10 三日吸いの果てに

 突然現れた闘神を前に、只人が咄嗟に思いつく事など大抵が一つだ。

 決して逆らわないでおこう。他聞に漏れず、勝利も同じ事を考え乾いた唇を引き締める。

 感情を持て余す被害者がようやく殊勝な顔つきをした為か、ダブルワークの背後から神人の姿が朧気になって消えた。

「よしよし、いい子だ」しかし、尚も格下をからかうように白い歯を光らせる。「俺達とあんたの間が険悪になったって、こっち側は誰も喜びゃしねぇ。きちんと取ろうぜ。コミュニケーションってやつをよ」

「はい…」

 すっかり萎縮した部屋の主は、従順に首肯する。

 ただ、流石に勝利自身も自分の有様に呆れ焦燥感を強くした。自分の感情の暴走は、全て彼等に対する八つ当たりと化している。

 敵ではないと承知した。言いながらもその側から感情の蓋がすぐに外れ、中身が吹きこぼれてしまう。勝利にとっても本意な状態ではないが、もっと困惑しているのは訪問者の方に違いない。

 重要な目的があるからこそ、彼等は追跡者として顔を明かしこの部屋を訪れている。時間その他、無駄にしたくないものは幾つもあろう。それ故、ライムはダブルワークを止めないのだ。

「君がレア・ケースである事は、私達にとって大変大きな意味を持つ」真顔のライムが、眼鏡越しの視線で卓上に置かれた履歴書を指す。「三日吸いによって、人間に何が起きるのか。過去の例から私達は把握している。しかし、だからこそ。君のように改変される前の過去を覚えていたり、比較的情緒の安定した状態で襲撃された当時を説明できる被害者は貴重なんだ。多くの場合、後者すら難しい」

「そうなんですか?」

 勝利はようやく、ダブルワークの言う幸運の意味を理解した。あれが変わっている、ネット上にこれが無いと取り乱していた昨夜の行動が、可能だからこそ取った前例のないものだったとは。

 しかし、すぐに疑問も浮かぶ。

 奪われたものが何なのかを知る事なく改変された過去に自然と適応しているなら、それは一つの安定材料だ。他の被害者達はむしろ、精神的に自分より揺れ幅が狭いのではないのか。

 体を捻り、ダブルワークが転がしているも同然のボックスからティッシュを二回引き抜いた。

 それを卓上にそっと並べる。重ねず、しかし完全にそれぞれの一辺同士が接する状態にして。

「これは、三日吸いに遭った被害者の時間の模式図だ。間が抜かれている分、繋がりは完全に切れてる。ただ、まだ離れ離れになっちゃいない。だから、生まれた時から今までの体験はかろうじて積み重ねを維持してるし、この段階だと覚えた言葉も話せるには話せる」

 勝利は、小さく頷いた。

「ところが、だ。吸魔に襲われた事でバランスは変わる。他の記憶が少しあやふやな位置づけになるから、襲撃当時が際立ってくるらしい。しかも、襲われた過去が断線する事は絶対にねぇ。ショックが元で仕事が手につかなくなったり、最悪、心がぶっ壊れたケースもある」

 さもありなん。勝利は、他の被害者を苛む苦悩を我が事のように察し、深く同情した。

 人間の体に吸入の器官を刺し、音を立てて啜るのだ。否応もなく記憶が再現するあの音に、万人が耐えられる筈がない。

 と、場の空気を壊すように携帯のコール音が鳴る。それも二台分同時に。

 ライムとダブルワークは瞬時にスマホを取り出し、まず表示を確かめた。その後、目配せを交わしてライムだけが取る。

 一方のダブルワークは、口端を上げた訳知り顔で勝利にわかるよう口の前に右の人差し指を立てる。

 わざわざ通話の内容を部屋の主に聞かせたいのか。理由は不明だが、そんな気がした。

「ライムだ。どうした?」

『ミカギよ~。何だか出ちゃいそうな雰囲気~。しかも、時間差つけて複数~』

「昨夜と同じか。最近、出現の仕方が変わってきたな」

 ライムの眼鏡が、室内に入り込む陽光を鋭く反射した。

『パトロールって基本面倒なんだけど~、残滓のある所に来てみたら結構それっぽ~い』だらしなく語尾を延ばす若い女性の声が、ライムのスマホから聞こえてくる。『だから、緑の方々、応援よろしくぅ~』

