第2話 変人の出会い
それは肌寒さを感じ始めた季節だった。
フランソワ共和国との対立が本格化し始めていた時期だ。
帝都ベルンの一角にあるカフェテリアに呼び出しを受け、私は待っていた。
戦局の悪化によりけっして宜しくはない食糧事情に、かなりの席数があるカフェテリアにも拘らず客は疎らで閑散とした雰囲気。
前線より唐突に後方へと呼び戻された私は、参謀本部に着くなり上官に命令書を投げて渡された。命令書の内容は前線に赴く従軍医団の護衛と云う内容であった。
従軍医団といってもそういった技能知識を会得している経緯を持っている者は片手の数もいない、現場経験を積ませるためだ医大生など従軍医補佐が殆ど。
個々人の評価表はもらって入るが誰も普通。
人を治療できるという特殊技能を除けば大半が民間人だ。
こんな者たちに銀翼突撃章を持つ軍魔導士官を付けるとは大仰な事この上なかった。
まあ、護衛するのは前線まで。大切に送り届けよう、送り届けるが――
「どうしてこうも時間にルーズなのだ」
軍役に就いていないにしても社会人として遅刻はいただけない。
ただ単に医者と言う人種がそういったものなのだろうか? いや国民性として遅刻するぐらいなら一時間待った方がいいと言う国だ。
時間は無限だと考えているのだろうか? そんな馬鹿なことがあるか。
時間は有限だ。人生という絶対有限時間をどれだけ有意義に、価値の在るものとして消費するかが人生の命題だろう。
それを戦時下という徒でさえ生き難い世情で、無意味に時間を消費する行為が信じられない。生きている意味なしだ。
即刻弾劾してやりたいが、残念ながら相手は軍医だ。
今回護衛を賜った軍医団は元が民間人の上に、上官としての階級を与えられている。
そもそもの命令系統も違いこちらからどうこう言ったとしても、あちらが変える気が無ければどうしようもないのが現状。
ある程度の身辺保護の都合上の命令は従って欲しいが、これでは望み薄だろう。
懐中時計を見て時間を確認、そろそろ五分を過ぎようとしている。
捜索願でも出すべきか。近頃は帝都の治安もよろしくなくゴロツキが医師団の道具を密売目的で強盗を働いている可能性もある。
動こうかとしたときに一人目が現れた。
着慣れぬ軍服に股ずれでも起こしたのか歩き方が変であった。
軍医の腕章を付け少年。当時の私と同じぐらいだろう。
艶やかな栗毛に淡褐色の瞳、血色の良い垢抜けない顔つきが印象的だ。
ふわりと香る匂いに、気が抜けそうになる。不快な匂いではない、心地良い匂いといっていい。どこか落ち着く甘い匂いが彼を中心に漂っていた。
カフェテリアのトレーを両手に持ち、その上には湯気が立つコーヒーと胸焼けを起こしそうな甘ったるいワッフルがある。
「まだみんなはきてないの?」
「……」
その少年は正面の席に座り、ワッフルを食べ始める。
腕章を見る限り、医官大尉であると証明されている。同年代で上官と言うのは少々信用できない。誰かの七光りか、変に勘ぐってしまう。
「ここのワッフルはすっきりした甘さで美味しいんだ、珈琲も工場の廃液みたいなただ苦くって臭い豆の絞り汁じゃないんだよ。少尉殿?」
「失礼ですがお名前をお聞かせ願いますか?」
私がいくら若年で物覚えがいいといっても、半日前に渡された個々人の評価表の内容と人物の名前と顔を一致させるのは苦労する。
少年は信じられない速さでワッフルの一枚目を平らげ、名乗った。
「ヴォーヴェライト・ジーヴァスだ。ターニャ・デクレチャフ少尉、君のブロマイド持っているよ」
「光栄です」
「本の冊子に丁度いいんだあれ、スカート姿の君似合ってなかったねえ、あれじゃあ一種のアイドル? いやアイドルなら楽しくやるか。こんちくしょうって雰囲気が写真越しからも感じ取れたよ。君みたいなお人形さんは尚の事雛形になりやすいだろう。興味は薄いが応援するよ」
出会い頭に失礼な事をすらすら言う奴であった。
スカートやあの姿は不愉快極まりなかったことは確かだが、これを本人の目の前で慎み無く言葉にする人間はいなかった。
