様です、三田さん。 渡瀬さん、います? 」
「 今、呼びますね 」
内線の受話器を上げながら答える、三田。
ビニールに付いた水滴をハンカチで拭きながら、里美は、受け付け横に納品を積み上げる。
「 ふう~、蒸し暑いですね~ 冷房が、有り難い季節になりましたよね~ 」
濡れたハンカチで、そのまま額に浮いた汗を拭う、里美。
三田が、受話器を耳に当て、笑いながら答えた。
「 ウチなんか、5月から入れてますよ? トレーニング後の会員さんたちなんか、真冬でも暑いって言うから・・ あ、所長。 吉村さんが、みえましたよ? はい・・ はい・・ 分かりました。 上がって頂きます 」
内線の受話器を置いた三田が、里美に言った。
「 1部、持って、所長室にお上がり下さい 」
「 分かりました。 お邪魔致します 」
ビニールの包みを1つ開封し、インクの匂いがするパンフレットを1部取り、里美は、2階へ上がった。
「 やあ~、雨の中、ご苦労様です。 どうぞ 」
渡瀬が、にこやかに対応する。
今日は、青いポロシャツを着ている。 下は、スウェットだ。
「 失礼します 」
応接セットの、長ソファーに座る、里美。
「 どれどれ・・ 」
早速、里美から渡されたパンフレットに見入る、渡瀬。
「 ほおぉ~う・・! イイね! ウチのジムじゃないみたいだ。 うん、うん・・・ 」
満足気な、渡瀬。
例の、特産コーナーを見て、言った。
「 こりゃ~、イイね! 高級惣菜のように見えるじゃないか 」
里美が答えた。
「 先日、淑恵さんから頂きましたが、美味しいですね 」
「 気に入って頂けましたか? 何なら、叔母の方から送らせましょうか? 」
「 あ、いえ・・ そんな・・・ 」
慌てて遠慮する、里美。 言葉に甘えると、1ダースくらい送って来るとも限らない。
渡瀬は、パンフレットを裏返し、裏ページ( 表2と言う )にある、レオタードを着た娘の写真を見た。 さりげなく、最終ページのスペースで使わせてもらう、という打ち合わせ通り、里美がレイアウトしたものである。
全身ではなく、上半身のポートレートのようにカットし、頭に締めていたハチマキはCGでクローン合成し、取ってある。 『 健やかに、健康に 』というキャッチコピーと共に、イメージ的、マスコット的なデザインだ。
渡瀬は言った。
「 う~む・・・ ハチマキがあったなんて・・ 初めて見る人は、全く分からないな・・・! 」
「 最近のCGは、スゴイでしょう? 」
頷く、渡瀬。
里美は続けた。
「 ・・考えたのですが・・・ この娘さんのお写真は、やっぱり必要です。 このパンフは、確かにお客様にお渡しするものですが・・・ 同時に、渡瀬さんの歴史でもあるのです。 築かれて来た歴史は、一時の都合で消し去るものではない・・ と、私は思います 」
渡瀬は、里美を見て答える。
「 ・・有難う、 吉村さん・・・ あなたは、本当に優しい人だ 」
「 いえ、そんな・・・ 」
渡瀬は、パンフレットをテーブルの上に置くと、続けた。
「 デザイナーと言う仕事は、素晴らしい・・・ あなたには、まさに天職でしょう。 娘は、勘当同然に思っていましたが・・・ こうして、新たにデザイン化された娘を見ると・・・ 連絡を取ってみようかとさえ、思います 」
・・・渡瀬にとっては、親としてのメンツもあるのだろう。 向こうが謝って来たのならば、許してやる・・・ そんな考えだったのかもしれない。
里美は言った。
「 同じ、女性・・ 近い年齢層の者として、申し上げますが・・・ 娘さんは、寂しがっていると思いますよ? 同時に、後悔はしていなくとも、せめて懺悔をしたい気持ちでしょう・・・ 誰だって、親に祝福されて、新しい生活をしたいものです 」
