やがて昇る半分の月、沈むは欠けた太陽

第1話

 宇宙さえ見渡せるような雲一つない夏空に、轟音と歓声が響き渡っている。

 三万人を収容できる県営のサッカースタジアムはすでに超満員であり、人々の目線は芝生の中央に釘付けになっていた。

 圧倒的な熱気の渦の中、最新のホログラムで映し出されるのは、まるで陸上選手かのようなセパレートの軍用強化装備に身を包んだ、一人の少女。決して大柄ではないその細い肢体を惜しげもなく披露しながら、けれど涼しい顔で駆け抜ける。

 場面が変わり、上空からの俯瞰映像になる。そこはあまたの高層ビルと無数の住宅が立ち並び、しかしところどころ外壁は崩れ、コンクリートの地面がひび割れた廃墟だ。そのコンクリートジャングルを下からとてつもない速さで移動する影が一つ。赤いリングでマークされたその影は、一直線に青いリングの下へ突き進んでいる。

 そして、衝突が起きた。再び地上からの映像に戻ると、先ほどの少女と大柄な黒人男性が拳を突き合わせていた。猫が飛び掛かるように空中で一打、二打と少女が殴りかかり、それらをすべてその体で男性が受け止める。衝突のたびにスタジアムは悲鳴にも似た絶叫に埋め尽くされた。

 ぼくは普段試合の実況に使われるスタンドの一番上の席で、ヘッドセットのマイクを握った。

「ヘパイストス、そこから南西に一キロ、骨組みだけのビルの中にライトマシンガンが二丁ある。それで終わりにしてやれ」

 すると、ホログラムの少女が口を動かした。同時によく通る声が苛立ちの色を帯びてぼくの耳を打つ。

『二丁だけえ? そんなんじゃこの筋肉バカの足止めにもなんないでしょ。全弾落とされるだけよ』

「だけどそれだけだ。『コキュートス』は今ガス欠に陥っている。自慢の全地氷結を使えるエネルギーを切らして、肉弾戦に移行する外なくなってるんだよ。今この瞬間にも君を凍らせずにじゃれてるのが何よりの証拠だ」

『作戦は』

「波状攻撃。マシンガンでヤツをその場にとどめておいて、銃弾を弾かせ続ける。その間に一気に近づいて、腰のマグナムでとどめをさせ」

『りょーかい。アタシをノらせた時点で詰みよ、「コキュートス」』

 最後は目の前の男性に言い放ったのだろう、通信は途切れた。

 事態が動いた。息をつかせぬ猛攻を繰り広げていた少女は突如として体操選手のようなバク転の連続で戦場を離れ、そのまま骨組みだけのビルへ走り出した。男性も追うものの、スピードでは歴然とした差がある。勢いそのままに二階へと跳躍した少女は、無造作に置かれたガンボックスから無骨な銃を引き抜き両手で二丁構えた。

 口元が動く。少女が駆けだす。ぼくの目には勝利しか見えなかった。

 少女は思いっきり二階から跳躍すると、地上で待ち構える男性に向かって引き金を二丁同時に引いた。一発でも当たれば人の肉などやすやすと引きちぎる武器を、彼女は惜しげもなくばらまいた。押し寄せる両肩を潰さんばかりの反動を受け、なお笑いながら。

 男性は最初こそ近くの巨大ながれきで銃弾を受け止めていたが、背後に回られると丸太のような両腕で胴体と頭を守るだけの木偶と化した。腕に、脚に、鉄の牙が突き刺さり血しぶきが上がる――

 彼女は笑う。動き回りながらもただの一度たりとも弾を外すことなく、二門同時の射撃に体を震わせても。それが己の本領だと言わんばかりに。

 彼女はおもむろにマシンガンを軽く放ると、思いっきり蹴り抜いた。男性の両腕に当たり部品が砕け散る。続けてもう一打。再び砕ける音がした。

 男性はゆっくりと腕を下ろすと、油断なくファイティングポーズをとろうとした、

「終わりだよ、コキュートス。アタシの錬鉄の炎が勝ったね」

 そう、男性の後頭部に四十五口径を突き付け、不敵な笑みを浮かべる少女の姿があった。

 男性はしばし動けない様子だったが、やがてあきらめたように両腕をあげて頭を垂れた。


『戦争終了ッ!! 南アメリカ軍所属「コキュートス」の降伏により、勝者はアメリカ陸軍第八十八機動連隊所属の個人軍隊、「ヘパイストス」に決定ッ!!この後の「講和条約」で賭け金の決定が決まるので、「コキュートス」にベットした方も賭け札は捨てないでッ!!』

