3、奈美花

3ー1

 *



「わあああっっっーーくぅぅぅぅぅんんんんっっっ‼ 会いたかったよー‼」


 叫び声とも捉えられる奇声が食堂中に響き渡る。

 何事だ? と席から立ち上がり奇声のする方に視線を向ける生徒たち。その中の一人に立ち上がりまではしなかったが俯いていた顔を上げて、その奇声が聞こえる方へと視線を向ける人物がいた。


 一宮いちみやかえで。ラジオ部に所属する女子生徒だ。

 楓はその奇声が目の前にいる人物、鹿代かしろ航流わたるに対するものだと彼の顔を見て確信した。彼の顔はあからさまに自分だと気づいている顔だ。だから彼に知り合い? とは聞かなかった。


 なんせ、彼の顔から嫌気が感じられる。会いたくない、迷惑、マジか、といったマイナスの感情が出てしまっているのだ。

 そして奇声が止んだかと思えば、次に聞こえたのは足音。それは歩く音ではない。走る、駆ける、といった一歩一歩が軽々しい音だった。


 その音は次第に近づき最終的にバフッ、という衝撃音のようなものが目の前で聞こえた。正確に告げるなら、奇声を発していたと思われる人物(女)が自分が気になっている人物(男)に自分の目の前で堂々と抱きついているのだ。


「え······ちょっ、ちょっと鹿代君! 何やってんのよ⁉」

「あ、一宮さん。いつも通りになっーー」

「そんなのはどうでも良いからさっさとその女から今すぐ離れて!」

「いや······今すぐ離れてって言われても······ね?」

「ね? じゃない! 離れて! ······離れないなら、分かるね?」


 と言って楓はトレーの上に置いてあった箸を持ち、航流の目の高さまで合わせて投げる姿勢を見せた。


「分かったっ。分かったから、その凶器は下ろそう? ね?」

「うん、分かった。ーー後二秒」

「は、はやっ! 待ったっ。タイムッ! ターイムッ!」

「はい、タイム時間一分」

「み、みじかっ。五分くらいはーー」

「後五秒」

「五十五秒もまだ経ってないっ! どうしたの一宮さん? らしくないよ⁉」


 言葉が詰まった。らしくない、そう言われてから思った。今の私はこれまでのどの自分とも全く違う感情を抱いていた。嫉妬。

 ······この私が? 何で鹿代君に対して、嫉妬?


 嫉妬という感情自体も抱いたことがないため、この感情自体が嫉妬なのかは分からない。だが、今抱いているのはこれまでと全く違う。別の言い方をするなら劣等感。

 ······私の知らない鹿代君を目の前にいる女は知っている。

 そういう思いが目の前にいる女が現れてからずっと心に刺さっていた。


「わっくん? 誰なのこの子? 普通に喋っちゃって」

「あ······彼女は俺が新しく入部する部活の仲間」

「ふーん」

「な、何かな?」

「別に、······浮気とかしたらただじゃ済まないよ」


 浮気、その言葉が私に刃となって心に突き刺さった。

 ······浮気、つまりこの二人は恋人?

 理由は分からない。だけどこの二人が恋人、というだけで更に心を締め付ける。どうしてだろう? そんな呑気な考えーー呑気······私は焦っている? どうして? 分からない。でもひとつだけ分かったことがある。


「ーー鹿代君の最低! もう知らないっ!」


 嫉妬。鹿代君をこの女に取られたという嫉妬、劣等感。分かる。この女は私にとってのライバル、ということだと······。



 怒らせた。まただ、という思いに駆られる。

 はぁ、と俺のため息を遮るかのように奈美花なみかが呟いた。


「行っちゃったね、彼女。······それよりも」


 何を言うのかと奈美花を見つめると、いきなり照れ出した。


「恥ずかしいよ、わっくん。······そんなに見つめられると······」

「あ、悪い。それよりも、早く退いてくれない?」

「············」

「あの······奈美花だよ?」

「あたし⁉ 瑠川るかわ君じゃなくて⁉」

「何で俺なんーー」

「瑠川もそうだが、まずは抱きつくのもう終わり。そのせいで一宮さん、帰っちゃったし······」


 一宮さんが怒って帰った理由は分かることが出来た。この状況を見たからだろう、と。だけど、どうして怒るのかが不思議だった。確かに俺と奈美花のスキンシップは少し度が過ぎているとは思うが、それだけで怒る理由には······。うん、ならないな。つまり俺は悪くない、と。


