第4話

 天から地上へと落下してから数分後、龍の姿はいつの間にか人間の女性の姿へと変わっていた。因みに服は着ている。だがまだ意識は回復していないらしく、目を閉じたままである。紫焔はゆっくりと立ち上がり懐から煙管を取り出した。そしてその煙管の先で意識があるかどうか確認をすることにしたのである。その方法は、煙管を大きく振り上げて頭に叩き付けるという荒療法であった。

 鈍い音がすると同時に竜人は頭を押さえたまま起き上がり、紫焔との距離を取ったのである。その速さは今まで意識が無かった者とは思えない位の俊敏さだった。だが、よほど激痛だったのか、涙ぐんでいる。

 「よしよし。まだ生きてたな」

 言いながら立ち上がり、紫焔は煙管を口にして近くの木に背を預けた。

 「聞きたい事も聞けないで死なれると困るしな」

 「なぜ・・・・・・?」

 「あぁ、殺さないよ? もし、死にたいなら色んな責任を取ってからにしてくれ」

 「責任?」

 「そうだ。俺の暗殺の目的は別としても、お前には責任を取らないといけない奴がいる。そうじゃないか?」

 それが何を指しているのか、竜人にはすぐ理解出来たらしい。俯き、小さく震えた。だが、すぐに顔を上げて紫焔の方を睨み付けたのである。その眼にはまだ殺意が籠められていた。だが、

 「あの人間を助けたいと、生かしてあげたいと思うのならば、俺の問いに答えろ」

 高圧的な、だがどこか優しさを含むこの一言にその殺意は消え失せたのである。

 「本当に・・・・・・」

 「ん?」

 「本当にあの娘を助けてくれるのか?」

 この質問に紫焔は静かに頷き、左手を突き出した。そこには黒き炎が集まり、刀の姿へと変わっていった。

 「冥王ハーデスの名と、この焔鷲丸に誓って」

 冥界の王の名前に国の宝刀。

 この二つに紫焔は誓約してみせたのである。

 それがどんな意味を持っているのか。しかも、その誓約を誓ってみせた相手は自分の命を狙おうとした者。

 一国を担う者のする事ではない事位、竜人の娘には分かっていた。

 今、自分の目の前に立つ者は稀代の王か、それともただのお人好しなのか。理解

に苦しむところではある。

 「おかしな人だな、貴方は」

 笑いながら娘は言った。

 どうやら、心を開いてくれたらしい、と紫焔は思った。

 焔鷲丸を地面に突き刺し、その場に座り込む。

 「では、名を聞こうか。竜人の娘よ」

 「私の名は、瑞葉。竜王の末娘にあたる者。人間界ではある地方の水の守り神として祀られている」

 「ほう。竜王の娘」

 竜族と言えば、天界でも最高神に次ぐ実力者集団と言われている。その竜族の長である竜王は、次期最高神に最も近い存在として、あがめられる。ただ、その強大軍事力と権力は天界とは言え敵を作る元でもあるらしい。だが、そんな力を持つ竜族に対し、堂々と正面から喧嘩を売るような集団は今までいなかった。最高神を守護するのは、竜族の使命。それが天界での共通の考え方であった。

 「で、その竜王の娘はなぜ、この俺の命を狙った?」

 「それは、父である竜王を助けるため・・・・・・」

 「助ける?」

 瑞葉は静かに頷き、言葉を続けた。

 「今、竜王はある場所に投獄されているの。最高神への謀反の罪で」

 「・・・・・・は?」

 瑞葉は、事の内容を理解出来ない紫焔に対し、事を最初から説明する事にした。

 天界の時間で数カ月前の出来事。

 竜族が住まう竜宮に最高神の使いを名乗る者と武装勢力がやって来た。

 その理由は、竜族に謀反の疑いがあるという事だった。

 何がどういうことなのか全く分からない竜族は、それは真っ赤な嘘だと、何者かが流した噂話だと、その者に話しをしたが、全く聞く耳を持とうとはしなかった。それどころか、申し開きがあるのならば、最高神の前ですればよいと、高圧的な態度を示してきたという。