 やっと終わった。ぼくはヘッドセットを外すと、大きく息を吐いた。背後の控えめな拍手を背中に受け、ぼくは手元のパソコンに今日の戦争の動向と結果を打ち込んでいく。

 勝者、『ヘパイストス』。

 笑いがこぼれてしまう。当然だ。彼女はアメリカ軍の数ある個人軍隊の一人にして、ぼくがバディを組んでいる相手なのだから。

 スタジアムに4WDが入ってくる。歓声と指笛、ヤジと怒号が渦を巻く空間の中でも少女は涼しい顔で手を振っていた。

 少女がぼくに気が付いた。まるで悪戯が成功した子供のようににかっと笑う彼女は、小さくともはっきり見え、とてもきれいだった。

 スタジアムは悲喜こもごも、その熱をいまだ残す。まるで一つの戦争が終わりを告げた時のように。


 これは、戦争が娯楽となった時代の物語。

 極限まで己を高めた者たちが、国の威信を背負って戦う遊戯。

 『国際親善戦争』が世界の潮流を作った世界。

 ぼくは、彼女とともにこの世界を生き抜いている。




 五十戦目の戦争動向と結果を表計算ソフトに打ち込むと、ぼくは大きく伸びをした。硬くなった体の節々が気持ちの良い痛みを発する。

 目の前には一世代古い型のパソコンモニター三枚。足元にはデスクトップのパソコン本体が鎮座している。豆電球しかつけていないせいでブルーライトが目に痛いが、ぼくの心はそんなことを気にしないほど達成感に満ちていた。

 今現在、世界中で行われている『国際親善戦争』。三十年前から行われているそのすべての戦争を、ついさっきやっと見終わったところなのだ。五年前からずっとちまちま見続けていたのだから、肩の荷が下りた気分だ。

 『国際親善戦争』は、ぼくが生まれた時にはすでにこの世界に普及していた。歴史の授業で習った限りでは、お互いの軍事力がどれだけのレベルになったのか、また互いの軍事技術やドクトリンを学び、安全保障の面に役立てる平和的軍事行動と言われていた。実際のところそれは間違っていないし、日本も戦争に参加している。平和維持の名目で。

 『国際親善戦争』に参加するのは、ただの兵士や兵器ではない。オンリー・フォース……日本語に訳すと『個人軍隊』や『単独連隊』と言われる一人の人間が主になる。それ以外は参加しないし、いたとしてもおまけ程度のものだ。

 ぼくは、五年前に初めて『国際親善戦争』を見た時、そのオンリー・フォースたちに心奪われた。人間の限界は果てしない、どこまででも進む事が出来るんだ――と、子供らしく、純粋に感動した。今でもそれは変わらないし、年を重ねるごとに思いは強くなっている気がする。

 中学生の時間のほとんどをオンリー・フォースの研究に費やした。世界の中で特に強力なアメリカ軍、欧州、中露、アフリカ連合、アラブ同盟……それらに所属するオンリー・フォースのスペックは全員空で言えるし、戦績や戦争動向も暗記している。ただ暗記するだけではなく、誰と誰をどのフィールドで戦わせればどう動くか、そしてその結果までを妄想することに明け暮れた。結果として、頭はよくなったし将棋やチェスといったボードゲームにめっぽう強くなったが、友達はいなくなった。

 しかし、それも今日で終わりだ。やるべきことはやったし、もう夏休みの間家に引きこもることもしなくていい。思う存分学校生活を満喫しようじゃないか。

「修也―? あんたいいかげんに降りてこないと遅刻するわよー!」

 ほら来た。それでは、いざゆかん我が高校へ――!


 気が付けば、ぼくは最寄駅から三駅離れたところにある県営の陸上競技場に来ていた。

「……あれ?」

 おかしい。

 いや全くおかしいわけはなく、ここまでの道のりは完全に思い出せた。そう、確か意気揚々と家を出て、駅に向かったところで張り紙を見つけたのだ。『本日、特別紛争開催! 公式戦ではないながらも新人オンリーフォース登場、ぜひご観覧あれ!』と。紛争とは『親善戦争』よりランクが落ちる小規模な戦争のことで、ミュージシャンの路上ライブに近いものだと考えればいい。大々的に宣伝が行われないため、一部では『親善戦争』より一見の価値がある、とさえ言われているのだ。

