第九話 捨てたい。

 鏡を見るのが一番嫌いだ。

「おい、晴文。挨拶くらいしろ」

「おはよう、父さん」

 親父の顔も、母親の顔も見るは嫌いだ。

 どうして僕はこんな家に生まれたんだ。



 外を歩けば珍獣扱い。

 女は全員、しかも僕よりもブスな女子すら避けて通る。それが何よりもムカついた。

 何もかも嫌だ。そもそも生まれてきた事自体が間違いだった。

 もうすぐ大学だ。すでに一流に合格している。

 だから何だ。

 こんな顔でエリート街道歩けるわけもない。

 モテると言われることは全部やった。だけど、劣性遺伝子が顔に集まった僕には全て無駄だった。



 そろそろ死のう。

 こんな遺伝子、世に残さないほうが良いに決まっているんだ。

 


「はじめまして、夢野魅苦と申します。魅苦と呼んでください」

「あれ……。僕はどうして生きているんだ」

「あなたは今まさに死んでいる途中です」

「なんだよ、お前。こんな不細工に用なんてないだろ」

「いいえ。あなたは人生の分岐点に戻りたいと思いましたね」

「は? そんな分岐点、僕にあるわけ無いだろ。あるとするなら両親が僕を産まないことだ」

「そうでしたか」

「で、でも。存在が消える前に僕は童貞を捨てたかった」

「あらあら。そんなに私のスカートの中が気になりますか」

「当たり前だろ。そんなミニ履きやがって。誘ってんのか」

「私は、皆さんが仰るところの『中古』ですが」

「ちっ。なんだよ、ビッチかよ」

「ところで、分岐点に戻ろうと思いますか」

「さっきから何言ってんだよ、ビッチ。両親が子作りする前に戻ってどうしろってんだ」

「この方が仲人のようですね」

 なんだ、いつのまに居酒屋に来たんだ。

 あれ、若い親じゃないか。畜生本当に不細工だな。

 なんだ、あの向かいにいる女。

 僕はズカズカとそこに割り込もうとしたが、身体がすり抜けた。

 ビッチを見ると、くすくす笑ってた。

「これはただの映像です。でも過去に戻れば、邪魔も可能ですよ」

「タイムスリップが出来るって言ってんのか」

「もちろんです」

「ふざけんなよビッチ。そんなことが出来るわけ無いだろ」

「《巻き戻して》とおっしゃりますか? 拒否されますか? 一言いっていただくだけで、あなたは過去に行けますよ」

「ちょっと待てよ。もしも、本当に行けたとして、結婚が破断したら俺はどうなるんだよ」

「さあ?」

「は⁉ ざけんな」

「私は、《巻き戻った》後については一切関与しません。ですが、タイムパラドックスが起こって、あなたは消えると思います。でも、その確証はありません」

「どういうことだよ」

「普段、こんな助言は差し上げないのですが、ひとつだけ。万が一、あなたが婚姻の手助けをしてしまった場合、あなたの存在は固定されてしまい消えることはありません」

「だ、誰がそんなことするものか。だが、その前に」

「なんでしょう」

「パンツみせろ、ビッチ」

「こうですか? これでも恥ずかしいので。あんまりジロジロ見られると……」

 後ろを向いて屈んでくれた。

 ばっちりパンモロが見えた。真っ白なパンツにクロッチがもっこりしている。しかも筋付きだ。

「もう、いいですか」

「分かったよ。こんなブ男の命令聴くなんてマゾか」あとで抜こう「じゃあ行ってくるわ」

「ほっ。すこしはオカズになれたようですね」

「ま、《巻き戻して》くれ」

「承りました」



 クラクションがいきなり聞こえた。

 僕は慌てて歩道に逃げた。

 何だここ。まだ映像なのか。

「ちがう。電柱に触れる。俺は本当に過去に来たのか」

 電光掲示板が1980年を示していた。

 空いた口が塞がらなかった。

「マジかよ、おい。おいおいおい」

 舞い上がって変な目で見られたので、すぐに冷静になった。

 あのクソ親どもは何処だ。

 とりあえず、近くの居酒屋を探した。



 スマホが繋がらないせいで、ネットも開けない。

 この頃はまだ普及してなかった。

 電話帳で調べてやっと見つけた。

 このあたりには居酒屋横丁があるらしい。

「あら? 佐伯さんですか」

「あ?」

 佐伯は父親の旧姓だ。てことは、この女が……仲人かよ。間違いない、さっき映像でみた顔に似てる。

「ごめんなさい。あんまりにも似てたもんで」

 そりゃそうだ。こんなブサメン全国にそういるわけない。

「あんた、名前は」

「え」

「ほ、ほら。これも何かの縁だと思ってさ」

 ナンパなんてやったことない。

