第131話 ラフィユイの魔導書

 リンは図書室で『ラフィユイの魔導書』について文献を漁っていた。


『魔導師名鑑』をめくっていくうちに『ラフィユイ』の名前を見つける。


「ラフィユイ……魔導書……あったこれだ」


(『禁忌魔法の研究』に記載のあった魔導書。ユインが黒竜召喚の手がかりになるかもしれないと考えていた魔導師。一体、どんな人なんだろう)


『魔導師名鑑』によるとラフィユイは既に亡くなっている人物だった。


 今からおよそ10年前に没している。


 冶金魔法を得意とする人物。


 最高到達地点は280階。最終成績は210階……


 リンは魔導師名鑑の内容をメモすると彼の書名で書かれた本が無いか『図書室の精霊』に聞いてみた。


『図書室の精霊』は図書室の建物を支える柱の一つに宿っている精霊だ。


 彼はこの図書館が建設された当初からずっとそこにいて本達を見守っていた。


 リンは柱に刻まれた老人の顔に向かって精霊の言葉で声をかけた。


「精霊さん。著者ラフィユイで本を検索して」


「該当なし」


 精霊はしゃがれた声で言った。


「ダメか。じゃあ単語と期間で検索」


 リンはラフィユイという単語とラフィユイの存命期間で検索をかけた。


「1528件ヒットしました。一覧を全て表記しますか?」


「お願い」


 精霊は柱に書名や資料名を浮かび上がらせて行く。


 柱はおびただしい量の文字で埋め尽くされた。


 リンは白紙の巻物を取り出して、そこに文字を吸い取って行く。


(新聞と名鑑ばっかり。一つ一つ当たって行くしかないか)


 リンは新聞室に入って資料を漁った。


 リンはラフィユイの名前が載っている新聞を古いものから順に調べて行くが、ほとんどは『ラフィユイが何階に到達した』とか『ラフィユイが何階に下がった』とかそういった記載ばかりで、ラフィユイの事績についての記事はなかなか出て来なかった。


 リンが順番に期間を追って調べていると、手伝いに来てくれたディエネが声をかけてきた。


「リン。そのやり方はまずい。新聞を調べるなら彼が一番活躍した時期を起点に調べた方が早いよ」


「あ、そっか」


 リンはディエネの助言に従って、調べ方を変えた。


 年度末の到達点だけを見て、ラフィユイが彼の最高到達点である280階に辿り着いた年を調べる。


 そこを起点に彼が最も脚光を浴びたであろう直前の期間に絞り、記事を漁って行った。


 ラフィユイの記事を辿って行くうちに分かったのは、彼は冶金魔法、特にミスリルやオリハルコンの製錬において成果を残した魔導師だということだった。


 ミスリルやオリハルコンの製錬には通常空間では到底生み出せない高温と高圧力、それこそ火山の中のような温度と圧力を必要とする。


 そのため本来大規模な機械設備が必要だったが、ラフィユイは基礎的な『質量魔法』と『妖精魔法』、そして特殊な鍋だけでそれをする呪文を見つけ出した。


 ラフィユイによって製錬されたミスリルやオリハルコンは他の製錬施設で作られた物よりも安価で高品質だったという。


 製錬の秘法について記した『ラフィユイの魔導書』は本人の死と共に紛失され、いまだに見つかっていない。


 そのためラフィユイの魔法は失われた技術の一つとなっている。


(凄いな。ミスリルやオリハルコンを基礎魔法だけで製錬するなんて。こんな魔法を発明した人でも200階レベルで終わるのか)


 しかし彼についての資料はそれ以上見つからなかった。


(アルフルドの図書館ではこれが限界か。後はやっぱり200階に行かないと分からないか。クソッ)


「おーい。リン。写すのはこれで全部かい?」


 ディエネが集めた資料を指し示してみせる。


「うん。ありがとう。ごめんね。なんか手伝わせちゃって」


「いいよ。丁度手が空いていたしね」


 ディエネが新聞に呪文を唱えると失われたインクの湿気が蘇る。


 紙を被せて写す。


 ディエネはしばらくその作業を繰り返した後、妖精に紙を運ぶ動きを覚えさせ、精霊に呪文を唱えさせ、作業を自動化していった。


 瞬く間に目当ての資料が印刷されていく。


 リンとディエネは作業が完了するまでの間、休憩をとった。


「この人、すごい発明をしたのに。なんで200階までしか行けなかったんだろう」


「たぶん、貴族の既得権益と対立したんだ」


 ディエネが言った。


「貴族と?」


「記事を見た限り、鍛治系ギルドと対立していたフシがある。おそらく製錬技術を買い叩かれそうになったのだろう。ラフィユイも相当頑固な人物だったようだ。技術が貴族の手に渡るのを防ぎたかったのか、弟子にすら魔導書を受け継がせず、墓場まで秘密を持って行った」


