2ー2
気絶させた張本人がいることに俺は驚いている。
普通なら誰かに見つからないためにもその場から立ち去るのが基本。いや、
これは立ち去らねば、と思い立ち上がろうとした時だ。俺と妻城先輩の距離が異様に近いことに気付いた。体を起こして妻城先輩に振り向いた際にも感じたことだが、明らかに俺と妻城先輩は近すぎる。
気絶して寝ている人と座っている人の距離を考えれば、上半身分の距離は最低でもあるはずなのに今は、頭ひとつ分くらい距離が近い。まるで膝枕をされていたかのような感じだ。
膝枕? と、俺の頭があった位置に目を移すと、
「どうだった? 私の膝枕は? フフ」
妻城先輩のーー悪魔の囁きが聞こえた。そして頭があった位置を確認すると、やはりと言えばいいのか、膝ーー妻城先輩の膝枕がその位置にあるのだ。
妻城先輩の膝を見た瞬間、背筋が凍る恐怖を感じた。部室で感じた恐怖の比ではない。恐ろしすぎる。
恐る恐る妻城先輩の表情を伺う。その表情はーー笑み。目が覚めて良かったの笑みか、制裁の続きが楽しみの笑みなのか、俺には後者としか判断出来ない。だって、目が笑っていないのだから······ひ、ひぇー!
妻城先輩の表情は見なかったことにし、俺は改めて現状を把握する。
妻城先輩は俺に膝枕の感想を求めている。しかもあまりにも適当な感想ならまた気絶させられるだろう。今度は絶対、俺をそのまま放置して帰る。そのための不敵な笑みだ。
現状をある程度把握した。だが、一番の難点でもある膝枕の感想は俺の心を焦らせる。落ち着け、と体に言い聞かせながら感想を作成する。
ーー柔らかかったです。······ジト目からの腹パン。はい、終わり。
ーー最高でした。またお願いします。······これもーーやるかっ! って言われるな、からの腹パン。正解あるのか、これ?
作成した感想(仮)は脳内で自己判断した結果、全て却下。なら方法はただひとつ。
「今何時です?」
誤魔化せばいい。
その後は言うまでもない。
実登里は
「大丈夫? ーー大丈夫そうだな。時間も遅いから手短に質問する。これからお前はバスケをどうするんだ?」
心配してからの直接的な質問。『バスケ』と実登里が口にした瞬間、航流は顔を歪めた。
質問してくることを航流は予想していた。しかしその言葉に耐性が付いていないことが一番の予想外だった。
大きく息を吐いてから航流は実登里の質問に答えた。問い、という形で。
「そうですね······。妻城先輩ならどうします? 夢を、目標を諦めないといけない場合······」
その問いに答えられるほどの経験をーーいや、実登里は夢や目標を真剣に考えたことが一度もなかった。小学生の頃によくあった、学期始めに行う目標立ては毎度同じような内容を書いていた。
成績の維持や生活リズムを崩さないようにする、といった小学生らしくない目標。
それに夢や目標を語るような相手は自分の近くに誰もいなかった。だから航流の問いには黙ることしか出来なかった。心の中で実登里は、
ーー何も出来ない先輩でごめんね······。
と、涙を流していた。
静寂な雰囲気の中、その静寂を先に破ったのは航流だった。
「っ······すみません。質問を質問で返す卑怯なことを······」
航流の言葉に首を横に振る。
······君は卑怯ではない。卑怯なのは私の方だから······。
それに続くように実登里は言葉を発した。
「いいの。君は答えたくもないのに、私が無理矢理答えさせようとするような言葉を投げ掛けたから······。ーーバスケは楽しい?」
私は本当に最低、と思いながら航流が頷いたのを実登里は見た。
そして確信する。彼、
「そっか······それを確認したから帰ろうか」
航流が頷き、急かすように言葉を発する。
「さあ、立った立った。送ってくれるよね? 後輩クン?」
「······た、多分ですけど、妻城先輩の家ってコンビニの方じゃなく、このまま土手沿いを歩いて、駅方面ですよね?」
「あらヤダ。家が特定されちゃう」
「てか、その口調先輩らしくないから気持ち悪いです! それよりも送ってくからどのみち、家は特定されるでしょ⁉」
「え······? 家まで来るの?」
航流の思考が止まったのを実登里は見逃さなかった。ニヤリ、と笑みを浮かべながら······。
「え······いやだって、送ってって、て先輩が言うから······」
て、が多いなと思いながら実登里は、航流という新たなおもちゃで遊び始める。
「えー? 私は送ってー、とは言ったけどぉ、家までとは言ってないよー? ん?」
「そ、そうでしたっけ?」
