13.足音

 けたたましい悲鳴が響き渡り、耳鳴りのするような静寂が下りてきた。


「今のは……? 」


 雨の音すら掻き消す静けさに、田中さんのかすれた声が響く。


「あっちの方から聞こえてきましたね……。」


 指差した先は体育館の奥。田中さんが歩き出そうとしていた、渡り廊下のある方向だ。


「だよね。そして多分富美子さんの声だった。」


「何かあったんでしょうか……? 」


「由紀ちゃん、俺行くよ。嫌な感じがする。」


「大丈夫ですか? 私も……」


「いや、由紀ちゃんは野間さんといた方がいい。俺たちが向こうにいる事を伝えて。後で落ち合おう。」


「分かりました。」


 田中さんの背中が体育館の暗がりに消えると、つま先から心臓に向かって、ツーンとした重苦しい何かが上がってくるような嫌な心地がした。忘れかけていた恐怖がまた目を覚まそうとしているかのようで。


 今の悲鳴は一体何だったんだろう。富美子さんに何があったんだろう。まさか富美子さんもあの顔に出会ったんだろうか。私が見た、あの青白い顔に。それとも何か別に……? 


 頭を振る。ここで考えていても分からない。とりあえず私は野間さんと合流しなければ。1人より2人。2人より4人だ。野間さんと合流して田中さん、富美子さんとも合流できれば今よりも状況はずっと良くなるはず。


 私は野間さんが行った方向に歩き出した。


***


 軋む両開きの扉を開けると、そこは野間さんが言っていた通りの薄明るい空間だった。


 扉のすぐ近く、向かって右側に男子トイレ、女子トイレが並び、左側には「交流室」と札のかかった部屋がある。その向こう側はガラス張りのホールで、玄関の自動ドアの向かい、静養室の先にある左側の窓は中庭と思しき場所に面していた。


 ホールには錆びたマガジンラックや本棚に下駄箱、応接セットなどがあり、野間さんが鍵を見つけたという植え木は中庭を見渡す窓際にぽつんと置かれていた。


 ガラス張りだからか、さっきの体育館よりも雨の音が近くで聞こえる。ザーザー、シトシトいう水音は絶え間なく、まるで泣いているように響く。

泣いている? 何が? 

 

 扉をそっと占めた私は、足音を立てないようにゆっくりと踏み出した。何故だろう。なるべく自分の存在を消さなければ、と思った。何故だかは分からない。


――野間さんはどこにいるんだろう?


 さっき手分けして探索しようと話した時、野間さんは確かにこちらに向かったはずだ。なのに、人の気配がまるでしない。どこかの部屋に入ったんだろうか。


 初見の場所は何が隠れているか分からない。富美子さんのことも心配だが、野間さんを探しがてらこっちも少し探索しておいた方が良さそうだ。


 私は再び脳内にゲーム画面を起動して、あたりを虱潰しにクリックしてみることにした。


【交流室】“鍵がかかっている。”



【男子トイレ】“中にブルーシートがかかった大型の何かが置かれていて入れない。”



【女子トイレ】“扉が酷く汚れている。”

 扉板には赤黒い何かがぶちまけられたように付着していて、雫がポタポタと糸を引きながら垂れている。とてもじゃないが素手では触りたくない。



【自動ドア】“鍵が閉まっていて開かない。”

 玄関の外はアスファルトで舗装された駐車場になっているようだが、それ以外は霧がかかっていて見えない。自動ドアを出てすぐのところは玄関ポーチになっているらしく、屋根から滝のように雨水が落ちてきている。自動ドアのすぐ横は小窓のついた壁になっているが、シャッターが下りていて中は見えない。



【マガジンラック】“黄ばんで折れ曲がった冊子が差し込まれている。”

 冊子には「養老院エナガの里」と記されており、中には施設の概要や間取り図などが事細かに載っていた。ところどころ字が滲んで読めないところもあるが、どうやらここ養老院エナガの里は社会福祉法人「  」会が運営していて、理事長は「野 昭 」という人らしい。肝心なところがさっぱり分からない。間取り図に至っては文字が完全に湿気で読めなくなっている。かろうじてこの施設が6つの棟に分かれていることは見て取れたが、どこに何の部屋があるのかはこれを見ても分からないだろう。



【本棚】“児童文学や小説、雑誌など、本が雑多に並べられている。”

 どれも古いことには変わりないが、比較的きれいなものと経年の痛みが目立つものが混ざり合っている。どこかから寄贈された本なのかもしれない。



【応接セット】“ローテーブルと低めのソファだ。ローテーブルの隣に植木が置いてある。”

 中庭に面した窓際に置かれた応接セットは大分古びており、布張りのソファはじっとり黒ずんでいる。座ったらよく分からない液体がしみ出してきそうだ。



【下駄箱】“ゴム長靴と重そうな靴が一足ずつ入っている。”

 埃をかぶっているが、そこまで劣化してはいないらしい。まだ十分使えそうだ。



 玄関ホールを突っ切った先にはドアがあり、『事務所』と書いたプレートがかかっている。恐らく野間さんが開けたんだろう、その外開きのドアは開け放してあった。


「野間さん……? 中にいるんですか? 」


 呼び掛けてみるが反応はない。室内はしんとしていて、壊れかけたブラインドの隙間から差す細い光が辛うじて中の様子を伝えている。板張りの床の上には事務机、背の高い書類棚、腰ほどの高さの棚があった。


 忍び足を中に踏み入れた私は、湿った手で懐中電灯のスイッチを入れ、あたりを照らしてみる。


 なかなか広い部屋だ。入口付近から事務机が向かい合わせで6つ並んでいて、一番奥にはひときわ大きな机が鎮座している。きっと施設長が使っていたんだろう。


 それぞれの机の上はきれいに片づけられており、何も残っていない。壁際の背の高い書類棚、窓際の腰ほどの高さの棚にはさっき医務室で見たような緑色のバインダーが数冊立てかけてあるだけだった。


 ドアを入ってすぐ左手は小窓になっていて、シャッターで閉ざされている。これはさっき玄関ホールから見えた小窓だな。小窓の下にはレターケースが置かれていて、その横に鍵付きのキーボックスが据え付けてある。ドア右手の壁には色んな書類がベタベタと貼り付けてあった。


 ――調べられそうなところがたくさんあるな。


 脱出ゲームはとにかく調べることが重要だ。明らかに怪しい部分はもちろん、意地悪な製作者はまさかそんなところにと思うようなところまでヒントを隠していることがある。もっとも、このゲームに製作者がいるのかどうかは怪しいものだが。


 ――とりあえずまた手当たり次第クリックしてみようか。


 そう思ってまたゲーム画面を起動したその時、廊下からカツン、カツン、と足音が聞こえてきた。


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