落ち着きなくワッフルを平らげ、ヴォーヴェライトは珈琲を一口のみ息をつく。
「すまない。抗不安薬と催眠剤の影響だ、饒舌なっている」
「持病ですか?」
「いや違う、帝都に召還されて来る方法が飛行機しかなくてね。私は高所恐怖症で、気絶か眠っている状態でないと飛べない。それでこうして催眠剤と、起きてしまったときのために抗不安薬を一緒に飲んでいる。け、けけ、け、結果としてこういった症状が出てきてしまっている。くそっ口渇まで出ている」
この様子を見ていてこの医者には罹りたくないと心裡で思う。
見る限り信用に値しない。私も言えたことではないが、ヴォーヴェライトは身体的に若すぎだ。
医者とは人の命を預かり延命させる仕事だ。それをこんな少年が執り行うなど、憚らずに言ってしまえば、もう少し経験を重ねてからでないと御免被りたい。
私もそうだが、帝国の人事は幾本か理性のネジが飛んでいると言わざる得ない。有能な人材を率先して登用するのは状況として理解しているが、限度があるだろう。
「ヴォーヴェラ博士! もう来ていたのかい!」
「おお、ヨーゼフ。君もか!!」
ヴォーヴェライトは席を立ち、手を振った。私は振り返りそれを見た。
軍服の医師。三十代のふっくらとした体型の成人男性。
彼は小走りに駆け寄って来た。
両手のボストンバックからはガチャガチャと喧しい音が立っている。
顔立ちは整ったハンサムで、優しげな眼差しでヴォーヴェライトと抱き合い再会を本心から喜んでいるようであった。
彼は評価表を見る前から知っていた。医学界にそれなりに名の知れた医者であり、私が協商連合との戦闘で負傷した時に執刀を担当した医師だ。
「遅いじゃないか、ヨーゼフ。同志は待ちくたびれているぞ」
「いやいや、すまない。昨日は急患があってねえ寝不足だよ」
「お得意の接合手術か、“今回”は君の力が必要になってくるぞ!」
「ははははは、嬉しい限りだ。祖国を護る
父子程に年齢の離れた二人は笑い合い、ハグを交わし合っていた。
どういった繋がりで彼らは知り合ったのか。ヴォーヴェライトの経緯でそれと云った輝きはなく、帝国の医学生という平凡なもの。
対するヨーゼフはそれなりに名の知れた医師、教鞭を取る事はあるだろうがそれにしても彼らの接し方は生徒と教諭というより、友人といった雰囲気だ。
一頻り笑いあった彼らは落ち着きを取り戻し、ヴォーヴェライトが私を紹介した。
「ヨーゼフ、見たまえよ。かの銀翼突撃章を持つ、ターニャ・デクレチャフ少尉だ」
「久しいよ、幾久しいよ。デクレチャフ少尉! 銀翼突撃章を頂けたそうだねえ。いやはやこの世は奇縁であるなあ」
「こちらもまた会えて光栄です。ヨーゼフ博士」
ヨーゼフ・メンゲルベルク大尉。接合手術の指揮者と呼ばれた方だ。
過去に徴募組でヨーゼフ医師は義務兵役に就いている。
医師としての素質を見込まれ東部戦線で実績を上げっている。
東部戦線時に負傷し、前線任務に適さないと判定され後方の軍病院勤務だった筈だ。
にこにこ顔のヨーゼフが握手を求め、私は素直に受けた。
体温が高かったのを覚えている。後方で肥えたのか嫉妬心を覚えなくはないが、彼とてそれなりに実績があり、帝国では指折りの医者であろう。
カフェテリアのカウンターに向かったヨーゼフは節操無く、ビールを頼みだした。
私もこの行為には呆気にとられた。
いやいや、待ってくれヨーゼフ医師。
アナタは今遅刻してきましたよね? 遅刻しておいって飲酒までとはどういう気なのですか? 軍役に就いていたのなら規律は守って貰えませんか。
彼はジョッキを煽り、至福いった表情を浮かべていた。
この国の特性に漏れずヨーゼフ医師はビールが血管の中を流れている。
肥えた腹は呑みすぎが原因か? それ以前にだ。他の医者どもは何をしているのだ。
心の中でひとりごちる私のヨーゼフ医師は読み取り一つの便箋を取り出した。
参謀本部の捺印の入ったそれをヨーゼフ医師は差出ってくる。
「忘れてたよデクレチャフ少尉。ライン戦線に向かう従軍医団の輸送は前倒しになったそうだ」