「そうだよー、何を勘違いしたのかなー? ん? んん?」
「そ、それは······」
返す言葉を失った航流の顔を実登里は覗き込みながら更なる追い討ちをかける。
「女の子の部屋に上がれる、とか考えてたでしょ?」
「はは、そんな下心丸見えなことなんか考え······あ」
「へー、つまり君は私を女として見ていない、と······そう言っているのね?」
「え、いや、違っ、違います! 決して先輩のことを暴力女だとは······ヤバッ」
航流が本音を漏らし、立ち去ろうとしたがそう簡単に逃げることは出来なかった。相手が悪すぎたのだ。なんせ相手が妻城実登里なのだから。
実登里に捕まってしまった航流は最後の悪足掻きとして、
「せ、先輩って、綺麗ですよね。大人の魅力って言うか······美しいです!」
「あらそう? それはありがとう!」
「でも、楓ちゃんみたいに私はチョロくないよ」
脳内の大成功の文字を消し去る言葉が聞こえてきた。それは同時に航流を地獄に落とす言葉でもあった。
大成功から大失敗に文字が書き換えられると、航流は実登里と同じ歩幅に合わせて歩いていたが、途端に自分の歩幅で歩き始める。後ろを見ずにただただ逃げることを意識して······。次第に航流は歩くのを止め、走りへと足を変えてその場から去った。
航流が逃げていくのに捕まえもせず、ただただ見物していた実登里は一人呟いた。
「君はどっちが本物なんだい? 今みたいな明るい方なのか、それとも······《孤高のエース》の方なのか······教えてくれ、航流······」
······隠し事はいけないよ、私もそうだけど。
向こうは気づいていない様子だったがそれはまだ分からない。忘れているのか、それとも私と同じように隠しているのか······。
かなりの時間航流と話していたが、結果的に実登里が知りたかったことは何一つ聞けていなかった。
はあ、とため息を吐いてしまう。
ーーカサカサ、カサササ。
「······はあ、隠れてないで出てきたら、楓ちゃん。それとも······黒いーー」
「ゴキじゃないですっ! 女子に向かってそれは失礼ですよっ!」
「私も女子だよ? 女子同士ならいいでしょ?」
うっ、と楓が反論できなくなったところで後ろにいる楓の方を向く。
楓の服装は制服ではなく、ダボダボのシャツにハーフパンツというかなりラフな姿だ。更に左手には実登里も寄ったコンビニの袋を提げている。
コンビニ帰りに見つけたのだろう、と解釈しこちらに来るよう手招きする。
「いつ頃から見てたの?」
手招きして早々投げ掛ける質問にしては、ベタ過ぎるが気にしてはダメだ。
そのベタ過ぎる質問に楓は隠さずに答えた。
「か······彼が目を覚ました頃から見てました。うん、部長が膝枕をしているのもね」
彼、という言葉に実登里は感じた。
······やはり、あの事がまだ、楓ちゃんの心に突っかかるのだろう。
口にはしてないがこちらの視線で楓にも伝わったようだ。伝わった途端、楓はこちらと目を逸らし俯いた。
やってしまった、と思いながらも。それでいい、と対極のことも思ってしまった。彼女ーー
助けを最初から求めて解決するのではなく、自らの力で解決に向かう。その自らの力の中で行き詰まった時、助けを求める仲間を楓はまだ持っていない。
先輩であり、ラジオ部の部長の実登里は楓の仲間だがそれも後少し。だから本当の《友達》というものを見つけ、探してほしい。それが実登里の答えであり、願いなのだ。
「可愛い、って言われたでしょ?」
「え、だ、誰にですか?」
楓が少し慌てているのを見て確信した。
「分かってるくせに。言ってほしいの? 鹿代だよ、鹿代」
「か、かか、かわいいなんて言われてませんっ! そ、そんなの私の機嫌を良くしようとして今、部長が言っただけでしょ?」
言われたな、と思いながら必死に笑いを堪える。そして思い付く。
「そうだよ。機嫌を良くしようとして言ったの。鹿代はね。楓ちゃんに」
「そ、そうですよね。そんなの最初からーーはい? 部長、今なんと?」
「だから、楓ちゃんに機嫌を直してもらうために、鹿代は思いもしないことを口にしたの」
「あ、ああ! あああ! アイツッ!」
おっ、火が入った。
······航流、ごめんね。犠牲になって。
と、心の中で謝る。航流に対して新たな怒りを覚えた楓を見ると、握り拳を作って、
「部長、今日はこれで!」
去った。
明日が楽しみ、とニヤニヤしながら楓の後を追うように実登里も帰路を歩いていった。
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