第5話、カップと、ソーサー
先日と同じように、弦楽曲が、店内に静かに流れている。
ゆっくり回る、天井のサーキュラー。 香ばしい、ローストの香り。
客が鳴らす、カップとソーサーの触れ合う音・・・
騒々しい都会から隔離された、サナトリュウム( 結核患者などの、隔離病棟 )のようだ。
・・・そんな所に、里美は、行った事は無いが・・・
「 いいデザインですね・・・! 4点とも、気に入っています。 さすが、吉村さんですね 」
保科の言葉に、里美は、意味も無く頬を染めた。
「 どれを選んだら良いのでしょうか? 正直、迷ってしまいます 」
保科の問いに、里美は、少し声を裏返させて答える。
「 あのっ・・ ここっ、この斜体が掛かったのは、いかがでしょう? 古い帆船の・・ 船尾に刻まれていたものをアレンジして、デザインしたんです 」
1枚のデザインを指指し、里美が薦める。
保科が言った。
「 わざわざ、調べて頂いたのですか? 」
「 デ・・ デデ・・ デザイナーですから・・・! 」
「 それは、それは・・・ 有難うございます。 ・・うん、いいですね。 吉村さんが推薦して頂いたものに致しましょう。 私が、想い描いていたロゴの雰囲気に、ピッタリです 」
( やったっ! 保科さんに気に入ってもらえたっ・・! )
誰もいなかったら、おそらく、飛び上がって喜んでいただろう。 それぐらい、里美は嬉しかった。
保科が言った。
「 看板は、町内に知人がおりまして・・・ 商業看板の商売をしています。 早速、このデザインを渡して作ってもらいますね。 色は、どんな風にしたら良いですか? 」
里美が答える。
「 あの・・ 少し、費用が掛かるかもしれないですが、私としては、描くのではなく、彫って頂きたいのです。 木の板に・・・ 」
保科は、右手を顎の下にやり、無意識に擦るようにしながら言った。
「 ・・・なるほど・・・! 帆船のイメージですね? 船尾にある、船名の 」
「 そうです。 彫った所に、淡いブルーグレーなんかで色を着ければ・・・ 」
「 それは、良いですね・・・! 木は、白木か何かで・・・? 」
「 そうです。 ムクのままの方が、雰囲気が良いと思います。 彫った中だったら、ハゲ難いし・・・ 白木も、年数が経てば、それなりに変色して来て、風合いが出ると思うんです 」
「 なるほど・・・! まさに、帆船『 カティ・サーク 』ですね。 いや、吉村さんの創造力には、感服致しました。 まだ、お若いのに、よく考えてありますね。 嬉しいです 」
「 ・・そんな・・・ 」
過分なる評価を受け、里美は恐縮した。
気になる存在である保科の言葉は、里美にとって、まさに『 天からの言葉 』だ。
更に、頬を染めつつ、里美は追伸した。
「 資料を調べていて、帆船の写真を何枚も見たんです。 とっても綺麗で、勇壮で・・・ だから、このお店のロゴは、絶対、帆船のイメージから取りたくて・・・ 」
保科は、満足そうに答えた。
「 有難うございます。 吉村さんにお願いして、良かった。 これも、何かの縁です。 これからも、寄って下さいね。 ・・あ、そうだ・・・! お見せしたいものがありまして・・・ 」
保科は、席を立つとカウンターの方へ行き、1組のカップとソーサーを持って、戻って来た。
「 よく、ご来店頂けるお客様の中には、マイカップをご持参頂く方もみえます。 何組か、当店で、お預かりさせて頂いているのですが・・・ 」
そう言って保科は、持って来たカップとソーサーを、里美の前に、差し出して置いた。
・・・洒落たカップだ。
上部に、深いグリーンが配色してあり、金のラインが、それを縁取っている。 ソーサーにも、縁の部分に同じようなグリーンが配色してあり、金色で、月桂樹の葉のような模様が、そのグリーンの中を1周して描いてあった。
「 これは、私からのお礼です。 吉村さんのマイカップとして、これからご来店の度に、このカップとソーサーで、おもてなし致します 」
・・・何と、心憎いお礼であろうか。
里美は、目を丸くして喜んだ。
「 ほ・・ ホントですかっ・・・? こ・・ こんな、立派なものを・・・! 」
「 ただの、市販品ですよ。 お気に入って頂けたら、幸いなんですが・・・ 」
にこやかに笑って答える、保科。
市販品だろうと、何万円もするカップだって存在する。 陶器には関心の無い里美だが、目の前に置かれたカップは、それなりの品であることが想像出来た。
コーヒーは専門の、保科が選んだものなのだ。 そこいらのスーパーで売っているような、2流品では無いだろう。 しかも、ソーサーと対。 金色のラインは、ただのプリント印刷では無く、明らかに金のようである。
「 本当に・・ 良いのですか・・・? 」
「 もちろんです。 手に持って下さい。 指に馴染みますでしょう? 」
カップを手に取る、里美。
・・・軽い・・・!
