第一話 生まれ。

「今夜が峠です」

 医者の声が聞こえた。

 僕に巣食う癌は、発見が早かった。だけど、しつこく身体を蝕み、高校にも行ったどころかろくに義務教育も受けていない。

 学校がどんなところなのか、よく知らない。

 両親にはこんな身体になったことを申し訳なく思う。

 また、薬が効いてきた……。眠い……。明日は起きれるのだろうか。



「はじめまして。私の名前は魅苦、夢野魅苦」

「誰ですか。ここは何処ですか」

「あなたは今、《夢目》の中にいます」

「夢? 人生の最期にこんな可愛い娘に会わせてくれたんなら、夢の中でもいいや」

「いいえ。最期かどうかを決めるのはあなたです」

 長い黒髪を垂らしながら、ゆっくりと彼女は立ち上がった。さっきまで立っていたのではなかったのか。病気のせいで記憶が曖昧なのか。

 僕は口を開きあぐねていると、もう一度彼女は言った。

「さあ、最期にするのか。それとも《運命の分岐点》に向かうか決めてください」

「運命の分岐点? 僕は生まれついて癌だって言われて、これ以上どうしようもない。いくら夢だからってそんな冗談……」

「そう。あなたの後悔は『生まれ』、すなわち出生ですか」

「出生って、ちょっと。両親が変わるとかそんなこと言い出すんじゃ」

「さあ。それは分かりません」

「何がなんだか、さっぱりなんだけど」

「ただ私が出来ることは、《巻戻り》を行うだけ。後はあなた次第」

「巻戻り? 仮にそれが出来たとして、どうなるのさ」

「あなたの場合」後ろから声が聞こえた「受精卵の前後に戻るのか、両親が別の人になるのか……。それはわかりかねます」

「ちょっと」

「先程も言ったように、私は運命の分岐点にあなたを《巻き戻す》だけ。それ以上のことはしません」

「何なんだよ。こんな夢、早く冷めてよ」

「失礼ですが、あなたは明日目覚める保証がありますか?」

 医者の言っていたことを思い出した。

 今夜中に僕は死ぬかもしれないんだ。

「この魅苦に会えたこと、それがあなたが《巻戻りたい》と思った証拠。さあ、《巻き戻して》とおっしゃりますか?」

 もうどうせ夢だ。

 最期に見た夢にしては、おかしなことばかり言う。だったら……。

「分かったよ。《巻き戻して》 これでいい?」

「たしかに、承りました」

 母さん、父さん。僕はすぐに死んでしまう、迷惑がかかるけれど、……もう一度やり直すから


 ここはどこだ。何も見えない。だけど温かい。

 身体が動かない。

「先生、私達決めました。この子の出生前診断‎を受けます」

 母さんの声だ。

 出生前診断‎で何?

「分かりました。検査結果は後日、電話でお伝えします」

 身体が少し浮くのを感じた。母さんが立ち上がったのか。

「ああ、お母さん」医者が呼び止めてきた。

「結果か陽性だった場合なんですが、本当に中絶でよろしいんですね。結論を急ぐ必要はないんですよ。検査結果が出るまでに一、ニ週間はかかります。その間でもまた考えられては」

 ドアの開く音がした。

 母さんは何も言わずに出ていった。

「本当にいいんだな」

 お父さんの声だ。

「ええ。今朝、夢に出てきたんです。『僕はすぐに死んでしまうから、迷惑がかかる』そこではっと目が覚めて。これがもしも正夢だったら、私は赤ちゃんの意思を尊重するわ」

 え……。

 僕はたしか、生まれつき癌があったって……。

 嘘、嫌だ、僕、嫌だ、嫌だ……。




「彼はどうなったのでしょうか? それは私には分かりません」

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