第9話 誰かと仲良し

 近頃僕はやたらと図書館にこもっている。高三だから受験勉強も佳境、という事では全くなくて、剛太ごうたの飼い猫シャークの様子ばかり見ているからだ。美蘭みらんが「とにかく貼りついとけ」とか言うから仕方ないんだけど、目的の一つはたぶん、春菜はるなから宗市そういちさんを守るためだろう。

 今日は「紅楼夢 第一巻」なんてのをとってきて開いておく。司書の前田さんは僕を見かけると「夜久野やくのくんはオールラウンドの読書家ね」と微笑んでくれるけど、そのうち「一緒に帰らない?」なんて言われないかと思ったりする。その時にいつものフレアスカートじゃなく、タイトスカートだったらもっといいんだけど。

 とりあえず妄想に一区切りつけて、僕は窓際の席で目を閉じた。

 こう何度も繰り返していると、本当に短い時間でシャークの波長を捉えられるようになる。昼寝から起きたばかりの猫は、何か動くものの上に乗っていて、それは春菜の押すフロアモップだった。

「ちょっと!どいてって言ってるでしょ」

 彼女の声は相変わらず苛立ってるけど、シャークはこれをちょっとした遊びだと思っていて、なんとか乗り続けようとしている。

「もう、最低!」と叫ぶと、ついに春菜はフロアモップを手放し、リビングを出て行ってしまった。こっそり後をつけると、彼女はキッチンにいた。ビネガーやオリーブオイルと一緒の棚に並べたウィスキーのボトルを手にすると、洗いかごに伏せてあったグラスに注ぐ。それから冷凍庫の氷を三つばかり放り込み、炭酸水を注いでマドラーの代わりに人差し指で何度か回転させると、半分ほどを一気に飲んだ。

「本当にやってらんない。どこ見ても猫の毛が落ちてるんだから」

 彼女はそう唸ってから、グラスをせわしなく揺すり、残りの半分ほどをまた飲んだ。僕がシャークを通して彼女の飲酒を目にするのは、これで四度目か五度目。一人の時にキッチンやリビングで、大体はハイボールを飲んでいる。一杯で終わる時もあれば、二、三杯の時もあるけれど、アルコールには強いらしくて、顔に全然出ないし、乱れもしない。

 これが始まると次は長電話というのがお決まりのパターンで、何人かの女友達をローテーションで呼び出し、愛する息子のために猫を飼うのがいかに大変かを愚痴る。でも本当に言いたい事はさらけ出せないらしくて、話題はすぐに限りなく悪口に近い噂話へと流れ、「またランチしようね。私そんなに忙しいってわけじゃないの、お誘い待ってるわ」てなところで終わりになる。その後にまた「あーあ」なんて長い溜息が出て、もう一杯飲んだりするのだ。

 でも今日は別バージョン。僕とシャークがキッチンのドアのかげで様子をうかがっていると、インターホンが鳴った。シャークは誰であろうと来客が大好きなので一目散に駆け出し、その後から春菜が「もう、いちいち飛び出さなくていいから」と、相変わらず不機嫌な声で歩いてくる。しかし、ドアを開ける頃には彼女の声と態度は一変していて、それは訪問者が他でもない宗市さんだからだった。

「細かいことでお呼びたてしちゃって、本当にごめんなさいね」

 一気にキーを上げた「社交モード」の声と、口角を持ち上げた「勝負スマイル」で出迎えた春菜に、宗市さんはいつもの爽やかな笑顔で「とんでもない」、なんて応対してる。シャークも歓迎モードで床に寝ころび、腹丸出しで悶え狂っていた。

「シャーク、元気にしてるかい?」と、宗市さんは屈んで軽く頭を撫でると、「じゃあ、早いとこ済ませましょうか」と立ち上がった。今日は一体何しに来たんだろうと思いながら、僕はシャークを促し、「先にコーヒーでもどう?」なんて言ってる春菜の後についてリビングにった。

