10 勝利を追う者  その1

 少女達と若い女性が次々と足を止め、前から接近する紳士と少年の為に歩道の中央を譲る。

 彼女達はそれぞれが横一列に広がっていた事を後悔し、二人連れの邪魔にならぬよう店舗寄りか車道寄りのいずれかに退いた。

 池袋の歩道を歩く人の流れが、無意識の連なりによって次第に二つに割れてゆく。街灯と店から漏れる明かり、そして通りがかる車のライトに照らされ、静止したままの女性達が浮き上がった。

 その様子に表情一つ変えず、白いスーツの紳士がきつね色の髪をした連れと共に首都高の高架方面へとゆっくり歩む。

 遭遇した者全ての視線を、絡め取るように二人は奪っていった。

 しかし、空間神は知っている。注視せずにはいられない彼女達とて、目を合わせる事までは望んでいない、と。スマホなる撮影機器で遭遇の記録を残す事も、だ。

 空間神の内に、彼女達の抱く畏れが流れ込んでくる。血肉から成る者とは次元の違う美貌に、ひどく異質なもの、決して軽く扱ってはならぬ境界の向こうを敏感に感じ取っているのだ。

 勿論、神と看破したが故の畏れではないが、悪事に手を染めようとしている闇神にとって、彼女達の自主判断は実に都合の良いものだった。

 ネットなる電脳世界が広大な情報ネットワークを構築した時代に、記録と情報が他者と共有されないメリットは大きい。都市伝説なるものの誕生すら回避できるのだから。

 関心のある人々は記憶にのみ焼きつけ、空間神の容姿を生涯秘めて生きるだろう。

 その容姿の持ち主が、人間を魔物に変える怪物とも知らず。

 正に今、誰を哀れな犠牲者にしようかと物色している最中であろうとも。

「この通りは、女の子ばっかりだね」

 注目される事に飽きたのか、少年がわざと欠伸をする。美少年に属する顔立ちの中央で、大きな口の穴が開いた。

「そういう場所を選んでみた。今の街並みはあまりよく知らんのだろう?」金髪の男神は、案内甲斐のない少年に左手の高層ビルを指して促す。「それとも、中に入るか?」

 少年が首を横に振った。

「しゆうの所に寄るのはダメ?」我が儘というより丁寧な提案という口調が、見かけより大人びた少年の内面を反映している。「数年がかりで手に入れたものを一瞬で壊された、って聞いたから。きっと、がっかりしていると思うんだ」

「……気が回るんだな、君は」

「ハクモって呼んでよ」短く整えたきつね色の毛先が、笑顔を湛えた直後に揺れた。「俺は、昔からの名前で呼ばれるのは結構好きだ」

「それは凄い事だな」かつての呼称を捨てた者として、空間神は異端の闇神に思ったままの言葉を贈る。

 ハクモの名を持つ少年神は、人間の外見に例えるなら、十四~五才くらいだ。但し、その年頃の少年達に混じると背は多少低い方に属しているとわかる。

 際立つのは、人間以上神以下という程々さに収まっている調整された良い見目と手足の長さだ。

 柔らかい直毛は、光沢を含んだきつね色。濃い緑青に白を注いだ多色の虹彩を持っている。

 地上に出現する際、必ず白いスーツを着用する空間神の隣で、ハクモは黒いブルゾンと黒いズボンを組み合わせ、赤いボディバッグをたすき掛けにしていた。

 しゆうが買ってくれたというバッグの中には、秘密道具一式が入れてあるという。

 その中身に今回、新たな品が加わった。ハクモは笑ってはぐらかすが、「一緒に地上に行きたい」と彼に言わせた品を加えているのだろう。

 空間神に断る理由がなく、時神も許したので、二人は今こうして日没後の池袋を闊歩している。

 赤信号を渡らず右に折れると、歩行者の数が激減した。

 それを機に、「気乗りがしないんでしょ」とハクモが図星を指す。「悟られたくないから、しゆうの部屋にも寄れない。……誰かの事で頭がいっぱいなの、俺には丸わかりだ」

 空間神が、足を止める。

 つい表情が歪む。それ以上は言うな、と。

 しかし、闇の少年神は続けた。

「俺だって、ずっと同じ奴の事を考えてる。あんな物を見たら尚更だ。しかも、しゆうの連れて来た神が、奴の居場所を吐かずに消滅したとか。いつ、そんなに慕われる神になったんだ?」

「会って確かめたいのだな、鍛冶神に」

 白い虹彩で自身の感情を巧みに隠し、空間神がビルの谷間を仰ぐ。

 地上の何処か、しかし建物の中には存在しない扉の向こうに、時神とハクモの探す鍛冶神が隠れている。空間を司る神として、彼の神の拠点が建物の中にはないとほぼ確信してはいる。

「違う!! あいつが俺に何をしたか、知ってるだろ!? 許せないから、探しているんだ」

「そうだったな」と言うに留め、控えめな表情の変化に怒りを乗せた少年の琴線から手を放す。

「でも、ありがとう」少年の語気が穏やかになった。「ゴズに着せられていた物を、こっそり俺に譲ってくれて」

 波打つ金髪が、束ねた先で豪華に揺れた。ハクモを連れ歩いて苦にならないのは、怒りがすぐ断たれるこの気性にある。

「手掛かりとするには不向きな物に、時神は興味を示さないからな。報告からは外してある」

「……再利用したいんだよね?」

「ああ」企みの存在について、空間神は闇の者の前で堂々と肯定した。「サイズを変えてほしい。人間の大人が使えるように」

「……時神には内緒で?」

 間を置いてから、金髪の神は頷いた。

「鍛冶神の造りし物を練り直しできる神は、闇広しと言えども君だけだ。危険を冒す事になる分、欲しい物があるなら用意しよう」

「本当に?」

 少年神の双眸に赤い一閃が走った。

 尤も、好奇心の他に見え隠れするのは、悪戯心というより野心に近い業の炎だ。

「じゃあ。俺をあなたの計画に加担させるっていうのは、どう?」背を反らせて男神を見上げ、ハクモがたんと大地を蹴る。「うん。だらだらと不貞寝するより、ずっと前向きな気がしてきた」



 -- 「11 勝利を追う者 その2」 に続く --

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