第2話
王宮に戻ると、真っ先に出迎えにやってきたのは、侍従長である、アルゴであった。アルゴは獣人であり、顔は狼なのだが、服はタキシード風な姿で正装している。常に冷静で後ろに控えているこのアルゴなのだが、今回は少しだけ慌てているように見てとれた。
焔虎から降り、王宮内へと向かう紫焔に一礼し後ろへ着く。そんなアルゴの横にティスが並ぶ。
王宮内で給仕に勤める者達が皆、紫焔に頭を垂れていく。
「で、一体何が堕ちてきた?」
「それが、何と言いますか・・・・・・」
チラリとティスの方に視線を向けながら、アルゴは汗を拭いている。
「人間が堕ちてきたのです」
この一言に紫焔の足が止まる。
二人は先頭を歩く冥王に当たらない距離で立ち止まった。
「何だと?」
「だから人間が堕ちてきたの」
腰に手を当てながらティスがそう言う。
「・・・・・・それ、俺に急用だという程の内容か?」
「さっき言ったでしょう? 自分の目で確認して」
言って、ティスは廊下の先を指さす。その部屋の前には何人もの兵士達が立っている。紫焔の姿が視認出来ると背筋を伸ばし敬礼してみせた。そんな兵士達に右手だけを挙げて見せる。そして無言で部屋を開けるように視線だけで指示した。
部屋の扉が重い音を立てながら静かに開く。
青白い光が灯っており、奥の方に置いてある椅子に人間の少女が座っていた。服装は人間界の巫女みたいな恰好をしている。髪は黒く腰位までありそうに見え、首には不思議な首飾りをしていた。
紫焔はその少女に近づき目の前に座り込んだ。
「冥王様!!」
「危険でございます!! お離れ下さい!!」
慌てて止めに入ろうとする兵士達をアルゴとティスが視線だけで止める。その目には殺気が籠められている。
冥王の邪魔をすれば殺す。
そんな目をした二人を前にしたら、普通の兵士達動けなくなるに決まっている。
「二人とも、兵士達を脅すなよ」
言いながら紫焔は少女の顔の前に掌を向ける。そのまま数分間動かずにいた
そしてゆっくりと腕を下げて煙管に手を伸ばす。
「こいつは珍しいな」
煙を吐き出しながら呟いた。
虚ろな目をした少女は何も話さない。
今、自分の目の前で何が起きているのかが分からないのかもしれなった。それもそうだろう。少女の視界にいるのは異形の者もいるのだ。普通の人間ならば、これは夢だと言い聞かせるだろう。
「魂と肉体が繋がったまま堕ちてきたのか」
普通、人間が冥界に堕ちてくるということは、それは死を意味する。
肉体は人間界に残り、魂は冥界へと行く。
たまに人間界と冥界を繋ぐ穴を覗き込み、冥界へと堕ちてくる者はいるが、それでも穴を通過してくる途中で肉体と魂は分離してしまう。
「アルゴ。魔導院の爺さん達にはこの件を伝えてるか?」
「はい。すでに、使いの者を走らせましたので、もうすぐここに到着するかと思います」
「来ても無駄だ。こんな事例は冥界が誕生してから今まで無かったんだ。爺さん達が来ても何の役にも立たん。この娘をいじくって、分かりませんって答えるのが関の山だろう」
「では」
「ああ。来たら帰ってもらえ」
「承知致しました」
一礼してアルゴは部屋をあとにした。
紫焔は少女から視線を離さずに、
「人間。俺の声、言葉が理解出来るか?」
そう、ゆっくりと話しかけた。
そんな冥王の後ろにティスが立つ。
もし、この少女が冥王に襲い掛かろうとした時には、自分が盾になると決めていた。
だがその心配事は無駄に終わった。
少女は静かに頷いた。
「俺はこの冥界の王、ハーデスという」
「はーです?」
この時初めて少女が言葉を口にした。その言葉はその場にいる全員が理解出来る言語であった。
「おう。で、人間、お前の名前は?」
「泉希(みずき)」
「泉希か。歳は?」
「16」
「で、何でこの冥界に堕ちてきたのか、何が起きたか覚えているか?」
この問いには首を横に振って見せた。
天井を見上げて、別の質問を考える。
「お前のその恰好だが、それは人間が天の神に祈りを捧げるときに着用するもんだよな?」
首を縦に振り肯定する。
「私は今日、水神様に雨乞いの祈りを捧げるために、池の前で舞を奉納する予定でした。でも、あと少しで着くと思った瞬間、ここに座ってました」
「そうか」
言って紫焔は立ち上がった。
「あ、あの!!」
「ん?」
「私は元の世界に戻る事はできるのでしょうか?」
恐る恐る口にする。
煙管を口に咥え静かに煙を吐き出す。
「可能性は低い。まずお前がこの世界に来た理由が何かあるはずなんだ。それが分かれば、可能性が少しは上がるかもしれん」
ますます低くなる可能性もあるかもしれないと思いもしたが、それは言わなかった。
「そっか・・・・・・」
俯いて泉希は呟いた。
そんな姿を見ながら、紫焔は何が原因なのかを考え始めていた。
さっき、紫焔が口にした言葉である、泉希がこの世界に呼ばれた理由。
まず一つ。冥界にいる何者かが、人間界を覗いているうちに巫女である泉希の容姿に惹かれ、この世界に引きずり込んだ可能性がある。だが、そんな事が出来る人物はこの冥界では十人もいない。しかも、魔獣や幻想獣を召喚する訳ではない。別世界の住人を召喚するとなると、桁外れの魔力が必要となるし、準備にも時間がかかる。その上、これらを誰の目にも付かずに行おうとする事はまず不可能である。そしてそんな桁外れの魔力を備えている人物は冥王ハーデスこと、紫焔ただ一人であろう。
そしてもう一つの考え。
それは、何者かによる冥王ハーデスの暗殺。
この考えは紫焔は当然、アルゴもティスも頭の片隅にあった。
「ホント、玉座に座るって事は面倒くさいなぁ・・・・・・」
ため息と一緒に言葉を漏らす。
言いながら近くにいた兵士に近づいていく。
そして兵士の肩に手を置き、
「ちょっとだけ、貸してくれよ」
「はっ?」
兵士がキョトンとしたその瞬間、紫焔は兵士の腰から剣を引き抜き、反転して横一線、泉希に斬りかかったのだ。
「冥王様!!」
そう声が飛ぶと同時に違う物が飛んだ。
それは折れた兵士の剣だった。
折れた剣は宙を回転しながら、部屋の壁付近まで飛んだ。
この時起こった事を見逃さなかったのは、冥王とティスだけだった。
刀身が泉希に届くその瞬間、泉希の身体を青い光が包み込み紫焔の一撃を防いだのだ。
そしてその事よりもティスを驚愕させた事実があった。
一般兵士の剣とは言え、振るったのは冥王ハーデスである。
この世界で最も強力な魔力と力を保持する唯一無二の存在。
加減をしていたかもしれないが、その一撃を防いで見せたのだ。
「洒落になってないわよ?」
そんなティスを横目に紫焔は折れた剣を持ったまま泉希を見た。
泉希は今、自分が何をされたのかもよく理解出来ていない顔をしている。
「ティス」
「えっ? あ、はい。何でしょう、冥王様」
「泉希に湯浴みをさせてやって。そしてそれが終わったら、大応接間に連れてきてくれ」
「よろしいのですか?」
確認するように尋ねる。
その先に続く言葉が何なのか、紫焔も理解している。
冥王の暗殺を担いし者。
そんな人物を丁寧に、客人として扱えと、紫焔が指示したのだ。
「あぁ。それと、その兵士に新しい剣を準備してくれ。折れちまったからな」
「かしこまりました」
一礼して、ティスは泉希を立たせて浴場へと向かった。そのあとを兵士達も追おうとしたその時、
「あぁ、ちょっと」
「はっ、何でありましょう?」
「魔装騎兵隊の総司令官に伝言を頼む。俺の執務室まで、第13番隊隊長と一緒に来るようにと」
「かしこまりました」
敬礼し、その場から駆けて行った。
「さて。こっちはこっちで準備を万全にしとかないとな」
呟いて紫焔も部屋をあとにした。
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