 宗市さんは今日もまたペット屋コスプレで、マウンテンパーカにジーンズなんて格好。彼はしゃがみ込むと僕とシャークを抱き寄せ、しっかりホールドすると猫用爪切りを取り出した。なるほど、春菜の奴、今日はこれを口実に宗市さんを呼びつけたわけか。

 僕は自分が来てることを伝えるために、宗市さんの手の甲を前足で三回軽くたたいた。彼は「判ってるよ」という合図に小さくウインクして、「さあ、いい子だからじっとしててね」と、まずは前足から爪を切り始める。

 元々、シャークは人に触られるのが嫌いな性質じゃないし、爪切りだって問題ないんだけど、春菜は「引っかかれそうで怖いのよ。剛太にはまだ無理だし、主人に頼むわけにもいかないし」なんて、つべこべ言っている。

「この子はよく慣れてるから大丈夫ですよ。それに、一度に全部切ろうなんて思わないで、できる時に一本か二本やればいいんです。先の鋭いところを少し切るだけでね。深爪すると血が出たり、そこからばい菌が入ったりしますから、本当に少しだけ」

 宗市さんって猫なんか飼ったことないのに、いかにもそれっぽい事を上手に言う。僕も彼の「カリスマペット屋」ぶりをアピールするため、死んだように静止して協力してみせたけれど、春菜は「そんなとこでしゃがんでるやるより、ソファにおかけになったら?」とか何とか、爪の切り方なんて憶える気がないのは見え見えだ。

「はい、これでおしまい」と解放されて、僕はしばらくの間、シャークに好きなように毛づくろいさせてやった。いくら人慣れしていても、やっぱり猫にとって楽しい時間というわけじゃないし、こうして手綱さばきにメリハリをつけるのが長く続けるコツだ。

氷水ひみずさんって本当にすごいわね。ゴッドハンドってやつじゃない?お友達にも自慢しちゃおうかしら」

 このテンションの高さ、たぶんさっきのハイボールも一役買ってるだろうけど、春菜はずっと一人でしゃべりながら、「どうぞお構いなく」という宗市さんの言葉を無視して、コーヒーとクッキーをテーブルに出した。

 調子に乗って、春菜が宗市さんに迫ったりしたらまずいなあ、と心配しながら、僕はついこの前、美蘭と二人で後見人に呼び出された時の事を思い出していた。


 そもそも、僕と美蘭がその姓を名乗る夜久野って一族は、大昔から獣や虫を操ったり、怪しげなわざばかり伝えてはきたけれど、とにかく怠惰なことこの上ない。何をするのも面倒くさいけど、死ぬのも面倒だから生きてるぐらいの考えで、当然のことながら自力で生活しようなんて気もない。

 普通に考えたら、そんな連中は路頭に迷って世の中から消えるだろうけど、この怪しげなわざを見込んで、まとめて面倒を見ようという白塚なる一族がいるのだ。というわけで夜久野一族は寄生虫のように生き延びているけれど、メンタリティは変わらない。仕方がないからほんの一握り、白塚のために働く世話役を選んで、あとの連中はのらりくらりと過ごし続けている。

 僕らの腹黒い後見人は名を玄蘭げんらんさんという。貧乏くじをひいて一族の世話役になったせいで、いつも機嫌が悪い人物だ。年は六十前後だと思うけど、変にミーハーなところがあるから、案外もっと若いかもしれない。救いようがなく気難しいおじさんと、果てしなく意地悪なおばさんをブレンドしたような外見で、年の割に真っ黒な髪を後ろに束ね、夏でも冬でも全身黒ずくめ。背も高くないし痩せてるのに、妙に通る声をしていて、会えば必ず僕らを罵倒する。

「あんたら、何の権利があって宗市のことをあれこれ引っ張りまわしてるんだい」

 アンティークのソファにふんぞり返り、闇で調達しているシナモンのような香りの煙草をふかしながら、玄蘭さんは文句を言った。美蘭は「ご迷惑おかけしまーす」とセリフ棒読みの声で謝り、僕は黙って様子見のまま。

