11 勝利を追う者 その2
ボディバッグのベルトを二・三度握り締め、ハクモが舞い上がらんばかりに喜々としている。
声でも上げれば人目を引いたのだろうが、裏通りを歩く人々に上下共黒一色の少年は次第に目に入らなくなりつつある。
日没後なのだから当然だ。
スーツ姿のビジネスマンが、悠然と歩く空間神にばかり目を奪われる。買い物帰りの少女達は並んで歩く二人を一枚の絵のように捉えるが、膝のあたりまで伸ばしている金髪と白いスーツの組み合わせにまず目を丸くする傾向があった。
もし、この場に勝利がいれば、一体何を思ったろう。闇に属する神同士が、わざわざ地上で良からぬ計画の話を交わす異様な場面について。
「返事がまだだよ」少年神が、歩きながら催促する。「いいよね?」
断っても、空間神に良い事など一つもない。それを理解した上での強気だ。
「自分が何を言い出したのか、本当にわかっているのか? 今取り消すのなら、何も聞かなかった事にしよう」
無駄かもしれないと承知の上で、形ばかりの警告をする。
そう。問題なのは、理解が浅いという部分だ。
彼の望みは、いずれ闇の王に弓引く行為へと繋がってしまう。鍛冶神を慕う、或いは憎悪するだけのハクモをなるべくなら近づけたくなかった。
一歩踏み出したその先に待ち受けているものは、あまりにも自滅という悲劇に近すぎる未来だ。
「さっきも言ったよね。もう不貞寝は飽きたって」
「勝利なる光域の神を利用し、私が何をするつもりなのか。それについてあまりかわいらしい想像をされても困る。たとえどのような代償を払おうと……」
続く筈の単語が潰れた。
人間の耳に入る事を警戒しての躊躇ではない。信号が大きな人の塊を駅方向に流し、人の耳は全て通りの向こうへと消えた。
「払おうと……?」聞き手のハクモは、当然肝心な部分を要求する。
探り合うばかりの沈黙が、大人と子供、全く別の容姿を持つ者達の間を満たす。
数台の車列が前方から後方へと抜けた後、伝える事を先に望んだのは、きつね色の髪を持つ少年神の方だった。
「間違っていないと思うんだ、きっと」
遠回しなハクモの肯定に、空間神は「何が?」と訊き返す。自身でも驚く程、その声はいつもより高いところから発していた。
「これから、あなたがやろうとしている事。具体的にはわからないんだけど、でもいいや。俺は、その協力者になりたい」
「鍛冶神に対する復讐ではないぞ。加担する君に何の旨味がある?」
「う~ん」と、闇の少年神が反り返りつつ唸る。「俺が何かをした気になって、あなた一人に全部をさせずに済む。そんな感じ?」
これで一体何度目になるだろう。空間神の足が止まった。
いや。今回は、止まったというより、突然身体が重くなったという方が正しい。
束ねていた金髪が、空気を含んで末広がりに持ち上がる。
波うつ金髪が微風の中で大きく広がる異常さ。ハクモはその光景から、自分が地雷を踏んだのだと瞬時に理解した。
しかし、引く気はないと見える。控えめな表情が、「一人はつまらないよ」とまで付け加えた。
「バカな……!!」
撥ねつけたくなる程神経を逆撫でされたのは、黒の縫修機と闘った時以来か。思った事をすぐ口に出す無遠慮が、彼等を思い出す切っ掛けになった。
浅い考えで誰かを想う。少年神とは、光と闇の区別なく何処か似てしまうものなのだろうか。
静まれ、と空間神は自身の内を揺らす感情の動きに蓋をする。
ハクモは空間神を信じ、単に期待しているだけだ。目前に立つ者の真意を読みきれない所為で。
長く長く、一人で闇の全てを支えてきた者の内で育った腐敗の淵の存在を知らない。そして、小さき者まで利用し始めた自分を最早止められなくなっている事さえも。
そんな空間神の前で、闇の少年神が項垂れた。
「寝てる時間の方が多くてゴメン。だからこれは、一緒にやろう」
「何故、謝る?」
「……前と比べると、表情が少し変わった、から」
とうとう我慢の限界を超え、空間神は白い右手首を返し舗装された大地を指す。
「帰りなさい。私は何も聞かなかった。君も何も話さなかった。ここで出たのは、そういう結論だ」
「えーっ!?」ハクモが、俄かに顔を歪める。「じゃあ、今夜はしゆうの所に泊まるよ。明日、教えてもらったオフィスから帰る」
「しゆうの住むマンションの場所も知らぬのに、か? この後どうやって行くつもりだ?」
「スマホっていうのがあるから大丈夫」と、自慢げに少年が跳ねる。ボディバッグの中で、再度物同士がぶつかりあう鈍い音がした。
余計な事をとしゆうの独断に苛立つ一方で、闇の繋がりというものの誕生に妙な感情の騒ぎを覚える。
「仕方がない。明日の朝、私がしゆうの部屋まで迎えに行く。それまで少し頭を冷やしなさい」
「その時、もう一度話し合うって事だね」
バッグを開いたハクモが、四角い形という手触りを頼りに人間が使う携帯電話を取り出す。
改めて思った。光域の神々が一台づつ携帯している端末に外観が酷似している、と。
しかし、あれもまた神々の使う機械でありながら、神の手が授けた品格も性質も持ち合わせてはいない。
ハクモがしゆうとの話をつけ、通話を続けながらまず目前の交差点を渡る確認をする。うろうろと歩かずに待っていれば、彼女が車で迎えに来てくれるという事のようだ。
「じゃ、また明日。しゆうの部屋で待ってるから!!」
「ああ」と手を上げずに送り出すと、結果として空間神は一人残される形となった。
「明日の朝までか。……時間はあるな」
時神の望みでもあるし、狩るか。一人、二人ほど。
大学生風の青年が若者向けの店から出て来たところを、これ幸いと尾行する。
途中で街路樹の枝に触れたのは、ほんの悪戯心からだった。
-- 「12 黄金と赤」 に続く --
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