36 吸魔の正体 その3
就寝中の人間が、自分を取り込んでいる世界と物語の進行を夢主導の産物だと認識する事はなかなか難しい。夜空に吸魔を仰ぐ勝利は、一人、正にその困難な状況下に置かれていた。
もし、姿無きダブルワークの声を聞かずにいれば。なまじ整合性の取れたパランスが災いし、夢の世界を現実と思い込んだまま香の導きに思考を委ね、辛い眠りを続けていただろう。
しかし、追跡者の身にありながら、男の声は、吸魔の存在を無視し勝利に優しく語りかけた。
考える程、違和感が増す。布団の中で、夢の音と目覚ましのアラーム音を同時に聞く気分だ。
もしかしたら、現実ではない、のかもしれない。隣人の嗚咽に、吸魔の嘆き、町内の風景全てが。
勝利にも記憶がある。明け方に見る夢なら意外に夢と認識しやすい、と。覚醒が始まっているから、なのだろう。
鳥のさえずりやバイクの音など、朝の活動を始めている者達が周辺に活動の痕跡を振り撒いて動く。同じ事が今起きており、自分は既に活動音を正しく捉え始めているのだ、と悟った。
目を覚まさなくては。何としても、夢で見た全てを記憶に残したまま。
「う~ん……」
無駄に唸って、自身の覚醒を首の内と耳の外から同時に促す。一方で、夢は夢のまま、勝利の意識の何割かを引き続き占領している。
両者は衝突しては離れてゆき、ある一瞬、睡魔の中でもがいている自分と、吸魔と対峙している自分が、完全な別人となった。
疾風のような第三の声を聞いたのは、その時だ。
<名が示す通りに在れ、勝利>
「え…?」
自分の声が自分に指示を出すところを、勝利は初めて聞いた。夢の中ともなると、状況次第で自分というものは一人二人増やせるらしい。
何を馬鹿な、と自身に呆れながら唸り続け、覚醒への階段を一段一段手で掴み這って昇る。
月光に別れを告げたところで、勝利の両目は開いた。
微睡みの中で散々無意味な声を上げた為か、互いに向かい合って座るライムとダブルワークが気の毒そうに寝ぼけた男の顔を覗き込んでいる。
「気分はどうだ? 勝利君」香炉で仮眠へと誘ってくれた紳士が、箱ごとティッシュを差し出した。「夢見は良くなかったようだな。だいぶ魘されていた。これで涙を拭くといい」
「あ…、すみません」と、騒音を発した件についてまず謝る。「起きなくちゃと思って、目一杯唸りまくってしまいました。うるさかった、ですよね…」
「いや」と、ダブルワークは否定した。「結構面白かったぞ。こんな間近で人間の寝姿を観察する機会は滅多にないからな」
もしや、無防備な間玩具にされていたのかと勘ぐったが、おそらく違う、と涙を拭く。
たとえ人間の悲しみに寄り添う神であろうとも、ライム達第二世代神最高神格なる神々と自分のような人間の間にある段差は、五や十ではきかない筈だ。そもそも、不死の存在が眠りというものを必要とするのか否か、も勝利は知らずにいる。
泣いている様子以外を至近距離から眺める事が本当に初めてだとすれば、興味と共に見ていた事を責めるのは筋違いな気がした。
しかも、だ。寝姿を云々している場合ではない。
幸いにも、覚えていた。夢中の思考をほぼ全て。
「ライムさん」勝利は、椅子に座ったまま真顔で居住まいを正す。「俺、吸魔の夢を見ました。人間の声で悲しそうに泣く吸魔の夢を。……吸魔の正体は、人間なんですね?」
一拍と置かず硬化した紳士の表情は、突飛な推理が間違ってはいない事を無言で証明してくれる。ライムとダブルワークが、視線を交わし互いに頷いた。
「そうだ」と肯定するのは、ライムの方だった。「エル・ダの件もそうだが、君は自分の内にいる神から夢の中で情報を受け取るのだな」
「いえ、そんな…。今日は特別みたいです」嫌々をするように、勝利は両手を振った。「元々勘はいい方なんですけど、普通、俺都合で夢を使いこなせたりはしませんよ」
「お前が普通を語るな」と、ダブルワークが右の人差し指で勝利の額を軽く弾いた。冗談めかした仕種だが、目つきに穏やかなものが含まれていない。強いて言うなら、威嚇、というところか。「いい加減自覚しろ。自分は神を含んでる、ってな。その自覚がなきゃ、お前は自分の神格を永久にコントロールできねぇぞ」
「そう!! それなんです!! 俺、もう足を引っ張らないと思うんです」勝利は、両手をテーブルに置いて頭を垂れる。「だから、吸魔を人間に戻してやってください!! 獣タイプもマス・タイプも両方。昨夜俺を襲った吸魔の正体に心当たりがあるんです。家族も心配しているし、その子を家に帰してやりたいんです」
正直なところ、勝率変動についての「もう足を引っ張らない」発言は、人生初だ。当然、気合いが先行するだけの意思表示なら、ここまで強気の主張は勝利の性格だとかなり困難になる。
根拠はあるのだ。別に。
自分と同じ声で話す、まるで別人のような一周勝利。彼の発した「名が示す通りに在れ」という言い方に途方もなく大きな意味がある、と感じている。肉体、思考、勘、心、それら全てで。
「縫修というものが、吸魔になった人間を元に戻す唯一の方法だから。ライムさん達みんなが、俺のした事に腹を立てているんだって気がつきました。神様は人間の為にって動いてくれていたのに、俺が足を引っ張った。三郷の空で、吸魔なんて死んでしまえ、とも思ってしまったんです。俺、とんでもない事を考えていました。だから!! この件は、俺、謝るのではなくて、お願いしたいんです!!」
話は、これで終わりではない。まず最初に為すべき事をし、成してゆくのだ。
自覚しろ。自分は、全ての世界の中心にいるのだ、と。
大きく息を吸った後、腹に力を込めて付け加える。
「神でもある一周勝利からのお願いです。縫修をやってください!! 吸魔にされてしまった人達の為に!!」
-- 「37 神名乗り」に続く --
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