いや、重さは普通なのだろう。 保科の言う通り、指に馴染んでいるからだ。
保科は続けた。
「 良いカップは、値段やデザインではありません。 しばらく持っていても、指に負担が掛からないものが最良です 」
それを追求すると、それなりの値段になるものである。 このカップは、やはり、それなりの品なのだろう。
チーンと、レジの鐘が鳴る。
「 あ、今、参ります。 有難うございます。 ・・吉村様、しばらくお待ち下さいね 」
店内にいた2組の客が、相次いで帰るらしく、レジの前に立っている。
保科は、席を立ち、レジへ向かった。
・・・はしたない行動だが、里美は、カップを裏返し、その底を見てみた。
淡いブルーで、少々、歪んだ『 × 』のマークが描いてある。
「 ・・・! 」
このマークは、素人の里美でも分かる。 ヨーロッパ アンティーク陶器の至宝、マイセンだ・・・!
( ・・こ・・ こんな、高価なものを・・・! )
最初に見た瞬間、洒落たカップだとは思ったが、まさかマイセンとは・・・!
作られた年代により、価格は様々だが・・・ 4~5万で、手に入れられるモノではない。
里美は、愕然とした。 また、こんな『 お宝 』と呼べるモノを、気軽に手にした事も無い。
保科は、『 市販品 』だと言っていた・・・ 確かに、流通しているものではあるが、意味合いが違う。 これはアンティークであって、量販店で、安価に手に入るモノではないのだ。
( どうして保科さんは、こんな高価なものを、あたしに・・・? )
レジの対応を済ませ、保科が、里美のテーブルに戻って来た。
「 しばらくは、誰も、お客様はみえないでしょう。 この時間は、いつもこうです 」
笑いながらそう言うと、里美の前のイスに腰を下ろす、保科。
里美は、じっとカップを見つめ、言った。
「 ・・本当に・・・ 私に使わせて頂けるのですか・・・? 」
笑いながら、保科は言った。
「 使って頂くも何も、吉村さんに差し上げます。 私は、お店で、それをお預かりするだけです 」
「 ・・・・・ 」
ますます、分からない。
いくら、気に入ったデザインをしてくれたからと言っても、『 マイセン 』である。 明らかに、デザイン料よりも高額だ。 それを献上する、とまで言っている保科の意図が分からない・・・
里美は、沈黙した。
「 お気に召しませんか・・・? 」
保科の問に、里美は、首を振りながら答える。
「 ・・・私には・・・ 高価過ぎます・・・ 」
保科は、里美が、カップの正体を知ったと判断したのだろうか。 小さなため息をつき、しばらく間を置いて言った。
「 そのカップは・・・ 亡くなった家内が、大切にしていたものです・・・」
「 ・・・! 」
保科は続ける。
「 ずっと・・・ この店の棚にあり・・・ いわば、マスコット的なカップになっていました。 誰にも、使って頂いた事はありません 」
「 そんな大切なものを・・・ どうして私に・・・? 」
「 吉村さんに、使って頂きたかったのです 」
「 ・・・・・ 」
保科は、ポケットからタバコを出すと、言った。
「 外のテラスに行きませんか? 私は、店内での喫煙は、しない事にしていますので・・・ 」
心地良い潮風に乗って、潮騒の音が聞こえる。 ここはいつも、別世界のようだ。
先日、来た時には無かったプランターが、脇に置いてある。 数株のパンジーが植えてあるようだ。 日本名、3色すみれ・・・ 白・紫・黄の花が可愛らしい。 季節的には、もう終わりのようだが、どこか生花店からでも、購入して来たのだろうか。
保科は、プランターの横にあったガーデンチェアーに腰を下ろすと、タバコに火を付けた。
