第10話、バラード

「 吉村さん! こっち、こっち! 」

 小さなビニール製の軒下から、桂木が里美を呼んだ。

 相変わらず降り続く、梅雨の雨・・・

 傘を差した里美が、小走りに桂木の元へ駆け寄る。

「 ココだったの~? あたし、さっき通ったわよ? 気が付かなかったわ、ごめんなさい 」

 傘をたたみながら言う、里美。

「 ははは。 分かり難いからね、この店。 さあ、どうぞ 」

 小さなドアを押し、里美を迎え入れる桂木。

 市内の、繁華街の一角にある、雑居ビル。 居酒屋やゲームセンターが、ひしめいて建っている裏通り・・・

 時刻は、8時を回り、会社帰りのサラリーマンやOLが、それぞれに傘を差し、往来している。

 桂木が言った。

「 足元、気を付けてね 」

 階段が、地下へと続いている。

 やや薄暗い階段の両壁には、手書きのライブの案内が、幾つも貼られていた。

 聞いた事のない演歌歌手や、カラオケ教室の案内・・・

 里美は、それらを見ながら、桂木に続いて階段を降りる。

「 ・・ふ~ん・・・ あまり、ジャズは、やっていないのね・・・ 」

 少し、里美を振り向きながら、桂木は答えた。

「 演歌系が、ほとんどだね。 オレが、バンドマンで入る前は、おじいさんのピアニストがやっていたんだ。 自称、演歌歌手・兼、作詞・作曲家のね 」

「 ナニそれ? アヤシゲ~ 」

「 はは・・ 趣味が嵩じてやっていたそうだ。 ま・・ オレも、似たようなモンだけどね 」

 階段を降り切った所が、入り口のようだ。

 桂木は、ドアを開け、里美を招き入れる。

 狭い店内。 タバコの香りと、談笑する客たちの声が、里美を迎えた。 カウンターが、奥まで続いている。 その、一番奥に小さなステージがあり、ピアノ( 電子ピアノ )と、ドラムセットが置いてある。

 ピアノには、中年の男性が座り、里美には分からない、演歌らしい曲を演奏中だった。

 桂木が言った。

「 今日は、オレのおごりだよ? 居酒屋程度のモンなら、たいていはあるから、注文してくれ 」

「 ありがとう。 何か、悪いわね 」

「 気にすんなって。 次からは、料金を頂くぜ? 」

 ウインクする、桂木。

 里美は、カウンターの中ほどにあった、空いていたイスに座った。

 店内の壁には、サインの入った演歌歌手( やはり、聞いた事は無い )の写真に混じり、スーツを着て、ピアノを弾いている黒人男性の写真などが掛けてある。 この辺りは、桂木の趣味なのであろう。

 カウンター席が10脚ほどあり、奥には、4人掛けのボックス席が3つあった。

 客は、全席の内、約、半分くらいが入っている。

「 こんばんは。 隼人の友だち? 」

 カウンターの中から、ニット帽を被った若い店員が、声を掛けた。

「 あ、そうです。 宜しく 」

「 隼人のライブは、あと20分くらいだよ。 何か、食べる? 」

「 そうねぇ~・・・ 」

 入り口の横に立てかけられた、黒板のメニューを見る、里美。

「 ・・エビグラタン、320円? 随分と・・ 安いのねぇ・・・? 」

 店員は、顔を里美の近くに寄せ、掌を口の横に立てて、小声で言った。

「 ・・冷凍よ、冷凍・・・! チーン、ってね・・! 」

「 なるほど・・・ 」

 よくある話しである。 レンジで暖め、皿に盛るだけだ。

 まあ、冷凍食品であるならば、平均水準以下の味である事はあるまい。 ある意味、安心出来る。

「 じゃあ、それと・・ バドワイザー、下さい 」

「 あいよ! 」

 気軽に答えると、その店員は、カウンター奥の厨房へと入って行った。

 タバコに火を付け、ステージに目をやる。

 ステージ脇の大きなアンプの後で、桂木が、2人の男性と楽譜の打ち合わせをしていた。

 1人は、長い桂木の髪とは対照的に、短く刈り込んだ髪をしている。

 フードの付いた、ダークグレーのトレーナーに、ジーンズ。 歳は、桂木と同じくらいだろうか。 彼の脇には、スティックが挟まれていた。 おそらく、桂木の相棒のドラマーなのだろう。