 それが、かなり近場で行われる。しかも新人……公式の戦争に出場したことがないか、会っても回数が少ないルーキーを一目見たいという欲求には逆らえなかった。今日の早朝まで『親善戦争』漬けなのが余計に拍車をかけていた。

 紛争は基本、入場料などは取られず賭けもない。来ていたのはこんな朝っぱらから暇をしているオヤジ数人ぐらいだった。

 そして、今。

 眼下で行われている紛争は、新鮮な興奮をぼくに呼び起させていた。

「……すげえな」

 戦場はスタンド以外、競技場内のすべて。陸上トラックや芝生のあちこちには黒い長方形のガンラックが無造作に置かれており、いくつかは既に開かれていた。散らばった銃器の種類を察するに、少なくとも両手で扱える程度の火器はすべてあるようだ。それ以外は特にギミックらしきものはなし。泥臭い戦争スタイルより、スポーツ性が重視されてるのか、とぼくは適当にあたりをつける。

 そして、中央の芝生。消えかかったセンターサークルのこれまたど真ん中で仁王立ちするのは、長い黒髪をポニーテールにした欧米風の小柄な少女。Tシャツに大きく描かれた特徴的な一つ目は、少女の姿を映像で呼び起こさせた。

(『サイクロプス』か。メキシコの二線級だったはずだけど、いつの間にか来日してたんだな)

 そして、彼女の視線の先にいたのも、これまた少女と呼べる背格好だった。『サイクロプス』よりは大人びていて、日本の高校生程度だろう。ほかに戦闘に参加している者はいないから、この少女が新人だ。

「ぜやあっ!!」

 気迫のこもった掛け声とともに、無名の少女が仕掛けた。両手に持っていたのはセミオート式のショットガン、それぞれ二丁ずつ。撃った後の反動が強く、女性どころか男の軍人でも扱いに苦労する型だ。

 それを、彼女は撃った。

 二丁同時に。

「……、」

 ダンダンダンダンダンッ!! と、やや不規則な爆音が木霊する。走りながらああも連続で撃てば肩が脱臼しても何らおかしくないのだが、無名の少女はスピードを全く落とさずに『サイクロプス』へ肉薄する。ぼくは目を細めてこの状況を見送った。

 一発でも当たれば肉体が引き裂かれ、地面に打ち倒されるはずのショットガンの銃弾は、しかし『サイクロプス』を殺すことは叶わなかった。彼女はまるで羽虫でも追い払うかのような動作でそのすべてを左右へ弾いていたのだ。当然、両腕に傷らしい傷はない。

 こうなることは分かっていた。『サイクロプス』の持ち味は様々あるが、この剛毅な肉体が第一の武器なのだ。何者も寄せ付けない圧倒的な硬さで、今まで何人ものオンリー・フォースを返り討ちにしてきた。しばらく公式『戦争』には出てこなかったが、その強さはいまだ健在らしい。

 むろん弱点もある。だが、それを知っているのはぼくだけではなく、あの無名の少女も同じだろう。なにせ対戦者だ、映像を読み込んだだけのぼくよりも情報は多いに違いない。

 にもかかわらず、『サイクロプス』に力比べを申し込んだ。これが実力者ならいざ知らず、あれではただの無謀だ。

 両者がゼロ距離でぶつかり合う。無名の少女は最後の弾を叩きつけようとしたが、その前に『サイクロプス』が銃口を掌でふたをしてしまった。傷をつけることは叶わず、かくて巨人は一歩も足を動かさず両腕を振るった。

 無名の少女の体が跳ねる。あっという間に元の場所に押し返され、再び立ち上がろうともがく。だが、膝が笑っていたせいでよろめき、また倒れてしまった。オヤジたちの容赦ない罵声が飛ぶ。

「さっさと立てー、姉ちゃん!」

「何のためにここに来たんだよ!」

「もう腰が砕けちまったか―!?」

 ところどころ下品な声が聞こえたが、ぼくもおおむねそれに賛成だった。『サイクロプス』と戦うのであればわざわざ日本にくる必要はないし、そもそも弱いのであれば訓練をしているべきだ。新人が先輩の胸を借りるときはたいてい先輩の所属する国で戦争を行うのが慣例であり、それを破ってまで紛争を開催する意義が、両者ともにあるとは思えなかった。

 ようやく起き上がった時、ぼくは無名の新人の顔をようやく目にできた。勝気そうな瞳に、細く小さい顔。スレンダーな体型を陸上選手のようなセパレートの強化装備に包む姿は本当にアスリートのようだ。