「そっか」


「おっと。写すのが終わったようだ」


 妖精が手を休めてぐったりしているのを見てディエネが言った。


 ディエネは妖精に魔力の篭った水を与える。


「それにしても。またマニアックな魔導師を調べてるね。何かの課題? それともまたテオと一緒に新しく事業でも始めるの?」


「うん。ちょっとね」


 リンが目を伏せながら言うと、ディエネは深く追求しないでいてくれた。




 次の日、リンは建築魔法の授業に行く途中で、ユヴェンとばったり会った。


「あ、ユヴェン。おはよう」


「おはよ」


 その日、ユヴェンは一人だった。


「一人?」


「ええ。友達が風邪で休んじゃって」


「じゃあ、教室まで一緒に行こっか」


「そうね。たまにはあんたと一緒に行くのも悪くないわね」


 二人は一緒に教室まで向かった。


 もう今期も終わりに差し掛かっており、授業も大詰めを迎えていた。


 教室の前でクルーガとばったり鉢会う。


「おお、リン」


「あ、クルーガさん。こんにちは」


 リンはちらりとクルーガの隣にいる水色のローブを着ている女性の方を見た。


 その女性はローブをだらしなく着崩して、肩と胸元をはだけてた服を着ている。


 少し蓮っ葉な印象の女性だった。


 彼女はリンに対して意味深な笑みを向ける。


 リンは戸惑い気味に笑みを返した。


 彼女の名前はパトルナ。


 クルーガの彼女だった。


 彼女を見るなりユヴェンは不機嫌になる。


「久しぶりだな。最近調子はどうだ?」


 クルーガが気さくに話しかけてくる。


「調子は……まあまあですかね」


「ワリーな。最近、稽古をつけてやれなくて」


「いえ。仕方ないですよ。クルーガさんも忙しいし」


 クルーガは最近、あまりアルフルドに降りて来なくなっていた。


 噂によると、今、200階に上がれるかどうかの瀬戸際だそうだ。


「クルーガさんは調子どうですか? もうすぐ200階に上がれるって聞きましたけれど」


「ああ、今年中に上がれるよう挑戦するつもりだぜ」


「頑張ってください。応援しています」


「ユイン追放の影響で200階層にいたあいつの弟子がごっそり抜けたからな。このチャンスにせいぜい階層をあげねーと……、っと悪い。お前には複雑な話だったな」


「いえ。大丈夫ですよ」


「そうか。まあ何にしてもしばらくはあんま構ってやれそーにねーんだわ」


「ええ、クルーガさんは階層上昇頑張ってください。僕も卒業頑張るので」


 リンとクルーガはしばらく教室の前で談笑していたが、不意にパトルナがクルーガの袖を引っ張って甘え始める。


「ねえクルーガ。早く教室行きましょうよぉ。今日はゆっくり相手してくれるって言ったじゃない」


「待てって。ちょっと今、後輩と話してんだから」


「え〜、いいじゃないそんなの。それより早く行きましょうよぅ」


 パトルナはクルーガの腕に自分の腕を絡めてだらしなくしなだれかかる。


「ったく。君は本当にしょうがないな」


 二人の側を年配の魔導師が通りかかって眉をしかめる。


 聖なる学び舎で一体何をしとるんだか、これだから最近の若者は、と言わんばかりの表情だった。


 ユヴェンはというとますます不機嫌になった。


 彼女は先ほどから憧れのクルーガがいるというのに話しかけることすらせず、ひたすらパトルナの事を睨んでいた。


 彼女が不機嫌になるのはパトルナが時と場所をわきまえないからというのもあるし、クルーガの彼女だからというのもある。


 しかしそれ以上に彼女が最も気に入らないと思っているのは、パトルナが平民階級である所だった。


 彼女のローブには鈍い金色の光を放つ留め金が付いていた。


 もちろんクルーガとパトルナが結婚することは無い。


 一時的な関係に終わるだろう。


 それでもユヴェンは二人が一緒にいるのを見るのが我慢できないようだった。


「ワリーな。リン。せっかく久しぶりに会ったっていうのに。あんまり相手してやれなくて」


「いえ。お気遣いなく。じゃ、僕達も行こう、ユヴェン。」


 リンはパトルナを睨んで動かない彼女の袖を引っ張って教室まで連れて行こうとするが、ユヴェンはなかなか動こうとしなかった。


「ユヴェン。クルーガさんに構って欲しいのは分かるけど、クルーガさんも忙しいんだから」


 リンがそう言うとユヴェンは意地を張ったようにそっぽを向いて、「別に。構って欲しくなんてないし」と言いながらズンズン先を歩いて行った。


 リンはやれやれとため息をつきながら追いかけようとすると、すれ違いざまにパトルナがリンの胸元に触れるのを感じた。


(えっ?)