 もう1人は、茶髪。

 黒いシャツを着ており、濃紺のスラックス姿だ。 何やら座り込み、ゴソゴソやっている。どうやら、楽器をケースから出し、組み立てているらしい。 桂木のピアノの合わせ、管楽器も加えるつもりなのだろう。

 やがて彼は、首にストラップを掛け、立ち上がった。

( ・・あれは、サックスね。 アルト・・ って言うのかしら? テナーより、小さい方の楽器よね・・・ )

 ストラップにぶら下がっている楽器を見て、里美はそう思った。

 楽器についても、そんなに知識がある訳ではない。 職業柄、デザインに使うリース写真などで見る程度だ。 しかし、全体に金色で、細かなキーが沢山付いているサックスは、素人目にはインパクトがある。

( どんな音がするんだろう? )

 里美は、初めて真近で見るアルトサックスに、興味が湧いた。


 やがて、ピアノを弾いていた男性たちの演奏が終了し、まばらな拍手が送られる。

 男性は、ステージ脇で控えていた桂木たちの所へ行き、桂木の肩に手を置きながら、何か、笑顔で微談しているようだ。 苦笑したような、桂木の顔。 先程のドラマーたちと目配せし、ステージに上がって来た。

「 よ~、待ってました、若人! 」

 前の方に座っていた赤ら顔の男性客が、声を掛ける。 それに釣られ、数人が拍手を送った。

「 どもども! 雨ばっかりで、ヤですねえ~ 1曲目は、夜霧のブルースからイキますか 」

 桂木のマイク挨拶に、ピュ~、ピュ~と、口笛が飛び交う。

( 知らない曲だなぁ~・・・ )

 演歌なのだろうか? 里美には、分からない曲だった。

 だが、先ほど弾いていた中年のピアニストよりは、桂木の方が、技術はあるようだ。

 ・・・演奏に関しては、全く無学な、里美・・・

 しかし、そこは、クリエイターである。 何となく、理解出来る。 音の張りにも、『 若さ 』が感じられた。

「 あいよ~! 『 冷凍 』エビグラタン、お待ち~! 」

 先程の店員が、里美の前のカウンターに、オーダーを持ってやって来た。

「 あ、有難う。 へ~・・ 美味しそうじゃない 」

 運ばれて来たグラタンを見て言った里美に、店員は、笑いながら答えた。

「 そりゃ、そうさ。 冷凍だもん! 」

 バドワイザーの小ビンを持って傾け、里美にグラスを取るよう、催促する。

「 ありがと 」

 タバコを傍らにあった灰皿で消し、里美は、グラスに注がれたビールを飲む。

 店員は、ビンをカウンターに置くと、桂木の方を見ながら言った。

「 隼人は、ウマイよ・・・? センスがあるね。 オレがプロデューサーだったら、ソッコーで、リーダーアルバムを出させるんだがな 」

「 だけど・・・ ヒットするかどうかは、技術やセンスじゃないわ。 いかに、メディアに乗るか・・ よ? 」

「 こりゃ、キツイお言葉で。 おたく、ギョーカイの人? 」

 タバコに火を付け、笑いながら言う店員。

「 まさか。 ただの、OLよ。 ちょこっと、広告の仕事をしてるだけ 」

「 ふ~ん・・ 」

 くわえタバコで、里美のグラスに、ビールを注ぐ店員。

 1曲目が終わり、多少の拍手。

 軽く、客に対し、一礼した桂木は、黒シャツのアルト奏者に目配せし、次の曲を始めた。

 今度は、一変して、ラテン系のリズム。

 ベース奏者はいないが、それなりに、雰囲気は出ているように思える。

 アルト奏者が、旋律を吹き始めた。

( ・・あ・・ 聴いた事がある曲・・・ なんだっけ・・・? )

