第130話 禁忌魔法の研究

「師匠のこと、お気の毒だったね」


 学院の通路を歩きながらディエネが言った。


 リンと一緒に法律学の授業の教室へ向かっているところだった。


「うん。ありがとう」


 曲がり角に差し掛かったところで一人の生徒とすれ違った。


 彼はリンを見るなりギョッとして、そそくさと走り去っていく。


「その……大丈夫なのディエネは? 僕と一緒に歩いていて」


 リンは顔を赤らめながら言った。


 ユインが追放されてからまたもや学院ではあらぬ噂が流れていた。


「気にするな」


「でも、ディエネは上級貴族だろ? 付き合いとか……」


「大丈夫だよ。そのくらいで失う付き合いなら所詮それまでの付き合いってことさ」


「ディエネ……」


「僕は君がどんな人間かそれなりに知っているつもりだ。師匠がそうだからと言って不正に手を染めるような人間じゃない。君もあんまり気にするな。根拠のない噂なんてすぐに消えるさ」


 ディエネはカラッとした調子で言った。


 リンは曖昧に笑った。


 あながち根拠のない噂でもなかったので。


「それはそうと、リンはこれから師匠どうするの?」


「ああ、それなんだけど、卒業まであと少しだし、師匠なしでいいかなと思って」


「……僕の伝手で良かったら紹介してあげるけど」


「大丈夫だよ」


「そうか。そうだな」


 ディエネは事情を察して押し付けがましい態度をとることなく引き下がった。


「師匠と言えば……研究書なんだけどさ」


 リンはギクリとした。


「えっ? なに?」


「魔導師は自分の研究について、必ず本として形に残すんだけれど、ユインの研究書はまだ見つかっていないらしいんだ」


「へ、へぇ〜。そうなんだ」


「不思議なことだ。警吏部の逮捕は不意を突いたもので、ユインはかなり慌てていた様子だったから隠す暇なんてなかったはずなのに」


「確かに……不思議だね」


 リンは努めてポーカーフェイスを装った。


 ディエネに内心の緊張を悟られないように。


「まあ、300階層の魔導師ともなればそれなりに沢山の隠し場所を持っているものだ。魔導師協会の人間と言えども迂闊には立ち寄れない場所も多い。普段からあまり人の立ち寄れないような場所に隠したのかもしれないけれど……、あるいは弟子が持っているのかもね」


「えっ? 弟子?」


「ああ、ユインの弟子の何人かは当局の追跡をかわして塔の外に逃亡した。彼らのうちの誰かが研究書を所持しているんじゃないかってもっぱらの噂だよ」


「それは危険だね。早く見つけないと」


「まあでも興味深いね。あのユインが誰を後継者に選んだのか」


「後継者?」


「ああ、魔導師は死の間際に自らが最も優秀と認めた弟子に自分の研究書を受け継がせる。今回は逮捕されたから少し事情は異なるけれど、それでも弟子の誰かに自分の研究所を渡したとすれば、それは実質後継者に指名したということになる。ユインが所持していないということは、直前で誰かを後継者に指名したということに……」


「ふーん。そっか」


 リンはわざとそっけない調子で言った。


「あ、ごめん。今、君にするような話じゃなかったね」


「ううん。気にしないで」


 二人は少し気まずい空気を引きずったまま、教室まで歩いた。


 リンは考えた。


 人間同士が本当にわかり合うことなんてできるのだろうかと。




 リンは自分の部屋に帰ると扉に鍵を閉めてから『禁忌魔法の研究』を引き出しから取り出した。


 内容のいくつかは難解で、しかもまだリンの読めない文字で書かれていたため、解読不能だったが、『黒竜召喚』の部分だけは、リンも専門分野だっただけにかなり詳細な部分まで解読することができた。


 それを読む限り、ユインはそこまで『黒竜召喚』に自信があったわけではないようだ。


「本当にこの魔法陣でいいのだろうか」とか、あるいは「『黒竜召喚』に必要なのはシルフではないかもしれない」とまで書いてある。


 つまりリンをそそのかしてやった一連の犯行はかなり出たとこ勝負だったということになる。


 リンは最近、ユインと一緒に過ごした最後の数日間のことをよく思い返すようになっていた。


 今思うと彼はいつにもましてせかせかとしていたような気がする。


 あの時にはすでに遠からず自分が捕まることがわかっていたのかもしれない。


 なんにしてもユインがリンに研究書を渡したということは自分を後継者に指名したということだ。


(なんでだよユイン。なんで僕をこんな研究の後継者に……)


 そう思いながらもリンは、暇を見ては、魔法文字の辞書を片手に『禁忌魔法の研究書』を解読していた。


 自分でも不思議だった。


 この研究書を所持しているだけでも危ないというのに。


 しかし、この研究所を解読すればユインの真意にたどり着ける。


 そんな気がした。


 リンはページをめくっているうちにとある一節に行き当たる。


「200階層に存在すると言う『ラフィユイの魔導書』。これさえ読めれば『黒竜召喚』についても何か分かるかもしれない」




 あるうららかな午後、リンはヘルドに呼び出されて街の外れまでやってきた。


 あたりには人っ子一人いない寂れた場所だった。


(約束の場所はここなはずだけど)


