08 ライムとダブルワーク その2
「あ…あの。じゃあ、自分の為に何か用意させてください。朝から口の中がかさかさなんです」
正直に話してから、勝利は後悔した。当然、聞かされた方にしてみれば、監視に対するさりげない批判と受け止めるのだろうに。
「気を悪くしているようだな」
穏やかな一方で何処となく冷たい印象のする物言いが、眼鏡の男から返って来た。表情の豊かな連れとは異なり、紳士の方は微笑さえしない。
「まぁ…。普通、いい感じはしませんよ」引っ込みがつかないので思ったままを言葉に変換し、「すみません。朝からささくれ立っていて」と音量を下げ付け加える。
「君は、無駄に謝るんだな。…わかった。待とう」
「ありがとございます」
勝利は頭を下げる。勿論、これも礼ではなくいつもの癖の方だ。
湯を沸かし、無意味と知りつつ三人分のコーヒーを座卓に並べる。
その間も訪問者達は、胡座をかき座ったままだ。未だ二人共、何故かコートを脱ごうとしない。
「室内なのだから脱ぎましょう」と指摘する気力までは湧かず、勝利も座卓を挟んで男達と対面する形に胡座をかいた。
三人分の気まずい息づかいを、エアコンの運転音が程よくかき消してくれる。時折、カラカラと湿った軽い音が混じるのは、逞しい体躯の男が飴を口の中で弄んでいるからだ。
一杯めを飲んでいる最中、勝利は眼鏡越しに緑の視線が自分へと注がれている事を強烈に意識していた。恥ずかしくも、男性相手に赤面する。
何と強烈な虹彩の色だろう。冬には眩しい、春の若葉を思わせる明るい緑だ。
いや。新緑よりも尚明るさを帯びた、時折陽光の黄金が差す緑に近い。虹彩の元々の色は黄金に近く、そこに新緑の色が多く差し込みたがっているようでもある。
肌は、白人のそれより肌理が細かい。赤が浮き上がる白というより、浮き出る色のない乳白色に覆われている。白磁の肌というものは本当にあるのか。妙なところで感心してしまった。
その上。顔の造作に至っては、自分と差がつきすぎて嫉妬の意欲さえ削がれた。
尤も、星をも落とす美形よりはずっと控えめで、神々しさや畏怖の念を抱く域の遙か手前に留まっている。
しかし、両親の顔立ちを想像する事が困難なのは間違いなく、知的で落ち着いた印象も手伝って、男女を問わず一度見た全員の記憶に数年は焼きつくであろう並外れた容姿の持ち主だった。
事務的で冷たい印象には目を瞑ろう。敵ではないのだし。
しかし、不審に属する違和感の元がこの男にある事も、また事実だ。
一つは、無国籍の容姿。
もう一つは、眼鏡だ。
かけている眼鏡の所為で知的な雰囲気が幾らか増しているものの、顔を近づけるとその不自然さに一瞬目を奪われる。
男の眼鏡には度が入っていなかった。伊達なのだ。
整った顔立ちの上半分を隠す狙いはあるのだろうが、伊達の眼鏡を通してでも見たいものとは何なのだろう。追跡者という性質上、むしろそちらの方に勝利の興味はかき立てられた。
ならば、連れの方は。マグカップ越しに、さりげなく精悍な男の方に視線を移す。
ちょうど新しい飴を口に入れるところだった。男の関心はラッピングの中にあり、勝利が観察を始めた事など屁とも思っていない。意外と指の形が綺麗なので、小さく驚く。
並んで座ると、二人の座高差は頭髪分程度、この男の方が勝っている。玄関を遙かに見下ろす偉容の大男と思っていたが、最初の印象よりも実際の身長は控えめだった。
単に、圧倒されていただけなのだろう。
今は、眼鏡の紳士同様二〇代後半くらいを想像しているのだが、更に歳かもしれず実は若いという事もあり得る。褐色の肌に包まれた筋肉質の体躯を、余り似合っていないコートに無理矢理押し込んでいる。
しかし、野性味のある精悍な顔つきには年齢以上の貫禄が宿り、先程の気配りも相まって、勝利の中にある男の好感度は高かった。話を聞くなら紳士の方でなくこの男の方に頼みたい、と既に決めかけてさえいる。
大顔に悩む大柄な男達が羨ましがりそうな程、頭と顔の形が良い。精悍な印象が勝るのでチンピラと誤解されそうな顔立ちだが、もしドーベルマンの美点のみを人の形にするなら、この男のようになるのだとも思う。
闘志としなやかさを尊ぶ世界の美形だ。もし、アクション俳優と紹介されれば納得してしまいそうな、ある種の風格が男の貫禄に繋がっている。
連れとは別の理由で、虹彩の色も印象深い。
男の迫力を更に引き上げる黄金ときている。照明を一切必要とせず自ら太陽の輝きを溢れさせた光沢のある黄金だ。
髭はなく頭髪は短め。猫っ毛なのか、エアコンの送風だけで表層の髪が揺れる。
面白いのはその髪の色で、頭髪は一見艶のある緑なのだが、エアコンの空気が撫でてゆくと途端に金髪に早変わりする。見え方が、紳士の虹彩と逆という部分も妙に強烈だった。
片や虹彩に、片や髪に光を伴う緑を纏う男達か。二人はまるで、組む事を約束されたコンビだ。
そしてやはり、短髪の男も無国籍の容姿を持っていた。伊達眼鏡の奥にわざわざカラー・コンタクトを入れたり、適当な短さの髪を派手に染める酔狂ならば、そもそも黒い獣とその被害者を追う日陰の仕事など選んではいまい。
両者共、話す日本語は実に流暢だ。
何だろう。知る程に大きくなるこのちぐはぐな手応えは。
-- 09 「ライムとダブルワーク その3」に続く --
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