第129話 追放
リンは魔導師協会の警吏部に出頭していた。
取調室は窓のない殺風景な部屋だった。
リンは部屋に一つしかない年季の入った机に座らされた。
しばらくするとカツカツと靴音を立てながら担当者らしき男が入ってくる。
「私は魔導師協会警吏部のダミアンだ。君の尋問を担当させてもらう」
目の前の男はキビキビとした動きでファイルを開きながらしゃべり始めた。
ダミアンはいかにもお役所仕事をしている人という印象だったが、くたびれた様子はなくむしろ適職を見つけてしっかりと社会の一員として根を下ろしているという感じだった。
リンは緊張した面持ちで椅子に座っていた。
一体どのような尋問を受けるのだろうとおどおどしていた。
何せ王族の精霊に手を出そうとしたのだから、どんな罰を受けることだってありえた。
ところが尋問の担当者はリンのガチガチに緊張した態度を見ると苦笑した。
「なあに。そんなに緊張しなくてもいい。少し話を聞きたいだけだ。君が何も悪いことをしていないのはよく分かっている」
(あれ? 僕は逮捕されないのか?)
そう思いつつもリンは油断せず気を引き締めた。
どんな発言が罪状を重くすることになるか分かったものではない。
「では始めよう。まず初めに君は魔導士ユインの弟子で学院魔導士のリンであることに間違いはないね?」
「はい。間違いありません」
「では君がユインと出会った経緯だが……」
尋問官はなかなか本題に入らず遠回しにリンとユインの馴れ初めについて細々とした点について聞いてきた。
リンは聞かれたことについて正直に、しかし簡潔に答えた。
尋問が進むにつれてリンの逮捕されないんじゃないかという希望は膨らんできた。
担当者の口から、イリーウィアやシルフの名前が出てくることはなかった。
どうやらユインは別件で逮捕されたようだった。
「なるほど。君のことはよく分かった。では聴取はこれで終わりだ。もう帰ってもいいよ」
「あの、師匠は……ユインは一体何をしでかしたんですか」
「沢山のことだよ」
尋問官は教えてくれた。
彼の容疑について確定していることも、疑われていることも。
リンはそこで自分が関わっていたことなどユインの犯罪行為のほんの一部にすぎないことを知った。
彼は金を集めるためにありとあらゆることをしていた。
レアアイテムの密輸や公金の横領、脱税、粉飾決算。
弟子を使った犯罪教唆。
リンはユインの及んだ犯行の幅広さに驚いた。
そういえば彼はいつもせかせかと忙しそうにしていた。
思えばあれは捕まることへの恐怖と焦りの表れだったのだろうか。
「いや分かってたんだよ。君がユインの犯行に関与していないことは。彼の自室に残っていた資料から数いる平民階級の弟子達は一人残らず利用されていたことが分かっているが、君だけは特になんの証拠もなくてね」
ダミアンは念のため書類を確認しながら言った。
「最近はやや頻繁に会っていたようだが、大方君を介してウィンガルド王室から金をだまし取ろうとしていたのだろう。よもや君はウィンガルドの姫君を詐欺にかけようなどとはしていないだろうね?」
尋問官は冗談めかして聞いてきた。
「まさか……」
リンも笑いながら否定した。
本当はもっと恐ろしいことをやろうとしていたのだけれど。
「ユインが行った中で最も重大な犯罪は大精霊に手を出そうとしたことだ」
「大精霊!? 大精霊っていうとあの巨大樹に宿り塔の中枢を支えているいう大精霊ですか?」
「ああ、君はユインが一度追放された身であることを知っているかね?」
「追放? いいえ」
「では話そう」
ダミアンは話してくれた。
ユインの生い立ちと一度目の追放の経緯について。
「彼は復讐するために塔にやってきたのだ」
「復讐?」
「そう。彼は由緒正しき貴族の家柄だったのだが、ある日、塔の魔導師によってあらぬ容疑をかけられてしまい財産を奪われた。彼の一族は皆罪人として処刑され、彼自身も投獄された」
「そんなことが……」
「彼だけが罪を許されたのは他でもない。彼に魔導師の才能があったためだ。当時は魔導師が不足していたからね。彼の才能は十分貴重だったのだ。彼は塔の魔導師となるべく学院に通い修行を積んだ。しかし彼は結局塔に帰順することはなかった。彼は塔への復讐を目論み、塔の生産活動を支える大精霊を死滅させようと試みる」
「大精霊を死滅……」
「そうして一度追放されたわけだが、彼はまたもや塔に戻って来る。その際の条件が魔導師の才能を持つ者を塔に連れて来ること。珍しいのだよ。資質を見抜ける能力は。それで今度こそ塔に帰属するかに見えたユインだったが、今度は弟子を使って塔への反逆行為だ。性懲りもなく大精霊を狙ってきた。彼の日記や研究資料に大精霊の死滅を仄めかす記述が多数見つかっている」
「でも大精霊に接触するには500階層の魔導師、評議会議員にならなければいけないんじゃ……、あっ」
(だから『黒竜』を召喚しようとしていたのか。それで評議会議員になって……。もしかしてシルフを生贄に捧げようとしたのは……、いずれは大精霊も生贄に捧げるために……、そのためのテスト……)
「馬鹿な奴だよ。犯罪に手を染めてまで、500階を目指そうとするなんて。自分にそんな才能がないことくらいわかっていただろうに」
魔導師協会から出ると心配したテオとユヴェンが迎えに来てくれていた。
「リン。大丈夫か?」
「テオ、ユヴェン……」
「警吏部に出頭したって聞いたわよ。大丈夫? 何かひどいことされなかった?」
ユヴェンはリンの手をとって心配そうに顔を覗き込んでくる。
