第八話 無/罪

「主文、被告人……」

「そんな⁉」主文が先に読まれた。どう考えてもあいつは殺人鬼。死刑でしょ。

 長い裁判長の朗読に、最も恐れた一文が付け加えられた。

「よって、被告人を無罪とする」

 私は呆然とした。

 たしかにあの男がやったはずだ。

 隣りに座っていた被害者の母親が私に向かって叫んだ。

「どうしてですか? どうして、松城先生はあの人が犯人だと言ったではありませんか」

「精神鑑定……、刑法第39条…………」

「分かってます。さっき聴きました。でも、あの人は主人が残した息子と娘を弄んで殺したんでしょ?」

 私だって悔しい。弁護士でも検察でもないけれど、やっぱりこの法律はおかしい。

 だけど、あの犯人はこれを利用した。

 あの男が、憎い!



 私があの男を追い詰めたのは、霊能力による探知からだ。

 他の似非能力者とわけが違うから、本当は霊能力なんて名乗りたくもないのだけど、これ以外の言葉も嘘に聞こえてしまう。

 証拠は何も残ってなかった。だけど、私は現場で奴の足取りを追い、状況証拠で男は逮捕され、そして証拠も見つかった。

 なのに、無罪……。

 もっと動かぬ証拠さえ掴めていれば……。

 私は、被告人の母親に慙愧の念とともに頭を下げて、帰宅した。



「はじめまして。夢野魅苦と申します。魅苦と呼んでください」

「は? やだ、私、シャワー浴びてそのまま……ってここどこ」バスタオルだけのままなので、足を閉じて身を丸くした。

「あらあら。おつかれでしたか。では、こちらの服でどうですか」

 ミクと名乗った彼女が肩に触れると、仕事でいつも来ているスーツに変わった。

 あまりの一瞬のことで、動揺してしまった。

「あなた、もしかして、『本物』なのね」

「はい? 言っていることがよく分かりません。ここは《夢目》の世界ですよ」

「夢? ううん。だまされないわ。ここは違う《世界》ね」

「……どうやら、今回のお客様は一筋縄ではいかないようです。良いでしょう。ここについてご説明いたしましょう」

「あら、やけに素直ね」

「私は、あなたを殺すために連れてきたわけではありません。私がその気ならとっくにあなたは亡くなっていることくらい、察していただけていると思いますが」

「ええ、そうね」分かる。私の《力》がこの娘は人間を超えた力を持っていることが。そして、得体の知れない何かだということも。

「単刀直入に言います。あなたは人生の分岐点に戻りたいと思っていますね。しかも珍しく、他人にとっての分岐点に戻りたいと」

「珍しい? そうかしら。人なら当然でしょ」

「いいえ。そのような人はなかなか《夢目》の世界には訪れません」

「目的は何?」

「あなたが《巻戻りたい》と思っている分岐点にご案内してあげましょう」

「い、意味がわからないわ」

「聡明なあなたなら、もうお分かりのはずですが。一から解説が必要でしょうか」

「結構よ。聞きたくない」

 このミクって娘。私をタイムリープさせようっていうの? 

