11.物色
「わー、ボロボロですね。」
さっきの部屋を出た私たちは、ドアの外側の空間を前に立ちすくんだ。
「古い施設みてぇだな。」
私たちが今出てきたドアの右側には、大きなアルミラックが壁を背にして2つ。左側には腰の高さほどのファイル用台車が1台。真ん中には事務机が4つ向かい合わせに設置されていた。引き出しつきのカウンターの上にはデスクトップパソコンが1台、下にはカラーボックスと段ボール箱が置かれている。
さっきの部屋と同じく、床は腐って黒ずんでおり、今度はキャスターのついた事務椅子がそこらじゅうに置かれている。
「何ですかここは。」
「見でみろ。」
野間さんはカウンターを指差した。暗くてよく見えなかったが、目を凝らすとそこには『寮母センター』と書かれた小さな立て看板があった。
「寮母センター? 寮母って、寮でお世話するあの寮母ですか?」
「そっちでねぇよ。寮母っていうのは介護職員の昔の呼び方さ。俺が現役で働いでだ頃はそう
「そうなんですか。知りませんでした。じゃあここは老人ホームなんでしょうか。さっきいた部屋も病院にしては殺風景だったし。なんとなくうずら荘の医務室に似てる気がするなぁと思ってたんですよね。」
「俺もそうでないかと思う。」
やっぱりそうか。私は心の中で独りごちる。老人ホームが舞台なら、このゲームの結末はどういうものになるんだろう。私は何を目指して動けばいい?
腕組みをしながら考えていると、あ、そういえば、と野間さんはズボンのポケットから何かを取り出した。
「さっきの部屋さ来た
それは懐中電灯だった。
「電池切れなんだかさっぱり使えねぇんだけっどな。見たところどっこも壊れてねぇようだし、電池入れれば点ぐがもしんねぇと思って持ってたんだ。由紀ちゃんさやるよ。」
「もらっちゃっていいんですか?」
「いいよ。俺が持っててもしゃーねーがらよ。何かに使え。」
野間さんは私の手に半ば強引に懐中電灯を押し付ける。
「ありがとうございます。」
“懐中電灯を手に入れた!”
懐中電灯を受け取った私の脳内に、以前ネットでプレイしたことのある脱出ゲームのアイテムゲット画面が再生された。ちょっと楽しい。
「ところで、野間さんは最初別の部屋にいたって言ってましたよね?」
「ああ。あっちに戸ぉあるんだけっど、その向こう側が廊下と玄関ホールみたいになってるんだよ。そこのずーっと奥にある部屋で目ぇ覚めたんだ。」
野間さんは寮母センターのさらに奥側を指していった。体育館と寮母センターを区切るカウンターの奥には、確かに両開きのガラス戸があった。ちょうど暗闇になっているので、言われるまで気が付かなかった。
「そうなんですね。私がいた部屋の鍵はどこにあったんです?」
「玄関ホールに小汚すねぇ植木鉢があってさ。枯れた木の枝っこに引っかがってだよ。」
なるほど。脱出ゲームにおいて、植木はアイテムを隠す定番の場所だ。野間さん、脱出ゲームなんてやらなそうなのによく気が付いたものだ。
「玄関ホールはほとんど窓みたいなもんでよ。ちょっと明るいんだ。ふっと見たらキラッと光ってたんだよ。」
私が不思議そうにしているのを見て野間さんはそう付け加えた。そうか、玄関の方はここよりも光が入るのか。
「他の部屋の鍵もどこかにあるんですかね。」
「そうかもな」
しばし考える。棟が分かれているということは、きっとそれなりに大きい施設だ。どこから探索するべきだろうか。再び考え込む私を見かねて野間さんが声をかけて来る。
「なあ、由紀ちゃん。1回二手に分かれねえが? 2人して同じとこ家探しするより効率的だど思うんども、どうだべ? 」
「うぇ、そうですが……。」
思わず情けない声が漏れた。野間さんと再開したことでなんとなく無敵なような気がしていたが、二手に分かれるということは一人でこの薄暗い施設を探索しなければならない。さっきから謎に襲ってくる謎の存在がまた現れたらどうしよう。一人で太刀打ち出来るだろうか。
「怖ぇか?」
