9.悲鳴
「ひっ」
ホラーにおいて、ヒロインの絹を裂くような悲鳴はセオリーだ。
だが、本当の恐怖に遭遇した時、人は声が出せなくなる。私は今身を持ってそれを体感していた。
画面越しに「顔」と対面した瞬間、カーテンのかかった窓全体が激しく音を立て始めたのだ。拳で叩くような音、手のひらを打ち付けるような音、それらに合わせてガラスがきしむ音。静かな部屋の中を、鉄砲水のような音が侵していった。
私は咄嗟に携帯を放り投げてドアへと走った。つもりだった。
しかし急な動きに身体は思うように動いてくれず、足がもつれてその場に倒れた。その衝撃で壁の黒板が落下して、かかっていた札が散らばる。先ほどの着信音の比ではないほど大きな音が立ったが、もはやそんなことを気にしている余裕はなかった。目の前のソレから少しでも遠ざかろうと腐った床を這う。
向かっているのはこの訳の分からない建物の中で、唯一見知った空間。この部屋に来る前にいた休憩室だ。さっき訳の分からないモノに遭遇した時、鍵が閉まっていて助かった、今回もきっと助かる、という根拠のない希望が私を動かしていた。何者かが去った後、鍵が忽然と消えてしまっていたことなどもはや頭になかった。
焦る気持ちと裏腹に、足が滑ってなかなか前に進めない。散乱したファイルや木札をかき分け、私はやっとの思いで引き戸に手を伸ばす。
――はやく、はやく。
冷たい汗で濡れた指が2、3度取手を取り逃した後、一気に扉を引いた。腐った床に爪を立て、腹這いのまま扉の先へ身体を滑り込ませる。
これで助かる。アレから逃げられる。
鍵を閉めようと身を起こした私が目にしたのは、しかし見慣れた休憩室ではなかった。淡く光を通していた障子も、職員たちの荷物も、低いテーブルも、何もない。そこは全く違う部屋だった。
「なんで……。」
希望があると思わせてから絶望へ突き落されるのもまたホラーのセオリーである。
あっけにとられた私の背後で、扉の開く音がした。
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