 今、彼女の白い肌は何度も地面に転がされたせいであちこち擦り剝けて血が出ており、装備だけが健在なのが逆に痛々しい。体が震えているのは決して痛みによるものだけではないだろう。

だが、目元からこぼす涙をぬぐいもしない姿が印象に残った。真正面から『サイクロプス』をねめつける。

彼女はまだ、この紛争を諦めてはいない。どころか、絶対に勝つつもりでいる。

 ゆっくりと少女がガンラックへ向かう。顔はまっすぐ『サイクロプス』を見据えているが、彼女の側も何か動きを起こすことはない。何があってもあの少女の攻撃を対処しきれるという自信の表れだろう。

 少女が取り出したのは、シャープな形をしたアサルトライフル。異様なのはその数で、両手に一丁ずつあるのはもちろん、背中に二丁、前に四丁肩からひもでかけてあった。

 都合二百四十発程度。それらを間髪入れず連続でたたき込むつもりだ。常人ならば銃器の交換などでまず不可能な芸当だが、彼女ならやりかねない。弾の威力でだめなら数でダメージを稼ぐつもりだろうが、そんな小細工が通用するほど甘い相手でもない。そして、それが分からないわけではないだろう。今の『サイクロプス』には、少女がどれほど攻撃を加えたところで意味はない。

 少女がライフルを握り直す。世界の中心で仁王立ちする『サイクロプス』は、無感情な瞳でじっとそれを見据えていた。

 そして、今まさに突撃が始まろうとして。

「おい、きみ!」

 若い男の声がした。それが自分の声だということにさらに数秒かかった。気づいていないうちにスタンドの一番下まで降りてきて、柵から身を乗り出していた。

 少女が振り向く。眼尻がつり上がった赤い瞳が疑問の色をもってぼくを視界にとらえた。

「そんなことしてもあれには勝てないよ。ただやられるだけだ」

 わずかな観衆からのブーイングがあったようだが、いまさらそれに反応はしていなかった。凡人そのものであるぼくが、人類の限界点であるオンリー・フォースに意見している。そんなことを成し遂げてしまったことで全身から汗を拭きだし、どんな顔をしているのかもわからないまま無名の少女をただ見つめる。

 少女はぼくの言葉を値踏みするかのように逡巡したが、やがて『サイクロプス』の方をちらりと見やった。彼女は構えどころか表情すら崩さない。それこそが明確な答えだった。

 少女は一息にスタンドの柵を飛び越えると、ぼくと人二人分の距離を開けたところに着地した。

「……やあ」

「御託はいい。それよりも、アタシに喧嘩を売るなんていい度胸してるね。その体をスポンジみたいにされる覚悟くらいはあるんでしょ?」

 低く響かせるようなその言葉は決して嘘やハッタリではない。少女は未だに六丁の兵器をぶら下げたままなのだ。その気になればぼくを肉塊にすることも十分可能だ。

 だから、ぼくも答える。

「そっちこそ。もし自分に自信があればわざわざこっちに上ってきたりなんてしないだろう。八方ふさがり、手詰まりだからこうして参考程度にでも意見がほしかったんじゃないのか」

「……へえ」

 口元が凶悪につり上がる。間近で見ればかわいらしい顔ではあるのだが、そのすべてに殺気と威圧が含まれていた。だが、ぼくの無謀な挑発に銃口を向けることはなかった。

「いいわ。そこまで言うんだったら、アンタの頭の中にはさぞかし素晴らしい作戦が詰まってるんでしょう。アタシにもそのお考えの一つを頂戴させてくださいな」

「……ああ。これが失敗したら、ぼくを殺しても構わない。だけど成功すれば百パーセント、君はこの紛争に勝てる」

 そしてぼくは、いまだに名前も知らない少女を勝たせるための作戦を誰にも聞かれないように伝えた。


 家からこっそり持ち出したノートパソコンをカバンから取り出すと、すぐさま電源をつけて表計算ソフトを立ち上げた。家では何千回としているこの行為を外でするのは初めてだった。

 すぐ下には無名の少女が小さくジャンプを繰り返してウオームアップをしている。両手には細身のアサルトライフルではなく、さらに巨大化させて、真ん中に円筒をくっつけたような歪なライフルを持っていた。さらに背中には金属の筒に取っ手をつけただけみたいな武器を背負い、腰にはポーチのようにして円盤状のものをつけていた。