「怖いですよ。野間さんは怖くないんですか?」
「俺は別に。なに。何かあったらでっけぇ声で呼べばいい。そんなに遠くには行がねぇからさ。」
弱音を吐く私をなだめるように、野間さんは笑って言った。
そうだ。何も完全に一人になる訳じゃない。声を上げれば野間さんが助けに来てくれるのだ。さっきまでと状況はまるで違う。怖いのには変わりないが。
「……分かりました。」
しぶしぶ了承する私に野間さんは親指を立てた。
「俺ぁもう一回あっちの棟を見てくる。由紀ちゃんはこっち側頼むぞ。」
「はい。……分かりました。」
事務椅子の隙間をひょいひょいと通り抜けていく野間さんの背中を見送ると、急に周りの温度が下がったような気がした。外からはシトシトと雨の音しか聞こえない。じめじめと冷たい暗闇に、一人きり。不安が急速に膨張してくる。
――大丈夫、そもそもこれは夢だ。私の、大好きな、脱出ゲーム。
ゲームはクリアすれば終わり。今は探索だ。
とりあえず今いる場所を歩き回ってみよう。私は恐怖を紛らわせるために、頭の中にゲーム画面を立ち上げて画面越しに辺りを見渡した。気になるところを手当たり次第クリックして調べてみる。
【散らかった事務椅子】”見た感じでは何もない。”
念のため背もたれや腰を下ろす部分に触ってみると、背もたれに固い手触りを感じるものがあった。中に何かあるのかもしれない。
【アルミラック】”何もない。”
【ファイル用台車】”赤いバインダーが1冊立てかけてある。”
バインダーには、紙の束が挟んであった。書類にはみみずのうねったような字で何か書いてあり、細かく書き込みのされた人体図が載っている。多分これは入所者のカルテだろう。右上に【複写】【持出禁止】の判が押されているので、病院から施設へ情報提供のために下ろされたものと思われる。字が乱雑な上、インクが滲みてカビまで生えており、内容は読めそうにない。
【事務机】”机上には何もない。引き出しが複数ある。”
引き出しはほとんどが空だったが、一つだけ開かない所があった。揺すってみると、中でカサリと何かが動く音がする。鍵が必要なのかもしれない。
【カウンターのパソコン】”昔懐かしいデスクトップだ。画面は点いていない。”
ブラウン管画面の下にある本体の電源ボタンを押してみるが、画面が点灯することはなかった。見ると、電源コードがそもそもついていないようなので、点かないのも当然だ。コードを付けたところでこの施設に電気が通っているとは思えないが……。
【カラーボックス】”段ボール箱が押し込められている。”
【段ボール箱】”物でパンパンだ。”
箱の中には折り紙や紙テープ、セロハンテープ、その他工作に使うような道具がたくさん入っている。見かけの割に軽く、持ち上げるにもさほど労はない。底の方に入っていた大きな裁ちばさみが色々使えそうなので持っていくことにした。
“裁ちばさみを手に入れた! ”
この裁ちばさみを使えば、事務椅子に入っている何かを取り出せるかもしれない。夢とはいえ、物を壊すのには抵抗があるが、ゲームをクリアするためにはやむを得ない。
裁ちばさみを開いてみると、何か、粉のようなものがパラパラと落ちる音がした。相当劣化しているようだ。椅子の背もたれを切ろうとするが、カシメが馬鹿になっているのかなかなか思うように動かすことが出来ない。
“単三電池2本を手に入れた! ”
こんなに早くアイテムが見つけられるなんて運がいい。電池とくれば使い道は一つだ。
私はさっき野間さんからもらった懐中電灯に電池を入れた。スイッチを入れると、一筋の光が放たれる。腐って黒い床、散乱する水色の事務椅子、表面が白く濁ったアルミラック。細い光に照らされ、モノクロだったそれらに色がついたことで、少しだけ自分の知っている世界に戻ってきたような安堵を覚える。
さっき調べた物を順繰りに照らしていき、電池が入っていた事務椅子に光を当てた。
瞬間、短い声と共に心臓が跳ねる。