ふう~っ、と煙を出し、遠くを見るような目をする。
その、もの想いな視線に、胸をキュンとさせる、里美。
( 何を見つめているのかしら・・・ どうして、そんなに魅力的なの・・・? )
亡くなった奥さんの話しも重要そうだが、保科の何気無い素振りと魅力に、改めて感じ入る里美。
「 こんな、立ち入ったお話しを、吉村さんにするのも、おかしな話しなのですが・・・ 」
備え付けの灰皿に、タバコの灰を落としながら、保科は前置きした。
「 先日、初めて吉村さんが、このお店に来て頂いた時・・・ このテラスに、出ていらっしゃいましたね・・・? 」
「 はい 」
保科は、里美に視線を向けると、続けた。
「 最初、このテラスで吉村さんを見つけた時・・・ 私は、家内が立っているのかと思いました 」
「 ・・・・・ 」
「 面影が似ている、と言う訳ではありません。 ただ、何となく・・・ いや、確かに・・・ 家内だと思ったのです 」
「 ・・・・・ 」
無言の里美。
保科は、視線を遥かな洋上に向けると、続けた。
「 亡くなった事実は、幻で・・・ 家内は、何事も無かったように、いつものテラスで本を読んでいる・・・ そんな気が致しました 」
「 保科さん・・・ 」
里美を見つめ、保科は言った。
「 吉村さんを、家内の幻影にダブらせてしまったのは、失礼致しました。 でも今は、家内の記憶に、吉村さんを重ねている訳ではありません。 1人の女性の方として・・ この店を訪ねて下さった、お客様として認知致しております 」
無言の、里美。
保科は再び、水平線に視線を向け、続けた。
「 ・・いつまでも、あのカップを棚に置き、追憶の象徴としていてはダメだと思っていました。 随分と前から、そうは思っていたのですがね・・・ カップを捨てるか、手放すか・・・ 踏ん切りがつかなくて・・・ 」
里美に視線を向ける、保科。 少し、笑みを見せ、言った。
「 そんな時、吉村さんがいらっしゃったのです。 あのカップを使って頂くのは、吉村さん以外に、いないのです・・・! 」
里美は、目頭が熱くなって来た。
保科が愛した、奥さんの遺品を使う・・・ 自分自身では、そんな『 大役 』に、対応出来る器ではない、と思った。 だが、保科は、自分を指名してくれたのだ。 単なる代役では無く、1人の女性として・・・ 大切なカップを使うに、相応しい者として・・・
「 保科さん・・・ 」
里美は、嬉しかった。
仕事の出来るキャリアウーマンとしての評価より、ヒトとしての、叙情的な見地を評価されたような気がしたのだ。
里美は答えた。
「 こんな私を、指名して下さって・・ 有難うございます・・・! 使わせて頂きます。 光栄です・・・! 」
保科は、里美の言葉を受け、安心したように微笑むと、タバコを灰皿で消しながら言った。
「 女性に・・・ 亡くなった女房の遺品を使ってくれなどと・・・ 考えたら、失礼極まりないお話しですよね・・・ 私の、エゴかもしれません。 でも、吉村さんには、あのカップを使って頂きたかった・・・ きっと、お似合いだと思います。 カップは、使ってこそ、意味があるものです。 眺めていたって、カップは、恥ずかしがるだけですからね 」
笑った保科に、里美もクスッと笑い、少し潤んだ瞳を擦りながら、里美は言った。
「 どんな風に、恥ずかしがるのかしら・・・? モジモジするんでしょうか? 」
「 ・・・それは、ちょっとブキミですね。 夜だったら、尚更、怖そうだ 」
保科と里美は、笑い合った。
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