第六話 『魔王』

 ギターが好きだった。

「曲書けたか」

 俺は頼まれていた作曲のリフを渡した。

 それを友人は読むだけだ。背中にギターを背負っているのに。

「なかなかいいんじゃないの。じゃあ、後でメンバーと演ってみるから」

「感想頼む」

 すっかり俺は曲専になってしまった。

 いつも左腕があった肩を見て思う。

 ――本当は俺が弾きたい。

 昔はシンガーソングライターのようなものをやっていた。ソロでやってた頃に今のバンド仲間に誘われた。

 今でも嫌な思い出だ。

「ねえ、邑崎むらさきくん」

「寺井さん、ごめん。まだそっちのバンドの曲は考え中でさ」

「違う違う。やっぱり才能あるんだから、EDMエレクトロニック・ダンス・ミュージックやろうよ。うちなら枠空いてるから専属歓迎なんだけど」

「ごめん。みんなから勧められるけど、どうしてもフィーリングが合わなくてさ」

「そっかぁ。今ならいいギター音だせる機材あるよ」

「ごめん」

「音楽にとってフィーリングが一番大事だもんね。無理言ってごめんね。じゃあ、曲楽しみにしてるから」

 ベースの寺井さんは、いつも明るい。バンドリーダーをやっているだけはある。

 それに比べて俺は、どんどん内にこもっていくようで、惨めになってきた。

 家に帰った俺は、作曲に入った。

 無音の中で、音がなってくる。



「今日は音がやけにリアルだな」

「お邪魔でしたか?」

「君は……。あれ、なんだこのコンポ。うちにないぞ」

「私の名前は夢野魅苦です。魅苦とお呼びくださいね」

 ミクと名乗った少女は、コンポの音を消した。

 かなり低重音の聴いたクラシックな曲だった。

「シューベルトの『魔王』かな?」

「あら、よくご存知で」

「俺も好きな曲だから、続けてくれるかな」

「ありがとうございます。それでは、頭からかけますね」

「レコードなの?」針を上げたので驚いた。

「ええ。アナログな音も趣がありますからね」

「君はどうして、僕の部屋に……。いや、ここは知らない部屋だ。あれ?」

「ここは《夢目》の世界です。あなたは眠ってしまわれました」

「そういや、うとうとしてたっけ」

「ここにお招きしましたのは、あなたに人生の分岐点までご招待しようと思いまして」

「分岐点……」

 ここで曲が終わった。続いて流れたのは、同じシューベルト作曲の《未完成》だ。

 俺はミクの言った意味を訪ねた。

「あの時に戻れる?」

「はい。《巻き戻して》とおっしゃりますか? それだけで戻れますよ。拒否も自由です」

 この曲は何故かあの時を思い起こさせる。

 自転車で練習スタジオに向かっている途中、急にパンクをしてハンドルを取られた。そして道路に投げ出された俺は、危険物を扱うトラックの下敷きになった。幸い命に別状はなかったが、右腕をまるごと失ってしまった。

 こうしている間も、幻痛が襲ってくる。

「そう、今流れている映像みたいな……」

「戻りたいですか?」

「ああ。戻りたい」

「それではお聞かせください」

「《巻き戻して》欲しい」

「承りました」

 曲の途中で意識が一瞬途絶えた。



「うわっ」

 俺は慌ててブレーキを握った。

 ここは、どこだ?