はさみで切り裂いた背もたれから綿が飛び出していて、中で何かが蠢いていた。
これは、虫だ。
おびただしい量の小さな芋虫が、天井を求めるように上体をうねらせているのだ。それだけでも鳥肌が立つほどだが、それよりも恐ろしかったのは、座面に置いたままになっていたはさみだった。
刃渡り30センチ程の裁ちばさみの刃には赤錆が浮き、更にその上に黒い染みが広がっていたのである。噛み合わせはボロボロで、所々に半身をすり潰された芋虫の残骸が付着していた。己が体液で刃を汚しながら、残骸が断末魔の痙攣を繰り返すのを見て、胃の中身がせり上がってくる。
手が震え、懐中電灯が床に落ちた。光の先に浮かんだのは、カウンターの下に押し込められた段ボール箱だ。パンパンに膨らんだ箱の表面は、赤茶の絵の具を塗りたくったように汚れていて、カビが繁殖している。
さっき、素手でこのはさみを触った、箱を持ち上げた。こめかみを冷や汗がつたい、チリチリと身体中を虫が這っているような感覚までしてきた。
私は両手を服に激しくこすり付け、大きくかぶりを振る。
――これは現実じゃない。これは夢。これはゲームの演出。
全部が嘘のものだ。大丈夫。
形だけでも気持ちを落ち着けないと、それこそ発狂してしまいそうだ。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせながら、私は震える手で懐中電灯を広い、はさみのある椅子を照らさないようにして周りを見た。これ以上手がかりになりそうな物はもうなさそうだ。
ひとしきり周りを見たところで、そういえばさっきまでいた医務室らしき部屋をよく見ていなかったと思い出した。体育館の方を探索してみるのもいいが、何もない空間に身一つで出ていくのは怖い。まずは手近なところから調べてみよう。
医務室らしき部屋はドアノブがついておらず、外側からしか開けられなかった。いくら野間さんがいるとはいえ、また閉じ込められるのは嫌だ。私は開いたドアの前に段ボール箱を置いて扉を固定してみた。いい感じだ。
部屋の中は、最初に見たのと同じように暗く湿っていた。机や棚の配置は何も変わっていない。ひとつ違うのは、床にバインダーや
札の山を照らしてみる。相変わらずその表面は腐食とカビで真っ黒だ。これでは手掛かりにはならないか――。
諦めかけたところで、ふと灰色の事務机に目をやる。デスクマットの上にあの写真が置き去りになっていた。若かりし頃の母と富美子さん、焼け焦げた顔の老人が写った写真だ。写真には【H3.9.25 橋田留蔵 傘寿のお祝い】の付箋が貼られている。
そういえば、そういえば、さっき木札の中に辛うじて読めるものがあったな。
一つの可能性を思いついた私は、床に散らばった木札をひとつひとつ確認した。
「あった。これこれ。」
探していたのは『 田留 』と書かれた札だ。手がかりの少ない室内に唯一記された名前。もしも私がこのゲームの製作者だったら、どこかにこの名前つながりのヒントを仕込むだろう。そう踏んだのだ。
案の定、木札の裏にはガムテープで何かが貼り付けられていた。劣化でベタベタになったテープを剥がすと、そこには小さな鍵がある。
“鍵を手に入れた! ”
大きさ的にドアの鍵ではない。室内で鍵を使える場所は一つだけだ。私は事務机の引き出しに鍵を使った。中には一冊の本が入っていた。古めかしいハードカバーの表紙には明朝体で「日記帳」と印字されている。
また虫が湧いたりしていないか確かめながら、恐る恐る手に取ってみる。床から離れた引き出しに入っていたせいか、その日記帳はカビも生えずきれいなままだ。表紙を含む数十ページのみを残して、それ以降は引きちぎられたかのようになくなっていた。
表紙を開くと、見出しには達筆な字で
【橋田留蔵】と署名されていた。
さらにページを繰ると、中には一人の老人の日常が綴られていた――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます