37 神名乗り

 勝利が覚悟の依頼を終えた直後、室内に電子音が鳴り響いて三人の会話を中断させた。

 勝利のスマホではない。また、アパートで聞いたライム達のものとは、音や長短の組み合わせが全く異なっている。

 ライムとダブルワークが同時に携帯端末を取り出し、急ぎ画面を確認する。そして、固い表情を交わし合った末、それぞれの画面を勝利に向けた。

 内容を見比べるなり、血の気が引いてゆく寒気に体を震わせる。長い付き合いだった障害物をようやく破壊した達成感など、画面の凝視一つで無情にも亀裂が走り崩壊してゆくのが辛い。

 携帯には、どちらにも全く同じ受信画面が表示されていた。

< 心話受信 一周勝利(未登録) >

 ライム達への依頼、それ自体を後悔してはいないが、たった今とんでもない事をしでかしたのだ、と凡庸な頭で理解する。おそらくは、自分の無知が原因だ。

「勝利君。君が今行ったものは、私達への依頼であると同時に、神名乗りというものでもある」携帯を懐に戻した後、ライムが空中に左右対称の丸を描く。「このような神格を備えたこの神を、こういう名を持つ存在として立てる。神が自分若しくは他者に行う宣言の儀式で、ダブルワーク達ヴァイエルの時のように創造者が行う場合と、私達縫修師や今の君のように自ら名乗る場合の二つがある。神名乗りはそれぞれの神格に応じ、個人に対してではなく相応の範囲にその内容が直接広がってゆくものだ。特に、第一世代神が行う神名乗りは、それ自体が大変強力な心話だと言われている。伝達範囲は無制限。今行った君の神名乗りは、私達と同型の携帯端末を持っている全ての神々と、あらゆる世界に残った第一世代神には伝わった事になる」

「つまり…」ダブルワークが画面を操作し、受信した内容を表示して勝利に向けた。「こういう事だ」

 案の定、勝利の神名乗りを含む縫修の依頼がそのままテキストとして画面を埋めている。

「お…、俺は…え…っと…」勝利は、両手に滲む汗をズボンで拭った。「お、お願いすべきではなかった、という事ですか…?」

「後悔したか?」とダブルワークに尋ねられれば、少し躊躇した後に「いえ」と断言する。

「だったら、願ったメリットを享受しとけ。俺達も、今ので縫修が成功すると信じられるようになった。感謝するぜ」

「じゃあ、やってもらえるんですね!!」

 喜色の勝利に、「ああ。他の全てを差し置いてでも」とライムが請け負った。「ところで、勝利君。何が君を変えたんだ?」

「目が覚める直前、俺の中にいる俺からメッセージを受け取りました。俺の声が、『名が示す通りに在れ、勝利』って。何をどうしろって事なのかはわからないけど、勝利をもたらす者になれって事なら、とにかく名乗る事から始めてみようって思ったんです。俺は神様だ。縫修を成功させる神だ、って」

「縫修を成功させる神、か…」右手の白い人差し指が、思案顔をするライムの顎に添えられる。「君にはメッセージがそう聞こえた、という事なのか? もっと広い範囲で勝率を変動させているのに」

 勝利は、僅かに俯く。

「今の俺は、神様一年目で初日です。全ての事象の勝率変動なんて引き受けられる器じゃないですよ。それは、まだ受け入れません」

「おい…」と声を荒らげるダブルワークを、ライムの右手が顎から離れ優雅な所作で制止した。

 ライムだけは、勝利の主張に続きがあると察している。

「確率に変動をもたらす勝利の神なんて、世界への影響が大きすぎますよ。俺がまだ感情的なうちは、きっと引き受けるべきじゃない、と考えたんです。人間の会社だと、新人は、枝葉についた仕事から始めるんです。俺も、そこから始めます」

 理解はしたが、納得はできない。そう顔に出し、ダブルワークが短く唸る。

「殊勝な心掛けってとこは誉めてやるぜ、勝利。図に乗るよりは、ずっとましなんだろう。けどよ、その大きな世界への干渉は、いずれ覚悟が決まるより先に神格の方が手をつけ始めるかもしれねぇぞ」そして、テーブルに上体を乗り出し、ぎりぎりまで顔を寄せる。「お前は今、俺達神に、自分は人間世界に現れた第一世代神だ、と名乗った。第二世代神全盛の時代に、だ。…いいか、覚えておけ。今の宣言は、きっと闇にも届いてる。闇の王と側近連中も、厄介な事に神だからな」

「え…」

 ダブルワークの続きを、ライムが引き受ける。

「君の中にいる第一世代神と第二世代神は、どちらもその事を知っている筈なんだ。それでも君に、神たれ、と告げたのなら、彼等の定めた道なのかもしれない」

「え……っと…」

 突然吹き出す大量の汗に、ライムがまたもティッシュ・ボックスを差し出す。柔らかな紙に手を伸ばそうとするも、五指は揃って震えていた。

 更に、テーブルの隅を占める手書きのメモに視線が及ぶ。「疑問点」と見出しのついた項目に、三重線で強調した部分があった。

「勝率変動は、上方修正も可能なのでは?」と書かれている。

 勝利が仮眠を取っている間に、ライム達も気づいたのだ。下方に偏りがちな勝率変動は神格の歪な発現が原因で、その間もそれとなく微調整はされていたのだ、と。

「闇については、別の機会に湖守さんから詳しく説明してもらうといい。彼等は、未だ力を蓄えつつある段階だ。今すぐ地上に攻め入る心配はないが、そういう者達がいると知っておいて損はないだろう」

「はい…」

 ライムの話に安堵し、乾いた喉を冷めたコーヒーで一気に潤す。

 勝利がカップをソーサーの上に置いたところで、聞き覚えのある電子音がライムとダブルワークの懐から発せられた。アパートで聞いたコール音と同じもののように思う。あの時のものは、電話の呼び出しだ。

 端末の画面に視線を落とした途端、ダブルワークだけが顔を歪める。不仲な仲間からかかってきたのか、と勝利は推理した。

 実に平然と取るライムが、二つ三つ頷いてから「有明の上空だな」と確認し直す。

 追跡者の二人が、すっくと立ち上がった。

「吸魔ですか?」勝利も椅子から腰を上げ、一瞬だけ絵に目をやる。「俺もついて行っていいですか? 今度はもうへまはやりません」

 首肯するライムが、新緑の輝きで勝利の両目を射抜く。

「見て、知りたいのだな。縫修の全てを」

「はい」



          -- 「38 再び空へ」に続く --

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