御幸みゆき 美由紀みゆきです。変な名前でしょ、本当に困っちゃって」

「みゆみゆ……」可愛いじゃねぇかよ。なんでこんな美人が不細工親父の仲人なんてやったんだよ。

「みゆみゆ? やだ、なんですか。それ私のことですか。アハハハ」

 笑い上戸みたいだな。

「ああ、僕の名前は」本名名乗ったら母親の名字と被るが、ありふれているから良いだろ「佐藤 晴文っていうんだ」

「あら、佐藤さん。やだ、本当によくお見かけする名前ですね。うふふふ」

「ええ。よく言われるんですよ」

「佐藤さんはどうしてここに?」

「あ……。このあたり、初めてで……。だからその、居酒屋の下見に」

「あら奇遇っ。じゃあ、一緒に下見します? わたしもあるご縁のセッティングを任されちゃって」

「それは、奇遇ですね」

 任されたって言い方が引っかかるが、今夜明日のことじゃないみたいだな。

 付き合ってみるか。僕はもう酒は覚えてた。年齢は誤魔化そう。



 三軒目で映像と同じ、つまり縁談がまとまった現場に入っちまった。

 みゆみゆは関心して眺めていた。

「いい雰囲気じゃないですか」

「へい、らっしゃい! あいてる所どうぞ!」

 店員たちの威勢のいい声が響いた。

 このままでは、縁談がまとまっちまう。僕は破断しに来たんだ。

 あんな人生を完全消滅させるために。

 未来に生まれてくる僕という被害者を出さないために。

 結構呑んでた僕たちは、今夜はこの店で腰を落ち着けることにした。

「そういえば、縁談のセッティングを任されたとか言ってましたが」

 さっきの店では聞きづらかったけど、今はすっかり出来上がっているからすんなり入れた。

「ええ。実は上司に頼まれまして。『不細工同士の余った男女の身をなんとか固めてやってくれ』って。ああ、これ秘密ですよ」

「ええ、もちろん」

 あのクソ親に対してその上司ありかよ。何を劣性遺伝子固めようとしてんだよ。

 俺はムカついて、思わず生中を一気飲みしてしまった。

「おおおお、パチパチ。良い飲みっぷりですね、佐藤さん」

「ああ。つい、呑まずにはいられなくなって」

「私もねー、嫌なんですよ。でも上司の命令には逆らえないでしょう」

「ああ、わかりますよ。みゆみゆさん」

「でしょうー」

「せめて、片方が美形だったらやりやすかったでしょうね」

「おぉっ。美女と……野球ってやつですね」

「みゆみゆ、違いますよ。『美女と野獣』ですよ」

「ああ、間違えちゃった。あはははは」

「僕らも美女と野獣カップルに見えますね」

「え?」

「あ」しまった~。焦りすぎたか。

「あはははははははは。上手い! 座布団五枚!」

「いや、参ったな」

 あっぶねー。

「決めた! 私、縁談の仲人ことわりまっす」

「え、でも」

「理由があれば良いんですよ。理由が。だからぁ、佐藤さんデートしましょ」

「へ⁉」

「ほら、そうすれば用事が出来てオッケーれすよ」

 そんな後付通るわけない。僕がここまで酒に強いなんても思ってなかったけど、みゆみゆは限界みたいだ。たぶん、覚えないだろうな。

 哀しいな。

 生中をあおった。

「いよっ、佐藤さん、良い呑みっぷり。じゃあ、わたしも」

「あああ、駄目ですって。もうお開きにしましょ、ね」

「じゃあ、せめて、お勘定私持ちで」

「え。悪いですよ、そんな」

「いえいえいえいえ。こうしないと私忘れちゃうんですよ。そのかわり、今夜のこと、紙に書いてくださいませんか。財布に入れとくんで」

「ええ」

 言われたとおり、正直に紙に書いた。

 とくに、縁談を断る下りは説得力があるように捻じ曲げてみた。



 その後、別れようとしたが、みゆみゆは完全に千鳥足だった。

 これはお持ち帰りも仕方ないな、ああ仕方ないと、タクシーに乗った。

 家に到着すると、安いアパートだった。

 確か今はバブル全盛期だろ。こんな人もいたんだな。

「はい、付きましたよ。みゆみゆさん」

「あははは。ちゅー」

 僕のファーストキスが奪われた。

「みゆみゆさん、僕こんな不細工ですよ」

「ええ? いいじゃないですか。男の色気ムンムンって感じで」

 適当に寝かせた後、流し台に置いてあったコーヒーを入れて飲ませた。これで少しは二日酔いに効くはずだ。

「にっがーい」

「無理にでも飲んでください。明日が楽になりますから」

「佐藤さん? どうしてここにいるの」

「え、酔いが覚めたんですか」

「多少は……ねぇ」

「あらあら、まだじゃないですか。ほら、布団を敷いて」

