第五話 屈託のない笑顔

 私さえ我慢していれば、みんな飽きる。

「おっと、ごめん。足踏んじゃった」

 わざとだと分かっていた。

「ごめんって言ってんじゃん。ゆるしてよ、ね、ね」

 私は頷いた。

「あはは。じゃあね」

 イジメを楽しむ人達は皆、必ず「ごめん」を繰り返す。

 机に向かえば、そこは落書きだらけ。

 売女、ビッチ、変態、援交、一回十円……。

 教師も見て見ぬふり。

 靴はカバンに入れてても盗まれる。

 顔はいつもトイレで殴れた。

「ああ、すっきりした。ごめん殴って」

 もう私の顔は変わってしまった。髪で隠すようになったけれど、無理やり上を向かされた。

「あはは、こいつ歯がないぜ」

「笑っちゃってごめんねー」

 家に帰っても味方はいない。

 母親はスマフォゲーに夢中、父親は浮気。

 土日に顔を会わせれば喧嘩するだけ。

 誰も私のことなんて見てくれない。

 また今日も学校……。これでもマシだった。

 カバンを取り上げられた。

「河に捨てちゃうね、ごめんね。謝ったからいいよね」

「いいよ。……もうカバン要らないから」

 今夜はぐっすり眠れた。



「はじめまして、夢野魅苦ともうします。魅苦と呼んでください」

「ここは? どこ」

「《夢目》の世界です」

「夢の世界?」

「はい。《夢目》に来られる資格がありながら、なかなか来ていただけませんでした」

「夢か。そういえば久しぶりに見る」

「眠れるようになった理由、忘れたのですか?」

「理由?」

「ええ」

 突然、風景が変わった。

 ここは通学路、そして、はしゃいでいる人達がいる。

 あの中にいる、髪がボサボサで顔の見えない女子は、誰?

「まだ思い出せませんか」ミクさんは笑った。

 女子からカバンが取り上げられた。

「河に捨てちゃうね。ごめんね。謝ったからいいよね」

「いいよ。……もうカバン要らないから」

 その瞬間、カバンを持った女子はお腹を深く刺された。

 絶叫の中、一人残らず逃げていく、私をイジメた最低な奴らを殺した。

 殺したのは私、私が朝殺した。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「フラッシュバックですか? あんなにスッキリした顔で殺していたのに、どうして混乱するんですか」

「ここ、どこ。知らない場所」

「今あなたが眠っている場所ですよ」

「留置所……私、捕まったの」

「はい。立派な殺人犯として」

 私の顔は引きつった。

 後悔の念と、解放の気持ちが頭を駆け巡る。

「わ、私、もう人生お終いなの」

「そこでです。あなたは、人生の分岐点に戻りたいと思っていますね」

「分岐点……」

「幸か不幸か、あなたは殺人によって自らのストレスを解消し、こうして《夢目》の世界で私に出会うことが出来ました。実はもっと前から会えていたはずなのですが、残念ながら夢を見ていただかないことには、こちらから伺えませんので」

「何言ってんの。私、もう殺人鬼よ。いくら未成年だからって地元の人には顔はバレているし、すぐにインターネットに広まっちゃう。もう無理よ」

「だからこそ、お聞きしているのです。《巻戻りたい》と思いますか? 拒否も自由です」

「拒否すれば、私は殺人鬼として一生を過ごすの?」

「ですから、やり直せば良いのです」屈託のない笑顔で返した。

「あなたは怖くないの、私が。それとも、これは夢だから。都合のいい虚像を作ってるの?」

「怖がる? どうしてでしょう?」

 ミクさんが頭を撫でてきた。

 まるで警戒していない。

 私はそれに甘えてしまった。

「《巻き戻して》欲しい。もうこんな現実から消えたい」

「承りました」



「ねぇ、美虎みこ。どこの高校に受験するのか決めなさいよ」

「母さん?」

「何よ、変なところから声出したりして。ほら、パンフレットあるでしょ」

 久しぶりに名前で呼ばれた。

 高校に入って嫌いになった名前。美しい虎なんて、私のキャラじゃない。

「平成27年度、XX県内パンフレット……」三年前に見たものだ。

「さっきまで話してたでしょ。それでどっちにするの。全寮制と、ここから近い学校。美虎の今の成績だと、一流は無理だけと、このニ校なら大丈夫だって。この間の三者面談で言われたじゃない」

