09 ライムとダブルワーク  その3

 客は飲み物を欲していない為、勝利は自分のマグカップだけに二杯めのコーヒーを作る。

「そろそろいいか?」

 茶髪の紳士が、改めて本題に入る事を望んだ。

「はい」たとえインスタントでも、一服つくと、腹を括るのが容易になる。被害者として、知りたい事は山ほどあった。「まず、あなた方が誰なのか。訊いてもいいですか?」

「私は、ライム・ライト」伊達眼鏡の紳士が名乗ると、隣に座る男を視線で指す。「彼は、ダブルワーク。私のパートナーだ」

「ダブルワーク…って。普通の人名には聞こえないんですけど。コードネームですか?」

「いや。俺の名前だ」短髪の男が右手の親指を、自身の胸に指し当てる。「ダブルワーク・グリーン。他に名前は持ってねぇ」

「お、面白い名前ですね」

 とても納得はできなかったが、勝利はこの件に深く突っ込む事を避けた。ライム・ライトにしても、確か昔の映画のタイトルだったように思う。

 訳ありなのだ、と自分の中で無理矢理片づける事にした。

「そのお二人が、何で俺のアパートに…?」

 勝利の中から最初に浮上した疑問は、それだった。

 直後、堰を切ったように次から次へと疑問の数々が噴出する。

「あなた方は何者なんですか? 昨夜のあの黒い獣は何ですか? 昨夜俺が襲われた事をどうして知っているんですか? 何で俺の過去が変わってるんですか!?」過去の変化について触れた後、声は急速に萎んで力をなくす。「それと…、それと…、俺の過去は元に戻せるんですか…?」

 遂に、声は途絶えて消えた。が、勝利の顔は緊張の極に達し、眼球が零れ落ちそうな目の見開き方をする。

 縋る視線が相当痛かろうに、ライムとダブルワークはそれをしっかりと受け止めている。

「順をつけて話そう」数拍の間を置いて会話を整えたのは、ライムだった。「昨夜、君を襲った獣。あれを私達は、吸魔(きゅうま)と呼んでいる。人を襲っては三日間分の過去を吸い取って回る黒い炎の獣だ」

「三日分の過去…」

 凍った表情で、鸚鵡返しに勝利は呟く。

「ああ」と、連れの話をダブルワークが肯定した。「連中は、連続する三日間を吸い上げる。『三日吸い』ってやつだ。どの辺りから対象を選んでいるかは、まだわからねぇ。ただ、必ず連続する三日間が狙われる。…元々、それが精一杯なのかもしれねぇって見方もできるがな」

「俺の場合、最初に就職した会社には入っていない事になっていました。それから、知り合いと親しくなる切っ掛けがなくなっていて…」勝利は、拳を握る。組んだ足の中に落としている両手が、それぞれに拳を。「連続する三日間を吸い上げるって、具体的にはどういう事なんですか? 経験が奪われているんですか?」

「そうではない」ライムが、小さく首を横に振る。「君の時間だ。それによって、過去の何処かで連続する三日間、つまり七二時間だけ、この世界に君が存在していたという事実が失われてしまったんだ。もし、就職していない事になっているのなら。その会社についての情報を手に入れた日か面接した日が、たまたまその三日間に含まれてしまったのかもしれない」

「それで、あんたはそのまま就活を続けた事になってる。ま、該当する三日間に風邪をひいて寝込んでたと考えりゃわかりやすいか。部屋から出てない、ネットもしていないで、情報収集や出会いをふいにした、そんな感じに例えてもいい」

 ダブルワークが間を置く。

「出会いが一つ消滅して、あんたは無職の期間が長くなったりしてるのか?」

 短髪の男の問いにはすぐに答えず、勝利は履歴書を座卓に広げ二人の方に押し出した。

「これを見てください。職歴の欄を。入っていない事になっている会社が倒産した後、俺はこの会社に就職したんです。それが…、大学を卒業した後、すぐここに入社した事になりました」

「じゃあ、まだましな方だな。ラッキーだったぜ、あんた」

 まるで素晴らしい幸運を掴んだかのように指摘され、勝利は口をあんぐりと開いて驚いた。

 自分がこの世界から切り離されている間に、誰かが池袋の会社と縁づいたというのに。新人としてあの会社から学んだものは多かった。あの会社だからこそ学べたものも多かったというのに。

 それが今は他人のものになっていると説明され、面白い筈がない。幸運の定義がダブルワークと自分でどれだけ異なっているだろう。

 加えて、幸運なるものが自分に訪れる、という感覚にまるで実感が伴わなかった。別人の話を聞かされている、と解釈した方が余程すっきりする。

「ラッキーな方だろ」と、ダブルワークは笑顔で強調した。「無職でいた訳じゃないなら、きちんと飯は食えてる。蓄えができてりゃそれも良し、だ。…この後さえ乗りきれりゃ、あんた、何とかやっていけるぜ」

「この後…?」不吉な響きのある言葉が、勝利の勘の琴線に触れる。「この後って何ですか?」

「それについては説明するが」ライムが一旦、言葉を区切った。「君の場合は、明らかにレア・ケースだ。私達も君のような被害者と遭遇するのは初めてになる。今後何が起きるのか。それを予測するのは、今の段階では困難かもしれない」

 ダブルワークが、座卓に肘を突いて身を乗り出す。

「レア・ケースか…。そりゃそうだ。俺の記憶が正しけりゃ、俺にとっても初遭遇って事になる」気配りの男が一転、勝利の傷を興味の対象であるかのように触れ始めた。「ライム…。だったら尚の事、悲観しなくてもいいんじゃねぇのか? 面白ぇ!!」

「面白い? ちょっと待ってください」声が裏返るも構わず、部屋の主は無神経なダブルワークを睨みつける。「そんな言い方はないでしょ!? こっちは、会った事実までなくなって途方に暮れているのに。あれですか? どうせ他人事だからですか?」

「んな訳ねぇだろ!!」

 大男の声に、ほんの一摘みの怒気が混じる。

 直後、人型のドーベルマンの気迫が、褐色の剛毛に覆われた人外の戦士と化した。

 勝利の顔から、急速に血の気が引いてゆく。

 緑の長髪から何対もの翼を生やし、毛づやのよい体毛を黄金の鎧で所々覆っている神人。右腕は左腕よりも二回り以上大きく、その先で光る五本の爪は、物体どころか神人の光背さえ両断できそうな祝福の力に満ちている。

 まるで闘神だ。この男は。

 観察など、最早どうでもよくなってきた。男自身の容姿と体の大きさはまるで変わらないのに、全く別な姿が男の背後にそそり立っている。

 ダブルワークなる男の威圧感だけでは説明のつかない何かが、この部屋の中に働いているのだ。まず、それだけを勝利は理解した。

 男と共に、闘神が笑う。

「あんたの話を聞いて、正直、鳥肌が立ったぜ。何しろ、食われる前の記憶をこれだけしっかりと残していて、その上まだまともな形の被害者だ。あんたにも色々あるんだろうが、こっちにだって知りたい事は山程あるんだよ」



          -- 10 「三日吸いの果てに」に続く --

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