25 呼び出しに応じた女 その1
ライムとダブルワークは、曇天の下、勝利と店長の姿に気付いた後も二人が小走りで近づいてくるのを待っている。決して自分達から、コンビニの敷地に立ち入ろうとはしない。
そもそも普通の人間には、ライムが仲間の脱いだ服を胸元で小さく纏めていると映るだろう。全裸の美少年を抱き上げていると知る由もないのだから、理由は必ず他にある。
例えば、闇に属する者を土地守の拠点に入れるのは禁忌だ、など。彼等土地守を清浄に保つ為の措置が取られているのならば、縫修師達二人の行動は十分その配慮に値する。
勝利のような神の代理二日目という人間でも、あの白スーツの男が人や場に悪しき影響を与える脅威だと看破する事は容易だった。
看板を磨いている木の妖精は、見た通りならば相当に華奢で儚い幻影の親戚筋だ。あの男が近づいただけでどのような被害を被る事になるか、考えるだに恐ろしい。
店長の様子を見る限り、明らかに良くない事態の進展に気を揉んでいる。白スーツの男が来店したのか、それとも土地守の行方不明について流れ聞いているものでもあるのか。四人の中でただ一人室内着のままだというのに、最も厳しい顔つきをし北風になどまるで頓着していなかった。
両手が塞がっているライムに代わり、短髪の男が「よっ」と右手を挙げ声をかける。
「緑の方々…」店長が走り寄って、深々と頭を垂れた。「湖守様からお話は伺っております。勝利様が緑の方々とこちらに向かっている、と。それから…」
土地守は、一旦話を切った。体を捻って周囲に視線を巡らせ、糸でも手繰るような仕草で空中に右手を差し込むと五本の指を複雑に回す。
「先程、付近で尋常ならざる闇の気配を感じました。…ご無事で何よりです」
ライム達に向けられたものかと思ったが、そうではない。案じている対象は、主に勝利についてだった。
闇の気に当てられ、一気に吸魔化が進む事を危惧しているのか。
さもありなん、と勝利は肩を落とした。
店内では状態が安定していると伝えたが、実際問題、吸魔化そのものを永遠に回避できるようになった訳ではない。
もし勝利が黒い炎の化け物に変容した時、この店長は担当地区に異変が発生したとして勝利の事を湖守とライム達に通報するのだ。
土地守として、それが人々と神々全員の為になると信じているから。
ダブルワークが、拳の中より突き出した親指で歩いてきた後方の道を指し示す。
「ああ。そいつなら、さっき会ったぜ。勝利が三日吸いに遭った事には、もう気づいてやがる」
「何と…」一層顔色をなくす店長に、「そういう事を予見していたのか、湖守さんが護衛役をつけてくれました」と、勝利が頭上の不二を見上げるよう促す。
当然、土地守である店長にも不二は視認する事ができる。「流石は湖守様だ」と小さく唇が動いた。
しかし今、勝利が最も見てもらいたい対象は不二ではない。「店長」と話題を切り替える為に、空に向けられた彼の関心を今一度地上へと引き戻す。「顔を確認して欲しい少年がいます」
「少年?」
既知の顔が三つあるだけなのに。土地守の顔には、そう書いてあった。
「この少年です」
ライムがコートの端をめくり、眠っている少年の顔を曇天下に晒す。すっかり安心しきっているのか、泣き食い虫の少年はライムの方に顔を向け瞼を閉じていた。
顔にかかった金髪をどけ、店長が不審そうに口で真一文字を描く。
「闇の気配がしますけど…、誰の顔か……」
前屈みのまま、男の全身が凍り付く。
「一度まんぼう亭を訪ねている土地守の一人です」記憶を頼りに語るライムの口調は、どこか重い。「勿論、私の知っている彼は、こんなに小さくはないのですが」
店長の右手が、そっと少年の姿勢を変える。俯せにする事で露わになった背中と肩には、虫の翅の付け根部分だけが四枚密着していた。
「これ…は……」コンビニのシャツを着た男が、寒空の下で目尻に涙を浮かべる。「真田和也君と瓜二つです。ライム様が記憶している通り、土地守です。神奈川県内の一部を担当する」
「真田、和也君。ですか」
フルネームを繰り返すライムの横で、店長が携帯端末を取り出した。震える指をどうにか操り、登録している電話番号の一つにかける。
コール音がするかと思えば、すぐに機械的な自動発信のメッセージがスピーカーから発せられた。
突きつけられるのは、無慈悲な現実そのものだ。
『おかけになった番号の端末は、故障している可能性があります。通話、メッセージの送信はできませんので、先方の端末状態を確認するようお願い致します』
硬直した店長がキャンセルをし損なった為、四人に聞こえるよう同じメッセージが三度繰り返された。
誰にとっても、非常に気まずい結末だ。
ほぼ断定されたも同然ではないか。行方不明になった土地守が、真田和也という少年と同一人物のようだ、と。
「ところで…」肝心の疑問が未だ放置中のままなので、勝利は改めて今ライム達の前に置く。「この子が真田君にそっくりだとしたも、本人ではないのでしょう? 背中に翅はあるし、こんなに小さな訳ですから」
「だから、だ。和也本人の命を、皆で心配してるんだろ」苛立ちを噴き出させまいと奮闘しつつ、褐色の肌をした男が呟いて黙る。
男の視線が勝利を咎め、俯くライムを無言で顎で指した。
ライムのいるところでは、なるべく触れるべきではないのか。その理由はわからないが、先程見せた紳士の様子から正しい指摘なのだと理解はする。
真田少年が小さくなってしまった事に、ライムは我を失い憤っていた。個の存在を重視する縫修師故、闇の行いの何かを己が全てをかけ全力で否定しているのがわかる。
店長が、改めて別の番号に電話をかけ始めた。
「……あ。石塚です。真田さん、今、大丈夫ですか?」
短い返答の後、石塚店長が別の真田性に問いかける。
「和也君、帰っていないんですか? 湖守さんが探している土地守がいると聞いたんですけど」
端末を耳に当てている石塚の表情が、これ以上はない沈痛なものに変わった。相手の話が意外と長く続く。
「真田さん。今すぐ、新小岩まで来れますか? 湖守さんにも連絡しますけど、少しお話したい事があるんです」
短い返事が、しかし『はい』とはっきり答える声が勝利の耳でも聞き取る事ができた。かなり若い女性の声だ。
電話を切った石塚は、会話した相手が、行方不明になっている真田和也と三世代循環を行っている『姉』役だと説明した。
「代理の土地守は、父親役が引き継いでいるそうです。行方不明になったのは、昨夜。その段階で、端末には異常が起きていたようです」
ライムとダブルワークの表情が、尚一層曇る。
最早、疑う余地はない。無念な思いから、勝利も思わず唇を噛む。
件の行方不明者とは、真田和也少年の事だ。
-- 「26 呼び出しに応じた女 その2」 に続く --
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