 僕らがいるのは戦前からある外国人向けアパートメントの一室で、玄蘭さんはここに宗市さんと住んでいる。

「あんたらの父親ときたら、いかれた女にばっかり手を出すんだからね。あの春菜って嫁もどうしようもない馬鹿女だ。さかりのついた猫みたいに、宗市にすり寄ってるんだろうよ。あの子が帰ってきた途端に、ここの空気が濁るんだから全く」

「すいませんね、旦那に浮気されちゃったり、息子が不登校だったり、色々大変だから」なんてかばうような事を言うくせに、美蘭の口調は平坦そのもの。

「だいたいひいらぎ家の奴はケチくさくていけない。養育費だってどれだけ値切ってきたことか。あんたらがこれまでにやってのけた面倒の後始末を考えたら、完全に赤字なんだよ。それをまた猫だ何だと、ちまちま小細工して。まとまった金を取る算段はあるのかい?」

「それなりにね。まあ、玄蘭さんと宗市さんには素敵なクリスマスプレゼントを贈れると思うから」

「こっちは耶蘇教の信者でもないし、楽しみになんぞしてやしない。まあ、あとひと月もないけど、実は来年のクリスマスだった、なんて言い訳は聞かないよ」

 玄蘭さんの言葉に、美蘭は肩をすくめただけだった。


「ねえねえ、爪切りのやり方、ちゃんと教えてもらっていいかしら」

 気がつくと、春菜は宗市さんの隣に座り、上目遣いでにじり寄っている。どうせもっとくっつくための口実でしかないのに、宗市さんは笑顔のまま、床でくつろいでいた僕とシャークを抱き上げると「まずは猫が暴れないように、しっかりと抱くことが大事ですね。だからといって、不安がらせるような力の入れ方は駄目です」と説明した。

「そうなの?何だか女の人と一緒よね」と、春菜はとりあえずシャークを抱いてみよう、というふりをして、宗市さんの膝ごしに腕を伸ばしてきた。その甘えた声が不快らしくて、シャークは身をよじる。僕はそれに乗じてひと暴れしようと、テーブルに跳び移り、コーヒーカップに後足で蹴りを入れた。

 誤算だったのは、空のはずのカップにまだ中身が残っていて、それが宗市さんの膝にぶちまけられた事だった。

「こらっ!」と、その瞬間だけ地声に戻った春菜は、立ち上がって僕とシャークの頭をはたいた。触るのが怖いだとか言ってるくせに、こういう時は何のためらいもない。

僕はひとまずシャークに逃げさせ、廊下の隅で毛づくろいをして気持ちを立て直した。春菜の奴、嬉しさを隠せない声で、「ごめんなさいね。すぐ洗うから、悪いけどその間、主人のジーンズをはいてて下さる?乾燥機でじきに乾くから、その間だけ我慢して」と迫ってる。

 まずい事になったな、と思いながら、僕は一通り毛づくろいをすませたシャークを促してリビングに戻った。ちょうど強制的に着替えさせられた宗市さんも戻ったところで、彼はこっちを見ると「参ったよ」という風に首を振ってみせた。その後から現れた春菜は「あら、やっぱり主人より足が長いわね。そのくせウエストは細いんだから」と、獲物の品定めに余念がない。

 さてこの魔の手からどうやって宗市さんを守ろうかと考えていると、シャークの耳が何かに反応した。遠くでエレベーターのドアが閉まる音、そして誰かが廊下を走ってくる足音。僕が引き留める前にシャークはもう駈け出していて、ドアの鍵が開けられる頃には玄関に滑り込んで寝転がっていた。

「ただいまあ、シャーク!」

 剛太は靴を蹴散らかして上がると、リュックを背負ったままでシャークの腹に顔を埋めた。毎度のことながら、僕はこういう構われ方が好きじゃないので、接点を最小限に絞ってしばらくシャークだけに相手をさせておく。一通りの儀式が終わると、剛太は洗面所で手を洗い、うがいをしてからリビングに向かった。