 条件はそろった。ぼくはハンカチを頭より少し上に持ち上げた。揺れはほとんどない。

「始めてくれ」

 少女にだけ聞こえるようにして呟くと、彼女は一つうなずいてライフルを『サイクロプス』へ向けた。

 ポン、ポン、ポン、と引き金が引かれるとともに拍子抜けする軽い音が競技場に響く。打ち出された弾は緩やかな曲線を描いて中心へと落ちていく。

 爆風が花開いた。破壊とともに芝生ごと土煙を噴き上げるそれを、少女は躊躇することなく何度も打ち付けていく。爆発音とともにますます鈍色のカーテンは濃くなっていき、中心にいるであろう『サイクロプス』の姿は輪郭すら見えない。

 全弾撃ち尽くした後、少女は間髪入れず背中の筒に手を伸ばす。少し腰を落として慎重にカーテンの中心に狙いを定めると、迷わず引き金を引いた。バン!! と、円筒の後ろから蒸気のようにガスが噴き出すと同時に砲弾が飛び出す。

 小規模な火山の噴火かと見紛うほどの爆炎が芝生を覆いつくした。対戦車榴弾。その用途はまさしく戦車を破壊せしめるためのものであり、おおよそ人間相手に使ってはならない。

 だが、この程度で『サイクロプス』が倒れるとはだれも思っていない。だからこそ、いまだカーテンが残るうちに少女は円筒を放り捨てて走り出した。少女の姿はすぐにカーテンに覆い隠された。

「チェック」

 ぼくは小さくつぶやき、表計算ソフトに文字を打ち込んだ。


 突入した少女は、なりふり構わずまっすぐに『サイクロプス』を目指した。すでに芝生全体を覆っている土煙のせいでどこに何があるかすらもう判別できなくなっていたが、『サイクロプス』は間違いなく何も変わらずにセンターサークルのど真ん中にいるだろうと確信できていた。

 これこそが修也から――少女にとっては名前も知らないが――教えられた作戦だった。まずグレネードランチャーや対戦車榴弾を彼女の足元に向けてこれでもかと打ち込み、こちら側からすら奥を見通せないほど濃い煙をまき散らす。その次に少女が煙の奥から奇襲し、一気に『サイクロプス』を押し切るというものだ。古典的ではあるものの、バカみたいに特攻するよりはずっとましだ、というのが少年の言葉だ。

 少女もそれが分かっていた。向こう見ずな自爆よりはこちらの方が数段作戦としては優れている。普通の敵であればまず地上からの爆撃で仕留められるだろうし、そうでなくとも第二段階の奇襲攻撃で掃討できる。

 だからこそ――『サイクロプス』がこれでも倒れないであろうことが想像できてしまうのが恐ろしい。あのメキシコの巨人が、たかが鉛玉、たかが爆弾、たかが徒手空拳で地に組み伏せられることはアリが象を引き倒すことより難しいとさえ感じられる。

 右もものホルスターから拳銃をすばやく抜き取る。護身用に弾が二発しか入っていないものだ。これを使うときは他に火器がない場合か、そうでなければ自殺用と決まっている。じっとりと濡れた手のひらを自覚し、駆ける。

 目の前にうっすらと輪郭が見えた。体勢を目いっぱい低くすると、巨人の腰に飛び込むようにして一気に近づいた。その姿をはっきりと認識すると同時に、拳銃を握る右手をあごに向けて振り上げる。

 横合いから延びた手が少女の右手首を掴み、動きを止めにかかる。しばしの間力が拮抗するも、『サイクロプス』は細腕に似合わぬ膂力でついに少女の拳を己に届かせない。少女が今度は逆袈裟懸けに左足を振り抜くも、今度は右手を抑えるのとは別の手で押しとどめられる。右足で巨人の体を並行に蹴りだして距離をとり、再び煙を隠れ蓑にして失踪した。

 突き、払い、殴り、叩く。そのすべてを『サイクロプス』は完全に耐え抜いた。まるで己の堅牢さを誇示するかのように。右拳を胸元に叩きつけても表情が変わることはなかった。ただ体をひねるだけでそれをいなす。少女が再び『サイクロプス』の顎を吹き飛ばさんとした左拳は虚しく受け止められる。

