自認-2

 颯がメイズにあんなことを吹き込まなければ、こんなことにはならなかった。『釣り』で死んだ仲間も死なずにいられた。だけれど颯の伝えたことは事実だったし、彼女が伝えなければ自分も流風も言わずにいた。黙っていたことが裏切りなら、裏切りから脱することができたのは、颯のお陰だった。この女の都合で散々振り回されている。それによって得たものもある。だからといって失ったものを見過ごしたりはできない。なによりも自分は、あのままでいたかった。メイズに罪を告白して、なくなってしまった信頼を取り戻せもしない。

 恨んでいるし憎んでいる。颯を好意的になど捉えられるわけがなかった。

 夜遅くになって、一階が騒がしくなった。物音が響く。物を落としたり、倒したりする音だ。押し込み強盗か。でも話声も足音も多くない。そっと階段から下を覗くと、颯のベッドが見えた。あかい。流風が見えなかった。あれだけかかりきりでついていたのに。

 一階へ降りたところで何か色々持った流風を見つけた。こんなに取り乱すなんて珍しい。環が怪我をしたとき以来かもしれない。

「大丈夫、死なない」

 殺しても死なないだろう。竜なんてそんなものだ。昔麻耶が教えてくれた。先祖返りした子が生まれたらそれは、きっと神様なんだよ。

 そうでなくても、こんなところで、療養中なんかに死なれたらたまったものじゃない。勝手に死なないでほしい。どうせならわたしが息の根を止めてやりたいのに。

 傷がぱくぱく、閉じては開いている。気味が悪い光景だった。魔術じみた作用によるものだとしか分からない。颯の身体が回復する端から傷を開こうとしている者が、その意思がどこかにあるのだ。

 できることはない。ただ傷を押えた。二人して血まみれになって、夜が明け始めた頃に傷は開かなくなった。

 環が駆け込んできたのはその直後で、やはり魔術によるものだったらしい颯の急変は、彼女が処理してくれた。

 普段は同じエイローテに住んでいても、会うことはそうそうなかった。部隊のアジトで数回見かけただけだ。遠い存在になってしまった。それは、目の前にするとよくわかる。魔術師で、魔導師になった環は同じものを見ていても見えているものが違う。颯の閉じていく傷口を見ながら、うつらうつらそんなことを考えた。

 一眠りして、環の声で目が覚めた。寝入ってからそんなに経っていない感覚がした。一階から響いてくるのは環の怒った声だ。階段から覗くと、ついたては倒れたままで、颯に頭を撫でられる環の後ろ頭が見えた。環の頭を、背を撫でる颯の手がやさしい。

 見ていたくなかった。羨ましくなる。悔しくなる。憎くなって、自分の不出来さに腹が立つ。この出来損ないの身には手に入らないものを、颯は全て持っている。悔しい。そのくせメイズまで傷つけた女だ。颯には適わない。彼女が完成品で、自分は試作品で、失敗作だから。

 いくら身体を動かしても気が晴れなかった。颯を殺したら晴れるかもしれない。でも、流風とやり合うのは嫌だし、環が悲しむのも、嫌われるのも嫌だ。だから結局、気後れしながらこのままここにいるしかない。

 夕方になって、環と二階で二人になった。そういえば環は朝からずっと一階でリンゴしか食べていないのかもしれない。流風はなぜだかリンゴを剥き続けている。

「ありがとう、母さんを助けてくれて」

 環にカップを差し出されると受け取るよりほかない。

「ここで死なれると困るから」

 見殺しにしたみたいになる。それは後ろめたかった。環に対して。

「教えて欲しいの、竜のこと。なんでもいいから聞かせて?」

「なんで」

 環は朱伊のことを知らなかったはずだ。と思う。初めて会ったとき、名前を教えたとき、環は気にした風じゃなかった。流風は時々探りを入れてきたが、隠すもなにも思い出せていなかったのだから無駄骨だった。

「変わったね。そういうこと、言わなかったのに。褒めてるんだからね? ええと、理由はいくつかあって」

 環のほほえみ方は変わっていない。素直な口ぶりで話してくれるのもだ。メイズに対するのとも、流風に対するのとも違う、友達にするような口ぶりで環は説明した。

 白伊の始祖が麻耶に化けていた理由がわからないこと。

 先祖返りしている颯と、桜花の違いがわからないこと。

 桜花は朱伊の人形の出来損ないであるのに、始祖がわざわざ手塩にかけて桜花を駒に仕立て上げる理由がないこと。

 ひとつには、桜花にも心あたりがあった。

「朱伊の研究と、白伊の交配は別物。朱伊の研究は人形に竜で命を入れるものだから」

 颯という天然ものの結晶がなかなか生まれないから、人工的に造ってしまおうというのが朱伊の研究だ。だから、颯と桜花では根本的に異なる。

「ルーツが違うってこと?」

 頷く。

「だから、私の話しは颯の参考にはならない」

 なぜこんなに颯に対して気後れするのだろう。彼女が天然物だから。事実として、自分よりも優れているから。劣っている部分を上げればきりがない。

「それで気になることがあるんだけど、たぶんね、桜花はあっちの世界じゃ必要なものが足りなかったんじゃないかと思う」

 魔術に必要なものがね。環はかみ砕いて説明してくれた。こちらの世界には魔術に必要なエネルギーが空気中に溢れていること。あっちの世界にはそれが全くないこと。竜は、そのエネルギーの集合体であること。

「桜花は、こっちに来てからのほうが調子良さそうだし。いろいろ思い出せるようになったのもこっちに来たからなのかも」

 そうだったらいい。自分がなにものなのか、こちらに来たばかりの颯と話してから急にあれこれと思い出してしまった。白伊は恐ろしい。あの家で、朱伊が少女の人形ばかり造っていたのは交配計画に組み込むためだ。ぼうっとするばかりでなく、いつまで経っても初潮の来ない個体は出来損ないに違いない。

「だから、桜花が望むなら変われるはずだと思う。たぶん。魔術は意思の力だからね」

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