 私は確か、家に近い高校を選んだ。そして、全てが狂ったんだ。

「この、家から遠い全寮制がいい」

「奨学金払えるの? 返すのはあなたよ」

 この全寮制は私立の名の知れた学園で、推薦入学者は学費が免除、また補助金込みの奨学金も他の入学者には認められていた。

 奨学金は、名前を変えた借金だ。だけど私はもう、あの感覚を味わいたくない。

「頑張る。これ狙うから」私は、太丸で記された特例制度を指した。

 ●入試試験上位10名には、年間の学費を50%学園側が負担します。

 ●なお、1位の成績を取ったものには、副賞として初年度のみ、学費を全額負担します。

 それを聞いた母さんは呆れ顔をした。

「あんた、ちょっと本気? 狙う受験生は美虎だけじゃないのよ。それに後半年と少ししか時間無いのよ」

「やる! 母さん、やらせて」

「分かった。美虎がそこまで本気になら、父さんにも話しておくわ」

「お願い」

 私は、勉強プランを見直す作業に取り掛かり、その日は早く眠った。

 こんなに平穏な夜はいつ以来だろう。



 まだ夏休みだった。

 それを利用して、志望校の視察に行った。

 もう失敗したくない。ここでまたイジメがあったら、《巻き戻った》意味がない。

 職員室で見学の申し入れをすると、快く若い女性の先生が引き受けてくれた。

 線が細い、ショートカットの凛々しい先生だった。

「金林です。珍しい名字だから、覚えてね」

 屈託のない笑顔、一瞬ミクの顔が浮かんであの日のことを思い出してしまった。 

 気づかれないように、すぐに気を取り直した。

 一通り学園を案内された後、私はお願いをした。

「金林先生、お願いです。何度も見学させてくれませんか」

「え、どうして」

「私、高校選びに失敗したくないんです。出来たら授業風景とか、部活とかいろいろ見てみたいんです」

「それは良いけど、もし気に入らなかったらどうするの。受験は今年の冬でしょ」

「……浪人します」

「え⁉ 高校浪人? そこまで真剣に将来を考えている受験生も珍しいわね」

「いけませんか」

「いいえ。むしろ、ウチの大学受験生たちに聞かせてやりたいくらいよ。いいわよ。気が済むまで来なさい。他の先生にも話を通しておくから」

「ありがとうございます」私は頭を思いっきり下げた。



 塾に体験入学してみたけれど、誰も真剣じゃなかった。

 私みたいに人生かかった子なんて一人もいなかった。

 だから、一人で必死に勉強した。

 苦手だった歴史は、当時はまだ知られていなかった地政学を応用して覚えるようにした。理系は無理なので、捨てた。文系一本で勝負した。英語は、民間の資格試験で二級以上を取れば免除だったので、そっちを何度も受けた。

