第七話 過ぎたモテ期
密葬が終わった。
葬儀を出せる金がないのを恥とは思わなかった。
古いPCの前に座り、巨大掲示板の前で金にならない論争の毎日がまた繰り返される。
プロバイダー料金の延滞が溜まり、明日にはこれすらできなくなる。
四十五歳の今でも就職してない自宅警備員だ。
「家賃の延滞……、光熱費の延滞……」
念仏のように繰り返した。
頼みのロト6も外れた。
「あの頃、どうして手を出さなかったんだろ。からかわれているだけかと思ってたけど、あれは間違いなくモテ期だったのにな」
飯もろくに食えないまま、布団に潜った。すでもうオナニーする精力もない。
「はじめまして、夢野魅苦と申します。魅苦とお呼びください」
「はぁ……」
「ここは《夢目》の世界です」
「ふーん」
日本人形みたいな顔をした、巨乳の女の子が話しかけてくる。夢なんだから当たり前か。
「あなたは人生の分岐点に戻りたいと思っていませんか?」
「あ……、その……、まあ」コミュ障なのでうまく人と会話できない。だから仕事に失敗した。
「そのチャンスを一度だけ差し上げに参りました」
「へぇ……、あ……」
「これでしたら、上手く喋れますか?」
手を握ったミクは、いきなり胸に押し当ててきた。
「うわっ、あ、な、なに⁉」
「駄目ですか。それでしたら、こちらでどうでしょう」
目の前にいきなりキーボードが現れた。宙に浮いている。
キーを叩くと文字が浮かび上がった。
『ああ、これならなんとか会話できる』
「よかった」ミクと名乗った娘は声で話しかけてくる。
『なんで、おっぱいに当てたの』
「これで打ち解けて話せるようになる方も居ますので」
『そうなんだ』柔らかくて張りがあって気持ちよかった。
「話を元に戻しましょう。分岐点に戻りたいと思っていらっしゃいますか」
『そりゃ、戻れるなら、あの時に。これでも僕はモテてたんだ』
「では、《巻き戻して》とおっしゃりますか? 断っていただいても構いません」
『口に出さなきゃだめ?』
「はい。お手数ですが、そうしていただかないと、分岐点にお連れできません」
『ミクちゃんも来るの?』
「いいえ。そこから先はこちらでは一切関与しません」
『分かった』可愛い娘の前で緊張するけど「ま……きもど……して」
「承りました」
目の前に引き戸があった。上を見ると、2-Cの札が掛かってる。
「どうしたんだ、吉村。入れよ」
「ああ」
クラスの男子らしいやつに促されて入った。
男女共学の高校だ。当たり前だが、女の子がいっぱいいる。可愛い子から不細工までいろいろ。
「吉村くん、おはよう」
「お、おはよう」口が回るぞ。まだコミュ障をこじらせる前だっけ。
いろいろな女子から声をかけられた。
だけど、不安もある。
モテ期が僕の幻想だったとしたら、飛んでもない無駄なことをしている。どうせ繰り返しても結果は同じなのに。
授業中、隣りの女子からシャープペンシルの芯を貸してくれと言われた。
昼食の時、一緒に学食に誘われた。もちろん女子からだ。
だけど、確信が欲しい。
でもどうやって、自分が本当にモテているのか調べればいいんだろう。
「あ、あれだ!」
ミクが僕に最初にやったアプローチ、いわゆるラッキースケベだ。
もしも僕がモテているなら、嫌がるだろうけど半分笑って許してもらえるだろう。だけど、モテていないなら、変態の烙印を押され一切女子が寄り付かなくなる。
いきなりそのリスクを負うのは避けたい。
まずは手だ。手をそれとなく触ってみよう。
と決断して一週間がまわった。
もともと奥手な僕にはものすごいハードルだった。
腕を組んで考えている時に、ホームルームが始まった。
「おいみんな、今日から教育実習生と一緒に授業を受けてもらうから。入って」
引き戸を開けた時、男子が全員どよめいた。
ものすごい美人だった。芸能人レベルだ。ただ、残念ながら胸は少し足りないが。
「安藤 優美子と言います。一ヶ月の短い間ですが、よろしくお願いします」
「安藤先生、彼氏はいますか?」
お決まりの質問が来た。緊張でガチガチのはずの実習生がなんと答えるか、見ものだ。
「いませんよ。ちなみに好みのタイプで年下は無いです」
男子が一斉に残念がり、女子が笑った。
こいつ、やりおる。僕は感心した。
たちまち安藤先生はクラスに溶け込んだ。
教育実習生は中間管理職の下の下だから心労も耐えないとネットで聴いたことがあったけど、こんなにうまくやってる人もいるんだな。
女子の手を触る作戦が頓挫しそうなとき、安藤先生の周りに女子の輪が出来ていた。
僕は遠巻きに会話を聴いてみた。
「ねえ先生、クラスの男子、ガキばっかでしょ」
「うーん、どうかな。かっこいい子いるでしょ」
「うちのクラスでモテてるってったら、やっぱ吉村くんじゃないの」
なんですと⁉ 吉村って姓は全校の中でも僕しかいないはずだ。
僕はすこーし、近づいた。
「だよねー。ちょっと大人びいているもん」他の女子が続けた。
「へえ。吉村くんか。先生、まだ顔を覚えられなくて」
「あ、あそこにいるよ。ねぇ、吉村くん、来て来て」
「な、何かな」
突然のお招ばれにびびってしまったが、なんとか平静を装った。
すると、先生が視線を合わせて頷いた。ちょうど背が同じなのだ。
「ふーん、君が吉村くんか。これからよろしくね」
握手を求められた。
こ、これは! できるだけ自然に手を出した。
やわらかい手で握り返してくれた。
「あー、先生ずるい。私も握手して」
「何の握手よ、ミキ」
変な盛り上がりから、ここにいる女子全員と握手してしまった。
結論が出た。
僕は、間違いなくモテていた!
