10.再会


「本当に、もう……びっくり、しました。」


 言葉が詰まってうまく話せない。私は幾分か震えのおさまってきた手をさすりながら、つっかえつっかえ言う。


「俺もたまげだじゃ。まさがこんなどごさ人っこいるづ思わねがったがらよぉ。」


 私に応えるのは、太く低い声。訛りがきつく、言葉のすべてに濁点がついてくる勢いだ。


「そう、ですよね。まさか、でした。でも、他にも人がいて、安心しました。」


「まんずな。」

 

 声の主は野間大毅のま だいきさん。私が働いているうずら荘の施設長だ。


 短く刈り上げた頭に浅黒い肌。太い眉の下に小さな目。市役所の職員が着るような薄緑の作業用ブルゾンと黒いスラックスに身を包んだその姿は、いかにも『田舎のおっちゃん』といった風情だ。


 医務室と思しき部屋の扉を開けた野間さんは、「何故か」床に這いつくばり、「何故か」隣の狭い倉庫を見つめてパニックに陥る私を保護したのだ。過呼吸を起こしかけていた私の背をさすり、浅くゆっくりと息をするよう声をかけてくれたお影で、さっきようやく落ち着いたところだ。


「んだども、どうせ会うんだばこったな爺っこより若ぇハンサムの方良がったべ? 何だがもさげねなぁ。」


「い、いえ、そんなことは……!」


 幅の広い肩をすくめ、申し訳なさそうに言う野間さんに激しく両手を振る。私の慌てぶりを見た野間さんは疲れたように苦笑した。


「分がってるって。おぢょくっただげだ。いぎなしこったな訳分がんねえごとになったえ? おだってねば気ぃおかすぐなりそでよ。」


「あ、すみません。私も取り乱してしまって。」


 目上の人間の冗談ほどタチの悪いものはない。さっきから襲って来る不気味な存在に対するのとはまた違う意味で冷や汗をかいてしまった。


 野間さんは誰とでもフランクに話をするので職員皆に慕われているが、この訛りようだ。下手をすれば入所者よりも訛っているときもある。多少慣れてきた今でこそ脳内のを作動させて会話しているが、働き始めた当初は言っていることが聞き取れなくて大変だった。


「あんや。由紀ちゃんはおなごだし、尚更おっかながったえ? 」


「はい……。ここは暗いし、静かだし、一人でいるのは、心細くて、こ、怖かったです。夢だと分かってても、やっぱり……。」


「だよなぁ。」


 野間さんは一言そう言って何か考え込み、しばし沈黙が下りる。窓の外からひっきりなしに聞こえる雨の音がやけに大きく感じられ、私は思わず口を開く。


「あの、の、野間さんはいつからここに?」


「しゃね。気ぃついだらこごさいだったのよ。あとぺっこしたら監査あるべ? だがら今朝、事務の麻生さんと書庫の整理してらったのよ。棚の上の書類箱取るべどしたらバランス崩してよ、箱ごと床さまっさがさまよ。気ぃついたら会議室で倒れでらったって訳さ。」

  

 外国のコメディーのように両手を広げ、おどける仕草をして見せる野間さんだが、状況的に全く笑えない。大怪我していてもおかしくないのに、よく無傷でいるもんだ。


「うわぁ、それはまた……。大丈夫なんですか?」


「頭ぶつけたみたいでガンガンするよ。でも他は何ともないみたいだ。いんやぁ、車っ子ついた椅子さば乗はるもんでねなぁ。」


 この人は少し、何というか、残念だ――。


「とりあえず廊下に出てみたけど、どっこの部屋も鍵かかってて入れねえんだよ。玄関もさっぱり開かねぇし。辛うじてこの部屋の鍵見っけて来たぐらいだ。由紀ちゃんは? 何か覚えでらが? 」


「え、私は……。」


 急に話を振られて口ごもってしまった。ここに来る前の事を話すとなると、必然的に富美子さんに怒鳴られた朝の事を言わなければならない。しかも相手は施設長だ。それはいわゆる「チクリ」になってしまうんじゃないだろうか。


「富美子にやっつけられたのか?」


 そんな私の心情を察したように、野間さんは腕を組んで言った。


「何でそれを?」


「だって事務所まで聞こえてきたっけもの。ってゆうか施設中に聞こえてたんでねっか?  何もあった大声出さねくたって良がべってな。おっかねぇっちゃんだよ。」


 その言葉に軽く眩暈がした。施設中に私の情けない失敗が知れ渡っていたとは。しかもそれで朝っぱらから怒鳴られたこともだ。恥ずかしさに冷や汗が出る。


「い、いえ。私が悪いので。」


「ほで? その後は? 」


「30分ほど詰所に残って仕事して、その後休憩室で休んでたら猛烈に頭が痛くなって、気絶してたみたいです。」


 私は野間さんに一部始終を話して聞かせた。目が覚めたら暗くなっていたこと、謎の着信があったこと、誰かが扉を開けようとして来たこと、休憩室から出たら知らない部屋だったことなど。野間さんはうんうんと頷きながら話を聞いてくれた。


「なるほどな。要するに二人とも知らねうちにここさ来てらと。状況は変わんねえみたいだな。」


「みたいですね。」


 そこまで話してふと気が付いた。


「そういえばそこ、ドアだったんですね。」


 そこ、というのは、野間さんが入ってきた扉のことだ。


「ああ、こっち側からは見えねがったのか。」


 壁と同じ色に塗られた扉は凹凸が少なく、ノブがついていない。大きなカレンダーが目隠しになって、そこはただの壁にしか見えなかったのだ。


「野間さんが開けてくれなかったら気付かないところでした。っていうか、ノブないから私下手したら出れなかったんですね。」


 自分で言ってゾッとする。訳の分からない施設で恐ろしいモノに囲まれてじわじわ死ぬなんて、バッドエンドにもほどがある。


「そん時ぁそん時さ。まんず、ずっとこごにいてもどうにもならねえし、とりあえずあっちゃこっちゃ見てみねぇか?」


「そうですね。野間さんがいれば心強いです。」


「んだ。探し行くべ。あ、でもその前に」


 野間さんは『田舎のおっちゃん』顔をグッと渋め、威厳のある顔で私に向き合った。何だろう、何か失礼でもあっただろうか。ドキリと心臓がうごめく。


「由紀ちゃんや、富美子の言うことなんか気にするなよ。あいづぁわげぇってだけで気に入らねえ年頃だからよ。適当にやるのさ。由紀ちゃんが頑張ってることは皆して見てるがら。自信までなぐすな。帰ったら今日の残業代もちゃんっと請求するんだぞ。いが?  施設長命令だがらな。」


 言い終える前に先を歩き出した背中がとても大きく感じた。


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