「……、」

 その時、『サイクロプス』が明確に動いた。ゆったりとした動きで右腕を真上に持ち上げると、少女に向けて思い切り振り下ろしたのだ。

 まるで神の槌、巨人が地上に向けて叩きつける棍棒。その破壊力はこれまで少女が繰り出してきた攻撃と比較にならなかった。

 ゴッッッ!! と、少女の体が半分芝生に埋まった。それから数瞬遅れて二人を中心に猛烈な風が風圧として吹きすさび、鈍色のカーテンを霧のように吹き飛ばしてしまった。少女の下の地面は、薄く貼った氷の上に石を落としたように亀裂が入っている。

 戦況は、覆らなかった。

 爆撃じみたことをしてお膳立てをし、奇襲をしてお得意の拘束の徒手空拳で巨人を叩き伏せる計画は、完膚なきまでに粉砕された。うつ伏せに倒れる少女は体のどこにも力が入らない様子でぴくぴくと指が痙攣するのみ。

 『サイクロプス』は、冷たい瞳のまま少女を見下ろして、

「……どうも理解できない。お前の計画は完全に破綻した。もはや奇襲も爆撃も無意味と成り、今ここに踏みつぶされる虫も同然。わたしはまた無価値な勝利を積み上げ、無意志に次の戦場へ赴く。にもかかわらず」

 ほんのわずかに目を細めた。

「……なぜお前はわたしと組み合うときから笑っていた?」

「――ハッ。これが笑わずにいられるかっての」

 少女は腕をゆっくりと地面につけ、力を加えようと足掻く。『サイクロプス』は何もしなかった。

「ここまですべてあいつの言ったとおりになった。全部作戦通りだし、これからもその通りに動く。あとはアタシが少し意地見せればアンタを倒せる。それしか要求されないなんて、どんだけ楽な戦いなんでしょうね?」

「……何を言っている。すでにお前の敗北は決定した。どう手を尽くそうと、お前ではわたしに勝てん」

「ええ、確かにアタシじゃアンタにはかないっこない。だけど憶えておきなさい、アタシ以外でアンタに勝った奴はいくらでもいんのよ」

 ねえ、と少女は『サイクロプス』の足にすがるようにしていった。少女が巨人を見上げる。

「どんな人間でも、空中では無防備なのって知ってる?」

「……ッ!?」

 驚愕の表情とともに『サイクロプス』が足を振り回すと、名もなき少女は無様に吹き飛ばされた。

 その口元に獰猛な笑みを浮かべて。


 吹き飛ばされてきた少女の腰を確認する。すでに円盤はない。ちゃんと仕事を果たしてくれたようだ、とぼくは小さく安堵した。同時に『サイクロプス』が中心からその場を移動しようとしているのが見えた。

「もう地面には帰らせないぞ、『サイクロプス』」

 ぼくは傍らに置いたボタンのスイッチを力いっぱい押し込んだ。

 瞬間。

 巨人の体が、真上に吹き飛ばされた。

 ――戦車を吹き飛ばす時に、対戦車地雷というものが使われることがある。

 これはもともと戦車の履帯や装甲が薄い車体底部を破壊するために用いられるが、基本的に爆薬の量は対人地雷より多い。普通の地雷に使えばまず踏んだ人間は木っ端みじんになる。

 では問題。そんな爆弾の爆風の向きを『垂直に』調整すれば、またそんなものを圧倒的な防御力を持つオンリー・フォースに使えばどうなるか。

 答えが、今の光景だ。

(『サイクロプス』が硬いのは、あくまでもオプションだ。彼女の強さはむしろ、どんな攻撃でも自分に痛みを感じることなく受け流す事が出来る防御向きの体術にこそある)

 オンリー・フォースはみな、一つは特殊な能力を持っている。それは限界を追及する上で発現した才能に近く、各国軍でも最重要機密に指定されているため全貌を知ることは容易ではない。だが、その能力は汎用性の高さから、戦術や戦略に影響を及ぼすことが多いのだ。

 『サイクロプス』は、あらゆる外傷を受けない。機銃掃射にさらされようと、絨毯爆撃に合おうと、核の爆発にその身を焼かれようと、一瞬で体が蒸発しない限りは一切傷を負わずに生還する。――『痛み』を考慮しなければ。

「彼女は痛みを感じないように、あえて攻撃を受け流していたんだ。本来なら銃弾なんてどれだけ受けても平気なのに! 地面に足をつけてその場を動こうとしなかったのも足をアース代わりにして衝撃を受け流すのと、『どこに地雷があって足を浮かされるかわからないのが怖い』からだ! だが今は違う、『サイクロプス』はどこにも足をつけて戦えない! 『痛み』を一身に受けるしかないんだ!」