コミュ障前の僕が女子と会話するなんて、きっかけさえ掴めば簡単だった。
バレンタイン直前ということもあり、男子にも「吉村くんへ、本命チョコ贈呈合戦」なるネーミングセンスの欠片もない戦いが聞こえていた。
男子に敵を作るわけにも行かなかったが、どうしたって女子の好感度を優先することになる。
むろん、イジメが無かったわけではない。
だが、女子の人気が抑止力になり男子は何も言えなくなった。このときほど、人生に味方がいるって素晴らしいと思ったことはなかった。
放課後、図書委員会の本整理がようやく片付いた時、安藤先生が自販機のベンチに一人で座っていた。
「安藤先生……」声をかけた瞬間気がついた。
目から涙を流していた。
「吉村くん、ごめんなさい。変な所見られちゃった」
「うちの担任に怒られたんですか? あいつ嫌味言うからみんなから嫌われてんですよ」
「違うのよ」嘘だとすぐにわかった。わざわざ泣いた目で視線を合わせるなんて不自然だ。
「先生、僕で良かったら愚痴くらい聴きますよ」
「え?」
「あ、こんなガキじゃ迷惑ですよね」
「ううん。急に大人びいた事言うからびっくりしちゃって。ありがとう、考えとくね」
俺は自販機の《あったか~い》無糖紅茶を買って、先生に渡した。
「砂糖なしのがいいんですよね。これ飲んでください」
「でも、生徒にこんなこと」
「いいですよ。安いし」
「ありがとう。暖かい」
「僕は帰ります。また明日」
「うん、さようなら」
まさか引きこもりの頃に見ていたアニメ、そのまんまのシチュが役に立つ日が来るとは思わなかった。
教育実習一週間後の週、そしてバレンタイン当日だ。
男子たちはどうせ吉村の一人勝ちだろ、とひがんでいた。正直言って、前のときももらったことはあるが、ここからなんかしでかして総スカン食らった記憶がある。
たしか本命チョコ全部受け取って、あまつさえ、みんなにホワイトデーお返ししたものだから、女心知らない最低なやつとか言われてたような。
これは一人に絞らなきゃならんのか。
贅沢な悩みではあるが、今後の人生を左右する悩みでもある。僕の思っていた分岐点と実際の分岐点に多少のズレがあったようだ。
あえて、一人を選ぶなら、あの人しか居ないと思っていた。
「安藤先生、くれるかな。でも教師と生徒じゃ無理だろうな」
あの時から、メアドまで交換し、愚痴を全て丁寧に聞いてきたのだ。学校以外で直接会うことはなかったけれど、かなりいい関係になっていた。彼氏がいないことも確認済みなのだ。
放課後、さっそく一人目の女子がやってきた。
「気持ちは嬉しいんだけど……」
「受け取ってもらえるだけでいいの。返事は後で聞かせて」
といった調子で、チョコがどんどん溜まっていった。
大小様々なチョコを前にして、どうしたものかと腕を組んでいた。でも、やっぱり安藤先生のことを諦めきれず、職員室の周りをぐるりとまわってみた。中で安藤先生一人だけで雑務をしていた。
「安藤先生」職員室に入った。
「吉村くん、どうしたの。質問なの」
「はい。先生はチョコをくれないんですか」
「吉村くんならたくさんもらったでしょ」
「僕は、先生からの本命がほしいなって」
「……それは」
「先生、図書準備室で待ってますから。失礼します」
来るか、来ないのか。
メールを見ても何もない。ダチからの呪いメールとか、女子からのラブコールばかりだ。
外が真っ暗になった。
準備室の電灯をつけ、ため息を付いた。
「やっぱり来ないか」
と引き戸を開けようとすると、安藤先生がそこに立っていた。
「先生」
「吉村くん、これ」
「あ、チョコ」
「実は、最後まで迷ってて。でも、やっぱり、好きみたい」
僕は、先生に押し倒された。
舌を絡めるキスをしながら、内側から鍵をかけ、電灯を消した。
気づかなかったが、安藤――優美子はかなり性欲が強い女だった。僕はテクに全く自信が無かったが、そこは彼女が教えてくれた。経験が豊富というより、自分の気持ちいいところへ導いていく感じだった。
妊娠には気をつけ、ゴムを必ず使った。
学校で隠れてするのはリスクが高すぎるため、外で、しかも隣町まで出て付き合うようにした。
「
「いや?」
「ううん、うれしい。入れるね」
《巻き戻って》正解だった。
優美子が実習期間を終えた数週間後、俺はホワイトデーでビンタやら涙やらをもらうことになった。