「はっ?」
「前倒しだよ。昨日の段階で僕とヴォーヴェラ博士以外はライン戦線に前乗りで合流しているそうだ。僕たちがベルンに入ったのが記録に残っていたから、君が回収しに来てくれた訳だ」
…………。
という事は私は手違いの忘れ物を回収しにここで待されたという事か。
―――…………。
……私が護衛する必要はあったのであろうか。
ヴォーヴェライトとメンゲルベルク大尉の振舞いを見ていては、私の毒気が抜かれかねない。さっさと行動を起こしライン戦線に向かうべきだ。
「せっかくのベルンだ。ヨーゼフ昼食でも取って向かうか」
「賛成だね。いいラム肉を扱っている店があるんだ。どうだねデクレチャフ少尉」
勝手に昼食の予定を立てないで頂きたい。
当初の予定行路は人数の激減で予算は浮くが、人数が少ないなら少ないで西部方面への移動方法を検討しなければならない。
手っ取り早く鉄道というのも一つの手だ。
最も高速かつ効率的な移動手段ではある。あるが乗車するのは少々骨が折れる。
外地に向かう車輌は基本として新兵など、出兵へ向かう者たちだ。
活きの良い糞が蚤まみれの車輌に所狭しと押し込まれているのだ。
上も下も正しく理解しているかも判らない新兵と、緊張感に欠ける高級士官を同じ場所に滞在させるというのは、互いの精神的にもそうだが、医者として衛生的にも倦厭すべきだ。
ふと顔を上げる。
眼前にいたはずの二人は、かなり遠くへと移動してた。
本当に勝手な行動ばかりする医者達だ。
ふらふらと歩いたのだろう、屋台の一つに足を止めており昼食をどれにすべきかと吟味していた。駆け足で彼らに追いつく。
「お二人方勝手な行動をされては困ります」
「ヨーゼフ、これは旨そうだ」
「おお、相変わらず舌と鼻は良好のようだ。この屋台のケバブは絶品だ」
「少しばかりケッチャップの量が多いように見えるがなあ」
「これが適量なのだよ」
「……」
二人は既に私の存在は眼中に無く、屋台でとる昼食を真剣に考えていた。
結局二人とも大量のフライドポテトとケバブサンドを頼んだ。
そろそろ私は憤慨する二十秒前、余裕を持っても三十秒前だった。
私の分のケバブも渡されたが、飴玉を貰って喜ぶ純朴な精神は生まれる以前に失っている。だから私は軍人になったのだ。
苦労人が馬鹿を見ているような、そこはかとない理不尽を感じなくもなかった。
このケバブサンドを顔に投げつけたらスッキリするだろうか。
煮詰まり茹蛸のように膨れていた私に、彼らは意外な事を言い出した。
「そうそう、移動手段を確保しておいたよ」
「はっ?」
ヴォーヴェライトは口一杯にケバブサンドを頬張り、行儀悪く話した。
「君が考えあぐねてる時にねえ、西部方面に牧場を持っているトラックがあった。出荷も終わり帰りで、荷台が空いているそうだよ」
「ジーヴァス大尉、あまりにも危険なのでは?」
「闇市のグループを気に掛けているのはわかるが、普通の尉官がトラックの二台に乗るかね?」
確かに乗りはしないだろう。だが安全性を考えても避けるべきだろう。
意見を口にする前に、彼らはそそくさと移動しトラックの荷台に乗り始めていた。
荷台には、先客が一匹と無数の荷物があった。
ヴォーヴェライトは先客の子ヤギを抱きかかえながらゆったりと座り、メンゲルベルク大尉は腹の肉を突っ返させ転がっていた。
降りるようにと言おうとするが、それは喉元で止まった。
荷台の荷物はすべて医薬品。帝国印の既製品ばかりであった。
「タイミングが良かった。ライン戦線に医薬品を届けるようにと兵站部に言っていたんだ。これに乗れば妙な手続きも、検問もすべてフリーパスだぞ少尉」
健やか笑顔でヴォーヴェライトは子ヤギのすべらかな毛並みを撫でた。
その雰囲気は子供の無害的なものではなく、計算高い知性を得た知的生命体であった。それは当然であった。
彼は、ヴォーヴェライト・ジーヴァスは、
従軍医団のを総括する隊長を勤めていたのだ。
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