「わたし、こんな名前で、こんな目がおっきくて、こんな胸が大きいから、みんなから気持ち悪いって言われて、彼氏もできないんですよ」

「嘘でしょ。みゆみゆは可愛いですよ」

「本気?」

「はい」

「私、佐藤さんより年上でしょ」

「ええ、多分」

「いいの、こんなオバサン。もう二十五よ」

 僕は大きく首を縦に振った。

 そしてそのまま、お互いの初めてを捧げた。



 朝チュンを初体験した。

「やっぱ酒に強い体だったんだ。知らなかった」

「佐藤さん……。ん⁉ 佐藤さん! 嘘」

 みゆみゆが飛び起きた。

 俺はとうとう、「この変態」と罵られるのかと思った。いい夢見たなと帰ろうとした。

 でも、みゆみゆは信じられないことをいった。

「夢じゃないの? 私、本当に彼氏が出来たんだ」

「あの……。あらためて……聴くのは怖いんですが……僕みたいな不細工でも……いいんですか」

「美女と野獣!」

「え?」

「覚えてます!」

 マジかよ。俺にこんなきれいな彼女が出来たなんて。



 信じられないことに例の破断も上手く行き、みゆみゆとは長い同棲生活が始まった。俺は一生懸命仕事を探した。戸籍の問題があったが、それを誤魔化すことはこのバブル時代ならでは。なんとかなった。

 ただ、結婚となると、どうしても戸籍謄本が必要になる。

「あ、バブル。不味い」

「どうしたの、晴文」

「みゆみゆ、今の会社に不動産証券はどれくらいあるの?」

「さ、さあ。どの会社でもいっぱいあるでしょうね」

「すぐに売り払わないと大変なことになるんだ」

「え?」

 僕はバブルが弾ける顛末を事細かに説明した。

 でもやっぱり信じてもらえなかった。

「そんなことより」

「何?」

「子供出来たみたい」

「本当か。……でも俺に似たら最悪の人生に」

「それでもいい。私達の子だもん」

「みゆみゆ。ありがとう」




 その後、バブルが弾けた。

 みゆみゆの努めていた会社は倒産。僕は勤めていた土建屋に激しく詰め寄ったお陰で、被害を最小限に食い止めることが出来たらしい。

 そんなある日のこと。

 いつものようにヘルメットを被っていると、親方に呼び出された。

「なんスか、親方」

「なあ、黙ってこれ、受け取ってくんねぇか」

 と小切手を渡された。

 額面はなんと壱千万円だった。

「親方、こんな金もらう理由なんて」

「何言ってんだ。お前が俺をぶん殴ってくんなきゃ、今頃周りと同様、お前らともども路頭に迷わせるところだったんだ。これはほんの礼だ。なあに、俺はこの何倍も儲かったから、小遣いだよ」

 これだけあれば、これからの家庭に申し分ない。

 僕は深く頭を下げて、両手で畏まって受け取った。



 早速現金化し預金すると、急いで家に帰った。

「みゆみゆ、聞いてくれ。今日、親方からさ……」返事がない。

 こんな狭いアパート、隠れるところなんてないはずだ。

「みゆみゆ? なあ、みゆみ……」

 大きくなったお腹から血を流して死んでいた。

 僕は慌てて駆け寄った。

 顔は無念の涙を流していた。

「うわぁぁぁぁぁ、どうして。どうしてぇぇぇぇぇぇ」

「お前が晴文か」

「え? お、親父⁉」

 間違いなく、俺の親父だった人だ。多少若いけど。

 そいつが、血を流した出刃包丁を片手に、鬼のような形相で睨んでいた。

 俺は罵声を浴びせた。

「ざけんな。てめぇはもう僕の親でもなんでもないだろ! なんで嫁さんと子供を殺すんだよ」

「黙れ! あの縁談が駄目になって、俺の会社は倒産したんだ。平成になってもにっちもさっちも行かず、ホームレス生活を送り続けて三十年。もうだめだと自殺しようとした時、ミクさんにあった」

「ミク……。って倒産したのはバブルが弾けたからだろ。俺のせいじゃねぇ」

「うるさい! お前らを殺せば、俺はもう一度正しい人生を歩めるんだ」

「ま、まて。冷静になれ。僕を殺したってうまくいくなんてかぎらな……あれ? 僕の身体が透け……」

 ああ。そうか。

 破断したのに僕が消えない理由がわかった。

 みゆみゆと結ばれて子供が出来たからだ……だから今まで……。

 消えていく中、最期に聞こえたのは、サイレンの音だった。



――「リサイクルをする時、捨てるときの何倍も費用がかかるそうですね。生活、いえ人生は大変です。それでは、皆様、また逢える刻を」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!