二豆を煎じてティータイム1『ライトノベルの定義とその諸説』

 「積読」ができると、毎日を幸せに過ごせる気がします。全てを読み終えてしまった時の喪失感ほど辛いものもありませんが……。どうも、「ライトノベルに埋もれて死にたい」一条二豆です。



 さて、本題に入る前に、そもそも突然できたこの『二豆を煎じてティータイム』というコーナーが一体なんなのか、説明しておきたいと思います。



 週1回更新しているこのレビューですが、僕はできるだけ長く続けていきたいと思っています。ですが、このままのペースでいくと、なんと一年に訳50もの作品を紹介することになるんです!


 いやいや……無理ですから。


 このレビューには、僕が太鼓判を押して紹介できると思った作品しか上げるつもりはありません。そのため、その数は無限にあるわけではなく、むしろ少ないくらいで……1年に50個も皆が感動する作品が出るわけでもないですし、そもそも僕はそこまで裕福ではないわけで……。


 そんなわけで、5回に1回は『二豆を煎じてティータイム』と称して、僕のライトノベルに関するものの見解を好き勝手言っちゃうコーナーを作ってみました! できるだけ共感してもらえるように頑張りますので、よろしくお願いします!


 あ、ちなみにまだまだ紹介できる作品はたくさんあるので、すでにネタ切れとかではないですから!


 ようやく、本題です。


 ライトノベルを読んでいる者が誰しも1度は抱く疑問。それが、「ライトノベルの定義とはなにか?」ということです。難しい問題ですよね……よく友人に聞かれて困ります。気になるなら自分で考えろよって思いますよねー。


 これって本当に曖昧で、業界でもまだ明確な境界線は定まってないそうです。いろんな説があって、「マンガ・萌え絵のイラストが載っている」「キャラクターを中心として作られている」「若年層をターゲットとしている」等々。


 まあ今挙げた説がメジャーですね。これで全然、十分に説明できると思います。

 僕が「ライトノベルの定義とはなにか?」と聞かれたらこう答えますね、「レーベルで判断しろ」と。正直、いちいち説明するのって面倒くさいんでこう答えるんですけど、これで事足りると思うんですよね。これもとてもメジャーな説の一つなんですけど、超便利なんで面倒くさいときに使ってみてください。


 おっと、本当はこんなこと話したいんじゃなくて。


 今回は今挙げた諸説を一つ一つ検討していこう! という企画なのです。はい、どうでもいいですね。でも、そういうことを改めて見てみることでなにかが変わるかもしれません。なにかを再発見することができるかもしれません。


 ちなみに、今の発言に中身はありません。空っぽです。ただの受け売りです。


 ともかく、このコーナーはどうでもいいことを掘り下げていくという主旨なので! どうかお付き合いください!


 さて、まずは「マンガ・萌え絵のイラストが載っている」もの説。


 ライトノベルの特徴と言えば、なんと言っても目を惹かれる魅力的なキャラクターたちが表紙や挿絵を文字ではなくイラストとして彩っていることです。この場合、マンガ・萌え要素が入っている――いわゆる二次元絵というやつですが、その二次元絵であるということが重要になってきます。


 皆さんも知っての通り、ライトノベルにおいてそのイラストは重大な構成要素の一つです。ライトノベルを買うときにイラストを見て決める人は多いですし、有名なイラストレーターさんが手がけているものとなれば、作家さんがまだ名前を知られていない新米作家だったとしてもだいたい売れます。一般的な小説とは異なり、ライトノベルにとってイラストは購入する決め手の一つとなり得るのです。


 ただ、重要性の面については理解できたとしても、それがライトノベルと一般文芸の境界と考えられるでしょうか? もしこの説で境界を決めるとすれば、今まで幾人もの人たちが疑問を持ったことでしょう。


 一体どこからが二次元絵で、それがライトノベルとして適応されるのだろうかと。


 例えば、三上延先生の『ビブリア古書堂の事件手帖』があります。この作品はフジテレビにて実写ドラマ化された、古書を巡る謎を解き明かしていくという推理小説ですが、物語のメインキャラクターで主人公が働く古書店の店主である聡明な女性「篠川栞子」のイラストと、演じた女優のイメージが全く合わないと言うことで物議を醸しだしたりしました。越島はぐ先生がこの作品で書いたのは、果たして二次元絵だったのか? それは僕たちには判断しかねることです。(この作品の場合、三上延先生がライトノベル作家だったこともあるのでしょうか?)


 というわけで、そもそも二次元絵の定義がついていない時点で、この説で境界を作るのは難しいんじゃないでしょうか?


 次に、「若年層をターゲットにしている」もの説。


 この説、僕はなかなか的を射ていると思うのですが、というかライトノベルができた発端、その理由がこのようなことだったと思うのですが。しかし、それが真理だったとしても、この説を境界にするのは難しいでしょうね。


 若年層をターゲットにしている、それは結局作り手側の意図であって、僕たちがそれを知ることはありません。知らないのに、これは若年層をターゲットにしている、なんて勝手に決めつけるような横暴はできません。それゆえに、この説を境界にすることはできない。


 ただ、僕はレーベルで決めるという考え方が、この説に近いんじゃないかとは思います。それぞれの文庫に特色や傾向があるわけで、それがライトノベルに限定されていてもなんらおかしくはありません。『講談社ラノベ文庫』があるくらいですからね。


 しかし、ここで難しくなってくるのは、決してラノベばかりを発売しているわけではないところから出ているものをラノベにカウントするかしないかみたいな議論が稀にあるわけで……。


 この説もまた、微妙と言わざるをえないですね。


 最後に、「キャラクターを中心として作られている」もの説です。


 一般的な小説と言うのはなにかしらのテーマ・伝えたい思いなどがあり、それを物語というオブラートに包むことでできていますが、ライトノベルはその点毛色が違います。もちろん、そういう成り立ちの仕方をしているものもあるかもしれませんが。


 ライトノベルはキャラクターたちを中心にして物語が描かれ、その描かれた物語からテーマ・伝えたい思いなどが生じます。


 要するに、ライトノベルと一般文芸では重点を置いているものが違うと言うわけです。しばしばライトノベルが漫画のようだと言われるのはこのためでしょう。物語の成り立ち、重点の置き方を見ればライトノベルは漫画の方が近いんです。


 ただ、今の論点はライトノベルがどこにカテゴライズされるかというところにはないので、この話題は一旦置いておきましょう。


 この説もまた、見る人によって意見が分かれると言わざるを得ません。作者さんがはたしてキャラクターを中心に置いたのか、テーマ性に中心を置いたのかなんて、僕たちには知る由もありません。


 結論として、ライトノベルとその他の線引きは、僕たち消費者に判断することができず、それができるのはそれを書いた作家さんだけということですね。まあ書き始めたときからわかりきっていた結論ではありますが。


 現状、ライトノベルとして書いたつもりはないのに、そう祭り上げられている作品があるかもしれません。それがその作家さんの本意でなく不快になったり、あるいは幸いして売れたりすることだってあるでしょう。


 もしかしたら、いつかこの曖昧な線引きのせいで困る人たちが出てくるかもしれません。そう考えると、この境界に関する対策を誰かに早く取って欲しいと願うばかりです。


 以上、一条二豆でした。

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