 胸元のポケットを探ると中に何か紙が入っている。


 リンが振り返った時には、すでにパトルナはクルーガと一緒に教室の中に入った後だった。




 リンは胸ポケットに入れられた紙を取り出してそこに書いてある日時と場所を確認してから学院内にある談話室に入った。


(ここであってるよな)


 リンが見回してみると、すぐに目当ての人物、パトルナが手を振っているのをみつけた。


 彼女は一人だった。


 クルーガはいない。


「お待たせして申し訳ありません」


「ううん。いいのよ。こっちこそごめんね。急に呼び出したりして」


「それで。一体どういったご用件ですか?」


「……」


 パトルナは黙り込んで視線をあらぬ方向に漂わせる。


 リンは不思議に思った。


 自分から呼び出しておいて何も話さないなんて、一体どういうつもりだろう?


 リンは彼女が話し出そうとするまで、レインの頭を撫でて待った。


「ユインさんのことお気の毒だったわね」


「ええ。どうも」


「……」


 また話が途切れる。


(何か言いにくいことなのかな?)


 そこまで考えて、リンは周囲の人間が遠巻きに自分達を見ていることに気づいた。


 どこからともなく囁き声が聞こえてくる。


「おい。あれ」


「リンだ。一緒にいる人は誰だろう。100階層の魔導師のようだけど」


「クルーガの彼女だよ。一体どうして二人が……」


 リンがチラリと声の方を見ると、彼らは見ていないフリをして視線を反らせた。


「あの。パトルナさん。大丈夫ですかね。僕と一緒にいて」


「? 何が?」


 パトルナはよく分からないとでも言うように首を傾げた。


「その……例のユイン追放の件で僕は協会に出頭したじゃないですか。それで今、僕は学院で色々噂を立てられているんですよ。僕とあまり親しくしているところを見られるとパトルナさんに迷惑がかかるのではないかと思って……」


「ああ、いいのよ。気にしないで。所詮は学院の噂でしょう?」


「はあ」


「私も学院生の時はそういう噂にいちいち神経をとがらせていたけれどね。100階層に行けば分かるわ。人の目なんか気にしていられないって。些細な噂とか評判なんて何の意味もないのよ。あなたも気にすることないわ」


「ええ。僕は気にしません。ただ僕のせいでパトルナさんにまであらぬ疑いがかけられるんじゃないかと心配でして」


「優しいのね。クルーガとは大違い」


 パトルナは悩ましげにため息をついた。


 リンは何となく嫌な予感がした。


 彼女は一体何の相談を持ちかけようと言うんだろう。


 そうこうしているうちにまた何処かから声が聞こえてくる。


「あ、リンだわ」


「一緒にいる人は誰?」


 リンとパトルナは何となく気まずくなってくる。


「あの。どこか別の場所に行きませんか?」


「そうね。もっと静かに話せる場所に行った方がいいかもしれないわね」


 二人は個室のある喫茶店に移動した。




「実はね。クルーガが本当にもうすぐ200階に行くかもしれないの」


「へえ。それはおめでとうございます」


 そう言うとパトルナは複雑そうな顔をした。


(あ、そっか。クルーガさんが200階に行くということは、パトルナさんとは会う時間が少なくなるのか)


 リンは彼女の立場に立って考えてみた。


 彼女からすればクルーガと会えなくなるのは寂しいけれど、素直にクルーガの昇進を祝えないというのは嫌な女だ。


 けれどもやっぱりクルーガに会えなくなるのは嫌だし……。


「パトルナさんとしては難しいところですね」


「そう。そうなのよ。分かってくれるかしら」


 パトルナは身を乗り出してくる。


「ええ。クルーガさんはそれについてどう言ってるんですか?」


「なにも。こっちがそれとなく話題を振っても、いつもはぐらかすの」


「はあ……」


「ねえどう思う? あの人このまま別れてしまうつもりなのかしら」


「いや、クルーガさんはいい人ですし、そんな冷たいことは……」


(あ、でもあの人、結構切る時はあっさり切るんだっけ)


 リンはエリオスが死んだ時のクルーガの冷たい態度を思い出した。


「そうですね。クルーガさん別れるつもりなのかも……」


「きっとそうだわ。そうに違いない」


 彼女は泣きそうな表情をしていう。


「でも200階に行かないでとか言うなんて、クルーガの足を引っ張っているみたいで嫌でしょう?」


「はあ。そうですね」


(でもそれを言うなら、どの道二人はいずれ別れる運命なんじゃ……)


 別に今別れても後で別れても同じではないかと、リンは思ってしまった。


 なぜこうも人は自分の手の届かないものを追い求めてしまうのだろう。


「ねえ。リン」


 パトルナは突然リンの手を握って顔を近づけてくる。


「は、はい」


「どうにか私も200階に行く方法はないかしら」


「ええ。そんなの僕に聞かれても……」


「あなたウィンガルド王室のイリーウィア様とも懇意にしているんでしょう? 何か……その手の伝手ってない?」


「そんなこと言われても。僕も最近、ユインの件で王室茶会から遠ざけられていますし……」


「……そう。それじゃあもうどうしようもないのね」


 パトルナはがっかりしたように目を伏せた。


 リンは彼女のことが気の毒だったが、それ以上はどうしようもなかった。




 次回、第132話「200階へ」

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