 だが、竜王もその程度の挑発には乗らずに、逆に、最高神の使いにこう言った。

 「部族の王を捕らえるというのならば、それ相応の証拠と書状を出せ」

 天界には幾つもの部族が存在する。その王を捕らえるには最高神の署名の入った書状が必要になるものらしい。

 それが無ければ、いくら最高神の使いと言えども引き下がる他にない。そう思った矢先、使いの者は最高神の署名が入った書状を携えていたのである。

 「いかがかな、竜王殿? これでもまだ、従わぬというのであれば、武力を持って貴公を捕縛するが、如何?」

 竜王は書状に目を通すと玉座から立ち上がり、使いの者と武装集団に囲まれ、竜宮をあとにしたのであった。

 そして、竜王が投獄された場所は天界でも非道の者達が投獄される場所であった。その事が竜族全体に行き渡った時、武力を持ってして王を取り戻すべきという意見が持ち上がった。竜王は今まで最高神の盾として天界を守護してきた立役者である。その竜王を粗末に扱うとは何事かと、最高神は何を考えているのかと、そう声を荒げる者達もいた。

 一刻も早く竜王を救うべきという意見を抑え込んでいたのは、竜王の子達と、竜王の腹心達だった。

 ここで兵を挙げ、竜王を救出した所で、反逆者の汚名を着るのは火を見るよりも明らか。まずは、最高神に会い、事の真意を聞くのが先だという意見を承諾したのである。だが、最高神に会う事はおろか、門前払いを食らったのである。

 竜王の子達と腹心達はいよいよ武力を持って助けるしかないのか、という意見にまでいきかけていた。例え、最高神を天界を敵に回してでも、自分達の王を救い出す。その覚悟が固まろうとしていた矢先、再び最高神の使いを名乗る者が現れた。

 そして、こう伝えたのである。

 「竜王を救いたくば、冥王ハーデスを亡き者にすべし」

 と。

 「さすれば、最高神は竜王殿を牢獄から出すであろう」

 と。

 この意見に、再び会議が開かれた。

 それは連日連夜続き、色々な意見が出た。そして最終的にこの意見を受け入れたのである。最高神と天界を敵に回すよりも、冥界の王を亡き者にする方が良い。元々、初代の最高神と冥王は兄弟であったかもしれないが、それ以降の最高神と冥王に繋がりはない。幾度かの戦争がそれを物語っている。

 だが、ここでもう一つの問題にぶつかった。

 誰を冥界に送り込むかという事である。

 最初は竜王の嫡子が手を挙げたのだが、後々の事を考えると、それはまずいという意見で却下された。そして、この会議も十日を過ぎようとしたその時、瑞葉が名乗りを上げたのである。

 瑞葉は竜王の娘とは言え、愛妾の子であった。

 周りはその事自体、大した事と考えてはいなかったのでが本人はそうでも無かった。人格者である兄姉達から多くの愛情を注いでもらい、ここまで育ってきた上に、小さいとは言え、守り神の職までくれた竜王。その恩に報いる為に。

 冥界へ行くには方法は二つ。

 堕天するか、人間の身体を利用するか。

 前者で冥界入りすると、二度と天界には戻る事が出来ない。まず第一に堕天は天界を追われた者が行く先が無く、冥界へ行く事を言うのだ。

 そして後者。

 この場合は、人間の身体を冥界に捨て、自分は竜に変化すれば天界に帰還する事が出来る。ただし、体の良い人間がいるかどうかである。そんな時、瑞葉の守護する地域で川の氾濫が起きた。何日にも渡る大雨により川が増水したのである。

 そんな時、水神の巫女として祀られていた泉希の姿を見た。

 泉希はこの氾濫を抑えるために、神への生贄、つまり人柱に選ばれたのである。

 瑞葉はこの泉希の事を良く知っていた。

 自分がこの地の守り神として人間界に降りた日に、湖の社へと挨拶に来たのだ。

 それから毎日、泉希は瑞葉に祈りを捧げるとともに、色んな話しをしてくれたのである。

 そんな泉希が自分の住まう湖の底へと身を投げ、その身を捧げようとしているのだ。

 瑞葉は悩んだ。この人間の身体を使えば、冥界へ行きハーデスを亡き者にする事が出来る。そうすれば竜王を救える。だが、それは褒められる事なのか? 自分の目的のために何の力も持たない人間の娘を利用して良いのか。

 そんな瑞葉に泉希の声が聞こえてきた。

 「水神様と私は一つになれる」

 瑞葉は咆哮した。生まれて初めて天にまで届くような咆哮をあげた。

 何故か悲しくなり、どうしていいか分からなくなり、咆哮したのだ。同時に泉希の身体に自分の姿を入れ込む。そして次の瞬間、瑞葉は泉希と化し冥界への入り口へ立ったのであった。

 

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