「うん。僕は大丈夫。でも師匠が……」
「ユインは明日にも見せしめにされた上で、追放されるらしいぞ」
「見せしめ!?」
「ああ、まだ何の刑罰かは分からないけれど、闘技場で晒し者にされるらしい」
翌日、魔導士ユインの処罰が布告された。
人々は塔への反逆を企てた愚かな魔導士が見せしめにされるのを一目見ようと闘技場に押し掛けた。
リンも客席に詰め寄せる。
ユインは黒いローブを剥ぎ取られ、口を塞がれ腕に鎖を巻きつけられた状態で闘技場に引っ立てられた。
鎖が解かれると杖一本だけ与えられる。
見せしめが始まる前に職員による演説が行われた。
「この男は魔導士協会のしもべ、300階層に住むという確かな身分にありながら、塔への反逆を企てた。あるまじき忘恩の行為。この報いとして魔導師協会は特別にこの男を見せしめの刑に処することを決めた。この男には闘技場で魔力が尽きるまで戦ってもらう」
主催者が演説を終えるとユインの目の前に描かれた魔法陣が瞬き、檻が現れる。
中にはイキのいいライオンが入っていた。
檻が開けられるとライオンはすぐさまユインに飛びかかる。
さすがに300階層の魔導士だけあって杖を一振りしただけでライオンの首をへし折ってしまう。
次に闘技場に放たれたのはキマイラだった。
その次にグリズリン、ミノタウロス、……10体目の魔獣を相手にした時、流石のユインも息が切れ始め、15体目でフラフラになり、足元が覚束なくなってくる。
16体目の魔獣を倒した時、ついにユインは力尽きた。
魔力が底をつく寸前、ユインは観客席の方を見た。
リンをみつける。
目が合う。
リンはギクリとした。
ユインが意味深な笑みを向けてきたからだ。
ユインは倒れ、観客席から喝采が起こる。
係員の者たちが闘技場に出てきて、魔力の切れたユインを再び鎖で縛りつける。
その日のうちにユインは塔の外、東方にある砂漠の果てに向けて追放される。
翌日、リンは魔導師協会に呼ばれた。
ユインが追放されたため、師弟関係解消の手続きをするためだ。
協会の職員はリンに対して同情の念を示した。
「君も気の毒だね。ユインのせいで余計な手間を取らされて」
「いえ。僕は大丈夫です。お気遣いなく」
「一応、学院魔導師の間は師匠に師事するのが慣例だけれど、もう君は卒業間近だ。君さえよければ新しい師匠は斡旋しなくてもいいと思っているんだが……」
「はい。僕はそれで結構です」
「では特例で新しい師匠はなしということにしよう。それはそうとミルジットのことは知っているかね?」
「ええ。ユインに言われて面倒を見ていたので」
「そうか。では話が早い。彼女は君と違ってまだ師匠が必要だ。もしよければ、卒業後、ミルジットの師匠になってくれないかね? もちろん協会から手当は出させてもらうから」
「僕がですか? でもいいんですか? 僕なんかが師匠になってしまって」
「ああ、100階以上に進んだ者は弟子をとっても良い決まりだ。兄弟子が弟弟子の師匠になるというのもよくある事だよ。それに……彼女の家庭は……そのなんというか少し複雑でね」
担当者は決まり悪そうに言った。
「新しい師匠をあつらえるというのも少し大変でね。要するに誰もなりたがらないのだ」
「分かりました。卒業したら、僕が彼女の師匠を引き受けさせていただきます」
「引き受けてくれるかね。いやあ助かるよ。一々新しい師匠を探すのも大変でね」
職員は余計な手間から解放されてホッとした。
彼からすればユインの追放によって生じたゴタゴタもたくさんある飛び込みで生じた仕事の一つでしかなかった。
リンは魔導師協会から自宅に帰るとベッドに倒れこんだ。
ユインがいなくなって肩の荷が下りたような気もしたが、その一方で空虚さが伴っていた。
ユインにとって自分は一体なんだったのか。
なぜあれほど自分をいじめておいて、犯行には口をつぐんだのか。
ダミアンによればリンとミルジット以外の弟子は残らず共犯のかどで罰せられたそうだ。
他ならぬユインの証言により。
(どうしてだいユイン。僕はたくさんいる捨て駒の一つに過ぎなかったんだろ? 少しでも自分への罰を減らすために罪をなすりつければよかったじゃないか)
リンが枕に顔を埋めていると、突然レインが胸元から飛び出した。
どこからともなく入って来た見覚えのない黒いペル・ラットと戯れる。
しかしそのペル・ラットは明らかに一回り大きかった。
黒いペル・ラットはリンの方をじっと見据える。
リンは黒いペル・ラットがユインの魔力を発していることに気づいた。
「君が僕のことを監視していたのか。レインから僕のことを聞き出して……」
リンが呟くように言うと黒いペル・ラットは霧になって消える。
後には手紙と一冊の本が残された。
リンは手紙を取り出して読み始める。
「リンへ
人が事を為すのに本当に必要なのは志だけだ。
確かな志さえあれば人も金も才能さえ集まってくる。
この世界では、お前のようにフラフラしている奴が最も餌食にされやすいんだ。
塔の頂上を目指すなら志を持て。
ユイン」
リンは本の方にも目を通してみた。
タイトルには『禁忌魔法の研究』と書かれている。
リンはため息をついた。
それは彼がしてくれた初めての師匠らしい計らいであるように思えた。
「あんたも困った人だね。いなくなってからようやく師匠らしいことをするなんて」
リンは引き出しの中に本を入れて、誰も開けられないように鍵を閉めておいた。
次回、第130話「禁忌魔法の研究」
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