「好きな人がいるの、誰?」という問いをはぐらかしてまわってたが、とうとう秘密を知る女子が現れた。
「教育実習生だった安藤先生と付き合ってるでしょ。私、見たんだから」
「そうだよ。でも黙っててくれないか」俺は誤魔化せないと思い、それだけを申し出た。
「いやよ。先生と生徒がそんな関係になるなんて、不潔よ」
走り去ってしまった。
まずい。
優美子は教師の道は諦めたものの、こういう不祥事が明るみに出たらどんな職についても、足かせになるだろう。
僕が出来る最大の自衛手段は、学校を中退することだったが優美子は反対した。
「駄目よ。高校だけは出てなきゃ」
「でも、このままだと優美子の立場が」
「私のことはいいから、卒業だけはして」
その後、あの女子を捕まえた。
「なあ、佐倉。もうあのことを誰かに言ったのか」
首を振った。
僕は胸をなでおろした。
そして向こうから予想外の申し出があった。
「私と付き合って」
「ちょっとまってくれよ。僕はもうあの人と」
「いや! 付き合ってくれないと言うから」
「考えさせてくれ」
「駄目!」
「……分かったよ」
飲むしかなかった。
その後、すぐに優美子にメールした。
『……というわけで、佐倉と付き合うハメになった』
『そう。いいんじゃないの。そのまま付き合えば』
『どうしてそうなるんだよ。僕は優美子以外となんて嫌だよ』
『……ごめん。もう切るね』
頭を抱えた。どうすれば良いのか、こんなシチュエーション、ネットにも解決方法はない。
佐倉との恋人関係は苦痛だった。
反りが合わない、趣味が合わない、第一性癖が合わない。エッチをしたわけじゃない。彼女の家に上がった時、SM本と一緒に鞭やら拘束具やらを見つけてしまったからだ。一体どっちなのか分かったのは、その妹を叱りつけていたときだった。
自分のカップを割られてしまったとき、妹に往復ビンタをし、足払いで四つん這いにさせて、足を乗せた。もしもあの時、手に鞭があったなら叩いていただろう。
僕にはそんな趣味はまったくない。ましてや自分にはM属性は全くない。
とにかく、はっきり別れを告げて逃げた。
三駅離れたところに優美子が住んでいる。
俺はそこに向かいながらメールをした。
『優美子、助けてくれ』
『どうしたの』
『佐倉のやつ、サドだった。しかもかなりの』
『え』
『勘違いするな。何もしてないぞ。妹を叱った態度がおかしすぎるんだよ。このままじゃ僕はどうにかされる。別れをはっきり言ったけど、恐ろしい』
『分かった。待ってるから』
メールのやり取りを終えて電車を降りると、後ろから声が聞こえた。
「吉村くん! 逃さないわよ」
「チクショウ、こいつヤンドレでサドかよ。最悪じゃねーか」
「言うわよ、あの事」
「好きにしろ! もう何があってもお前となんてゴメンだ」
「待ってぇ!」
このままストーキングされたら優美子が危ない。俺はタクシーを拾った。
「すみません、料金千円分くらいグルグル回ってもらえますか」
僕の変な注文に、運転手は生返事で答えた。
後ろを振り返ると、あいつもタクシーに乗っていた。
タクシーから降り千円を支払うと、俺は走った。
『もしもし、優美子』
『どうしたの。遅いわね』
『追われてんだよ。佐倉のヤツが血相変えて追ってくるんだ。このままそっちに行ったら君に迷惑がかかる』
『何言ってんの! いいから来てよ。 警察に一応連絡するから』
『わかった』
僕は走るのは結構速い方だが、佐倉の
とうとう高架下で捕まってしまった。
「離せ、離せ」
「吉村くん、別れるなんて言わないでよ」と果物ナイフを取り出した。
「ひ⁉ やめろっ。サドなのに殺すのかよ」
「バレてたのね。大丈夫、死なない程度に痛めつけてから持って帰るから。あははは」
もう目が正気を失っていた。
ここは優美子のアパートの手前だ。はやく部屋に逃げなきゃ。
「正輝くん!」
「優美子、来るな。こいつナイフを……」
背中に鈍い痛みが響いた。
視線だけで後ろを見ると、佐倉の手が血まみれになっいた。
「あははは♪」
佐倉の何かが切れた。
繰り返し繰り返し、体中にナイフを突きつけた。
「正輝くん、いやぁぁぁぁぁぁ」
サイレンの音が鳴り響いた。
正義の味方は遅れてやってくるって言うけれど、おそすぎるだろ。
優美子の膝枕の上で、全て暗くなった。
――「彼には
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