 他の高校も視察した。偏差値の低いところも全て回った。

 でもやっぱり、全寮制のあそこが良いと思った。なにより、個室なのがいい。その分、授業料はかなり高いが、せめて10位いないなら返せる目処がある。

 もしもダメなら、辞退してもう一度受け直す気だった。



 恋も友達づくりも漫画も全部捨てた。

 あの高校にさえ入らなければ、近寄らなければ、殺人犯になることはもう無いんだ。



 そして私は合格した。

 しかも1位だった。嬉しさのあまり、そこにいた金林先生と抱き合って喜んだ。

 私は、初年度の学費全額免除と、その後の学費半額の権利を手に入れたのだ。



 それから私は入学した。

 入試トップの人間として周りからかなり注目された。

 勉学に励む中、平穏な学園生活が送れた。

 その頃から、金林先生の部屋にちょくちょく呼ばれるようになった。

 先生は理系なので、授業で会うことがないのは残念だった。

 それでもまるで、本当の姉のように私に接してくれた。

 しだいに、金林先生のことばかり考えるようになった。

 今夜もまた呼んでくれた。

 ノックをした。

「いいよ、入って」

「はい。失礼……きゃっ」とても綺麗な下着姿に顔から火が出てしまった「すみません。着替え中――」

「待って」

 手首を捕まれた。

 そして壁に押しかけられた。

 顎を持ち上げられた。

「先生?」

「好きなの、美虎のことが。あむ……」

 唇を奪われた。

 私は、それを何処かで待っていたのかもしれない。



 それからと言うもの、私は毎晩のように金林……里津お姉さまのところに通った。

 半ば公認のような付き合いになって、周りの友達も祝福してくれるようになった。

 そんな、初めての夏休みの前日の夜。

 私がお姉さまの乳房に愛情表現を表していると、ふと聞いてきた。

「ねえ、美虎。夏休み、どこかに行こうか」

「連れて行ってくれるの? どこ?」

「海」

「海! 素敵」

「良かったわ。中日なかびだけ時間が取れたの。もうホテルの予約もしちゃった」

「こんな時期ときによく取れたね」

「たまたま、キャンセルが出たみたい。ネットだから理由はわからないけれど」

 私はお姉さまの唇を不意打ちで奪った。

「あむ……もう、こら……」

 私の胸は高鳴った。

 ――あの時のように。

「美虎? どうしたの」

「ううん、なんでもない」

 私はもう人殺しじゃないんだ。



 約束の日、電車とバスでホテルまでやってきた。

「良いところ。凄い。さすが先生」

「もう、関係ないでしょ」

 ロビーに入ると、私は思わず荷物を落とした。

 あいつがいる。

 《巻き戻る》前にこの手で殺した、あいつらのリーダーが、あんな風に笑っている。どうして、どうして、どうして、あんなクズが!

「美虎? どうしたの顔が真っ青よ」

「あ……。ごめん、急に疲れが出たみたい。部屋に行きたい」

「待ってて。チェックインしてくるから」

 ソファーに座って待っているときも、あの忌々しい顔から目が離せなかった。

 今日は寝るだけにして、明日海岸に行くことになった。

 その夜。

 私は眠れなかった。

 それはある可能性に思い立ってしまったからだ。

「もしも、あいつらも《巻き戻って》いたなら、あいつらはきっと私を殺しに来る」

 ミクさんは言ってた。

 夢を見れるなら逢えると。

 なら、その可能性だってある。



 夢でミクさんに逢えるかもと思ったけれど、全く違う夢ばかり。あの時の殺人風景ばかり繰り返し繰り返し見ていた。

 だけれど、飛び起きることもなく、何事もなかった顔で鏡を見ることが出来た。

 もう慣れたのだろう。

「ねえ、お姉さま、いつまで寝てるの?」

 返事がない。

 私はベッドまで戻り、布団をはいだ。

「お姉さま……いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! なんでどうして、お姉様が死んでる」

 私の服にも血がついていた。

 その隣りには、あのクズがいた。

 


 夢じゃなかった。

 私は昨夜、我慢できなくなって、夜こっそりあいつを探して刺殺したんだ。

 とどめの一撃を刺そうをした時、お姉様が……。

「美虎……もうこんなことはやめよう……」

「お姉さま、どうしてこんなクズを庇ったの」

「美虎、あなた《巻き戻った》んでしょ。ユメノミクさんが夢で教えてくれた」

「なんでそれを」

「一度私、こうなってたの。でも、やっぱり美虎を好きになっちゃった……ごめんね」



 それを思い出すには、私が刑事裁判として裁かれるまで時間がかかった。

 私は、いちばん大切なものを失った。

 なのに、鏡の前の私は……屈託のない笑顔をしていた。




――「笑顔は時と場合によりけり、のようです。それではまた、逢える刻を」

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