 先にダブルワークが、続いてライムが立ち上がった。

「行くんですね」

 些か残念そうに勝利も立ち上がる。今日のうちに色々知りたいところがあったものの、話の様子から察するに、おそらくは吸魔出現という事態なのだろう。

 新たな被害者が出る事を勝利も望んではいない。せめて、なるべく早く送り出してやらねば。

「ああ。一緒に来るか?」

「じゃあ。また機会があれば、話の続きを…」

 言いかけて硬直する。ダブルワークは今、一緒に来いと誘わなかったか。つい、噛み合わない受け答えをしてしまった。

「え…っと。現場にです、よね…? 部外者の俺も」

「当たり前だろ? 他に何処がある。話を聞いてたから大凡の見当はつくだろ」

 部外者という言葉を強調した筈なのに、ダブルワークはさっくりと無視した。しかも、現場への同行について、またもライムが一切制止しようとしない。

 すたすたと和室から玄関へと移動する二人を、勝利は呆然と見守るのみだった。

 眼鏡の客人自らが、玄関を内側から開ける。

「来るといい。一周勝利君」

 初めて、ライムが勝利の名を呼んだ。しかも、敢えてフル・ネームを。

 北向きのドアが大きく開け放たれ、冬の日差しに彩られた屋外が玄関や台所の何処よりも眩しく映る。

 しかし、誘われた先で待つものは、勝利の馴染んだ世界ではない。過去改変を行う黒い獣とその追跡者が対立する瞬間だ。戦場と化すかもしれない所に、ライム達は一般人を連れ出そうとしている。

 行って何かを目撃したら、更に深みにはまる事にはなりそうだ。

 それでも、許されたなら。

「行きます、俺も。知りたいんです。吸魔や過去改変や、ライム…、あなた方の事が」

 急ぎコートに袖を通し、昨夜と同じ服装を整える。

 二人に続き靴を履いて部屋を出れば、何故かそこは無人だった。自分用の洗濯機があるばかりで、ライム達の姿がない。

 既に階下か。

 ドアに鍵をかけた時、頭上から異質な圧迫感を受けた。反り返るようにして真上を仰ぎ、とうとう思考が停止する。

 足の長い人型の機械が、何と水平に浮いているではないか。

 全長は、五階建てのビルと張り合える程。左右対称で、上半身のボリュームに比べ足は異様に長く細い。その上、足首に相当するものを備えておらず、一見自立には不向きだった。

「あ…」

 当然、思い出す。昨日の昼に、駅のホームから見上げた人型の何かを。

 背中側に陽光を浴びている分、勝利は逆行の機体を下から見上げている格好になる。アパートの屋根は完全に機体が覆い尽くしているので、降り注ぐ圧迫感の正体がこの巨体である事は明らかだった。

 昨日は恐れるばかりだったが、不思議と今、恐怖はない。

 それにしても、機体の大半を占めている白色に目が行く。逆行の中で、自ら発光している為だ。

 もし。夜空に輝く星々の輝きを金属に塗布する事が可能なら、この光沢が再現できるのかもしれない、と間抜けな事を考える。

 真夜中に星々を仰いだ時、氷の瞬きに安堵しつつ、一方では切なくなる。誰しも体験した事のある、冬の星の瞬きを見る思いがするのだ。

 神々しいとはこういう物を指す言葉だったのか。この歳になって、勝利は初めて理解した。

 しかも、この機体には緑のアクセントが帯状に添えられている。肩や手足のパーツ端を際立たせる為、各所にあしらわれた新緑色の飾り帯だ。

 特殊な金属なのか、それとも宝石なのか。素人に見極める事は叶わなかった。

 ただ納得はする。

 祝福か呪い。人の世から生じたものではない力を宿しているのだろう、と。

 造形として直線的な部分もあるが、全体として曲線が立体を形成している。

 「強靱」、「豪快」、それら強さや逞しさに傾く言葉が大きさの割に無縁で、敢えて探すなら「秀麗」であり「繊細」だった。

 アーチ橋や近代芸術の見応えに近いものを醸し出している。最早、人造物の極致と讃えても差し障りはなかろう。

 些か趣味的ではある。それ自体を否定はしない。

 ただ、ほぉと見とれる造形美ならば、機械や人造物に関心を払わない人間でも、高い領域の仕上がりに脱帽し深い敬意を評するものだ。

 興奮の鳥肌が立ち、夢の中でふと我に返る。

 そもそも人間ごときに可能なのか。この機体を造る事が。

 白い頭部と美しい白仮面をつけた芸術品が、空中から勝利へと右腕を伸ばしにかかる。

 中にいるのだろうか、ダブルワークの声がした。それは、空気を震わせる事なく直接勝利の耳に届く。

『やっぱりあんた、俺が見えるんだな』



          -- 11 「出現予想地点へ」に続く --

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