「ただいま」という声の後に「氷水さん、来てたんだ」という歓声が響く。僕とシャークも剛太に続いて入ると、遠巻きに様子をうかがった。

「爪切りしてもらったんだけど、シャークったら氷水さんの膝にコーヒーこぼしちゃって、今乾かしてるとこなのよ」

「そうなんだ。ごめんなさい」

 飼い主の責任だと思ったのか、剛太の奴、殊勝に頭を下げている。宗市さんは「謝ることじゃないよ。ちょっとびっくりして飛び跳ねたら、たまたまコーヒーカップがあっただけの話さ」と、完璧なフォロー。春菜は「剛くん、歯医者さんどうだった?虫歯は大丈夫?」と割り込んでゆく。

「うん。また頑張ろうねって、フッ素塗ってもらった」

「そっか、じゃあ安心ね。勇武いさむさんから電話あったけど、途中で剛くん一人で帰ることになったの?」

「そう。急用って言ってた」

「全く。相変わらずいい加減なんだから」

 勇武の奴、ベビーシッターを半端に放り出したみたいだけど、やっぱり春菜からも見下されてるようだ。アーティスト気質というより、後先考えない適当体質。それって僕がいつも美蘭から言われてる事に近いかもしれない。

「シャーク、来い!ゲームしよう!」

 剛太は叔父の評判なんてどうでもいいらしくて、リュックを放り出して自室へと駆けてゆく。僕とシャークは大急ぎで後を追い、ゲーム機を手にしてベッドに座った剛太の向かいに跳びのった。

「行くぞ、今日は攻撃目標五万ポイントで天界軍のゾーン突破だ」

 僕はたまにしかゲームにつきあわないので、一体どんな奴をどのステージまで進んでるんだかさっぱり判らないけど、とりあえず自分の前に置かれたコントローラの赤いボタンを前足で連打する。

 どうやらこのゲームは二人の連携プレーでポイントが加算されるらしくて、剛太はせわしなくコントローラを操りながら「よし、いいぞシャーク、もう少しだけ盾になってくれ」とか言って仮想世界に浸りきっている。

 シャークは画面のちらつきの方が気になるらしく、そっちを叩きたくて仕方ない。僕はそれを引き留めて赤ボタンを連打しながら、リビングの物音に耳をそばだてているんだから、かなり消耗する。しかもゲーム機から溢れ出す攻撃や爆発や被弾の電子音は途切れることがないから、宗市さんたちの会話は聞こえやしない。

「あーっ!シャーク、ダメじゃん」

 気がつくと画面に「GAME OVER」の赤い文字が浮かび、「ごうた37000ポイント しゃーく9800ポイント」という得点が表示されていた。

「せっかく盾になってたのに、あそこで敵の攻撃よけちゃダメだろ」なんて悔しそうだけど、猫ながら9800ポイントもゲットしたんだから十分だ。

 僕は反論の意味をこめて前足で剛太の鼻の頭を押し、「ふざけんな」と言ってやった。シャークの喉からは「ニャニャッ」と鋭い声が漏れたけど、剛太は「あやまっても、もう負けちゃったんだからな」と、てんで判ってない。

 シャークの集中力もそろそろ限界だし、僕はゲームを切り上げ、宗市さんの無事を確認しに行くことにした。剛太の部屋のドアノブはぶら下がって開け閉めできるし、さっさと廊下に出てリビングへと走る。まずはケージ脇のボウルに残っていた水を飲んで、それからソファの方に目をやると、春菜が宗市さんにくっつかんばかりに身を寄せて座ってる。

 僕はシャークを促し、勢いをつけて春菜の膝に飛び乗ってやった。彼女は案の定、悲鳴をあげて僕らを払い落そうとするから、スカートに思い切り爪を立てて逆らう。でもまあ、爪は切られたばかりだし、宗市さんが「シャーク、こっちおいで」と腕を伸ばしてきたので、僕らは大人しく彼の膝に収まり、ジーンズが乾くまでそこに居座ることにした。

「もうっ、いつもこうなの、この猫って、不意に現れて飛びついてくるのよ」

 春菜は荒い息をしながら、忌々しげに僕らのことをにらんでるけど、宗市さんは「猫って狩りをする動物なので、ある程度仕方ないんです」と庇ってくれる。

 そこへ剛太が「フッ素塗って一時間たってるから、おやつ食べて大丈夫だよね」とか言いながら入ってきたもんだから、春菜は仕方なくキッチンに向かった。それでも「猫と遊んだんだから、もう一回手を洗ってちょうだい」と言うのは忘れない。