「リン。こっちだ」


 物陰から手だけ出して手招きしている。


 リンは駆け足で手招きの方へ向かって行った。


「つけられていないだろうな」


「ええ、大丈夫です」


「ならいい。ここだ」


 ヘルドがリンを連れて行った先には壁に魔法陣が描かれていた。


 ヘルドが呪文を唱えると異次元の扉が開く。


「今から1時間だけだ」


「はい。分かりました。すみません。こんなことまでしてもらって」


「なに。気にするな」


 ヘルドは愛想よく笑って言った。


 リンはヘルドの用意してくれた次元魔法を潜り抜ける。




 ヘルドの次元魔法を潜り抜けた先は緑の広がる場所だった。


 あたりには誰もいない。


 リンの足元には春夏秋冬の草花が満遍なく生えていた。


 植生としてありえない組み合わせだった。


 魔導師によって管理された森に違いなかった。


 リンがキョロキョロしていると奇妙なシマウマ模様の塊を見つけた。


 案の定、そこに目当ての人がいた。


 イリーウィアはシマウマ模様の毛皮をかぶせた大きなクッションにもたれかかってうたた寝している。


 リンは彼女がもたれかかっている毛皮の山、あれはなんだろうと思いながら、彼女に近づいた。


 それにしても彼女は気持ち良さげに寝ていた。


 今なら襲われても気づかないんじゃないかと思うほどに。


 いつも連れているグリフォンも近くにいなかった。


 リンが彼女に後一歩で触れられるというところで「グルルルルル」という唸り声が聞こえてくる。


 白黒の山が首をもたげて、リンの方にその牙を剥き出しにしてくる。


 白黒の山は巨大な虎だった。


 虎の唸り声をきっかけにイリーウィアの瞳がぱっちりと開く。


「ああ、来たんですか。リン」


「ええ。イリーウィア様」


「よく来られました。ではリン、あなたも白虎の背中でくつろいでくださいな。白虎、彼は敵ではありません。そんな風に威嚇しなくても大丈夫ですよ。静まりなさい」


 イリーウィアがそう言ってようやく白虎は剥き出しにされた牙をおさめ、また原っぱに寝転がる。


 リンはイリーウィアに言われるまま、彼女の隣に来て、白虎を背もたれに腰掛ける。


 ここは100階層にあるイリーウィアの私室。


 彼女によって特別にあつらえられているため、塔の中にいるにもかかわらず緑に溢れている。


 デュークに見つかることもない。


 例のデュークとの騒ぎのせいでお茶会を出禁になったリンは、ウィンガルドの上級貴族達に避けられるようになってしまったため、こうしてイリーウィアとこっそり会うようになっていた。


 リンは心地良い白虎の体毛に背中を預けて目を瞑った。


 白虎の体温と鼓動が伝わって来て心地よい気分になる。


「なるほど。イリーウィア様が眠ってしまうのも分かります。なんとも言えず心地よい感触です」


「そうでしょう?」


「ええ、どんな布団よりも柔らかい肌触り……」


「ふふ」


 二人は寄り添いあって目を瞑った。


「イリーウィア様。どうしてこんなに僕によくしてくれるんですか?」


「だってリン。あなたは愛情のない子だもの。可哀想でしょう?」


 その通りだ。


 リンはそれを言われても傷つかなかった。


 むしろようやく自分のことを理解する人間に出会ったなと思った。


「なぜそんな風に思うんですか?」


「シルフに聞いたんですよ。」


「カンニングですか。イリーウィアさんもズルい手を使うんですね」


「あら、私、結構ズルい手を使いますよ」


 リンが愛情に対して冷めた態度をとるようになったのは、まだミルン領にいた頃のとある出来事がきっかけだった。


 ミルンの領主は常々長男を愛していると言って自分の後継として周囲にアピールしてきた。


 しかしある日それは唐突に終わった。


 長男が彼の子供でないことが判明したのだ。


 それから彼は長男を冷遇した。


 意図的に遠ざけ、あまつさえ彼を戦地に追いやった。


 長男は故郷から遠く離れた戦地において虚しく死んでいった。


 どうやら領主が愛していたのは長男ではなく自分の血統だったようだ。


 血統に比べれば長男の能力、人格、そして彼との思い出なんておまけに過ぎない。


 後継には次男がなった。


 リンがショックだったのは誰もが領主の行いに共感していることだった。


「愛せるわけないよ。自分の息子でもない子供を」


 この一件以来リンは愛情に対して懐疑的になった。


 愛情は人を盲目的に、献身的にさせる一方で、その背後には醜い欲望、浅ましい下心、うすら寒い偽善があるように思えてならなかった。


 リンは愛情の尊さを説く者に対して、顔には出さないものの内心哀れみの目で見るようになった。


 リンが人に冷たくされたり、蔑まれたりしても大して落ち込まないのは、愛情とかその手のものにあんまり期待していないからだ。


(やっぱり変なのかな。僕の考えは)


「大丈夫ですよ」


 イリーウィアがリンの心を見透かすように言った。


「えっ?」


「そんな風に感じているのはあなただけではありません。誰もが恐れているのです。何かを愛することを。あなたも……」


 イリーウィアがリンに向かって手を伸ばしてくる。


 リンは何かを恐れるようにビクッと震えた。


「無理する必要はありません」


 イリーウィアはそう言いながらリンのおでこを優しく撫でてくれた。


「……はい」



 次回、第131話「ラフィユイの魔導書」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る