 私の身体、明らかに震えている。この娘は危険すぎる。

「怯えなくても大丈夫ですよ。私が聞きたいのは、一つだけ。《巻き戻して》とおっしゃりますか? それとも拒否されますか?」

「拒否権があるの? お優しいこと」

「そんなに構えて。私って怖いですか? なんだか自信なくします」

 ミクは美しい。

 モデルのクライアントも結構受け持ったけれど、こんな完璧な娘、見たことないわ。ただ、短すぎるスカートと長いニーソックスが気になるけれど。

「それで、嫌だと言ったら?」

「記憶を無くして、普通の生活に戻りますね。あなたの場合は、『仕事がうまく行かなかった』と後悔するくらいでしょうか」

「バカにしないで! そんな軽薄な神経で仕事はしてないわよ」

「では、《巻き戻して》とおっしゃりますか?」

「どうなるのかしら」

 その言葉を言えば、取り返しがつかなくなることを察知していた私は、出来るだけ言霊に出さないようにした。

「今の記憶をすべて引き継いだ上で、分岐点に戻れます。その後の事柄については、私は一切の関与を致しません」

「自己責任ってわけ」

「はい」

「何の得があるのかしら」

「得ですか。いつもその質問に困るのですよね。強いてあげるとすれば、周りで観覧している、《貴族》の皆さんがご満足されることでしょうか」

「《貴族》……な、この人達、普通の人間じゃないの」

「はい。時々、あなたのような方もお見えになりますよ」

 じっとこちらを見ている。表情は分からない。老若男女、まさにいろいろだ。

「さあ」ミクが急かした「《巻き戻して》とおっしゃりますか?」

 これで未来が本当に変わる保証はない。だけど、あんな殺人鬼を野放しにすることは出来ない。

 私は両手を握りしめて決意した。

「《巻き戻して》」

「承りました」



 ピピピ――。

「んんん。何時?」

 朝の六時、いつもの時間に起床して顔を洗うために洗面台に向かう。

「ん……。なにこの服!」

 いつの間にか私は着替えていた。

「いいえ」

 違う。ミクだ。あの時、着替えさせられた服だ。私は昨夜、バスタオルのまま寝ていたはずだ。

「面白いじゃない。いいわ、やってやるわ」

 私は鏡の中の自分に言い聞かせるように、決意を告げた。

 


 誤算がひとつあった。

 それは私が思った日付と違う日……事もあろうに犯行当日の日に来てしまったのだ。

 証拠の隠し場所も覚えているし、男の潜伏場所もすべて記憶している。

 けれど、これらは全部、これから起こることの未来日記だ。

未来ミクとはよく言ったものね」

 私は、殺人鬼を捕まえるために行動に出た。



「動けないって、どういうことよ!」

「警察は、起きてからしか動けない。知っているでしょ、松城さん」

「でも!」

「いくらアンタが本物でも、被害届も出てないのに、どうやって動けっていうんです」

「被害届があれば、動けるのね」

「松城さん、なにか無茶やろうとしてません?」

「失礼するわ」

 私はカフェの伝票を持ってレジに向かった。

 やはり長年の知り合いの村田くんに頼んでも駄目だった。

 残るは被害者、これから被害者になる予定の家に行くことだけど……。



 どう説明したら良いのか分からない。

 犯人には前科がない。これが一番厄介だ。

 また、犯行は誘拐された後に行われたのではなく、その場ですぐに行っている。

「子どもたちの後をつけるしかない」

 犯行時刻までもう一時間とない。

 家まで来た私は、後ろから見つからないようにした。



 私は腕時計を観た。

 もう二時間経っていた。

 おかしい、犯行が行われない。

 どうして?

 こうなったら、犯人の潜伏場所に向かうしかない。

 止めなくては。



「松城さん!」

「村田くん、どうしてここに」

「尾行してました、すんません」

 もしかして、警察の尾行がばれたせいで。

「ちょっと、どうしてくれるのよ。犯人が現れなかったのはあなたのせいよ」

「ちょちょ、落ち着いてくださいってば」

「もういい。着いてこないで」

「松城さぁん……。ああ、走って行っちゃったよ。ああもう、面倒くさい人だな」



「いない……」

 潜伏場所に着いた。空き家のその中には、少年少女の裸の写真ばかり。これは実在者だからこれだけでも児童ポルノ法で逮捕できるけど、足りない。

「どこ言ったのよ。あの男は」

 こうなったら、霊能力で。

 ここなら、後をたどるには十分の気がある。

「……見つけた! え、ここって被害者の家じゃ」

 私は慌てて走った。

 スマホに耳を当てた。

「もしもし、村田くん、今どこ? ちょっと、私なんかどうでもいいから、今から言う住所にすぐ車走らせて! ……え? 今向かってる? 分かった」



 私が家についたときには、村田くんが現場を抑えていた。

「やったわ。やっと犯人を現行犯逮捕できたのね。これで、この男は死刑よ」

「松城さん!」

「何よ」

 パーン……。

 ビンタされた。生まれて初めて、男の人に叩かれた。

「何すんのよ!」

「よく見ろ! これが喜べる状況か!」

 ……子供が三人、裸になって死んでいる。母親も死んでいる。三人目は、赤ん坊……。股を割かれていた。

「あれ……?」

「やっと目が覚めたか? アンタの言うとおりに確かになったよ。だけど……。ああ、チクショウ!」

「……あ、ああ……」

 村田くんは、自分がもっと早く駆けつけられなかったことを悔いていた。



「主文――」長い裁判の判決の日、裁判長は無情にも主文から読み始めた。

「――被告人を無罪とする」

 私を呪ってくれる被害者の家族は、もういない。



――「私は、《巻き戻った》後のことについては一切関与しません。〝皆様〟ご苦労様でした。それではまた、逢える刻を」

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