「 ・・・・・ 」
無言の、渡瀬。
パンフレットの裏表紙で、笑顔で笑い掛けている娘の写真を、じっと見つめている。
里美は続けた。
「 連絡先がお分かりなら、一度、お話しをしてみて下さい。 イリノイ州・・ でしたっけ? 」
「 ええ。 1度だけ、国際郵便が来ましたが・・・ 怒りに任せて、返事は出さなかったんです。 彼の、実家の住所が書いてあったな。 捨てずに、取ってありますよ 」
「 なら、連絡は取れると思います。 是非、してみて下さい。 娘さん・・ 喜びますよ? 」
「 ・・喜んでくれるでしょうか・・・? 」
顔を上げ、里美を見ながら、渡瀬は不安顔で尋ねる。
「 喜びますとも・・! 私なら、泣いて喜びます 」
笑顔で答える里美に、少し苦笑しつつ、渡瀬は言った。
「 私も、保科さんと同様・・ 女房を、亡くしております。 唯一の家族なんです、娘は・・・ 」
初めて聞く、渡瀬の過去。
里美は、幾分、声を落として答えた。
「 ・・そうでしたか・・・ じゃあ・・ 尚更、連絡をしなくては。 家族は、人間の最小単位なんだそうですよ? 」
再び、パンフレットの写真に視線を落とす、渡瀬。
「 最小単位・・・ か・・・ いい事を言うね、吉村さん。 さすが、デザイナーだ。 いや・・ コピーライターとしての、力量かな 」
「 ウチは、コピーライターを雇う経済力がありませんので、全部、1人でやらなきゃいけないんです。 キツイですが、勉強になりますよ? 」
里美と渡瀬は、笑い合った。
ドアがノックされ、淑恵が部屋に入って来た。 幼稚園児くらいの子供を連れている。 初めて見る子だが、おそらく、淑恵と前夫の子供だろう。 里美は、何となくそう思った。
「 失礼します、所長。 新しいパンフ、出来たって? 」
「 ああ。 これだよ。 どう? イイだろ 」
テーブルにあったパンフレットを取り、淑恵に渡す。
「 へええ~、イイじゃない! これならあたし、胸を張って渡せるわ。 さすが、里美ね! 」
受け取ったパンフレットを見るなり、淑恵は言った。
「 気に入ってもらって良かったわ。 ・・お子さん? この子 」
淑恵が連れて来た子供を見て、尋ねる里美。
「 そう。 明日香、って言うの。 ・・明日香、ご挨拶なさい。 お母さんのお友だちよ? 」
「 こんにちはぁっ! 」
淑恵に促され、お辞儀をしながら元気に答える、明日香。
肩ぐらいまである髪を、左右に束ね、ピンク色のゴムで縛って分けてある。 裾を折り曲げたジーンズを履き、7分袖の白いニットシャツを着ていた。 淑恵に似て、活発そうな子だ。
「 まあ、元気に、ご挨拶出来るのね。 こんにちは。 里美です。 幾つ? 」
かがんで、目線を明日香と同じくらいにしながら、里美が尋ねる。
「 6歳だよっ? 」
小さな左手を広げて、その掌に右手の人差し指指を当て、それを里美に見せながら、明日香が答えた。
「 じゃあ・・ 来年は、小学校だね? 明日香ちゃんは、大きくなったら、何になりたい? 」
「 お母さん! 」
里美の問に、ニコニコしながら答える、明日香。
無邪気だ。
里美は、明日香の頭を撫で、笑いながら言った。
「 そぉ~う? じゃ、お料理を勉強しなくちゃね 」
里美は、実の所、あまり料理が出来ない。 いつも、自炊ではなく、出来合いの物で済ませている。 言ってから、自分で反省をしてはみたが・・・ まあ、他人には分からない事だ。
明日香は、胸を張って答えた。
「 明日香、ゆで卵、出来るもんっ! 」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます