冥王ハーデスの王宮日誌
たにやん
第1話 堕ちてきたモノ
その世界の空は、朝だろうと夜だろうと全く関係無く、不気味な程に赤黒い。それが普通の光景なので、この世界に住まう者達は何の違和感も感じはしない。新しくこの世界の住人になった者達にはかなりの違和感があるだろうが。
この世界は死者の魂が堕ちていく場所である冥界。
最高神ゼウスの弟、ハーデスが治める世界。
畏怖の存在であるハーデスであるが実は何代も代わってきている。
その方法は、先代ハーデスが指定するわけではなかった。冥界の宝刀「黒刀 焔鷲丸」。
その力は冥界はおろか、天界、人間界、魔界の全てを無へと還してしまうだけの力を備えている。それだけに扱いが非常に難しく、逆を言えば、この「焔鷲丸」を扱える者が次世代のハーデスになる事が出来るのである。そういう事で、何百年かに一回、この冥王を選ぶ日が来るのであるが、今回、その「焔鷲丸」に冥王として選ばれた人物は、これまでの威厳あるイメージから物凄くかけ離れた者だったのである。それまでの冥王ハーデスに選ばれる者は、冥界でもそこそこ名の通った貴族の出であったりしたのだが、今回は違った。その出で立ちは、まさに、一般人なのである。
肩口まである赤い髪を後ろで一つにまとめ、左前髪は左目を隠すほどに長い。その上、人間界の恰好が好きなのであろう。着流しに羽織姿で、腰には扇子と煙管入れをぶら下げている。人間界の言葉を使ってこの人物の恰好を言い表すならば、粋なのだろう。ただし、ここは冥界。逆に浮いてみえた。他人がどう思おうとも、本人も気にはしないし、周りの者達もそれ程口うるさくは無かった。この人物、名前を紫焔といい、歴代冥王ハーデスの中でも、初代に勝るとも劣らない魔力を持ち合わせていたのである。
ある日、冥王ハーデスこと紫焔は、公務の暇をみて外へと出た。元来、そこまでまじめな性格という訳では無かったのだが、なんの因果か冥王になってしまった手前、それなりに公務を熟してはきた。だが、それでも限界という物はあり、たまにこうして、外へ飛び出すのであった。
城から少し離れた場所に小高い丘がある。そこが紫焔の息抜きの場所であった。草原に寝そべり何もない空を見上げて頭の中を空っぽにする。一日に一回、そんな事をしないと息が詰まりそうになるのだ。目を閉じ無を感じる時間。それが冥王から解き放たれる瞬間だった。風だけを感じる。それだけが今を生きているという実感を与えてくれた。
「まぁた、こんな場所でサボり中か、冥王よ?」
頭の上から三つの声が聞こえてきた。
声の主はこの冥界の番犬、ケルベロスだった。
三つの首と六つの目。それに六つの耳。冥界に堕ちてきた者達を優しく招き入れ、出て行こうとする者には容赦無い仕打ちを行う。何も無い時は冥界を跋扈していた。
「門番の仕事をサボって暇している奴に言われたかねぇや」
上半身を面倒くさそうに起こし、頭を搔いて見せた。
左目に掛かる前髪を搔き揚げながら煙管に手を伸ばす。
「ワシの仕事はこの冥界から逃げ出そうとする輩を懲らしめるのが仕事じゃ。入ってくる輩には興味ないわい」
三つの鼻をフンッと鳴らし、紫焔の後ろに座り込む。
「・・・・・・冥王の玉座はそんなに居心地が悪いか?」
「分かんねぇよ、そんな事」
煙を吐き出しながら言う。
「なりたくて冥王になった訳じゃねぇしな」
「焔鷲丸に選ばれた者の定めじゃ。諦めい」
「・・・・・・諦めは人を殺す、か」
「何じゃ?」
「いや? 何か昔そんな言葉をどっかで聞いた気がしただけだ」
遠くを見つめながら紫焔が呟く。
「それはそうと、お前、気付いているか?」
「犬。仮にも俺は冥王だぜ? お前はないだろう?」
「気にするな。お前とワシの仲じゃ。それより、さっきから城で何かあったみたいだぞ? 上から下へとかなり騒がしい」
「城で?」
立ち上がり、城へと目を向けるが距離があるので紫焔には良く分からない。そこで、六つの目を持つケルベロスが説明してくれた。
どうやら城に何かが堕ちてきたらしいのだが、それが騒動の原因らしい。実際、何が堕ちてきたのかはケルベロスにも分からなかったみたいである。
因みに冥界へ堕ちてくる物の一般的な物は、人間界からの生物が大半である。それは人間から動物と多種多様で、大概は冥界と人間界を繋ぐ穴を覗き込んだ事が原因であった。
「どうせ、穴を覗き込んだ何かが堕ちてきたんだだろう? 良くある事じゃねぇか」
つまらなさそうに言うと、
「だったら、あそこまで騒動にはならんじゃろうが」
「だから、どう騒動になってるのか分かんねぇだって」
ケルベロスを少し睨みつけながら言う。
「あ、城から誰か出て来たな。あれは、ティスか」
「・・・・・・マジで?」
ティスとは冥王ハーデスの側近にして主席秘書官の女性である。
白銀の髪をしており、紫焔とは冥王になる前からの顔馴染みであった。
通称「白銀の魔女」と呼ばれており、その魔力は紫焔を除いて冥界で五本の指に入るほどの実力者であった。
翼の生えた蛇にまたがり、紫焔とケルベロスのいる丘へと物凄い速さで突っ込んでくる。
蛇から飛び降り、紫焔とケルベロスの前に立った白銀の女性は一人と一匹をきつく睨み付けてきた。
「この一大事に何を呑気にしてんのよ!?」
冥王の襟首を締め上げながらティスは怒鳴った。
「ち、ちょっと、ティスさん・・・・・・。い、息が出来ない・・・・・・」
そんな言葉も今のティスには聞えなかったみたいである。
紫焔の体は少しずつ地上から離れていき、宙に浮いていた。
「番犬!! アンタのその目と耳は飾りじゃないでしょう!?」
「とばっちりだ!! それより、白銀の」
「何よ!?」
「そのままじゃ冥王が死ぬぞ?」
「へ?」
言われて今、自分が締め上げている人物の顔を見る。
そこには口から泡を噴きつつ、白目にな顔色が青白くなりつつある冥王がいた。
慌てて両手を離し、ティスは一歩退いた。
生と死の間を経験する事ができた冥王は自分が初めてだったのではないだろうか、と王宮日誌に記した事はあまりにも有名な話しである。
「ご、ごめんなさい!!」
「死ぬかと思った・・・・・・。で、ティス。何があった? えらい騒いでいるらしいけど」
草原に座り込み、冥王は秘書官に尋ねた。
方膝を折り、冥王の前で頭を垂れる秘書官がこの問に答えた。
「恐れながら申し上げます。城に前代未聞の物が堕ちてきた故、冥王様のご裁断を戴きたく参上した次第であります」
先ほどの鬼の様な形相はどこかへと飛んで行き、今は有能な秘書官の顔をしている。この見事なまでの変貌ぶりにケルベロスは言葉を失くしていた。
「で、何が堕ちてきたの? 天界から神でも堕ちてきたか?」
「そんな訳ないでしょうが!!」
「冗談だよ。怒るなよ」
ティスは静かに立ち上がると膝の汚れを落としながら言った。
「堕ちてきたのは人間よ」
あまりに普通の事象が返ってきたので、紫焔はポカンとしてしまった。
「ただし、普通の人間じゃないわ。アンタの目でそれを確認してよ」
「だから、一応、これでもこの世界の王なんですから、もうちょっと言葉遣いに気を遣ってもらってもよろしいでしょうか?」
「何よ?」
キッと睨み付けられ、紫焔は大きくため息を吐いた。
こういう場合は、何も言わない方が上手くいく事がある。
そう自分に言い聞かせた。
紫焔は空を見上げ、指笛を吹いた。
すると、どこからともなく漆黒の姿をした虎が空から降りてきたのである。
この漆黒の虎は紫焔が冥王になる前から手懐けている生物で、名を焔虎と言った。
焔虎にまたがると、首元を優しく撫でてやり、腹部を軽く蹴った。すると静かに一歩を踏み出し、空へと駆け上がる。
そのあとにティスも続こうとした時、ケルベロスが声をかけた。
「白銀の」
「何、番犬?」
「今のアイツを支えてやれるのはお前さんだけだからな。しっかりやれよ」
「言われなくてもそのつもりよ。アレの扱いは師匠よりもあたしの方が得意なんだから」
「かもしれんな」
「じゃあね。ちゃんと門番してるのよ?」
「ああ」
ケルベロスにそう言うと、ティスは蛇の背中にまたがり、紫焔のあとに続いたのであった。
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