「攻撃は通らなくても、『衝撃』は通るってことか!」

 そう言って少女が構えたのは、捨てたはずのアサルトライフル。いまだ滞空する巨人にその引き金を引く。

 ダダダン! ダダン! ダダダダダダッ!! と銃弾は一つとして外れることなく『サイクロプス』に突き刺さった。破壊をもたらす鉄の雨が、巨人の体を容赦なく食いつぶす。身もだえて頭と顔を守ることしか、『サイクロプス』にはできなかった。

 そして、弾丸がすべて銃口から吐き出されたのとほぼ同時に『サイクロプス』は地に落ちた。健康的な白い肌は一切の傷がなかったが、身に着けている服はずたずたに引き裂かれ、見る影もない。トレードマークの一つ目Tシャツには無数の穴が開いていた。

 一人のオンリー・フォースは、胎児のように体を丸めて、両手で頭を抱え、小さく小刻みに震えながらか細い声で言った。

「お願い……もう、わたしをいじめないで……もう、これいじょういたくしないで…………」

 その声は不思議なことに、競技場のすべての人間に届いた。


 幕引きは、何とも後味悪いものとなってしまった。

 競技場を出たぼくは、たまっていた悪いものをすべて吐き出すかのような溜息をした。

「『サイクロプス』の年齢は公式発表で十二歳……たとえオンリー・フォースといえども痛みや悪意には耐えられなかったってことか」

 むしろオンリー・フォースだからかもしれない。オンリー・フォースはただの軍人よりも、国内でスカウトされた才覚溢れる一般人の方が総数としてはむしろ多い。軍人であれば過酷な訓練や演習、あるいは実際の戦争などで痛みには慣れているかも知れなかったのだ。

 ギリシア神話において、悪意によって種族を滅ぼされたという逸話すら持つ悲しき巨人。

 そんな名を抱えた彼女は、今までどんな痛みにさらされてきたのだろう――?

「ねえ、アンタ」

 と、その時。後ろからどこかで聞いた声が聞こえた。

「ねえ、聞いてんの?」

「……何の用ですか。紛争が終わった以上、もう君に関わることはないと思いますが」

「つれないね。アタシを助けてくれたんだから、お礼の一つぐらいしたっていいじゃない」

 振り向くと、確かにそこには僕が作戦を教えて紛争の勝利を手にした少女が立っていた。黒く丈が長いベンチコートは前が空いていて、強化装備が見えていた。ろくに着替えもしなかったのだ。

 少女はぼくの近くまで歩み寄ると、その細い手を差し出した。

「今日はありがとう。あんたがいなかったら、アタシはずっと早く負けてた」

「……ああ。こちらこそ」

「何よ。その『ありがとうなんて言うような質じゃないと思ってたのに』みたいな顔は。アタシだって人間なんだから、世話になった相手に感謝するっての」

「え、あ、うん。こちらこそ、ありがとう。久しぶりにオンリー・フォース同士の戦いを見られて、しかもそれに自分が関われたこと、光栄に思う」

 少女は目を丸くして顔を近づけてきた。汗のにおいに交じってわずかにいい香りがした。

「えっ!? アンタ、『戦争』だとか紛争を見たのが久しぶりだって言った!? あんなになれた指示しておいて!?」

「い、一応パソコンとかで過去の『戦争』は見ていたんだけど。でも時間がないしこの辺りには『戦争』を行えるような敷地もないしで、なかなか生で見るのは」

「ワーオ……ファンタスティック。ってことはあんたオタク系だってことね。いやそう言われれば確かにそう見えるわ。なるほどねえ」

「オタクじゃ悪いっていうのか」

 大げさに感心したような口ぶりの少女に対し、ぼくは少し挑戦的な口調になった。少女は笑って手を自分の顔の前で振って、

「そんなことないよ。むしろオタクは好き。一つのことに打ち込める人間はそう多くないし、それを仕事にできる人間はもっと少ないからね。軍なんてオタクの集まりみたいなもんよ、特にオンリー・フォースのチームは」

 アンタみたいに度胸のあるやつばかりじゃないけど、と少女はけらけらと笑いながら付け足した。

 こうして話していると、先ほどまで銃器を振り回し怪我さえいとわずに戦いを続けた少女と同一人物とは全く思えない。まるで同じ教室で何気ない会話をしているような気楽さで、オンリー・フォースであることを忘れてしまうほどだ。

