自認-3

 望むなら。そう言われても困る。出来損ないと罵られるのは嫌だったし、今も嫌だ。だからといって完璧になりたいわけでもない。でも、成長することがあったら、白伊に使われてしまうのではないのか。それはとても怖い。恐ろしい。この恐怖をずっと抱いて、環と颯は逃げてきたなんて。

 ぱこん、環がビスケットの缶を開けた。

「あれ、これ開いてなかったんだ」

 プラスチックの上蓋がついていて、一目では未開封かわかりにくい缶だった。円形の缶の中には、数種類のビスケットがきれいに並んでいる。

「とってきかも。輸入品みたい」

 こっちでプラスチックは滅多に見ない。ケイが個人的に輸入したものかもしれなかった。

「まだ密輸してるの?」

「知らない。でも、ここの器具はあっちのだからまだやってるかも」

 二人でビスケットをかじりながら、そんな他愛のない話しをした。

「始祖のことは分からない。ごめん」

 缶がすっからかんになりそうになって、桜花はやっと話題を戻すことができた。なんとなくわかっていた。環はこれ以上聞くのが気まずくなって、話題をうやむやにしようとしている。竜のことも朱伊のことも、きっと一番近くにいて知っているはずなのは自分なのだ。だからこれは、はっきりしておかなければ。

 思い出したことは全て話した。でもこれは、誰にとっても役に立たないかもしれない。

「明日出て行く。メイズに会いに行かなきゃいけない」

 そっか。環はほほえむ。これまでずっと姉のように見えていた。優しく見守っていてくれる。ゆるしてくれる人。

 きっと同い年か、もしかしたら自分の方がずっと年上かもしれない。自分が何歳なのかさえ、止まっていた成長の中で忘れて思い出せなくなっていたからだろう。その環に、少し近づけた気がした。

「じゃあ今晩はおいしいもの作ってあげる!」

 門出祝いねと笑って、環は階段を降りていった。缶に一枚だけ残ったビスケットをどうしようか迷って結局食べ、缶は元あった場所に戻すことにする。ばれないように、戸棚の奥の方へ入れようとして、戸棚のものを落としてしまった。割れるものはなかったが、その中に額があった。

 少し大きい写真立てだ。茶色く焼けた、新聞が入っている。日付は一年前。あの立候補演説の翌日だ。実は桜花もこの記事をまだ持っている。メイズの写真写りが奇跡的に良いのだ。

 空いた缶の上にこれを立てた。メイズの記事を切り抜いてわざわざ飾っていたなんて、いくらケイでもきっと恥ずかしいだろう。それならビスケットの缶ひとつが空になっていたって、怒ったりはしないはずだ。これは新しい賭けのねたにできるかもしれない。

 一階には流風の姿もなかった。リンゴをかじっている颯がひとりだけだ。

「明日出て行く」

「聞いた。環が、今夜ごちそうを作るってさ」

「・・・・・・どうしてリンゴばかり食べているの」

 颯の顔色はずっと良くなっている。顔半分しか見えないが。身体の傷はふさがるのに、顔の傷がふさがっていないようなのは不思議だった。

 颯と眼が合う。彼女はまばたきして、

「たくさんあるかららしい。買い置きがあるんだろう」

 じょりじょり。丸のままのリンゴをかじる。ベッドサイドには確かにリンゴが山積みされていた。買い置きしていたとなれば、ケイの仕業だろう。彼女はそんなにリンゴが好きだっただろうか。

「頼みがあるんだ。話だけでも聞いてくれないか」 

 颯は芯だけになったリンゴを皿に置いて、こちらへ向いた。話しをするには少し遠い。だが、詰める気にもなれない。

「私に頼みごと? なぜ?」

 別に中身を知りたいわけではない。あれだけ人を振り回しておいて、まだ人を使おうとは。この女は何様だろう。

「色々失礼なことを言ったことは謝る。悪かった」

「そんなものいらない。聞いたことに答えて」

 腹が立つ。ここで頭を下げただけで、これまでに颯が言ったことで起こったことを、許すことはできない。これからもずっとそうだ。だが、今すぐ息の根を止めてやろうという気は失せた。

「お前は竜の力が使えるんだろう。だから協力してほしい。私たちには戦力がない」

 竜の力を使う。この言い回しはなんだか新鮮だった。颯は、自身を竜ではなく、人間に竜の要素が付いたものだと思っているのかもしれない。拍子抜けだ。これが、出来損ないの上位互換。完成品だなんて。

「私は馬鹿力なだけ。魔術は使えない」

 これも出来損ないと言われた要素のひとつだ。身体に見合わない腕力と脚力があるだけ。こっちの世界に来ても、魔術はぴんと来ない。元来向いていないのだ。

「それでもいい。頼む。どうしても守らなければならない子がいるんだ」

 環のことだろうか。でも、そうではないように聞こえる。

 颯の顔は頼りなく、こちらを見上げているように見える。拍子抜けだ。完成品のくせに、この出来損ないを頼るだなんて。

「考えておく」

 そう言っただけで、口元を緩ませるさまに腹が立つ。こんなにもわかりやすく、簡単な女に、どうしてああまで振り回されてきたのか。

 悔しいからリンゴをこれでもかときれいに剥いてやった。いい歳をした女性が、丸かじりだなんてはしたない。これが環の母親だなんて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る