 よく分からない理由で、ひとつの問題? を航流の脳内で解決すると、奈美花は奈美花でひとつの問題に差し掛かっていた。


「どうしてこんなところで油売ってんの?」

「どうしても何も鹿代を見つけたからだが? 問題でも?」

「ええ、問題だらけ。······昼休み、体育館使えるのは知ってるよね?」

「ああ、知ってる。それが?」


 奈美花は大きくため息を吐く。何かの期待にがっかりした感じのため息を。


「バスケ部に所属しているにも関わらず、そう言うとは思わなかった。ほんっと、先輩たちも言ってたけど、わっくん以外の一年はみんなーーナメてるよねバスケ部を」

「は⁉ 何だその言い方⁉ こっちは毎日欠かさず部活を出てんだよ! マネージャーの雪原ゆきはらには言われたくねぇよ!」


 すると奈美花は瑠川をバカにするかのように鼻で笑った。


「ケンカ売ってんのか? 雪原?」

「捉え方は好きにして、それよりもいいの? このままだとあたし、あの時みたいになるかもよ? あんたたちが一番恐れているあのあたしが······」

「はは、そんなの怖くねえっての! バカにしてんのか?」


 奈美花は瑠川の声がわずかに上擦っていたことを聞き逃さなかった。

 ······単純すぎる男はつまらない。わっくんみたいに面白くないと。

 と、口の中で呟く。その呟きはどもっていたせいで航流には届かなかったが奈美花は何か満足したかのように最後の追い討ちを瑠川にかける。


「知ってる? 黒葉ここのバスケ部はね、毎回ウィンターカップ予選は二年生をメインにメンバーを登録するんだけど、今の顧問になってから一年生を二人、メンバー登録する風習があるの? ······分かる? あたしの言っている意味が。ーー本来、枠はひとつだけだったけど、わっくんが辞めちゃったから二つになったの。もう分かったでしょ? これはあたしからのサービス、明日の昼休み体育館に三年生の先輩たちが見に来る。······後は自分で考えてね、行くなら明日からじゃなく、今から!」


 チラッと瑠川が奈美花を見て舌打ちをしたが瞬間、奈美花が睨み返すとまるで男女が逆かのように瑠川は小走りでその場から退散した。

 奈美花は瑠川がいなくなったのを確認すると、抱きついていた腕を航流からほどき、対面の席に移動し座った。


 一悶着がついたこともあり、航流と奈美花は会話をすることもなく、ただ航流は奈美花の抱きつきで乱れた制服を整え、ただ奈美花は制服を整えている航流をまじまじと満面の笑みを浮かべながら眺めていた。

 二人の無言空間を先に破ったのは奈美花だった。


「久し振りだね、わっくん! 何日ぶりだと思う?」

「ふ、二日くらい······?」

「ぶっ、ぶー。残念でしたっ。正解は三日! 三日ぶりだよ⁉ あたし、嫌われちゃったのかと思ってたんだよ?」


 ははは、と航流は心のない笑みを浮かべる。内心、

 ······こんなに突き放すとむしろ逆効果か、どうにかして奈美花を制御しないと、こっちの身が持たない······。助けて、誰か!

 心の叫びは誰にも届かず、一人重すぎるため息を吐く。


 一人重すぎるため息を吐き、途方に暮れようとする航流を無理矢理、奈美花が現実に引き戻す。それと同時に航流の寿命も徐々に減っていく。


「どうしたの、わっくん? ······まさか⁉ あたしと久し振りに会って涙が出るとか⁉ きゃーっ、わっくん。乙女だねっ」


 俺はツッコミを入れる気にもなれず、


「ああそうだねー」


 と、現実逃避したいとずっと思ってしまう。これは仕方ないよね? お願いだから誰か助けてよー。


 その後、昼休み終了五分前の予鈴が鳴るまで航流はロボットと化し、返事は「ああそうだねー」としか言わない設定となった。

 奈美花はロボットと化した航流でも、本物の航流と変わらないいつも通りに接した。


 その接し方にロボットと化したはずの航流は何故か罪悪感を抱いていた。やはり、どこか奈美花を信頼しているからだろうか? それに答えはない。あるものは罪悪感と奈美花の笑顔だけだった。

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