09 感涙の中の再会  その2

 百合音の言葉が、勝利には少々引っかかった。

 感動の再会という事で、少女の涙は理解できる。しかし、何故「やっぱり」なのだろう。

 勝利はライムとダブルワークを「緑のコンビ」と紹介したし、百合音は縫修時の記憶を残している。ライムに対し、もっと早く今の感情が込み上げてもおかしくはないのだ。

 尤も、「気づかなかったの?」とわざわざ尋ねるのは野暮というものだろう。

 特別な時間である事は確かなのだから。縫修によって人間に戻る事ができた彼女にとっては。

「本当に覚えているのだな、私の事を」僅かな戸惑いを長い睫毛の上に乗せ、眼鏡の紳士が百合音に対し目を伏せる。「君は本来、縫修時に見聞きしたものから切り離され、元の生活に戻る筈だった。当時の私の不手際を詫びたい」

「そ、そんな、謝らないでください!!」何度となく、百合音が首を横に振る。「私は毎日、お母さんの作ってくれるご飯を食べています。お父さんの顔が毎日見られて、友達とは携帯で話しているし。前と何も変わっていないってわかるんです」

「百合音君……」

「もし、私が覚えている事が普通じゃないなら。きっと、きっと、お礼を言う機会を貰ったって事なんです!! 感謝を伝えるようにって。だから、言わせてください。縫修で私を人間に戻してくれて、ありがとうございます」姿勢よく立ち上がると、長髪を垂らし少女が頭を下げた。「縫修師様に助けてもらって、私、嬉しいんです。……きっと、あの時魔物だった人も」

「気づいていたの? もう一人いたって」赤の縫修師として、ミカギが尋ねた。

 立ったまま頭を上げ、「はい。空への扉が開く時、私一人じゃなかったのは何となく覚えているんです」と、女子高生が虚空を仰ぐ。「記憶があるって、その辺りから、かも……」

 ふむ、と湖守が思案顔になった。そして、眼光鋭く何かを決意する。

「百合音ちゃん。これから、とても大事な話をするよ」

「はい」

「正直に言うと、僕達は君に起きた変化が気になっている。だけど、深入りはさせたくないんだ。神は神、人間は人間。それぞれの世界があるのに越境を続けたら、君はいずれどちらにも属せなくなる。折角人間に戻ったのに。……わかるね? 自分の立ち位置は、永遠に変えられないんだ、と」

「はい」

「ここに来たら、いつでも歓迎するよ。ただ、もし君が冒険気分で過度にのめり込むようなら、僕達は君を守りきれなくなる。色々な意味でね。そうなりそうだと思うなら、今ここを出て、僕達の事を忘れた方が幸せだ。どうする?」

 エプロンをつけた店長が、何気ない仕種でドアを指し示す。その姿は次第に高貴な威厳を放ち、人に見えるが決して人ではない何者かなのだ、と湖守の存在を少女に納得させた。

 百合音の指先が、初めて震える。

 店内のジヤズが一曲終わるまで、振幅の大きい沈黙は続いた。

「いえ」その一言だけをまず発し、少女は椅子に座る事を選ぶ。「一周さんだって人間じゃないですか? お店のアルバイトまでして。私にも、何かを手伝わせてください。きっと、私に記憶が残っているって何か意味のある事なんです」

「え……と」勝利が返答に窮していると、ダブルワークが「違うな」と助け舟を出した。

「うちのアルバイトは、ちょっと訳ありなんだ。悪いが、あんたとは違う」

 僅かに口を尖らせ、少女が隣に座る勝利を見上げた。羨ましげな眼差しが、勝利の居心地を更に悪くする。

「説明していいかな?」ふっと、小さく息をついた。「百合音ちゃん。君が元吸魔なら、俺は未来の吸魔なんだ。いずれ魔物になって……、ここにいる神々の敵に回る。だから、担当である緑の二人の側にいなくちゃって事で、このまんぼう亭に通っているんだ。見張られてるんだよ、俺は」

 百合音は、すぐには口を開かなかった。

 代わりに勝利の手を取ると、両手でそっと包み込む。

「きっと……、きっと緑の縫修師様が、一周さんを元に戻してくれます。私だって、元に戻れましたから」

 彼女の心遣いが嬉しくなり、「ありがとう」と無理に笑った。その縫修を受ける直前まで百合音の時を奪わずにいたい、と小さな願いを抱きつつ。

「決めたんだね」

 ゆっくりと腕を下げる湖守が、同じ背丈に人としての気配を軽く纏った。

「はい」

 百合音の表情には、最早迷いの欠片も見当たらない。

「わかったよ。じゃあ、改めて自己紹介しようか。僕は、湖守。勝利君の話していた通り、この店の他にも色々やっている。で、左から、ダブルワーク」

「よっ!」ここでようやくスツールに腰かけ、褐色の肌の男が親指で自身を指した。「縫修の時に女子高生を追いかけ回した白い機体は、俺だ」

 まさか、と目を見開く百合音に、勝利は「本当だよ」と首肯を添える。「別に、女子高生だから追い回した訳じゃないと思うけど」

「まぁな」いっと白い歯を光らせ、ダブルワークが隣に座る相方の肩をポンと叩いた。「意味ってやつが本当にあるなら、突き止める事も大切だろ。何が吉と出るかは、最後の最後にはっきりするもんだ」

「しかし……」

 明らかに気乗りのしてしないライムに、流石の湖守が眉を上げる。

「ライム。僕達に力を貸したいっていう勇気ある人間の女の子に、せめて笑顔と敬意は示そう。勿論、何が危険かは事前に僕が判断する」

「わかりました」上体を捻った姿勢はそのままに、「私は、緑の縫修師。かつて君を担当していたライムだ」と名乗るに留める。

 歓迎されていない。そう察した百合音の肩が、大きく落ちた。

「私は、赤の縫修師、ミカギ~」ウェーブのかかった金髪を揺らし、笑顔の女神が右手を上げる。「隣の美青年は、私のパートナー、チリ。あの空にいた赤い機体は、彼の本来の姿なのぉ」

 瞼を動かすのみの挨拶で済ませ、今度はチリがお代わりのカフェラテを百合音の前に置きに来た。顔の左側に下がっている赤髪の一房が、左右非対称の髪型である事を強調している。

「他にも、黒の二人組がいるんだけど、今はちょっと出かけていてね」不在のツェルバ達について触れつつ、湖守が戻ってきた使用済みのカップを洗い始めた。

 少女がカップを持ち上げる。乾いた自身を癒す為に。

「ま、ここにいる顔ぶれは覚えておいて。後で、僕の番号も教えるから」

「あ、ありがとうございます」

 こくり、と更に一口飲む音がする。

 直後、ジャズの音色を壊す連続音が店内で鳴り響いた。

 持ち主を呼んでいるのは一台きりだ。キッチンの辺りから聞こえてくる。

 一人、湖守が自身の端末に触れた。

 耳に当てるその表情が、何故か急激に硬化してゆく。

 湖守の小声を、勝利の耳が拾った。

「え? 白スーツが……」



 -- 「10 勝利を追う者」 に続く --

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