第十一話 そのとき

自認-1

***

 桜花が目覚めたとき、メイズの姿は無かった。ついでにケイもいない。建物じゅうを見て回ったが、一階に流風と颯がいるだけだった。

「メイズ? さあ。あ、ケイは会いに行くみたいだったから、エイローテじゃないか?」

 しゃくしゃく。流風はベッドサイドでリンゴを剥いて、切り分けはするものの自分で食べている。颯の寝息が聞こえる。まだ息がある。どうせすぐに治る。なんといっても白伊念願の完成品だ。今のうちに息の根を止めてしまおうか。でも流風とやりあうのは嫌だ。

「でもあいつ、僕らがここにいるのを知ってて出て行ったみたいだったし、もう仇がどうこう言ってないんじゃないかな」

 榊 麻耶は死んだ。カレンが、あの竜が、おそらくはメイズの仇であるほうの麻耶が殺した。

「メイズの仇はまだ死んでない。麻耶はもう一人いる。・・・・・・竜の」

 メイズの仇は麻耶じゃない。それはきっと、メイズの記憶を見たことがある桜花にしかわからないことだっただろう。彼は麻耶との顛末を誰にも話していなかったから、麻耶の年齢が合わないことに誰も気付きようがなかった。だけどまさか、竜だったなんて。しかも地下道で対面したあの竜は、白伊だ。白伊そのもの。

「白伊の始祖。私のことを知ってた」

 出来損ないと断じただけ。あのしろい竜はそう言った。メイズに呪いをかけたのもあいつなんだろう。麻耶に化けて、メイズをたぶらかし呪いをかけた。彼の吸う煙草が、魔術を帯びるように。彼の吸う煙草の煙が、この不完全な身体を満たすように。そうして不完全でなくなったこの身を、竜が手駒として使えるように。そのためだけにメイズは呪いをかけられて、桜花と出会うまでさまよい続けさせられてきた。

 それもこれもみな、あの竜が流風を手に入れるためだ。

「環が危ない。あの竜は、私に環と颯を殺させるつもりだった」

 そのために用意した手駒だ。なぜここまで周到に駒を用意したのかなどどうでもいい。どうせ竜を殺すのに、竜が必要だっただけだ。

 流風はリンゴをかじりながら虚空を見つめている。聞いていないのではない。考えている。

「新聞を見た限りじゃあ、環は隣国に捕まってない。エイローテだろうなあ」

 ベッドの上に新聞を放った。一面は王宮魔導師の実験失敗でも、隣国との緊張状態でもない。魔導師ピア・スノウが、『皿』の後押しを受けて世界の解放を目指すと宣言したことだ。

 世界の解放が意味するものも、異人の立場が危うくなることも、メイズの立場が非常に苦しいだろうことも、桜花も流風も分かっている。この世界に来て七年だ。

「なるほど、聞く限りじゃひどい話しだ。それにメイズも自分の仇がまだ生きてることを知ってる」

 でもな。流風は続けた。

「エイローテには僕の弟もいる。異人部隊も、きっとメイズも。あいつが環を殺すことはない。だから環は大丈夫だ。おまえがわざわざ出しゃばって、メイズの邪魔をする必要はない」

「邪魔? 邪魔なんかしない」

「邪魔だよ。僕らは、あいつがけりをつけるのに邪魔だ。よく考えろ。言っただろう。僕らはメイズを裏切った。そのくせまだ信頼が欲しくて、言うべきことも黙ってた。僕らがあいつのためにできることはない」

「そんなことない。それは、黙っていたこととどう違うの。変わらない。メイズを、助けないと」

「ならなんで置いていった」

 助けが必要ないからだ。そこまでわざわざ言われたくない。でも言い返しもできない。自分は、寝こけている間に相棒ではなくなっていたのだ。

「そんな顔するな。あいつが捨てるわけない。あいつなりにけりが着いたら、きっと迎えに来る。それまで二、三日ここで待っててもいいいだろ」

 本当だろうか。そんなことをしていて、こんなところで足踏みしていて、本当に大丈夫だろうか。ここにいるだけじゃあ、なにもできないのに。

「それならこう考えたらどうだ? あいつは戻ってくる。それはあいつを、桜花が信じているからだ。待ってて来なければエイローテに行けばいいだろ。あいつにはそんなに行き先もない」

 それは、確かに言われてみればそうだ。引き下がると、流風は満足げにリンゴを差し出してきた。

 日はとっくに昇っている。ずっとこの二人と同じ屋根の下にいるのは気が向かなかった。町の様子を見に少し出たが、空気がぴりぴりしている。メイズと一緒に町に入ったときとは別の緊張に包まれていた。新聞の一面は飾れなくても、国境の緊張は高まっているらしい。軍の馬車が町を通り過ぎていくのも、商店や飲食店に軍の人間がたむろしているのも見た。

 あまり出歩かないほうがいい。へんぴな町で異人は目立つ。世界の解放で、この世界の人間が異人になにを思い抱くのか予測できない。

 別に報告する義務もないが、一応流風に伝えることにした。彼に迷惑を掛けられたくない。

 診療所になっている一階にはいくつかベッドがある。ついたてで仕切っていて、階段から降りてきても正面から入ってきても裏口から入ってきてもベッドは見えないようになっている。今使っているのは颯だけだった。入院患者は取らないのかもしれない。

 ついたてから顔を出すと、颯は起き上がっていた。流風がリンゴを口に押し込んでいるところだ。

 嫌なものを見た。

「なんだよその顔」

 どんな顔だというのか。そもそもこの顔が表情をつくらないのは、この身が不完全であるからだ。いつまでも成長しないのと同じ。身体も精神も。

 外には出ない方がいいことを伝えた。

「メイズがうまくやってくれてるといいけど。ここで死ぬのはごめんだな」

 これを機に異人排斥なんかが始まったらと思うとぞっとする。颯は動けないから流風はここを離れないだろう。町にたむろする軍人どもになぶり殺しにされてしまう。

「なんだ、嬉しそうじゃないな」

 颯の口ぶりは変わりが無いが、顔の半分が包帯で覆われている。取り落としたリンゴをわざわざ手渡されて口に運んでいた。すっかり茶色くなったリンゴがそれとなく交換される。

「流風は仲間だから。死なれると困る」

「え、うそ、ほんとに?」

 茶化す流風に腹が立つ。彼が颯にべったり付き添っていなければ、この女なんかとっくに殺していたのに。

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