 少女は「そういえばさ」とぼくに向き直った。

「ずっと気になってたんだけど、どうしてアタシを助けてくれたの? あの紛争を少しでも見ればアタシが負けるのは分かっていたはず。良心的な奴なら引き返すか、そうでないなら傍観するかヤジるよ。それこそあの汚いおっさんたちみたいに。でもアンタはそうじゃなかった。それはどうして?」

「それは……」

 言葉に詰まる。その理由はあまりに失礼といえるもので、口にするのもはばかられた。だが少女はぼくの肩を軽く叩いて笑った。

「気にしなくていいよ。アンタの軽口はあの時聞いてるから、いまさら何聞いたって怒りゃしない。むしろ下手にお世辞言われた方が傷つく」

「……一番の理由は、君しかあの場で勝つ存在がいなかったからだ」

 隠し事はできない。そう感じとったぼくは、やや早口になりながら告げた。

「あのとき『サイクロプス』は、中心から一歩も動こうとしなかった。でもあれは、本来の彼女の戦い方からしておかしいんだ。『サイクロプス』の戦い方はヒットアンドアウェイ、つまり一撃の破壊を何度も何度も積み重ねて勝つ手法だ。一度君に対して使っただろう腕の振り下ろし、あれを主体に防御と回避を行うのが基本的な戦闘スタイルなんだよ」

「じゃあアイツは手加減していたってこと?」

「そうじゃない。彼女はその戦闘スタイルがあまりに地味だっていう理由で、メキシコ軍の一線を下ろされたんだ。北米は『戦争』の大衆化が最も進んだ地域だから、いわゆる『アイドル』に向いていなかったんだろうな。だから『サイクロプス』は自分の在り方に疑問を持っていて、戦い方を模索していた途中だったんじゃないか。非公式に来日していたのもそれが理由かも」

「アタシたちがアイツに紛争の話を持ち掛けたときも、ずっと浮かない顔だった。そのときはどこか具合でも悪いのかと思ってたけど、そうか、それで」

「『サイクロプス』は明らかに精彩を欠いていたよ。少なくとも、映像に残っている『北米の小さき巨人』といわれたころの彼女じゃない。間違いなく、彼女は君を勝たせようとしていた。その気になれば君は何百回と負けていただろうしね。

 ……でもそれは、『サイクロプス』が手加減をしていた理由にはならない。彼女は持てる全力を使って君の道を作ろうとしていた。自分の技をすべて出して、伝えられるものを実戦で伝え、そのうえで勝たせるように仕組んでいたと思うよ」

 そういう意味では、『サイクロプス』もこの名もなき少女も不遇だったと言わざるを得ない。あまりに戦闘スタイルも、経験も知識も何もかもがかみ合っていなかったのだから。もしあの場にぼくがいなかったら、またぼくが少女に声をかけなかったら、と思うとぞっとしない。

「……そうだったの」

 少女は寂しそうに微笑むと、後ろの競技場を振り返った。あそこのどこかに、小さな巨人はまだいるのだろうか。

「これで君の名前はこの世界に少しは知られるだろう。巨人を打ち倒したものはいるとはいえ、その数は少ない。『戦争』にだって」

「――でも、そこにアンタはいないんだよね」

 息がつまる思いだった。心臓が不規則に脈動する。

「アンタがいない場所で、アタシは勝てるのかな。『サイクロプス』が必死にお膳立てしてくれてもこの体たらくじゃ、本番だとどうせすぐ負けるにきまってるよ」

「そんな、こと」

「……なんて、冗談だよ、冗談! このアタシがそうそう簡単に負けるわけないじゃん、これだから日本人ってのは悲観的でイケナイねえ!」

 一転、軽すぎるノリで背中をバシバシたたかれる。ちなみに背後に回られたときその影を目で追うことはできなかった。

「は、はは……」

「でも、そうだ。せっかくだし、これ渡しとくよ」

 少女はぼくのポロシャツにマーカーで何事かを書きつけていく。きれいな筆記体で描かれたそれは、どこかの住所のようだった。

「これは?」

「暇なとき来たらいいよ。何か聞かれたら招待を受けたって言ってこれを見せればいい。なにもされないだろうからさ」

 少女はステップしてぼくと距離をとると、崩した敬礼をとった。

「アメリカ太平洋軍所属、アンジェラ=メタルバイト少尉。オンリー・フォース名、『ヘパイストス』。この度のあなたの武勲、全アメリカ軍を代表して感謝を。そして、これからもよろしくね。アンタ……えーと……」

「あ、細波修也です」

「そう、シューヤ! よろしくね、シューヤ!」

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