 剛太は素直に洗面所に行き、まだ湿り気の残る手を振りながら戻ると、宗市さんの隣に座る。僕とシャークに手を伸ばし、触れるか触れないかというところで「セーフ!」と言いながら引っ込めたり、ティッシュペーパーでじゃらしにかかったり。

「あのさ、こんどシャークと一緒にフリースクールに行きたいんだけど、大丈夫かな。キャリーケースに入れて、電車に乗って」

「フリースクール?どうして連れて行きたいの?」

「僕がシャークとすごく仲がいいって言っても、信じない奴がいるから」

「うーん、わざわざ連れていかなくても、写真でいいんじゃないかな」

「写真ならもう見せた。でも、そんなの合成で作れるし、とか言うから、ムカつくんだ」

 剛太の奴、思い出しても腹が立つ、という感じで口を尖らせ、「本当にムカつくんだよ」と繰り返した。

「でもさあ、剛太くんとシャークが仲良しだって友達に信じてもらうのは、そんなに大事なことかな」

「すっごく重大だよ。あいつ僕のこと馬鹿にしてるから、見返してやる」

「じゃあよく考えてみて。猫っていうのは、いつも住んでる場所と違うところに行くのは苦手なんだ。そのためにキャリーケースに入って、電車に揺られたりするのも好きじゃない。猫は人の何倍も耳がいいから、電車のガタゴトいう音とか、車掌さんのアナウンスとかが怖いし、色んな人やモノの匂いがするのもびっくりする。剛太くんは友達を見返したいって理由で、そういう事を我慢してでも、シャークに来てほしい?」

「別にそこまでってわけじゃないけど、シャークは強いから、あんがい平気かもしれないと思って」

「なるほど。それで、友達にシャークのこと紹介して、そしたらどうなると思う?」

「きっと僕のこと羨ましがるよ。あいつの家、ペット飼えないし」

 それを聞いて、僕は思わず失笑してしまった。といっても傍目にはシャークがくしゃみをした、ぐらいにしか見えない。宗市さんは僕の失笑に気づいたらしくて、シャークの喉を撫でながら「誰かと仲良しってのは、人に羨ましいと思わせても意味がないよ」と言った。

「きみたちが仲良しだって事は、シャークだけを見てもちゃんと判る。毛並みがつやつや光ってて、目がきれいに澄んでて、とても元気に動き回る。つまり剛太くんに飼われて幸せなんだ。その事を他の誰かが信じるかどうかなんて、別に大切じゃないだろう?」

「まあ別に、あいつなんかどうだっていいんだけど。でもさ、ママと氷水さんも仲良しだよね。氷水さんが来ると、ママすっごく楽しそうだし、帰った後も機嫌がいいんだ」

「そうかな?機嫌がいいのは剛太くんがいい子にしてるからじゃない?」

 宗市さんはさすがにちょっと焦ってる感じで、にわかに膝の座り心地が悪くなる。そこへ春菜が戻ってきたもんだから、剛太は「ねえママ!ママは氷水さんが来ると嬉しいんだよね」と大声で叫んだ。

 春菜は慌てるどころか「そうよぉ。だってママ、氷水さんの大ファンだから」なんて、余裕の返答。しかし「さっちゃんのママも氷水さんのファンなの。おかげで猫ちゃん飼うようになって、とても楽しいって」と煙幕をはるのも忘れない。

 やっぱり春菜って相当したたかだ。僕は乾燥機が止まるまで絶対に宗市さんから離れまいと、切られたばかりの爪を少しだけ出してみた。剛太はというと「フリースクールはやめとくけど、じいじがホテルでやるパーティーには、シャークを連れてくよ。車だから絶対大丈夫」とか言っている。全く、さっきの話なんか少しも判ってない。

 僕が「お前ほんとに馬鹿だな」と言ってやると、剛太は「ほら、シャークも行きたいって」と満面の笑みを浮かべた。

 

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