 この道……忘れもしない、俺が隻腕になった道路だ。あれ以来二度と通っていない。

 携帯電話を取ってバンド仲間にかけた。

「ああ、俺だけどさ。ちょっと送れるわ。今日はバスで向かうから。……ああ、ごめん。30分くらい遅れる」

 自宅に引き返した。

 パンクなんて二度とゴメンだ。



 無事にバスはスタジオに到着した。

 部屋を開けると、メンバーがソロパートの練習をしていた。

 暇をしていた、ボーカルのケイトが立ち上がった。

「おいこら、おせぇよ」

「ごめん。今すぐ準備するから」

「ああ」

 アンプにギターを繋いでネックを握る。久しぶりだ、この弦を抑える心地いい痛み。軽くパワーコードを弾いてみた。

「あぅ⁉ なんだこれ」

 ものすごい違和感が左腕から走った。

 おかしい。この頃の俺はそこそこ弾けてたはず。

 でも、音が濁る。右手のストロークと動きが全然噛み合わない。

「頭が身体に付いていかない?」

「どうしたんだ、おい。その音、いつもの調子じゃないぞ」

 何度やっても左腕が思うように動いてくれない。

 今日はバンドメンバーに平謝りをして、家にかえることにした。



 部屋に戻った俺は、ヘッドホンを被って何度も基本練習を繰り返した。

 だけど、思うように腕が動かない。

 とうとう、指が切れてしまった。

 それどころか、左腕がうまく動かない。腱鞘炎になったらしい。

「どうなってんだ。イメージ通り指が動いてくれない。どうしてなんだ?」

 練習すればなんとかなる、絶対に勘が戻ると思った。



 《巻き戻った》日まで月日が経った。

 俺はスランプに陥ってしまった。

「駄目だ。違う。違う。違う」

 左手はなんとか練習で動くようになったが、フィーリングが伝わってくれない。

 まるで、鎖の枷がギターのネックから右腕を引き離しているような感じだ。

 そんな放課後。

「邑崎くん」

「寺井さん」

 この時の俺は誰にも曲を提供していない。バンドは完全な休止状態だ。俺は所属していたバンドを辞めていた。

 そんな俺に何のようだろ。クラスも違うはずだ。

「音で悩んでいるって聴いて。私で良かったら、相談に乗るよ」

「ありがとう。じゃあ、誰でも知ってるナンバー弾いてみるよ」

 俺は簡易アンプにギターをつなげて弾いてみた。

 やっぱり俺の言うとおりに手が動いてくれない。こんなにベタなロックナンバーすら上手く弾けないなんて。

「……」

 弾き終わった。寺井さんはキョトンとしていた。

「ねぇ、寺井さん?」

「すごいじゃない。なによ、スランプなんて嘘じゃない。オリジナル超えてるよ!」

「慰めはいいよ」

「自分の音、録音して聴いたことある? わたし、あんまりにも凄かったから勝手にスマホに録音しちゃった」

 差し出されたスマホの音は、寺井さんの言うとおり、凄まじい音圧とテクニックだった。

「ね、凄いよ」

「駄目だ……」

「えぇ⁉ これもうプロ級よ」

「俺の、音じゃない。サウンドじゃないんだ」

「もしも、これが邑崎くんの音じゃないとしたなら、まるで別人が弾いているってことかな」

「別人?」俺は左手を見た。そうだ、これはもともとなかったはずの手なんだ。お前は、俺とは違うのか。

「どうしたの? 私何か言った?」

「いいや。付き合ってくれてありがとう。俺、帰るわ」

「邑崎くん、ねえ? ……慌てて行っちゃった」

 


 耐えられなかった。

 俺がいくら練習してもサウンドは別人になってしまうなんて。

「俺は、俺を音で伝えたくて演ってるのに、俺のサウンドじゃなけりゃ、ギターの意味がない。EDMやってるほうがまだマシだ」

 楽器屋でシンセをいじってみたが、やっぱり駄目だ。シンセが俺を拒絶する感覚がする。

 そして俺は、ギターから離れてしまった。

 魂を失ったまま、街を徘徊していると、クラシック音楽が聞こえてきた。

「♪おとうさんおとうさん きこえないの 魔王がなにかいうよー♪ ♪なあにあれは 枯れ葉のざわめきじゃ♪」

 魔王……。

 今の俺はこの曲に出て来る息子と同じだ。熱病にうなされている。

 最後に息子はどうなったんだっけ?

 夕暮れ。

 角を曲がった時、車のハイビームが俺の目をくらました……。



――「実は私、魔王の娘なんですよ」

 うふふふ。

「それではまた、逢える刻を」

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