 古いジャズバラードを、ボサノバ風にアレンジして演奏しているらしい。 曲名は分からないが、軽い感じが、中々良い。

 グラスを片手に、里美は、しばらく演奏に聴き入っていた。


 桂木のライブは、結構、楽しい。

 懐メロも演奏したが、聴いた事があるジャズやポップスの曲も織り交ぜ、幅広い年代層に、ひと時の楽しさを提供している。

 里美は、『 冷凍食品 』を食べながら、桂木のライブを楽しんでいた。


 最後の曲になり、桂木は再び、マイクを手に取った。

「 どうもです~ では、最後に・・ オリジナルを聴いて下さい。 初演です 」

 桂木は、里美を探すように、こちらを向くと、カウンター席に座っている里美を指差し、続けた。

「 そちらにいらっしゃる・・ 素敵な女性に、この曲を捧げます 」

( ・・・え? )

 客が、一斉に里美の方を振り返った。

「 曲は、ラプソディー・イン・レイン・・・ ワン・トゥー・スリー・・・! 」

 ゆったりしたバラードが、流れる。

 今まで演奏した曲の中では、一番静かで、ジャジーだ。 切ないような、ピアノの調べが美しい・・・

 桂木の、全霊を注ぎ込んだようなイントロに、客は、物音ひとつ立てられない雰囲気だ。 皆、じっと、演奏に聴き入っている。

 静かに、ブラシでスゥイングを刻む、ドラム。

 時々、張り詰めたような緊張感が漂う、桂木のピアノ。

 やがて、アルトサックスが、桂木の演奏した旋律を、再び、奏で始めた・・・

( ・・・綺麗な曲・・・! )

 里美も、聴き入る。

 どうやら先日、カティ・サークのテラスで、保科と交わしていた言葉少なげの場面にて、桂木が、思い付いたように書いていた曲らしい。 切ない雰囲気の旋律は、里美の、淡い恋心を綴ったのだろうか・・・

( 桂木さん・・ あたしの気持ちを、分かっていたの・・・? )

 本当の所は、分からない。

 だが里美は、桂木が自分の心情に気が付き、それを音符に置き換えてくれた事を信じた。

 知って欲しくはないが、誰かに伝えたい、淡い恋心・・・

 矛盾する心情に、ある意味、里美は酔いしれていた。 片思いとは、元来、そうしたものなのかもしれない。

 旋律に込められた、心情・・・ 何よりも、保科への憧れが、音楽と言うカタチになって表されている所が、里美は、正直に嬉しかった。


 印象的な、哀愁を帯びた、アルトサックスの音色。

 そして、再び、桂木のピアノが、ソロを取る。

 リズムが、倍転に転じ、やや軽やかなリズム・・・

 それに乗り、桂木の、見事なアドリブが展開され始めた。


( うまいわ、桂木さん・・・! 音楽の事は、分からないケド・・ 体が、自然にノッて来る・・・! )

 他の客も、そのようである。

 初演なので、誰も聴いた事はないはずだ。 だが、桂木たちが織り成す演奏に、体を揺らしながら聴いている客もいる。

 やがて、再び、最初の旋律が演奏された。 ゆったりとして聴き易く、叙情的なフレーズである。

( こんな素敵な曲を・・ あたしに、くれるって言うの・・・? )

 目を瞑りながら、ピアノを引き続ける、桂木・・・


 気恥ずかしい気持ちを覚えながらも、桂木に対し、感謝と、親愛の意を感じる里美であった。

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